おはようございます。
ロシュコフ大使、そして大勢のご列席の皆様、
本日こうした良い天気の中で、日露修好150周年記念式典が開催されますことを心からお祝い申し上げます。また一言ご挨拶申し上げます。
丁度150年前、ここ下田の地において日魯通好条約が調印され、我が国とロシアとの間の国交が樹立されました。
当時交渉に当たったのは、日本側が筒井肥前守(つついひぜんのかみ)と川路左衛門尉(かわじさえもんのじょう)、ロシア側がプチャーチン提督でした。日露両国の代表者は、末長い両国の友好と共存共栄を真剣に願い、困難な交渉を妥結に導きました。交渉の最中には、ロシア代表団の旗艦「ディアナ号」が大津波で沈没するという事故にも見舞われましたけれども、幸い、ロシア人の乗組員の多くは無事救助され、地元の住民の協力によって新たな帆船「戸田号」が建造され、無事ロシアに帰国することができたという、温かいエピソードも残っています。この当時の状況については詳細に作家の吉村昭さんが「落日の宴」という本に書かれています。私も読みました。大変な名著で、当時の状況が克明に書かれており、できれば若い方、教えられるところの多い本ですので、読んで頂きたいと思います。
本日の記念式典には、当時日露両国を代表して交渉に当たった方の御子孫の方々にもご列席頂いております。日本側からは川路紳治(かわじしんじ)さん、ロシア側からはマリーナ・プチャーチンさんとご子息のニコライさんのお二人に出席頂いています。(両名が起立し一礼)
国交樹立後の150年間の両国関係は、国際政治の大きなうねりの中で、平和な時もあれば、戦いの時もあり、決して平坦な道のりではありませんでした。しかしながら、20世紀の終わりに冷戦が終焉し、日本と新生ロシアは、自由、民主主義及び市場経済という普遍的な価値を共有するに至り、真のパートナーシップの構築に向けて着実に歩みを進めてきました。
今日、日露関係は、2003年に私とプーチン大統領が採択した「日露行動計画」に従って幅広い分野で関係が進展しています。政治対話も頻繁に行われており、私自身、プーチン大統領と既に8回会談しました。日露国交150周年の節目の今年に予定されているプーチン大統領の日本への訪問を楽しみにしています。
経済面では、日露間の貿易量は、昨年は前年に比べ5割増しの伸びを示し、過去最高の水準に達しました。
海上におけるテロ対策や海洋汚染防除を目的とするロシア主催の共同演習に海上自衛隊の艦船が参加するなど、冷戦時代には考えられなかった防衛面での交流も活発に行われています。例えば、本年7月には、約150年前に「ディアナ号」が出港したサンクトペテルブルクを自衛隊の練習艦隊が寄港する予定であります。
国際場裡における日本とロシアの協力も「行動計画」の重要な柱です。日露両国は、国連、G8、六者会合等といった場を通じ、テロ、不拡散など、様々な課題に共に取り組んでいます。来年、ロシアは初めてG8の議長国を務めることとなっており、我が国は、その成功に向け協力していく考えです。
日露両国は、両国間に唯一残された障害である北方領土問題を解決し、平和条約を締結するという、今後の50年、100年を見据え、未来志向の新たな日露関係を築いていかなければなりません。
ここ下田の地で、日露両国の先人の偉業に改めて思いを馳せつつ、新たな日露関係の構築に向けて、プーチン大統領と共に最大限の努力を行うとの決意を新たにし、私の挨拶と代えさせて頂きます。
皆さんご苦労様です。