外交史料館
個人文書・書簡類
- アーウィン関係文書(1989年6月公開)
- 内田康哉伝記草稿(1993年11月公開)
- 川上俊彦関係史料(2010年10月公開)
- 川村茂久関係文書(2004年4月公開)
- 沢宣嘉関係文書(1995年5月公開)
- 須磨弥吉郎関係文書(2010年2月公開)
- 英修道博士旧蔵史料(2003年3月公開)
- 花房義質関係文書(1993年10月公開)
- 林董関係文書(2002年2月公開)
- 林出賢次郎関係文書(1996年4月公開)
- 吉田茂元総理関係史料
- 榎本武揚宛諸家書翰(1994年2月公開)
- 陸奥宗光書翰(1994年2月公開)
- 三条実美・伊藤博文・陸奥宗光・林董書翰(1994年2月公開)
アーウィン関係文書(1989年6月公開)
「ハワイ官約移民」実施の最大功労者ロバート・ウォルカー・アーウィン(Robert Walker Irwin)ハワイ国駐日弁理公使所蔵資料を、孫に当たるジョン・アーウィン氏より寄贈されたもので、1881年(明治14年)から1898年(明治31年)までを中心に総数476点所蔵しています。
移民関係資料のほか、ハワイ国関係資料や領事官リストなどの史料を含んでいます。
- 参考:山田宙子「アーウィン関係文書について」(PDF)
(『外交史料館報』第2号)
内田康哉伝記草稿(1993年11月公開)
内田康哉(うちだ・やすや)は、1887年(明治20年)に外務省に入省し、1911年(明治44年)、外務大臣に就任。その後、ロシア大使、外相、枢密顧問官、満鉄総裁などを歴任した人物です。
本史料は、内田外相の秘書官を勤めた青木新元公使を中心に1937年(昭和12年)から執筆されたもので、内田康哉の生い立ちより遺稿までの伝記『内田康哉』(鹿島平和研究所、1969年)のもととなった伝記草稿を整理、公開したものです。全21冊。
- 参考:内藤和寿「『内田康哉伝記草稿』について」(PDF)
(『外交史料館報』第7号)
川上俊彦関係史料(2010年10月公開)
川上俊彦(かわかみ・としつね)は明治・大正期の外交官で、日露戦争時はウラジオストク貿易事務官として居留民引揚に尽力、後に外交顧問として従軍し、旅順開城交渉の通訳も務めました。
本史料は川上俊彦元駐ポーランド公使の縁者により寄贈された川上俊彦旧蔵史料で、書簡、はがき類、勲記、写真から成ります。全100点。
川村茂久関係文書(2004年4月公開)
川村茂久(かわむら・しげひさ)は、昭和戦前期の外交官で、アジア局、調査局等に在勤した後、興亜院の調査官等を務めました。
本文書は、1930年代における外務省機構改正に関する私案や満州事変関係の文書などを含む34点。
沢宣嘉関係文書(1995年5月公開)
沢宣嘉(さわ・のぶよし)は、明治新政府成立後、九州鎮撫総督兼外国事務総督、長崎府知事、外国官知事等を経て1869年(明治2年)6月初代外務卿に就任。1871年(明治4年)7月外務卿を罷免され、1873年(明治6年)、ロシア駐箚を命ぜられましたが赴任前に死去しました。
本文書は、「沢宣嘉旧蔵文書」、「沢宣嘉書簡」、「沢宣嘉伝記史料」及び「大久保要・長島二左衛関係史料」、「雑」からなっており、全73点所蔵しています。
- 参考:柴田紳一「『沢宣嘉関係文書』について」(『外交史料館報』第8号)
須磨弥吉郎関係文書(2010年2月公開)
須磨弥吉郎(すま・やきちろう)は、昭和戦前期の外交官で、1927年(昭和2年)より11年間に及ぶ中国在勤の後、米国大使館参事官、外務省情報部長、スペイン公使を務めました。その精力的な情報収集は「情報の須磨」として知られました。
本文書は、ご遺族より寄贈を受けた須磨弥吉郎旧蔵文書で、須磨の外交官時代の意見書・報告書写、回想録、評論・随筆、紀行文等のほか、原稿・草稿類、葉書・書簡類、新聞・雑誌切抜き帳、写真アルバム、著書・パンフレット等から成ります。全840点。
- 参考:原口邦紘「外務省外交史料館所蔵『須磨弥吉郎関係文書』について」(PDF)
(『外交史料館報』第23号)
英修道博士旧蔵史料(2003年3月公開)
戦前期「興亜院調書」「外務省調書」「議会調書」など全446冊。
花房義質関係文書(1993年10月公開)
花房義質(はなぶさ・よしもと)は、明治期の外交官で、榎本武揚公使を助け樺太千島交換条約の締結(1875年)にかかわる一方、朝鮮事情を研究し、「壬午事変」(1882年)時に在朝鮮弁理公使であったことで知られています。以降農商務次官、宮内次官、枢密顧問官、日本赤十字社長等を歴任しました。
本文書は、書簡、書類、写真と三部で構成されており、なかでも書類の部が多く、政治・外交・宮中関係の史料から日記、旅行記等までを含んでいます。全約640点。
- 参考:柴田紳一「『花房義質関係文書』について」(『外交史料館報』第7号)
林董関係文書(2002年2月公開)
林董(はやし・ただす)は、明治期の外交官で、1891年(明治24年)、外務次官に就任し、伊藤内閣の陸奥宗光外相を助け、1895年(明治28年)には、特命全権公使として日清戦争前後の外交を処理しました。また、1902年の日英同盟協約成立に尽力し、外相就任時代には日仏、日露協約の締結(1907年)に携わった人物です。
本文書は、1998年(平成10年)にご遺族より寄贈を受けた史料で、公文書、書簡、草稿類、漢詩・漢文、雑の五部で構成されています。全421点。
- 参考:熊本史雄「外交史料館所蔵『林董関係文書』について」(『外交史料館報』第15号)
林出賢次郎関係文書(1996年4月公開)
林出賢次郎(はやしで・けんじろう)は、1932年(昭和7年)8月に在満州国大使館書記官に任ぜられ、同時に満州国執政府及び同宮内府の「行走」を兼務し、満州国皇帝(執政)溥儀の通訳を務めた人物です。
本文書は、溥儀と日満両国高官の会見記録である「厳秘会見録」、溥儀と武藤信義兼任初代在満大使(元帥、関東軍司令官・関東長官)との会談要領を収録した「元会録」などを含んでいます。全24冊。
- 参考:林正和「林出賢次郎『厳秘会見録』について」(『外交史料館報』創刊号)
柴田紳一「『林出賢次郎関係文書』について」(『外交史料館報』9号)
吉田茂元総理関係史料
1988年(昭和63年)7月、吉田茂記念事業財団(現財団法人吉田茂国際基金)より寄贈された吉田茂元総理の遺品、書簡、書および写真等関係資料約320点です。
- 参考:上西淳三「外務省外交史料館別館の開設と吉田茂関係資料について」(『外交史料館報』第2号)
榎本武揚宛諸家書翰(1994年2月公開)
「榎本武揚宛諸家書翰」は、全5巻49通あり、伊藤博文、原敬、陸奥宗光他から榎本武揚宛の明治期の書翰です。マイクロフィルムで閲覧することができます。
- 参考:冨塚一彦「『榎本武揚宛諸家書翰』、『陸奥宗光書翰』、『三条実美・伊藤博文・陸奥宗光・林董書翰』について」(PDF)
(『外交史料館報』第8号)
陸奥宗光書翰(1994年2月公開)
「陸奥宗光書翰」は、全4巻計19通からなり、陸奥宗光より伊藤博文(1通)、加藤高明(2通)、中田敬義(16通)宛書翰です。マイクロフィルムで閲覧することができます。
(注)中田敬義宛書翰は太平洋戦争時に被災したため、当館で修復後1996年より公開。
- 参考:冨塚一彦「『榎本武揚宛諸家書翰』、『陸奥宗光書翰』、『三条実美・伊藤博文・陸奥宗光・林董書翰』について」(PDF)
(『外交史料館報』第8号)
冨塚一彦「陸奥宗光の中田敬義宛書簡について」(PDF)(『外交史料館報』第11号)
三条実美・伊藤博文・陸奥宗光・林董書翰(1994年2月公開)
本史料は、表題のとおり4名の書翰各1通ずつ計4通が1巻に収められています。マイクロフィルムで閲覧することができます。
- 参考:冨塚一彦「『榎本武揚宛諸家書翰』、『陸奥宗光書翰』、『三条実美・ 伊藤博文・陸奥宗光・林董書翰』について」(PDF)
(『外交史料館報』第8号)