外交史料館

概説と主な展示史料

平成25年7月22日
 1930年(昭和5年)11月、高松宮宣仁(たかまつのみや・のぶひと)親王殿下と喜久子(きくこ)妃殿下がスペインをご訪問されました。昭和天皇が即位された際に、スペイン国王より勲章が贈呈されましたが、昭和天皇はその答礼として、弟宮である高松宮殿下を名代としてスペインに遣され、スペイン国王アルフォンソ13世に大勲位菊花章頸飾(最高位の勲章)を贈呈されました。
 この時に、両殿下はプラド美術館、古都トレド、アランフェス離宮、セビリア、コルドバ、グラナダ、バルセロナなど、スペインの多くの名所をご訪問されました。マドリード王宮にある王室武具博物館をご見学された際には、支倉常長がスペイン国王に献上した甲冑の遺物(火災のため損傷)を興味深くご覧になったとの記録が残っています。

展示史料7
高松宮同妃両殿下のスペインご訪問に関する報告書

  • (写真)高松宮同妃両殿下のスペインご訪問に関する報告書-1 (写真)高松宮同妃両殿下のスペインご訪問に関する報告書-2

大田為吉(おおた・ためきち)在スペイン公使から幣原喜重郎外務大臣に提出された報告書。



日西墨三国交通発祥記念之碑


 高松宮殿下ご訪問に先立つ1928年(昭和3年)、千葉県夷隅郡浪花村(現在の御宿町)の岩和田海岸(現田尻浜)に、日本とスペイン、メキシコの交通発祥記念碑が建立されました。
 (注)墨西哥=メキシコ

 これは、1609年(慶長14年)、フィリピン諸島長官であったドン・ロドリゴ・デ・ビベロ総督(Rodrigo de Vivero)を乗せたスペイン船サンフランシスコ号がメキシコ(当時スペイン領)に向かう途中、嵐に遭って岩和田海岸で沈没した際に、岩和田の人々が救助し、それをきっかけに日本とスペイン、メキシコとの交流が始まったことを記念して建立されたものです。岩和田の住民に救助された後、ドン・ロドリゴは将軍徳川秀忠(とくがわ・ひでただ)や大御所徳川家康に謁見し、翌年メキシコに帰国しました。この出来事への謝意を伝えるため、1611年、メキシコからセバスティアン・ビスカイノ(Sebastián Vizcaíno)が日本に派遣され、ビスカイノは支倉常長ら慶長遣欧使節と共にメキシコに帰国しました。
 この記念碑建立にあたり、スペイン政府から5000ペセタの寄付金が寄せられました。また、高松宮殿下ご訪問時のスペイン国王晩餐会における国王の歓迎の挨拶でも、本記念碑の建立は大変喜ばしいことであると言及されています。

展示史料8
日西交通発祥記念碑建立趣意書より

  • (写真)日西交通発祥記念碑建立趣意書より

1926年(大正15年)11月7日挙行の定礎式の様子。鍬を手にしているのは、クワルチン(Pedro Quartín)在日スペイン公使。


〈参考〉日西墨三国交通発祥記念之碑

  • (写真)日西墨三国交通発祥記念之碑

所在地:千葉県夷隅郡御宿町岩和田
(画像提供:御宿町役場)

特別展示「日本とスペイン―外交史料に見る交流史―」外交史料館へ戻る