座談会
(「外交フォーラム」平成19年1月号より転載)
淡路 愛 時事通信外信部記者
位田隆一 京都大学公共政策大学院教授
秦 喜秋 三井住友海上火災保険株式会社取締役会長
河野雅治 外務省総合外交政策局長
――1956年12月18日、日本は国連に加盟しました。この50年、国連と日本との関係で最もご記憶に残っているのはどのような場面ですか。そして国連の存在はどのように変化してきたのでしょうか。
秦 自分の体験で申し上げると、当時私は小学5年生でした。趣味で切手を収集していたので、国連の記念切手が記憶に残っています。同時期のマナスル登頂成功、南極観測船宗谷の記念切手と並べてファイルしました。
日本が国連に加盟したことはニュースで接しました。第二次世界大戦終戦からまだ11年しか経っていない時代、いかに日本が国際社会に出ていくかをマスコミは一所懸命に報道していました。また学校では、「国連とは二度と戦争を起こさないために世界の国が集まって作った機関だ」と習いました。当時の国連事務総長はダグ・ハマーショルド氏。彼はアフリカで殉職されたこともあって、鮮烈な印象として記憶に残っています。
それから50年が経ちました。この間の日本の進路、国連の発展を自分の人生と重ねると、一個人として感慨深いものがあります。
位田 日本が国連に加盟した当時私は小学校の低学年でしたから、国連について聞いた記憶はありません。記念切手はよく覚えていますが、そのころは国連に入って平和になる、というイメージではなかったでしょうか。中学、高校時代を振り返っても、日本との関係で強く国連を意識していなかったように思います。それは、当時日本が国連の中であまり活躍していなかった時代だったからでしょう。おそらく加盟することに一生懸命で、入ってどうするかまで話が進んでいなかったのではないでしょうか。
河野 私は位田先生と同年代です。日本が国連に加盟する、加盟しないではなくて、シンボルマークに表れている「国連イコール平和」というイメージで捉えていました。私の世代の子どもたちはみんなそうだったと思います。
ところがその後、国連、外交の現実を目にすることになります。1962年10月のキューバミサイル危機です。ソ連製核ミサイルがキューバに配置されたことが判明する。緊急国連安全保障会議でアメリカ国連大使アドレー・スティーブンソンが、ソ連国連大使ヴァレリアン・ゾーリンにキューバのミサイル基地を撮影した写真を示し、核ミサイルの存在を認めるよう迫る。しかしソ連はそれを認めない。当時私は中学生でしたが、初めて国際的な対立の場面、国連外交を目のあたりにしました。平和のシンボルの現実を突きつけられたのです。
その後ときを経て2003年、イラク戦争前に安全保障理事会(安保理)の公開協議でパウエル長官による40年前と同じような場面に遭遇します。イラクで起きている現実をパネルで示し、糾弾する。理想主義的な平和を掲げる国連の現実は、国益の衝突、あるいは両陣営の衝突の舞台なのです。
淡路 日本と国連の関係において実体験の中で最も記憶に残っていることは、最近の安保理改革で日本がG4(日・伯・独・印)を結成して、日本主導で安保理改革を進めたことです。あそこまで日本が大きなイシューを国連の中で主導して推し進めたのは初めてではないかと思います。
――国連を語る時に欠かせないのが、世界の平和と安全の維持に主要な責任を有する安保理です。冷戦構造が崩壊した後、地域紛争をはじめとする紛争解決のために機能することが期待された安保理も、イラク戦争をめぐる安保理内での分裂から再び安保理の機能不全を指摘する声があります。安保理は国際社会の安定のためにしっかりとその役割を担っているとお考えですか。
位田 その問いに答えるためには、何が安保理の機能であるか、また平和とは何か、をもう一度考え直す必要があります。
国連憲章を作ったときには、安全保障理事会は国際社会の平和と安全の維持の機能を担うとされ、そのため安全保障理事会が集団安全保障を動かすことになっていた。ところが冷戦中、東西両陣営が対立し安保理は麻痺して動かない。そこでそれに替わって平和維持活動(PKO)が出てきた。武力衝突の拡大を抑えることが精一杯でした。
冷戦が終了し、安保理がどれだけの機能を果たせるようになったか。確かに集団安全保障は発動できるようになりましたが、憲章に予定されているものとは違ういびつなかたちです。また、冷戦終了後の世界の現実をみると、国内の平和もしくは安全・安定が世界の平和に直結していることがわかります。平和の意味が第二次大戦直後よりもっと広くなり、単に国家間に戦争がないことが平和なのではなくて、それぞれの国家の中に住んでいる人たちが幸せな生活を送っていなければ平和ではないということがはっきりしてきた。そこで、国内の問題、特に内戦の問題に国連が介入していくようになります。
さらに、現在の国連加盟国は192カ国になり、その大半は小国、もしくは発展途上国です。それらの国も安保理の非常任理事国になります。常任理事国5カ国は別として、このままでは安保理の担える機能には自ずから限界があるわけです。
では、こうした状況の中で安保理は十分にがんばっているかというと、それなりにがんばっていると言えるでしょう。日本人にとって国連や安保理はいわば「正義の味方」というイメージがありますが、現実はそうではない。国連は国家間の条約で作られた機関ですから、加盟国間の合意や協力の上に国連の活動が成り立っています。安保理の活動もそうなのです。
安保理は常任理事国5カ国と非常任理事国10カ国からなる機関で、その中で合意がなければ動けません。いま言ったように、安保理は一律に、こういうことならできて、こういうことはできないという話ではなくて、おそらくいまは冷戦後の変動する状況の中で、ケース・バイ・ケースでどこまで何をするか、狭い意味での集団安全保障と紛争の平和的解決ではなくて、集団安全保障とPKOの併用や平和構築など、さまざまな平和のための対応形態をとって、一つひとつ実験をしている段階にあるという気がします。
河野 三つコメントがあります。一つは安保理の機能に関してです。冷戦下の安保理は国益が衝突し、数多くの拒否権が発動された結果、機能不全に陥っていたという印象でした。しかし、冷戦が終わって、その後は、むしろ安保理のメンバーが平和の問題についてどうやって協力し合えるかにつき議論し、苦悩している状況だと思います。安保理の機能は冷戦が終わって大きく変化しました。建設的な役割を果たしてきているし、さらに果たすべく苦悩の中にあると言えるでしょう。2003年のイラクをめぐる問題ではある程度の限界はありました。しかし、ごく最近の北朝鮮の問題では限られた時間の中で機能を発揮しました。
二つ目は、国内の平和の問題です。冷戦後、紛争の性格が大きく変わってきました。カンボジア和平に至るまでの紛争、代理戦争は、紛争が解決すれば即、平和と言えました。そして、平和になれば、次に来るアジェンダは復旧・復興そして開発という単線的なプロセスであり、そこに安保理が、国連がどう加わるのかということでした。しかし冷戦が終わってからは、紛争が終わって平和に至るまでのプロセスは非常に長く複雑だということが年々わかってきたわけです。安保理がどういう判断をして、国連全体が限られたリソースをどういうふうに使うかが問われてきている。
三つ目は、安保理常任理事国と非常任理事国、つまり特権をもつグループと特権をもっていないグループです。私は冷戦終了直後、1990年~1991年のカンボジアの和平プロセスに関わりました。その時の体験から申し上げますと、関係のある国はなんとか和平に貢献しようとしたわけですが、常任理事国がリードをして和平を達成しようというもう一つの流れがあった。そうなると、安保理に入っていない日本のような国は安保理内での議論がわからない。わからないからわれわれが外交しようにも限界が出る。苦い思い出でした。あのときに、私は個人の実体験として安保理に入りたい、常任理事国になりたいということを強く思いました。
今年7月、10月の北朝鮮のミサイルないしは核の問題では逆に、安保理メンバーに日本が入っていて、10月には議長までやっていたことで、日本は国益を守り、国際社会全体の利益を考えて安保理を機能させることができたわけです。安保理に入っている時の機能、入っていない時の辛さを考えると、ますますもって安保理に日本が入りたいという気持ちは強くなっていると思うんですね。
淡路 安保理に日本が入っているのと入っていないのとで大きな差があるということは、現場で取材している記者としても実感することです。私は2001年の9月から2005年の9月いっぱいまでニューヨークで国連を担当していました。最後の9カ月は日本が安保理に入っていた。日本が安保理の中にいるということは、取材する記者にとって、日本の代表部から生の情報をもらえるということだけではなくて、メディアの地位も上がるんです。各国の記者間の情報交換や、他国の代表部の外交官に対して話をする時でも、安保理の理事国のメディア、特に常任理事国であるメディアは影響力が大きい。
最近の北朝鮮の問題でメディアが繰り返し国内で報道した結果、一般の方にも安保理での物事の決め方や、安保理に入っていることによってできることが伝わったのではないでしょうか。日本が安保理の中に入っていたからこそ、すばやく強力な決議を通すことができた。一方で、安保理の中に入っていても、常任理事国であるかどうかによって差がある。中国やロシアなど常任理事国が同意、少なくとも黙認してくれなければ決議は通せないわけです。
秦 1945年に第二次世界大戦が終わり、二度と戦争を起こしてはいけないということで、戦勝国が中心となって国連を作って、安保理常任理事国が主導権を握ってきたわけですね。国連創設時の戦争の原因は比較的シンプルでした。しかし、現在では、世界の紛争の要因は民族対立・宗教対立、後進国と先進国の対立、格差などさまざまです。私は1945年以降の戦後の安保理体制は、そろそろ新しい時代を迎えるべきだと思います。日本の首相も戦後生まれになりました。戦争を知らない世代が各国のリーダーになってきている時代に、依然として第二次世界大戦の直後にできたルールを引きずっている。それ自体がおかしいのではないか。国連が果たすべき役割をいま一度考え直すべきだと思います。なぜ日本は分担金を19.5%も負担しながら国連をリードできないのかも疑問です。こういったことを国連で議論できないものなのでしょうか。
河野 実務家として、秦会長のおっしゃることはよくわかります。ライス国務長官が去年の国連総会の演壇で「21世紀にふさわしい安保理を作るべきだ」と明言されました。おそらく常任理事国5カ国を除くほとんどの国がそのとおりだと思ったでしょう。しかし、次に全ての加盟国は安保理の構成を変えたときに自分の得になるかを考えます。損にはならないけど何の得にもならないというグループがあるでしょう。改組したら自分には損になるというグループもあるでしょう。安保理、国連は国益の衝突の場です。ですから、世界の大半の国が得だと思うフォーミュラを作り上げないと、この安保理改革は難しい問題です。
分担金に関しては、「代表なければ課税なし」と言いたいところですが、日本の経済力は大きいのだからそのくらい拠出するのはいわば当然。地位、責任、衡平、公正を数字で表すとしたら結局経済力しかない、という議論になってくる。日本が安保理常任理事国になることに関しては、大多数の国が賛同しているはずです。しかしそれができないのが国際政治の現実で、そこをどうするかということが実務家として悩ましいところです。
位田 国連は正義の味方ではなく、基本的に国益を守るためにみんなが国連を作ったわけです。戦争をやらないということがすべての国の国益であった時代の話です。ところがいまはそうではなくて、国際社会が変わってきて、第三次世界大戦を回避するというイメージよりも、各国の国益を考えながら、人間としての平和を求める方向が強くなっています。国連の中では、どこの国にとっても多かれ少なかれ利益でないと、ものは決まらないし、動けないだろう。そういう機関である以上、どういうふうにみんながプラスになるようにもっていくのが得策であるかということを考えなくてはいけない。それが難しいわけです。
おそらく「代表なければ課税なし」ということを掲げて日本が安保理に入ろうとしても、半分はうまくいくけれども半分はうまくいかないでしょう。もともとそういうことを考えて分担率も常任理事国も決めているわけでもない。しかし、国際社会の問題そのものが変わってきているというところから切り込むことは可能だと思います。冷戦終結後は民族、部族間の対立、内戦が多発する。先ほども申しましたが、内戦は国内問題だから、国連は本来関われない。しかし、放っておくと世界が不安定になるので、安全保障理事会が出ていった。つまり、内戦は「平和に対する脅威」だ、という考え方で国連が関わる範囲が広がっていく。そうなった時点で、安保理の機能そのものが、最初作ったものと変わってきているから、変わってきた部分において、従来の常任理事国5カ国ではなく、国連にほかの国が常任理事国として加わってやるべき任務があるのではないか。そこに日本が入れるのではないか、という議論は説得力があると思うんです。
河野 日本は過去50年間に、いくつかの世界に誇れる行動をとってきました。例えば軍縮、開発、人権、環境などの分野です。これはすべて紛争の問題に関連しています。幅広い分野で日本はそれなりの役割を果たしてきた。その切り口から、日本は常任理事国となるのにふさわしいのではないか、ということはもう一つの論拠だと思います。
秦 自ずから国連には限度・限界があるということですね。悲観的に考えれば、国益を代表する会議であるかぎり、みんなが合致することはない。それを念頭に置いて考える必要があるわけですね。
今年五月、アナン事務総長が来日され、グローバル・コンパクト(GC)の会議でお目にかかる機会がありました。そのときに家族から「世界を平和にしてください、とアナンさんに伝えてください」と言われました。大多数の国民はそんな感じをもっているのではないでしょうか。国連は安全のために何かやってくれるのではないかと。国益を調整しながら最もいい方向にもっていこうということなのでしょうが、常任理事国が絡んでくると決してうまくいかないという感じがします。地球社会のことを考えたら、どこかでうまくやらなければ、ということは一個人ではみんな思っているのではないでしょうか。それが国同士となると自国の国益から発言せざるを得ない。そこをどう調整するかはきわめて難しいのでしょうね。
河野 しかし捨てたものではない。というのは、しからば国連、国際機関はいっさい必要なくて、ネーション・ステートが世界の問題を考えていったらいいのかというと、実はそうはいかないですね。
位田 そうですね。対立はあっても、国連のない世界は考えられない。国連という場があるからこそ、どの国も国連で議論をし、解決策を見出そうとしているのです。国連は要らない、といっている国はないわけです。
河野 一極といわれるアメリカですら、国連という場を実は相当多用し、国際社会での行動の拠りどころとしている。そういう意味では、192の国があるかぎり、国連はなくならない。しからばそれをどううまくやるかというのが難しいところです。
昨年から今年にかけて、平和構築委員会を作ったり、人権委員会を人権理事会に格上げしたりといくつかの改善が見られたと思います。
淡路 日本国内には、国連事務局とか事務総長に対する過信、神話がまだありますね。
秦 国連の総責任者という印象をもってしまいます。
淡路 私自身原稿を書く時に、「国連」が国連事務局なのか、加盟国の集まりであるフォーラムを指すのか、本当は使い分けるべきだと思っています。アナンさんはいわば「事務局長」ですね。何かとアナンさんが問題を解決してくれるのではないかと期待されがちですが、日本人が思うほど事務総長の権限は大きくない。事務総長が加盟国への説得や調整に当たる機会は多く、そういう意味での外交力は大きいといえますが……。
位田 国連は現実のものとしては見えないのでわかりにくいのです。その意味で、事務総長や事務局が国連を体現しているというか、国連そのものと見られることが少なくありませんが、実は国連は、国家の集まりということが本質です。国連憲章という国家間の条約に基づいて作られていることが忘れられがちです。安保理改革の難しさも、憲章改正という高いハードルがあることも一つの原因なのですが。
――これまでも議論されてきましたが、改めて21世紀の諸課題について国連に期待される役割は何でしょうか。特に企業や非政府組織(NGO)、日本はどのような役割を担うべきでしょうか。
位田 さきほどから申し上げていますが、国連の性格は変わってきています。当初国連は、国家間の利益を調整して戦争がない世界を作るために創設されました。ところが最近は、国連自身が、コーディネーション(調整)ではなくて、むしろオペレーション(現場活動)をやる方向に動いてきている。平和維持活動、平和創造、紛争予防など、国連憲章の予定していなかったようなことにまで国連の活動がどんどん広まってきている。広まっているところを、どうやってより効果的に進めていくかが一つの課題です。
もう一つは、主権国家の枠、垣根が下がってきています。1992年のリオ・サミットではNGOが活躍しましたし、それ以降の展開を見ていると、NGOの国際社会の意思決定への関わりは非常に大きくなっています。また、国連と企業はこれまであまり関係がありませんでしたが、グローバル・コンパクトのようなかたちで企業が国連の中に入ってきて、ある意味では企業が国際社会の平和構築に参画している。いままで国連は主権国家の集まる機関であったけれども、必ずしもそうではなくなりつつある。ほかにも人間の安全保障や保護する責任といった新しいアイディアが出てきています。一言で言えば、国連憲章前文にあるような「われら人民 "We, the people"」が前面に出てきています。国連がそういった新たな動きにいかに答えていくのかが二一世紀の課題です。それに日本を含めて加盟国が参画し、サポートしていくのです。
秦 国連の活動に企業も参画していこうという動きは国連環境計画(UNEP)の銀行イニシアティブからだったと思います。その活動の中心は欧州でした。例えば、環境問題を解決するために、公害防止に積極的でない企業には融資しない、というようなことも論議されたことです。保険業界もそれに続き、アジアからの参加を呼びかけられ、1995年11月、弊社も保険イニシアティブ(UNEP保険業界環境声明)に参加しました。
保険業は、「安心と安定を提供する」と言っているように、事故が起きた際に、その損害を補償するのが責務です。ですが、事故そのものを防いだらさらにいいわけです。お客さまにとっても、保険会社にとってもいいことです。そういった観点から、事故を防ぐということに着目するようになりました。環境問題も同様です。環境問題に取り組んでいくことは、異常気象で災害が起きるのを防ぐことにもなるわけです。その後、アナン事務総長がグローバル・コンパクトを提唱されましたので、2004年6月、弊社も参加することにしました。
企業の社会的責任(CSR)がこれだけ重要となっている今日、企業として国際社会に貢献したいという気持ちは、どこの企業ももっていると思います。弊社でもCSRを全社員のバックボーンと位置づけており、CSRに取り組む経営としての決意を社内外に示す一つの行動として、グローバル・コンパクトに参加したのです。
グローバル・コンパクトには人権、労働、環境、腐敗防止の四分野における10原則が提案されています。それらを、三井住友海上グループ行動憲章の中に取り込み、取引先への責任、社員への責任、環境への責任としてまとめ、具体的な行動指針としています。
ここ数年、グローバル・コンパクトに参画する企業が増えています。日本におけるグローバル・コンパクト活動の質を高める目的で、昨年GCJN(グローバル・コンパクト・ジャパン・ネットワーク)が設置されました。参加団体間の情報交換の機会をもったほか、ローカルネットワークコンファレンス、中国サミットなど国連の国際会議にも出席するなど、ここにきてようやく活動が活発化してきました。
国連は実績、実力、イメージからいって大きな重みと信用があります。こうしたいわばブランド力を活用して、経済界でも支援できることがあると考えています。産業界にとっても、国連が世界をよい方向に導くこと、あるいは日本が国連の中でいっそう活躍することは、喜ばしいばかりでなく、ビジネス上でもプラスです。世界が平和であってこそ、産業界も潤うし、日本が平和構築に活躍してこそ、日本企業の看板である「日本」という国のブランドも高まるわけですから。
一方で、一企業あるいは産業界として、できることには限界もあると認識しています。どのように具体的に国連活動に貢献していくかがこれからの課題です。NGOが1990年代から存在感が出てきたということですが、産業界もそういうかたちで存在感を示す時期になりつつあるのではないかと思います。
淡路 2005年アナン事務総長にインタビューする機会がありました。就任した頃と現在を比べて、世界は危険になったと思いますか、安全になったと思いますか、との質問に、「世界は確実に危険になっている」と答えられました。
テロリズムや、大量破壊兵器の拡散など新たな脅威が出てきて、だからこそそれにあわせて国連の機構を改革していかなくてはいけないということで、昨年9月のサミットにかけて、いろいろな改革の交渉が行なわれました。その中で、平和構築委員会、人権理事会が設立され、保護する責任など新しいコンセプトも認められてきた。安保理に求められる役割も変わってきています。変わらなくちゃいけないよね、国連、というところは確認されていると思います。
私は個人的に安保理改革を進め、日本が常任理事国になるべきだと思っています。ただ、それがすぐにできるとは思っていません。一昨年から日本が主導したG4決議案方式での改革には、疑問点があるのですが、国連外交の場で重要課題の交渉を日本が主導したことに意義はあったと思います。次にいつそういううねりができるのかはわかりません。ただ、安保理はいまのままではだめだ、日本も入るんだと言い続けることで、例えば安保理の透明性を高めないとまずいかな、と常任理事国に思わせるような間接的なプレッシャーになる可能性はある。日本として絶えずそれを言い続けていくべきだと思います。
河野 まず、ビジネスとの関わり合いについてですが、私は大胆にいえば国連の活動はほぼイコールビジネスチャンスだと思います。国連の抱える問題の大半は貧困あるいは紛争に関連する問題です。貧しい人たちが何億人もいるということは潜在的購買力があるということだと思うんです。
いまアフリカの八億人を対象にしたマイクロクレジットを、ある多国籍大企業が薄利多売で国連というネットワークを活用しながらやろうとしている。これは将来の利益性が高い。市中の人に10万円貸すのではなくて、貧しい人に5ドル貸して、返ってくるかわからないけれど、とりあえず貸してみる。しかし、返ってきたらどうか。それから、例えばエイズ、マラリアほか、病気が蔓延しているわけです。世界の中で一日に7000人がエイズで死んでいる。薬一つとってもビジネスチャンスです。もし薄利多売の安く効き目のある薬を開発できれば、相当な利益になるかもしれない。国連の活動分野、活動対象地域はビジネスの上でも一つの大きなチャンスです。
もう一つ。実はいまの紛争から平和に向けてのプロセスの中で最も重要なアイテムの一つが、ガバナンスです。いま秦会長がおっしゃったCSRの活動は、少なくとも、まだテイクオフしない政府・国家の経済的ガバナンス、政治的ガバナンスを立ち上げるうえで重要な役割を果たしていると思います。かつそこに企業倫理を入れることによって、一部の権力者が搾取するような世界は作らないということ。これは長い目で見れば、世界の将来にとって非常に重要で、これがまさに国連のやっていることです。そういった観点からも、これからは企業、NGOがそういった分野で国連の活動に参画するのは、将来の大きく広がる道だと思うし、あるべき姿だと思います。
第二点目は、位田先生がおっしゃったように、まさにイシューが、国家の枠をこえてグローバルになってきたのは明らかです。最近われわれは北朝鮮という伝統的な脅威を目にするわけですが、現実に起こっている新しい脅威は目に見えない。国家を超えた脅威です。こういった新しい脅威にどう対応するかということが国連にますます問われていることだと思います。
三番目に、安保理改革です。G4の決議案がうまくいかなかったというご指摘はそのまま受け止めたいと思います。私どもは、しかし黙ってはいない、という姿勢でやっています。すなわち、今回のことを重大な教訓として、ではどうやったら改革は実現するのか必死に考え、試行錯誤ではありますが実行してきています。アメリカおよび中国とのダイアローグの強化はその一例です。また、一気に改革ができないならば、段階的に改革できないだろうかと方策を探っています。国連の中でも、暫定的な解決案を、という考え方が複数の国から出はじめているんですね。こういったエネルギーを結集して、その中で日本として最もいい方策は何かということについて、まさに議論しています。一週間前にはG4の局長級会合を行ないました。三日前に安倍総理はブッシュ大統領と具体的な議論を行なっております。安倍総理が訪中されたときにも、共同プレス発表で安保理改革に触れました。日中関係の雰囲気が変わったことは一つのチャンスだと思います。私どもは第二ステージに入っていると思いますし、さらにこの火は消さずに、かつこのモメンタムをいかに維持し、かつ広げるかということを必死に考えているというのが現状です。
――日本外交への期待、注文をお願いします。
秦 一言申し上げるなら、唯一の原爆体験国として、平和に対してアピールしていただきたいということです。核兵器をもとうとする国が増えている中、日本は唯一核廃絶を訴えて説得力をもつ国です。
位田 国連加盟後50年を考えると、前半の30~35年は日本の姿は見えなかった。
しかし、冷戦終了後の日本外交は、おそらく日本に国力がついてきたこととも関連するでしょうが、ずいぶん積極的になってきました。これから日本が国連に関してどういう外交をやっていくか。軍事力の貢献は限界がありますので、それ以外での貢献が重要です。一つはアイディアの貢献です。「人間の安全保障」は、日本が提唱した概念ですが、いいアイディアだと思いますし、G4の結成もある意味ではアイディアですね。日本が世界をリードするようなイニシアティブなりアイディアを出して、それを実現に導くことで、日本らしいかたちで平和に貢献してほしい。
二つ目は、財政支援はこれまで以上に続けていくべきです。政府開発援助(ODA)拠出額が下がったのは残念です。日本は、その歴史の上で、発展途上国から先進国への成長に成功した稀な例です。その日本が開発途上国に支援をしているということが重要であり、そうしたいいイメージを植えつけることが日本の外交に必要だと思います。
三つ目は、日本の科学技術力です。とくに、日本が科学技術を途上国に移転していくことで、世界全体を豊かにするという発想をもつべきです。いまのところはまだ科学技術を発展途上国に移転することによって、国際関係をよりよいものにしていこうという方向にあまり動いていないような気がします。この三点で日本外交を展開していただければと思います。
淡路 私が考えているのは人的貢献とPRです。私は先ほども申し上げたとおり、日本は常任理事国になるべきだし、日本にはその資格があると思っています。ただ、より応援団を増やしていく、日本が常任理事国に入っていないのはおかしいという声を増やしていくためにも、できることはやっていったほうがいい。と言っても危険地域にも自衛隊をどんどん派遣すべきだというわけではなくて、平和構築分野などの人材を育てて、特に若い人に国際協力に携わるのに必要な訓練を提供する。国連や国際機関の活動に興味ある若者、能力のある若者も多い。10年、20年先をにらんで、そういう人材を養成していくことが必要です。
もう一つは、日本人の特性として、何も言わずに正しいことをするのが美徳だという風潮がまだある気がしています。国連事務局にも優秀な日本人職員はいるけれども、あまり主張が強くないので、能力に見合ったポストを与えられていないようなケースもあると聞きます。国の外交としても、日本はこんなに援助をしているのだともっと主張していいと思う。メディアを使ったPRにも力を入れてもらいたい。最近の北朝鮮の問題で、大島国連大使がマイクの前で「北朝鮮の行動は容認できない」と語る映像がCNNで世界中に流れたことで、強力なメッセージを発信できました。いろいろなツールを使って日本外交がこれだけやっていますということをPRしてもらいたいと思います。
河野 いまお三方がおっしゃったことはすべて心に強く響きます。
私は二週間前にウクライナに行きました。ウクライナは日本外交、特に日本の核政策に対する関心が高い。これはウクライナが日本と同様に被ばく体験国であることと関係があります。チェルノブイリでの原発事故により、ウクライナは広島型原爆の約200倍の影響を受けています。依然として被害者も多いし、予算の10%以上をいまでもその方々のために投入している。ウクライナの外交アカデミーでの会合で最初になされた質問が日本の核政策についてでした。加えて言うなら、ウクライナは自ら核を捨てた数少ない国の一つです。ソ連時代にはあそこには核兵器が多数配備されていました。それを全部捨てたんですね。そういう国があるということに心を打たれました。
外交は人です。国際社会に生きるのも人。人が重要です。人的貢献・人材育成の必要性はまさに同感です。外務省は2006年8月に平和構築分野の人材育成に関するシンポジウムを開催しました。そこで麻生大臣は平和構築の人材育成のための「寺子屋」を作ろう、とスピーチされました。いま外務省は初めて平和構築のための人材育成を始めようと来年度予算要求をしています。
「寺子屋プロジェクト」がうまくいったら、次にはオールジャパンでいきたいと考えています。外務省だけではなく、財務省が税制を教える。総務省が地方自治を教える。法務省が法律について教える。警察庁も防衛庁も教えられることがあります。人材育成には、学生、企業の方も関心のあるところでしょう。国際社会で生きるのは、政府ではありません。人です。企業人も、退職したけれど再チャレンジしたいという人たちも学べて世界へ出られる機会を作る。ここは政府の役割ですから、一所懸命やっています。
アイディアやODAはまさに重要だと思います。科学技術は日本の比較優位であり、国力でもありますから、ぜひとも進めていきたいと思います。
秦 人の問題ですが、東南アジアの人たちの留学先は現在ほとんどアメリカです。技術移転の話がありましたが、日本も、保険関係では、発展途上国から人を日本に招いて保険技術を学んでもらっています。また日本から人を派遣して新しい保険制度を作り上げる協力もしています。こうしたかたちで「日本でお世話になった」と感じてくれた場合には、人と人とのつながりが、ずっと生きてきます。やはり人の関係は大事だと思います。日本で学びやすい環境、外国人が生活しやすい環境を国として作ってもらいたいと感じます。
河野 「寺子屋構想」は半分の人をアジアから呼んで、日本の若者と一緒になってそこで学ぶという構想です。
位田 外国の人を日本に呼んできて育てるのも大事なことですが、国際社会で通用する日本人を育てることも非常に重要だと思います。国際協力の現場で開発途上国の人たちの手伝いをやりたいという、ある意味では正義感の強い学生たちが多くいます。しかしそういう正義感をもっている人が、どうしたら現場にいけるのか、道筋がまだうまくついていない。大学に進学して、そういうことをよく知っている先生に出会えれば教えてもらえるけれども、中学・高校の段階ではほとんどそういう話はない。しかも世界史は必修なのに授業をしていない、という問題が出てきているのはまことに残念です。世界のことをわからないで、国際のことがどうやってわかるのか。日本におけるそういう環境も改善していく必要があります。国連に関していえば、国連に何かをしてもらうというのが一般の日本人の感覚だと思いますが、そうではなくて、国連はわれわれが何かをさせる機関なのです。そういうことからまず教えていかなければいけない。
河野 いま国連事務局には日本人が約100人います。10年前から増えていません。これだけお金を拠出していて、どうして日本人が少ないのか。実は国連の改革といっても、多くの日本人が国連機関で働けばそれはそれで改革になるという意見もあります。
――本日はありがとうございました。
(平成18年11月21日収録)