岸守 一
ベラルーシにおける国民意識の混沌 ─対ロシア統合の土壌を探る─
服部倫卓
大嶋英一
ボスニア和平プロセスにおける上級代表の役割 ─ポスト・デイトン期におけるマンデートの拡大
橋本敬市
田村政美
渡邊利夫
永石信・宮野理子
石垣泰司
墓田 桂
EU東方拡大と欧州秩序再編成 ─ルクセンブルグ欧州理事会からヘルシンキ欧州理事会まで─
東野篤子
勝井真理子
矢頭典枝
転換期の国連難民高等弁務官
─人道行動の成長と限界─(PDF)
岸守 一
国連難民高等弁務官(UNHCR)は、特に緒方前高等弁務官に率いられた過去10年間に、「難民が抱えている問題」の解決から「難民問題そのもの」の解決を模索する方向転換を遂げ、単なる難民援助機関から広い意味での人道援助機関に変貌を遂げた。しかしそれは本来望ましいことではなく、冷戦後の紛争の増加、人口移動の複雑化、国際社会の庇護疲れ等、「難民」という形で表出した国際政治の病巣に対して国際社会が有効な治療を講じられなかったことの帰結とも言え、従って、UNHCRの今後の方向性についても予断を許さない。
本稿は、かかる背景を踏まえ、転換期のUNHCRを法的及び実践的側面から検証することで、国際社会が自ら取るべき人道行動の成長と限界について思索することを目的としている。
ベラルーシにおける国民意識の混沌
─対ロシア統合の土壌を探る─(PDF)
服部倫卓
ルカシェンコ政権下のベラルーシは、バルト諸国やウクライナと異なり、国民国家の建設や欧州統合よりも、ロシアとの統合を基本路線にしてきた。国民の多数派もそれを支持している。その背景として、ベラルーシ国民の特異な国民意識があるものと考えられる。実際、最新の国勢調査や社会調査の結果を見ても、言語や宗教等でベラルーシ国民は多分に“ロシア化”されている。ところが、現地専門家の分析によると、対ロ統合を積極的に支持しているのはソ連再興を願う守旧派であり、民族的同族意識は決定因にはなっていない。もっとも、そうした分析もやや一面的と言わざるをえず、今日のベラルーシ国民に特徴的なのは“自己喪失”であり、それと表裏一体のロシア国民との漠然たる同族意識こそが対ロ統合の重要な前提条件となってきたと見るべきである。
天安門事件から第十四回共産党大会までの中国内部の政治過程(PDF)
大嶋英一
1989年の天安門事件後1992年の第十四回党大会にいたる間、中国指導部には改革開放政策をめぐり大きな意見の食い違いが存在していた。本稿では、人民日報や香港紙等の公開情報を精査することにより、この時期の指導者間の意見対立や政策決定過程などがかなり正確に分かることを示す.具体的には、第一に1990年末までの経済運営をめぐる激しい論争が実はトウ小平と李鵬の間の論争であったことを明らかにする。第二に農村政策をめぐる対立を取り上げる。第三に改革開放路線に反対する教条的イデオローグとトウとの戦いの様子を考察する。第四に組織部門とトウとの軋轢に触れる。第五にトウの南方視察から党大会までの間にトウがいかなる方法で流れを変えたかを取りまとめる.最後に以上の過程で明らかになる指導部内の対立するグループについて考察する.
ボスニア和平プロセスにおける上級代表の役割
─ポスト・デイトン期におけるマンデートの拡大 (PDF)
橋本敬市
1995年11月、米オハイオ州デイトンにおいて、包括的和平合意が達成され、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争が終焉を迎えて以来、国際社会が大規模な支援を行い、多民族融合国家の再建、民主化・経済再建を進めてきた。この過程で、和平合意履行の最高責任者である上級代表の権限が段階的に拡大され、現在ではボスニア国家機関より強大な立法・行政権を握るまでに至っている。民族間の対立から、民主化プロセスが容易には進まない同国では、国際社会の仲裁・調停は不可欠であろうが、果たしてこのような上級代表の積極介入が有効且つ妥当であるのか。本稿では、上級代表のマンデートの変遷を検証するとともに、その問題点を考察する。
地球温暖化防止における排出量取引と削減率交渉のあり方(PDF)
田村政美
1997年12月に開催された気候変動枠組条約第3回締約国会議において採択された京都議定書は、附属書I国の温室効果ガスの総排出量を1990年レベルから5%削減する。これは地球温暖化防止を達成する上では不十分であり、2012年以降削減を強化しなければならない。京都議定書で導入されることとなった排出量取引制度は、費用効果的に第1期(2008年から2012年)の目標を達成することを可能にすることが期待される。同時に、排出量取引は第2 期以降の排出許可量割り当て交渉において、総排出量の削減を妨げるものとなる可能性がある。排出量取引制度の効果を最大限に活用するには、締約国が排出削減目標を負う国全体の総排出量に合意した上で、それを衡平に配分するという交渉とすることが必要である。
渡邊利夫
本稿では、20世紀米国がカリブ海地域で覇権主義外交を展開する端緒となった米西戦争について、米国が参戦するに至った理由を説明する。リアル・ポリティックの観点からは、キューバ側が提唱する「熟したフルーツ」の理論やモンロー主義からの解釈がある。他方米国ではこれまで、社会進化論、「マニフェスト・デスティニー」、余剰生産のはけ口としての海外市場の必要性、世紀転換期の「心理的危機」からの解釈が唱えられてきた。しかし歴史の事実を検証すると、これらの解釈だけでは不充分で、国内の諸アクターが参戦に向けて国論を統一するプロセスを経ることが決定的に重要であった。そして参戦の直接のきっかけは、1898年2月15日ハバナ港で発生した米軍艦メイン号の爆沈であった。
インドの第2世代改革─その現状と課題についての一サーベイ─(PDF)
永石信・宮野理子
本稿の目的は、インドの1991年経済自由化から現在進行中の第二世代改革への流れを捉え、インド経済の中長期的な課題を明らかにすることにある。インド経済自由化論争における各論客の議論を検証した上で、筆者は次の4点を課題として提示する。第一に、財政再建は喫緊の課題だが、その際には税収増と経常支出削減を反映する財政経常赤字の検証が重要である。第二に、為替・対外バランス管理といった課題については、危機が顕在化してから改革に着手する伝統から危機が表面化しない中で中長期的な課題に取り組む姿勢へ、政策立案者のマインドセットの改革が求められる。第三に、ミクロレベルの構造改革の論点としては、規制緩和のみならず政府の役割の再定義という点も重要である。最後に、改革のコスト負担の公正性、経済改革への政治的フィージビリティの確保のため、貧困と所得分配の問題を緩和するための視点が不可欠である。
戦後の欧州情勢の展開とフィンランドの中立政策の変遷(PDF)
石垣泰司
欧州の北辺に位置し、ソ連との戦争経験を重ねてきたフィンランドは、第二次大戦後その存立と安全確保のため中立政策を維持してきたが、冷戦の終焉に伴いソ連との友好協力援助条約を交渉により善隣条約に変え、EUに加盟後、EMUにも北欧から唯一当初より参加し、更にEU危機管理緊急展開部隊への参加も決めるなどその対外政策を大きく変貌させたが、NATO加盟は見合わせ、軍事的非同盟政策を堅持している。フィンランドの独立後のロシアとの関係を踏まえつつ、戦後におけるフィンランドの中立政策の変化の過程を検証する。
墓田 桂
独立以来カメルーンは国家主導型の経済開発を進め、比較的順調な経済発展を達成するが、1986年には一次産品の国際市場価格の下落に伴い未曾有の経済危機に直面した。それを契機に、これまでの国家主導の経済政策の見直しが余儀なくされ、1980年代末期からは国際通貨基金(IMF)及び世界銀行主導による構造調整計画が進められた。同計画では国家セクターの改革が図られるとともに、市場原理に基づく経済制度が導入され、その結果マクロ経済指標の改善、経済自由化など一定の成果は上げたものの、その代償を支払った大衆層の生活は改善されないでいる。筆者は構造調整計画がカメルーン経済・社会に与えた影響を具体例とともに検証し、同国経済の変遷と今後の課題を考察する。
EU東方拡大と欧州秩序再編成
─ルクセンブルグ欧州理事会からヘルシンキ欧州理事会まで─
東野篤子
EMU発足一年の欧州金融・資本市場
勝井真理子
カナダ:1995年レファレンダム以降のケベック問題
矢頭典枝
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