福井 康人
ベネズエラ・チャベス政権を読み解くための鍵 ─ボリーバル革命の一考察─
大久保 仁奈
中野 潤也
藤本 真美
ポーツマス講和会議とセオドア・ルーズベルト ─なぜ彼は日本に伝えなかったのか─
松村 正義
欧州連合の「リスボン戦略」 ─EUの包括的構造改革と経済成長的側面について─
八田 善明
EU統合ダイナミズムの中のリスボン戦略 ─統合の社会的側面の観点から─
広部 直子
研究ノート: 平和構築プロセスにおけるNGOの役割 ─アフガニスタンの実験─
斎藤 憲二
司法・内務分野におけるルーマニアによるEU加盟努力(PDF)
福井 康人
ルーマニアの欧州統合プロセスは、95年のEU加盟交渉申請後の1999年末のヘルシンキ欧州理事会で交渉開始が承認、翌年から実質的に開始された。その後司法・内務、競争政策等一部分野で困難を極めたものの2004年末にようやく暫定合意され、2005年4月25日にはEU加盟条約への署名が行われた。ルーマニア政府は2007年1月のEU加盟実現に向けて更なる努力に勤しんでいるが、汚職対策、国境管理等で引き続き苦慮しているのが現状である。かかる次第もあり、本稿においてはいわばルーマニアのEU加盟の鍵とも言える司法・内務分野につき、EU加盟条約セーフガード条項が不履行に対し如何なる保障措置を提供するかという法的側面、更には関連する南東欧地域の法執行機関地域協力メカニズムにも触れつつ、その実状を明らかにしてみたい。
ベネズエラ・チャベス政権を読み解くための鍵
─ボリーバル革命の一考察─(PDF)
大久保 仁奈
ベネズエラのチャベス政権が発足して6年半以上が経過した。チャベス大統領は、2002年4月の政変で一度失脚するものの復権を果たし、それ以来、ゼネスト、大統領罷免国民投票と数度に亘り政治生命の危機に瀕してきたが、その度に困難を克服してきた。そして、チャベス大統領は、自らの政治信条として常に「ボリーバル革命」を掲げてきた。
本稿の目的は、ボリーバル革命とは一体何かという点につき、その思想的背景、実践面、国際的な影響を考察することである。第一節ではチャベス大統領のこれまでの軌跡を時系列的に概観し、第二節においてボリーバル革命の思想的側面を考察する。その後、第三節でベネズエラの伝統政党の歴史と第一与党である第五共和国運動党の特徴を追い、第四節では、チャベス政権におけるボリーバル革命を実践面から検証する。
中野 潤也
ロシアは、ソ連時代よりCSCE/OSCEを自国の平和共存政策のプロパガンダの場として、また欧州安全保障問題に関する自国の発言権を確保する場として、利用価値を見いだし、90年代にはNATOの上位に位置する欧州安全保障メカニズムの要として重視したが、最近では、OSCEの選挙監視評価のあり方を中心にOSCEに対する批判を強め、OSCE2005年度予算成立のブロックなど、ロシアの否定的な対応が目立つようになっている。本稿は、かかるロシアの対CSCE/OSCE政策の変遷とその要因を整理した上で今後のロシアの対OSCE政策を展望する。OSCEの意志決定プロセスからのロシアの排除やOSCEのロシアへの否定的影響力増大、NATO、EUとの関係改善等を通じてロシアはOSCEに対する関心を低下させてきており、この傾向は続きそうである。同時に、ロシアのOSCEからの離脱は欧州安全保障問題や旧ソ連地域紛争へのロシアの関与を自ら放棄するものであり、合理的に行動する限り、ロシアはOSCEから離脱せず、OSCEの否定的影響の最小化に努めよう。
藤本 真美
本稿では、気候変動枠組条約の京都議定書が定める約束期間(2008年~2012年)以降において、これまで提案されてきた各種アプローチの長所と短所を検討しながら、どのような対策を取ることが望ましいか検証する。特にこれまでの気候変動交渉では先進国と途上国が相互に温室効果ガス排出の責任を転嫁しあい議論が膠着する事態もみられたところ、相互の信頼を醸成するような将来枠組みを構築するためには、どのような要素を取り入れるべきか考える。
ポーツマス講和会議とセオドア・ルーズベルト
─なぜ彼は日本に伝えなかったのか─(PDF)
松村 正義
1905年8月10日に米国のニュー・ハンプシャ州ポーツマス軍港で始まった日露講和会議は、早くも1週間余りで、賠償金とサハリン(樺太)割譲の両問題をめぐり決裂寸前に立ち至った。事態を憂慮したルーズベルト大統領は、駐露大使マイヤーを動かすことにした。訓令を受けた同大使は、23日にロシア皇帝に謁見し、サハリン南半分の日本への譲渡に同意させたが、ルーズベルトは、何故かその成果を日本側に伝えなかった。日本政府は、その成果を、28日に外務省の石井菊次郎・通商局長が在京の英国公使クロード・マクドナルドから呼び出され、同国の駐露大使から入電した極秘電報を読み聞かされて始めて知った。石井は、その時同公使から口頭で読み聞かされただけだった。最近、筆者は、英国の公文書館の膨大な資料の中から、その駐露大使から駐日公使に宛てた極秘電報を見つけ出し、NHKの歴史番組で紹介した。しかし、ルーズベルトがロシア皇帝の南サハリン譲渡への同意を知りながら日本側に知らせなかった理由については、色々推測されているが、なお謎のままである。ともあれ、そのことが、日本政府にルーズベルトへの不信感を抱かせてしまったのではなかろうか。1906年にノーベル平和賞まで授与された彼が、あれほどまでに日本のために尽力しながら、日露戦争後、日本に国賓として招待されることもなく、また日本から何の叙勲の栄誉も与えられなかったことと関連がなかったであろうか。
欧州連合の「リスボン戦略」
─EUの包括的構造改革と経済成長的側面について─(PDF)
八田 善明
グローバリゼーションの下、EUは、その統合の深化と拡大によりその重要度を国際場裏において増しているが、一方でその経済的、社会的ポテンシャルを十分に発揮できておらず、その危機感から、2000年に、いわゆる「リスボン戦略」を策定するに至っている。日本における小泉構造改革とほぼ同時期に始動した欧州における包括的な構造改革は、2005年にその中間評価・見直しを迎えるに至った。リスボン戦略は、策定当時の状況を踏まえ、IT等も踏まえた知識型経済による経済成長を促進し、世界で最も競争力のある経済を構築することと、同時に雇用・社会的側面をも充実しつつ行おうとする野心的な戦略であるが、当初の思惑通りには進展が見られていない。なお、ルクセンブルクEU議長国の下で行われた中間評価・見直しでは、様々な反省を踏まえつつ、引き続きリスボン戦略の目標は有効であることを再確認し、再発進した。本稿では、このリスボン戦略につき概観・分析する。
EU統合ダイナミズムの中のリスボン戦略
─統合の社会的側面の観点から─(PDF)
広部 直子
本論の目的は、EU統合の社会的側面の一環にリスボン戦略を位置づけ、同戦略策定に至った背景の整理をし、積み残された解決されていない問題を指摘することにある。EU社会政策分野における先行研究に基づき、EUリスボン戦略が策定された理由となった当時の問題点として、経済統合の国内社会政策への影響、経済統合と社会的側面への取り組み、正当性と代表性の問題、及び欧州レベルへの権限委譲、の4つが挙げられる。同時に、これらの問題は統合の歴史過程においても常に存在していたことに着目し、時間軸に沿ってこれを整理することで、なぜ、EUがリスボン戦略に至ったかを明らかにする。また、EU統合の継続性の観点から、リスボン戦略が積み残した問題、あるいは解決していない問題を指摘し、同戦略の今後の課題を示唆することとする。
研究ノート:
平和構築プロセスにおけるNGOの役割
─アフガニスタンの実験─(PDF)
斎藤 憲二
平和構築のモデル国と称されるアフガニスタン。国際社会の本格的支援が始まって3年を経たアフガニスタンの現状を、復興支援の実質的な担い手であるNGOの役割に焦点を当てて描写する。
ドナー国が机上で計画し期待するプロセスやシナリオが、実際の現場でどれだけ乖離しつつあるか、その中で、実行部隊の主役たる現地NGO、国際NGOがどのような問題に直面し悪戦苦闘しているのか。こういう「平和構築の実験室」での進捗状況を理解することは、イラクをはじめとする後発の平和構築への取り組みを考える上で参考となるであろう。
我が国も、「平和構築への貢献を国際協力の柱とする」という大きな旗を掲げた。この大いなるチャレンジは、同時に、従来の平和回復後の開発協力事業を念頭に置いた各種NGO支援策にとっても新たなチャレンジの時を迎えることとなった。
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