寄稿・インタビュー
岸田総理大臣対面インタビュー(2023年5月9日付け、TIME誌(米国))
「独占取材:岸田総理は、かつて平和主義だった日本に、国際舞台でより積極的な役割を与えようとしている。
日本の首相公邸は不気味な場所だ。アメリカの建築家フランク・ロイド・ライトの影響を受けたこの石とレンガ造りの邸宅は、東京の中心部にあり、1932年に海軍の若い将校が突撃し犬養毅首相を暗殺した時には、まだ建設から3年しか経っていなかった。その4年後、岡田啓介首相はクーデター未遂事件の最中にクローゼットに隠れることを余儀なくされた。そこでは5人が死亡し、弾痕は今でもアールデコ調のファサードに残っている。
1992年にアメリカのブッシュ大統領が、この場所(公邸)での宴会中に体調を崩し、宮沢喜一首相の膝の上で嘔吐し気を失ったことで、この悪いエネルギーは太平洋を越えて伝わった。神職による除霊が行われたものの、悪霊との関連の烙印が押され、2021年10月に岸田文雄首相が就任してすぐに入居するまでの9年間、無人の邸宅だった。
「この建物では幽霊に遭遇すると、先人たちから警告を受けた」と、65歳の岸田氏はTIMEの独占インタビューで、レッドカーペットの邸宅内で、表現主義の壁のモチーフを見回しながら語った。「もちろん、古い建物ですから、時折、音が聞こえます。でも、幸いなことに、まだ幽霊には遭遇していません」。
岸田氏は、より地球規模問題に関心を持っている。国内では再分配政策によって中産階級を増やす「新しい資本主義モデル」を打ち出し、海外では、韓国との歴史的な対立を解消し、米国などとの安全保障同盟を強化し、防衛費を50%以上増額するなど、東アジアの外交関係の変革に着手している。中国の影響力をチェックするための有力なパートナーを求めるホワイトハウスに後押しされ、岸田氏は世界第3位の経済大国を、それに見合うだけの軍事的プレゼンスを持つグローバルパワーに戻すことに着手した。
しかし、岸田氏が幽霊に悩まされることがないとは言い切れない。彼の家族は、彼自身の選挙区である日本南部の広島市出身であり、1945年に米国が投下した原子爆弾で親戚を何人も失った。1945年に米国が投下した原爆によって、数人の親族を亡くした。彼の最も古い記憶のひとつは、その苦難の街(広島)で祖母の膝の上に座り、地元の人々の苦しみについての恐ろしい物語を聞いたことだ。「広島とその人々が経験した言いようのない惨状は、私の記憶に鮮明に刻まれている」と彼は言う。「この幼少期の体験が、核兵器のない世界を追求する私の大きな原動力となっている」。
岸田氏が5月19日から21日まで開催されるG7の首脳を迎えるのは広島である。岸田氏は、広島が持つ悲劇の歴史をてこにして、ますます好戦的になるロシア、中国、北朝鮮の権威主義の脅威に立ち向かうには集団的決意しかないと、世界で最も強力な民主主義国家を説得することを期待しているだろう。東京はキエフから5,000マイル離れているかもしれないが、ウクライナでの戦争は、日本に、より危険な世界につき警鐘を鳴らした。とりわけ、日本はロシアとの陸海の領土問題に巻き込まれており、北朝鮮の弾道ミサイルは定期的に頭上を通過している。日本にとっての更なる懸念は、習近平主席が繰り返し「屈服させる」と宣言している台湾に対する侵略である。昨年夏、ナンシー・ペロシ米下院議長の台北訪問に抗議して北京が行った軍事訓練では、5発のミサイルが日本の排他的経済水域に落下した。中国の艦艇や航空機が定期的に侵入している。
このような背景から、岸田氏は12月、先の戦争で日本と同様に屈辱を味わったドイツを含むヨーロッパ全体の防衛費増額を反映する形で、第二次世界大戦後最大の軍備増強を発表した。この公約は、2027年までに防衛費を日本のGDPの2%まで引き上げるというもので、これにより日本は世界第3位の防衛予算を有することになる。また、これまでの日本の指導者が国際的な制裁を加えることに躊躇していたのに対し、岸田氏は米国が主導する措置に快く参加した。
これは、同じ右派の自民党に所属し、7月に選挙活動中に暗殺された安倍晋三元首相が長い間主張してきた変革である。しかし、安倍首相のタカ派的な評判が賛否両論だったのに対し、岸田氏はハト派的な性格のため、大きな反発を受けずに安全保障改革を実現することができた。
それでも、日本の「武道的」復活は、論争がないわけではない。平和憲法を持つ日本では、軍備増強はすでに苛烈な地域安全保障の構図に油を注ぐものだとの批判もある。また、中国は日本にとって最大の貿易相手国であることから、岸田氏が、野心的な国内政策に資金を調達しながら、経済的報復をいとわない、米国の超大国としてのライバルである中国を締め付けることができるかは不明である。さらに根本的な問題として、日本の軍備増強は、核兵器のない世界を目指すという岸田氏の長年の公約と食い違うという見方もある。首相は「広島のような悲劇を二度と起こさないことだけが目標だ」と言う: 「今日のウクライナは、明日の東アジアになりうる」。
岸田氏の任期中には、平凡な役人という評判を裏切るドラマがすでに起きている。4月15日、岸田氏は選挙演説中に手製のパイプ爆弾を投げつけられ、警察官も負傷したが、首相公邸につきまとう亡霊の仲間入りをかろうじて免れた。「私は政治の世界に生きている」と、この事件についての質問に肩をすくめる。「色々な出来事や展開が起こりうる。」
1年半前に就任した彼は、スキャンダルには縁がないが大きな実績はない、地道な政治家だと思われていた。父も祖父も議員であり、幼少期はアメリカで過ごし、クイーンズの公立学校に通っていた。クラスにはさまざまな文化や言語的背景を持つ子どもたちがいて、岸田はコミュニケーションを「とても難しい」と感じていたという。しかし、そのおかげで「他人の意見にじっくりと耳を傾けることの大切さを再認識した」と語る。「自由を尊重し、溢れるエネルギーを持つアメリカという国に、子どもながらに感化されました。」
岸田氏は平凡な学生で、法学部の入試に3度失敗した。銀行で経験を積んだ後、1993年に政界入りした。閣僚を歴任し、2012年、外務大臣に就任して日本歴代最長の5年間在任した。岸田氏は「合意の形成者」(consensus builder)として評判が高く、舞台裏で様々な派閥と協議しながら政策を調整する。岸田氏は、助言は聞くが、一度決めたら揺るがない、と側近は言う。
総理大臣として、彼は天才的な仕事人であることを証明した。岸田氏は就任以来、16回もの海外出張をこなしている。公邸の吹き抜けの大広間でTIMEの取材に応じた翌日には、アフリカ4カ国の歴訪に出発した。側近によれば、彼はほとんど自分の時間を取ることができていないという。「国会会期が終わったら、時間があればゴルフをしたいですね」と、にこやかに話す。
しかし、内政では順調とは言い難い。安倍首相の国葬を執り行った後は、その費用と安倍首相の物議を醸す性質が災いし、支持率が急落した。昨年末、岸田氏はさまざまな不祥事で2カ月の間に4人の閣僚を解任した。2月には、国民の過半数が同性婚を支持しているにもかかわらず、同性婚が合法化されれば「かなりの数の人がこの国を捨てるだろう」と発言した側近を罷免した。これに対し、岸田氏はTIME誌に 「多様性が尊重される社会の実現」に尽力していると語る。その後、岸田氏の支持率は上昇し、4月の地方選挙では自民党が主要議席を獲得した。
東京のテンプル大学でアジア研究長を務めるジェフ・キングストンは、「彼は刺激的なリーダーではないかもしれない」と言う。「しかし、自分のアジェンダを推進するという点では、かなり効果的であることが証明されている。」
それは野心的なものである。日本は、世界で2番目に教育熱心な国で、平均寿命が最長で、殺人率が最も低く、失業率が非常に低く、政治的な移行が異常なまでにスムーズであることを誇る国である。しかしその一方で、世界で最も低い出生率、成長の停滞、深刻な高齢化も進んでいる。1980年代後半には、日本人はアメリカ人よりも収入が多かったが、今では平均して40%も少ない。岸田氏の使命は、日本を立ち直らせることである。岸田氏は、日本初のカジノや、物流の要である新東名高速道路に自律走行専用レーンを設置するなど、徹底した近代化政策に乗り出している。
岸田氏の国内政策は、家計の収入を増やすための「所得倍増計画」という漠然としたものだが、彼にとっての大きな問題は、富裕層を遠ざけることなく再分配を行うための費用をどう賄うかということだ。日本の公的債務の対GDP比は256%で、米国の約2倍であり、岸田氏には借金を続ける余裕がほとんどない。岸田氏が株式譲渡と配当に対する増税を唱え始めたとき、日本の証券取引所は大暴落した。東京の早稲田大学教授で元議員の中林美恵子氏は、「岸田氏は、相当慎重に右派の支持を維持しなければならない」と言う。
岸田氏はまた、より多くの女性や高齢者の雇用も目指している。世界経済フォーラムが発表した2022年のジェンダーギャップ報告書では、日本は146カ国中116位で、先進国の中では最下位だった。岸田内閣は2030年までに大企業の女性役員を30%まで引き上げるという目標を掲げているが、「目標を達成するために実際にどのような行動計画が必要なのかは明確に示されていない」と、日本で最も「女性上司」がいる企業であるサントリー飲料・食品のCEO(注:常務執行役員 )小野 真紀子は言う。
結局のところ、日本の生産性は米国より30%以上低いままだ。岸田氏は、日本のデジタル庁に、お役所仕事を減らして効率化を図るように指示した。河野太郎デジタル担当大臣はTIME誌に、ファックス、フロッピーディスク、ハンコなど、時代遅れの技術で処理を要求する政府の規制を9000件発見したと語った。
しかし河野氏には、日本の人口1億2,500万人に対して800人の職員しかおらず、「絶望的な人手不足」であることを訴えている。第4次産業革命の導入は、世界中の先進国にとって極めて重要な課題であるが、日本ほど人口減少と高齢化が深刻な国はなく「世界でも前例がない」と岸田氏は言う。「これは生存に関わる問題なのです。」
広島では、サミットを宣伝するポスターが街中の看板や自動販売機に貼られ、洞窟のような主要鉄道駅構内にはカウントダウン時計が設置されているが、G7にはそれとは異なる種類の存亡上の危機がある。国連安全保障理事会の議席を与えられていない日本は、アジアで唯一のメンバーとして参加するこの経済ループ(G7)を常に重視してきた。岸田氏の側近によれば、G7を地元広島に迎えることは、「生涯の夢」の実現につながるという。中林氏は、岸田氏が日本を真のグローバルリーダーに押し上げる絶好のチャンスであるだけでなく、国内の支持率が上がれば、国会を解散して新たな政権を目指すための足掛かりにする可能性もあるという。
岸田氏は1月、G7メンバー国のイギリス、フランス、イタリア、カナダ、アメリカを訪問し、自身のアジェンダへの支持を呼びかけた。また、インドのモディ首相と韓国の尹大統領もオブザーバーとして招待した。「ウクライナや台湾をはじめとして国際秩序が非常に危うい状況にあることを考えると、G7は歩み寄らなければ、無意味となってしまう
恐れがある」とキングストン氏は言う。
しかし、すべての人がG7の闘争的な姿勢に賛成しているわけではない。サーロー節子さんは、1945年8月6日のことをはっきりと覚えている。彼女は当時まだ13歳で、日本の第二次世界大戦中の作戦の一環で、連合国の通信傍受・解読のために採用された。午前8時15分、彼女は現在の広島市東区にある軍司令部の木造建物の窓から、青白い閃光を垣間見た。原爆は1キロ先で7700℃の高温で爆発した。
「宙に浮くような感覚を味わいました」と彼女は言う。炭化した木材の下から這い出した後、「人間のような、でも人間ではないような動く人影が見え始めました」と、核兵器廃絶国際キャンペーンを代表して2017年にノーベル平和賞を受賞したサーロー氏(91)は振り返る。「彼らは幽霊のように見えました」
広島と、その3日後の長崎への原爆投下により、約17万人の命が奪われた。岸田氏の下での日本の攻撃的な軍事姿勢は、サーロー氏を「憂慮」させる。「岸田総理は、核兵器のない世界を目指すことが最優先だと言っていた。しかし今、私は彼が私たちを欺いていたことに気づいたのです。」
岸田氏はTIMEに、世界的な非核化を約束するとし、政府は「核武装について議論することはない」と語った。原爆ドームは、原爆投下後に残された数少ない建物のひとつで、現在も壊れたレンガとねじれた鉄の桁でできた瓦礫の殻を、ツツジの花が咲く端正な生垣で縁取っている。
岸田氏は、広島と、3月に訪問したウクライナの被災地ブチャを直接結びつけ、「残虐行為に対する大きな怒り」を語った。プーチン大統領が核戦争の脅威を繰り返すことに、「大きな衝撃を受けた」と語り、G7の首脳にその真の恐ろしさを知ってもらいたいと語った。
しかし、岸田氏がロシアだけに集中しているかと言えばそうではない。ウクライナはアジアの問題であるのと同様に台湾はヨーロッパの問題であると訴えかけたい狙いがあるのだ。4月にフランスのマクロン大統領が台湾について質問された際「ヨーロッパは 『我々のものではない危機 』に巻き込まれてはならない」と述べたことに反論した。岸田氏にとって、「ロシアのウクライナ侵略は、遠く離れた場所で起こった出来事ではない」。「武力による一方的な現状変更の試みは、世界のどこで起こっても許されるものではない。」
岸田氏は、中国に関する問題について聞かれると、11月の習近平との首脳会談で築かれた「ポジティブなモメンタム」を基にする必要性を挙げ、外交的な姿勢を見せる。しかし、「中国の現在の対外姿勢と軍事動向は、深刻な懸念事項である」と認めている。
また、政権内には大胆な意見もある。外務大臣と防衛大臣を歴任した河野氏は、ロシアや北朝鮮よりも「大きな脅威は中国に起因するものである」と言う。「台湾などに対する軍事行動や経済的威圧に備える必要がある」。
ワシントンも同意見だ。ここ数カ月、バイデン大統領は、日本、韓国、フィリピン、オーストラリアとの軍事協力の強化を約束している。バイデン大統領は、岸田氏に対し、防衛問題だけでなく、中国への技術移転を防ぐための支援も行うよう圧力をかけるだろう。
一方北京は、国営メディアが "Xivilization"と名付けた新しい国際フォーラムにおいて、グローバル・サウスを口説くことに着手している。世界観の衝突は、ますますヒートアップしそうだ。岸田氏の広島での使命は、焼け跡と折り鶴に焦点を当てることである。亡霊の声を聞くことである。