平成24年1月13日
平成24年1月13日(金曜日)札幌市において,フリージャーナリスト池上彰氏,高橋博史外務省国際情報官による国際情勢講演会が開催されました。
私は,学生時代にアフガニスタンに留学しました。最初は大変だったのですが,アフガニスタンになじみ,現在までアフガニスタン情勢に係わっています。ロンドン大学留学時代のことですが,寮生活をしていました。その時の体験をご紹介します。ある日の夕食のメニューの選択肢は2つで,スパゲッティか豚肉ステーキでした。インドネシア人の寮生で,非常に真面目でお祈りなど熱心に行う人がいたのですが,その人が豚肉ステーキを食べていました。私は,びっくりしたのですが,本人は,おいしいぞと薦めてくれました。私は,当人が食事を終え,食堂から出た後に,周囲にいたアラブ人のイスラム教徒の学生たちに,なぜ彼が豚肉を食べることを止めないのだと尋ねました。すると彼らは,自分たちの宗教は,自分と神との個人的契約であり,その行いは個々人が自分の判断に基づいておこなえばいいのだと説明しました。イスラムとは,そういう宗教なのです。
本日は,アフガニスタンとパキスタン(アフ・パク問題)についてお話をします。アフガニスタンを支配したターリバンは,創設時とその後ではかなり変質しました。初期段階のターリバンは,まさに黒澤映画「7人の侍」でした。ソ連軍の撤退後,国内の軍閥が勢力を増大させ犯罪が増加し,国内の治安が悪化しました。ターリバン指導者オマル師は,そうした状況にたまりかね,少数の仲間と立ち上がりました。治安の悪化にうんざりしていた国民は,オマル師の行動を支持し,ターリバンが国内の治安を安定させたことを歓迎しました。しかし,その後,アフガニスタンにアルカーイダが入り込み,ターリバン運動が変質し,2001年には9.11連続テロを引き起こす事態になりました。9.11の後,米軍がアフガニスタンに進攻し,ターリバン政権は崩壊しました。しかし,その後もターリバンの勢力は衰えていません。またアフガニスタンのカルザイ政権はなかなか安定しません。外国軍隊は2014年末までに撤退する予定ですが,それまでに治安が回復するか疑問です。2012年には米国の大統領選挙があり,米軍は9月までに約3万3,000人を撤退させる予定です。2014年には,アフガニスタン大統領選挙があり,現在のカルザイ大統領は出馬しません。2014年以降,アフガニスタンで何が起きるか注視している状況です。
パキスタンは,対インド戦略上,アフガニスタンに影響力を残したいと考えています。パキスタン軍は,これまでのインド軍との戦争で全敗しています。パキスタンは,インドと対峙するためには,自分の背後にあるアフガニスタン国境を安定させておく必要があると考えています。またパシュトゥーン人の居住地域の中に,アフガニスタンとパキスタンの国境線が引かれたため,ほとんど国境線として機能していません。2007年にパキスタン側で「パキスタン・ターリバン運動」が始まりました。この運動は,有名なラール・マスジッド(赤いモスク)襲撃事件がきっかけで始まりました。ターリバンを支持する武装勢力が部族地域に拡大し,一時は首都近郊に近づく勢いを見せました。またパキスタンのイスラム過激派は,2008年にはインドのムンバイ同時多発テロ(ラシュカレ・タイバ)を引き起こし,2010年には,米国のニューヨークにおけるタイムズスクエアでのテロ未遂事件にも関係するなど,その影響はパキスタン内外に及んでいます。パキスタン政府は,2009年には,北西部の南ワジリスタンで大規模な掃討作戦を行いました。しかし,2010年のテロ件数は2113件(2009年比較で約20%減)ですし,2010年の自爆テロは68件起きています。パキスタンの治安状況は,まだ不安定ですし,イスラム過激派が勢力を伸ばす要素があります。パキスタンは核保有国であり,イスラム過激派は核兵器をパキスタンから奪取して米国を攻撃すると声明をだしています。そのため米国はパキスタンが不安定化することに懸念を抱いています。
アフガニスタンは,歴史的に,中東地域・インド,中央ユーラシアが交差する地域にあります。資源を有する地域の中間にアフガニスタンが位置し,隣接地域の文化圏が交差・融合する場所であり,同時に政治的なバランスの影響を受ける国でもあります。そうした観点からアフガニスタン・パキスタンを含む地域の不安定は資源を有する隣接地域に大きな影響を及ぼすため日本にとっても,この地域の情勢は見逃すことができないものであるといえます。