在コルカタ総領事
竹内 好一
コルカタはインド東部の西ベンガル州の州都で、ガンジス川支流のフーグリ川東岸の低湿地に発展した人口1000万を超える大都市です。「コルカタ」という名前にはなじみが無いかと思いますが、2000年に以前の 「 カルカッタ 」をベンガル語風に改称したものです。コルカタは1686年に英東インド会社が進出してくるまでは小さな三つの邑からなるコリカタと呼ばれる村に過ぎませんでしたが、1772年に英総督府の首都になり、1911年にデリーに首都が移転されるまでイギリスのインド支配の拠点として発展してきました。ですから市内にはイギリス統治の栄華の面影を今に伝えるようなビクトリア女王記念館、インド博物館、聖パウロ大聖堂、東インド会社の書記の合同宿舎であったライターズビルディング(現州政府庁舎)、旧総督府公邸(現州知事公邸)などをはじめとする多くの英領時代の建物や施設があります。また、コルカタは政治都市のデリー、商業都市のムンバイに対し、インドの文化の中心都市ともいわれ、音楽、舞踊、映画、文学の各分野で有名です。このことから良い意味で 「歓喜の町」 と言うニックネームで呼ばれています。
しかし、恐らく皆さんはコルカタと聞くとマザー・テレサやドミニク・ラピエールの小説の「歓喜の街カルカッタ 」やコルカタとは何の関係もありませんが前衛劇「オー・カルカッタ」などを思い起こし、一様に貧困に満ちたスラムのような都市を想像されるかもしれません。
確かにコルカタは過密都市で路上生活者なども多く、インドの他の都市に比べてインフラの整備が遅れており、スラムのような風景が多く目に付くことは事実です。しかし、現在西ベンガル州はバタチャルジー州首相が先頭に立って、「Do it now」をモットーにかつての栄光を再び取り戻すべく経済改革などに取り組んでおり、州都コルカタは今、経済発展の大きなうねりの中にあります。各地にIT(情報技術)をはじめとする産業団地が建設され、ダムダム空港から市内に入る途中に中産階級の新しい町ができ、ショッピングモールも出現しています。これまでの停滞が長かっただけに変化が一層顕著です。
コルカタはアジアで最初のノーベル文学賞を受賞したラビンドラナート・タゴール、イギリス統治に反抗し武装闘争を率いたスバース・チャンドラ・ボースや極東裁判で勝者側の一方的な裁判に批判的であったパール判事の出身地であり、日本との関係が非常に強い所です。地理的にも東を向いており、人々も日本に強い関心を持っていますので、ここに住んでいる日本人は一様にベンガル人が親日的で、親切だと感じています。
商用目的以外でコルカタを訪れる日本人は、大半がビハール州にあるラージュギリ、ブッダガヤなどの仏教遺跡やヒンドゥー教の聖地バナーラシへの観光旅行者です。コルカタでは、インドで共通の問題である、断固とした応対をしないと不当な料金を要求されることが多々ありますが、観光客が巻き込まれる凶悪な犯罪はあまり見られません。単独旅行をしているバックパッカーのような若者が車中などで盗難に遭うケースが多いので注意を要します。また、宗教施設などで多額の寄付金を支払わされたり、ニューマーケットと呼ばれる買い物市場でカード詐欺に遭ったりという被害も多く見受けられるので、ベンガルの人たちが親切だといっても、周囲の状況に十分注意を払い、自分の意志を強く持つことが重要です。
一番大きな問題は衛生問題です。コルカタには下痢感染症の多くの種類の病原菌があると言われており、高温多湿で雨の多い気候のため、発病する危険性が非常に高いです。特に日本から到着したばかりで、免疫が無く、また、体調も万全でない場合には生水、生物や煮沸していない牛乳などは避けるべきです。また、インド・カレーは美味ですが、香辛料と油が多く使われており胃腸を壊しやすいので注意が必要です。
最後に、外国からの航空便の多くが深夜や早朝にコルカタ国際空港に到着し、入国審査から荷物の引き取りまでかなりの時間を要する場合が多く、市内のホテルに着く頃には疲労がたまることと思いますので、休息をしっかり取るとともに、体調管理には十分気を付けてください。