
麻生外務大臣演説
プリンストン大学ウッドロウ・ウイルソン・スクール創立75周年アジア記念行事における麻生太郎外務大臣のスピーチ概要
平成18年4月7日
於・ホテル・オークラ
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- スローター学長らへ歓迎の辞。
- プリンストン大学が生んだ偉大な卒業生、ジョン・フォスター・ダレス(生前国務長官等、以下敬称略)と祖父吉田茂、及び麻生家の関わりについてのエピソード。すなわちダレスを通じ、ロンドンの画家が描いた麻生和子(大臣の母)の肖像画が、麻生家に贈られたという事実があった。
- サンフランシスコ平和条約及び日米安全保障条約を交渉する当事者同士だった吉田・ダレス間に交わされた、書簡や電報は、すべてプリンストン大学の図書館に所蔵されている。
- ダレスは1959年死去した。吉田はサンフランシスコ平和条約締結記念日に当たる同年9月9日という日を選び、東京で追悼集会を催すが、葬儀委員長として読み上げた追悼の辞も、そこに含まれている。
吉田はサンフランシスコ平和条約取りまとめに文字通り東奔西走したダレスの労を改めて多とし、こう述べている。
「ダレス(の条約締結へ向けた努力)に、我が国は未来永劫、感謝の負債を負うものであります。日米関係は強靭さを基礎とし、和解と正義の精神によって維持さるべきことを、彼は信じておりました。ダレスの疲れを知らぬ奔走によって、戦後日米の友情と協力は、その基礎を与えられたのであります。そして日米間の友情、協力こそは、今日極東において、平和と繁栄をもたらす堅固な礎となっているのです」
いま顧みて、祖父が半世紀も前に述べた言葉に、付け加えるべき事柄はほとんどない。日本と米国の永続的友情に基礎を与えた、このプリンストンの生んだ偉大な卒業生を、もう一度讃えたい。
- しかもなお、ダレスばかりではない。米国の対日占領政策をより均衡の取れたものとするよう訴えたのは、卒業生の一人、ジョージ・ケナンであった。リストは続き、ポール・ボルカー、ジョージ・シュルツ、そしてジェームズ・ベーカーの各氏を数える。いずれも日米関係改善に尽力した人々だ。
- 祖父には見通せなかったかもしれないが、21世紀を迎えた今日なお、日米の強固な関係はこの地域で平和と繁栄をもたらす礎となっている。日米同盟は少なからず危機を潜り抜けた後に、いまだかつてない強靭さをまとうに至った。
両国は民主主義と市場経済によって一層緊密に結ばれ、ともにアジアで中間層が台頭するのを喜ぶ関係になった。中間層とは歴史の示すところ、民主主義に肥沃な土壌を与えるものである。
アジアに経済的繁栄と民主主義を通じて平和と幸福をもたらすため、米国一人が重荷を負わなければならなかった時代はつとに去り、安全保障面ではアフガニスタンで、インド洋やまたイラクにおいて、日米両国はともに平和と安定を推し進める力になっている。2004年暮れ、東南アジアの岸辺を津波が襲った折、いち早く救援にかけつけたのもまた、日米の両国だった。
- 両国民は今後とも、同盟に命をあらしめるため投資を惜しむべきではない。願わくば、今から60年の後、我々自身の孫たちが、1952年に敷かれた日米関係の基礎を今の我々と同じように祝福していられることを。
- 最後に、祖母吉田雪子がロンドンの暮らしを綴った書(Whispering Leaves in Grosvenor Square, 1936-37)を、スローター学長に謹呈するものである。