平成20年11月3日(月曜日)10時~、ジャカルタ
ご列席の皆様
本日は、日本インドネシア50周年記念セミナーに多数の皆様に御出席いただき、日本政府を代表して御礼申し上げます。このような形で皆様とともに、本日のセミナーに参加し、基調講演を行わせていただくことは、誠に光栄であります。
本年は、インドネシアと日本が国交を樹立して50周年にあたり、両国の間ではこれを祝して本年を友好年と定め、両国官民の協力を得て、素晴らしい数々の行事を行ってきています。去る11月1日から、友好年の終盤を飾る一大イベントとして、日本経済新聞社とコンパス社の共催により、「インドネシア日本博覧会」が行われています。この博覧会はご案内のように、一昨日、ユドヨノ大統領と福田前総理により華やかに開会されました。
このセミナーはこの博覧会の開催期間中に行われる中心的な行事の一つと承知していますが、本日及び明日の2日間にわたるセミナーにおいて、有意義な議論が交わされ、高い次元の知的交流が行われることを期待しています。
さて、私は日本・インドネシア国会議員連盟の一員でもありますが、2005年にはユニセフ議連視察団の一員として、スマトラ沖地震・津波災害から復興途上のアチェ州を訪問し、現地住民がアチェの復興に邁進している姿に感銘を受けました。この関連で申し上げれば、アチェでは、震災からの復興のため、政治的な対立を乗り越えて一致団結した結果、アチェ和平合意が成立し、和平プロセスの定着も進み、復興努力と相俟って、アチェ情勢は順調に進展しています。我が国としても、アチェの和平と復興を継続的に支援してきており、このような進展を嬉しく思います。
本日のセミナーでは、「50年の友好と未来への戦略的パートナーシップ」と題して、このあと、日本とインドネシア両国の有識者の方々による活発な議論が行われると伺っています。少しでも議論の糸口になればと期待しつつ、50年の友好の歩みを振り返り、将来の展望を述べてみたいと思います。
(50年の二国間関係の歩み)
この50年、日本とインドネシアは、多くの変遷を経た国際社会にあって、またとない友好国であったと言えます。この事実は日本とインドネシアの両国民にとって、次世代に誇るべき歴史であると確信しています。
そこで、日本とインドネシアの友好関係の50年を3つの段階に分けて考えてみたいと思います。
第一期は、インドネシアが1945年に独立後、スカルノ大統領の指導の下、国の統一と民族の誇りのために奮闘した時代です。第三世界のリーダーとして、積極外交を行っていたインドネシアは、一時、周辺国や西側諸国の多くの国々と対決状態に至りました。しかし、日本だけはできるだけインドネシアの立場に理解をもって臨んだのがこの時代です。
第二期は、インドネシアがスハルト大統領の指導の下、経済の復興・回復と地域の安定に努力した時期です。当時の東南アジアでは、各国が経済復興と平和の回復を念願していましたが、日本は経済開発を支援することにより、国と地域の社会的強靱性を強化するとの外交方針を貫きました。日本がASEAN諸国の国造りに貢献し、地域の経済発展に寄与するとともに、日本も大きく経済発展し、相互依存の関係を深めた時期と言えます。
第三期は、1997年のアジア通貨危機から現在までの、インドネシアが民主化を推進している時期です。インドネシアは未曾有の政治的混乱と経済的困難を乗り越える上で、日本も経済的に困難な状況にあったものの、伝統的な両国の協力関係の上に、東南アジアの経済回復のための努力を支援する主導的役割を演じたものと考えています。
日本にとって、インドネシアは終始かけがえのない東南アジアの友邦であったと言えます。日本とインドネシアの関係は、これまで全く平坦であったわけではありませんが、国民の心と心の触れ合いを基礎とした相互理解を通じ、両国関係全体が損なわれることはなかったと思います。
そういう意味で、インドネシアは過去50年間一貫して日本の友人であったと言え、日本もあらゆる局面において、インドネシアの国家建設に対する不断の協力を惜しまなかったと言えます。我々は、両国関係を培ってきた先人達のこのような姿勢と努力に深い敬意を表するとともに、これを両国の未来を担う次世代に引き継いでいく必要があります。
(二国間関係の深化)
ここで、最近のインドネシアと日本との関係について述べてみたいと思います。本年7月には日本・インドネシア経済連携協定(EPA)が発効しました。これにより、両国の貿易・投資をはじめとする経済関係が一層強化され、両国に利益をもたらすことが期待されています。
特に、昨今、エネルギー・食料問題が今後の国際社会にとって大きな課題として浮上していますが、このような課題に対しても、両国が経済上の連携強化によって、共に乗り越えていけることを願っています。
発効したEPAに基づき、8月にはインドネシアから日本へインドネシア人の看護師、介護福祉士の候補者約200名が来日し、現在日本語の習得に努力されているという具体的な動きが見られます。両国の人材交流と協力の新しい歴史が今後脈々とつづられていくことを大いに予感しています。
さらに、ユドヨノ大統領のご出席を得て、本年7月に北海道洞爺湖で開催された主要経済国首脳会議では、ユドヨノ大統領の貴重な御発言を得て、世界全体の長期目標を含むビジョンの共有につき、参加各国の支持を取り付けるなど成功を収めることができました。昨年12月にインドネシアが開催したバリ会議の成果が先般の北海道洞爺湖サミットの議論につながったことは、両国の協力による成功例の一つとして特筆すべきことであり、気候変動問題に関するインドネシアの貢献に改めて感謝したいと思っています。
同サミットの際、我が国は「クールアース・パートナーシップ」に基づく最初の気候変動対策プログラム・ローンをインドネシアに供与することを決定しましたが、今後もこの課題に両国が手を携えて対処することを期待しています。
このようにインドネシアと日本は、両国が二国間関係の枠組みを越えて、気候変動問題のみならず、地域統合、防災、民主主義の発展といった国際的な課題に対して協力していけば、アジア太平洋地域のみならず、世界全体に大きな影響を与える戦略的パートナーシップを築いていけると確信しています。
(将来に向けての展望と協力)
ここで将来に向けての展望と協力について、何点か申し上げたいと思います。
まず第1番目に、地域統合に関して、ASEANの安定と繁栄が東アジアを含むアジア地域全体の利益となるとの観点から、ASEAN共同体の実現はきわめて重要だと考えています。ASEAN統合の強化・深化に向け、最大の課題となっている域内格差是正、環境保護と経済成長の両立、エネルギー、食料安全保障等の課題にインドネシアと日本が協力して対処したいと考えています。
特に、域内格差是正の問題については、メコン地域への協力や、インドネシアも含むBIMP-EAGA(ビンプ・エアガ、東アジア成長地域)の取組への協力をさらに進めていこうとしています。また、かかる取組の中で、ASEANの中核たるインドネシアと緊密に連携していくことが極めて重要だと考えています。
次に、人的交流に関する協力で、特に留学生交流を含む青少年交流の活発化です。日本として2020年を目処に留学生受け入れ30万人を目指す計画を打ち出しています。また、「21世紀東アジア青少年大交流計画」というものも実施しているところです。
また、東アジアの知的基盤として「東アジア・アセアン経済研究センター(ERIA)」が本年6月にジャカルタのASEAN事務局内に設置されました。我が国はASEAN各国と協力し、ERIAを将来的に東アジアにおけるOECDの様な機関に育ててまいりたいと考えています。このジャカルタに設置されたERIAを最大限活用し、有益な政策提言が行われることを期待します。
(喫緊の課題への対処)
さて、ここで、喫緊の課題である世界的な金融危機について、一言触れさせていただきます。世界的な金融危機が信用不安を招き、世界各国の実体経済にも大きな影響を与えつつある現状を懸念しています。世界的な金融の混乱やさらなる世界経済の減速などのリスクには警戒が必要です。
この問題については、去る10月24日、北京で行われたアジア欧州会合(ASEM)首脳会合において、金融危機を克服するため国際社会の連携強化を求める声明が採択されました。今後、日・インドネシア両国が参加して11月15日に米国で開催される主要20カ国・地域(G20)の「金融・世界経済に関する首脳会合」における議論に注目が集まっています。
我が国としては、世界経済の減速に対応した適切なマクロ経済政策の運営、国際金融システムの機能強化、影響を受ける途上国への対応などが重要であるとの基本的認識に立って、今回の国際金融危機のアジアへの影響をどう最小限に抑えられるか、同じくこの会議に招待されているユドヨノ大統領とも協調して、この難局を乗り越えていくための努力において最大限の貢献をしていきたいと考えています。
(結語)
最後に、今後の日本とインドネシアとの関係については、先人の努力によって築かれた両国の友好協力関係の貴重な歴史の上に、真の戦略的パートナーとして、未来に向けて共に歩む関係を築き上げていくことが重要であり、そのための知恵を出すことが求められています。
そのような関係を築いていくため、両国間での人と文化のつながり、とりわけ心と心が触れ合うような交流が一層大事なものとなってくると考えています。皆様とともに、両国が共に歩み、共に繁栄する平和な未来を一緒に作り上げてまいりたいという決意を申し上げて、本日の私のスピーチとさせていただきたいと思います。御清聴、ありがとうございました。