新聞・雑誌等への寄稿・投稿

総領事館ほっとライン 第33回 オークランド
ヨーロッパ型の美観を保った多文化都市

在オークランド総領事
岡部 孝道

経済のパワーハウス

 わが国の少年少女向け世界文学全集の定番「十五少年漂流記」を知っている人でも、この物語の主人公が、ニュージーランドのオークランドの少年たちと知る人は少ないだろう。「80日間世界一周」で知られるジュール・ベルヌのこの小説は、オークランド市中心街クイーンストリートにある英国式名門校に学ぶ少年たちが、無人島に漂着するという筋書きだ。この物語は1860年の時代設定だが、オークランドは今日でもthe City of Sailsと呼ばれ、紺碧の海原に夥しい数のヨットが眩しい太陽の光を浴びて悠然と浮かんでいる。一人当たりの娯楽船舶保有台数はオークランドが世界一だ。

 彼らのマリンスポーツ好きを物語る好例が、ヨットのアメリカズカップでのニュージーランドチームの大活躍だ。海の都市オークランドのもう一つのエピソードが、1985年10月の虹の戦士号事件だ。グリーンピースの船舶が、オークランド港に停泊中に爆破され、フランスの情報機関である対外治安総局(DGSE)工作員2人が逮捕されるという前代未聞の展開となった。

 原住民マオリはこの町をタマキ・マカウラウ(100人の恋人の戦い)と呼んだ。現在の名は、1820年当時のインド総督オークランド伯爵ジョージ・イーデンに因む。オークランドは1840年英領となった時、初代総督ウィリアム・ホブソンにより首都に定められた(ウェリントンに遷都したのは1865年)。当時の政府の建物が、オークランド大学とその周辺に残っている。

 今日のオークランドは、オークランド市を中心に、周辺の3都市、およびその背後の二つの郡を合わせ、グレーターオークランドと呼ばれる都市生活圏を構成している。グレーターオークランドはこの国の人口の3分の1に相当する130万人の人口を擁し、南島(オークランドは北島にある)全体の人口を上回る。オークランドはこの国の経済のパワーハウスだ。日本の自治体との交流も多く、オークランド市はロサンゼルスや広州と並び福岡市と、マヌカウ市は宇都宮市と、ワイタケレ市は加古川市と姉妹都市提携している。

 ここはまた、この国で最もコスモポリタンな多文化都市空間だ。世界最大のポリネシア人居住都市といわれるオークランドも、1990年代以降のアジア移民の急増を受け、アジア人人口比率は17%に達した。この地に住む日本人の数も多く、この国の1万3000人の在留邦人のうち、約7000人がグレーターオークランドに居住している(わが総領事館の管区全体では8000人強の邦人が暮らしているが、この数は5年前の2倍である)。街の随所に漢字や日本語の看板の店が現れ、この都市はアジア太平洋のメトロポリスに急速に変貌しつつあるかに見える。また、急速な都市化の過程で歴史的建造物が惜しげもなく取り壊されてきたようだ。それでも交通など経済社会インフラの整備が追い付かず、問題の解決が国の経済全体にとっても焦眉の急だ。とはいえ、アジアの近代都市を見慣れた目には、紺碧の海と広く緑豊かな住宅地区に囲まれたこの美しい都市は、依然としてヨーロッパ型の都市の美観を保っているように思われる。

 人口400万人のこの国に、年間200万人の人が世界中から観光に訪れる。日本人にとってもこの国は一度は行ってみたい場所の一つで、年間16万人の日本人が訪れる。当国最大の国際空港のあるオークランドは、この国の玄関口として重要な役割を果たしている。逆にニュージーランド人の海外流出も盛んだ。この国は海外で成功したニュージーランド人をことのほか尊敬する。世界的ソプラノ歌手キリ・テ・カナワや、「ロード・オブ・ザ・リング」の映画監督ピーター・ジャクソンはその典型だ。

100年前からある日本人の足跡

 この地と日本との文化交流を探ると、戦後浜田庄司、河井寛次郎など、わが国の陶芸家がこの国の陶芸に与えた影響は大きい。また、オークランド市とノースショア市を結ぶオークランドハーバーブリッジの拡張工事が1969年日本企業の手で行われ、今日なおこれがNippon clip onのニックネームで親しまれているなど、同じ日本人として誇らしい歴史も多い。

 この国の最初の日本人移住者ノダ・アサジロー(長崎で船大工の父とはぐれ、船員となり渡来し、オークランドの南方ワイカト地方で結婚、数奇な生涯を送った)から100余年後の今日、この地で生活するわが同朋は、日本の会社派遣の企業戦士、大学関係者・学生、ワーキングホリデー制度を活用してこの地に滞在する若者・語学留学生、この地で自らの会社を起業し活躍する人、キウイ(ニュージーランド人の愛称。キウイフルーツは日本の山野にも自生する果実コクワの中国種ミーホウタオを品種改良したもの)のパートナーと結婚生活を送る人、功成り名遂げ悠々自適の生活を送る人などなど、様々だ。日本人同士の組織には、オークランド日本人会と日本企業関係者の二水会(さらに友好団体としてNZジャパン・ソサエティ)があり、協力し合いながら日本人コミュニティーのため積極的に活動している。日本語補習校の運営もその一つだ。

 総領事館の行う対外業務は政務経済、文化広報など多岐にわたるが、領事業務こそ総領事館にとり最も基本的で大切な仕事だ。この地に住む日本人の数は今後も増え続けるだろう。「十五少年漂流記」の少年たちが団結して様々な困難を乗り越えたように、わが在オークランド総領事館も年間16万人の日本人旅行者の安全確保とトラブルの解決を図りつつ、8000人の在留邦人と手に手をとって日本人社会のために頑張っていきたい。

ワンポイント・アドバイス

  1. ここは比較的安全な土地ですがいつもそうとは限りません。安全との思い込みは危険。事前情報の入手に努め夜間の一人歩きは避けましょう。
  2. 入国係官と言い争いになり入国できなかった例があります。係官の仕事には協力してあげましょう。ただし、拘束を受けた場合は総領事館への連絡を要求すべきです。また、入国時の生ものの検疫は極めて厳しいので注意しましょう。
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