世界が報じた日本

平成28年1月26日

 最近の海外主要メディアにおける日本関連報道の中からいくつか紹介いたします。メディア側から予め承認が得られたものの中から選んで掲載しています。転載・複製を禁じます。詳細はリンクから原文をご参照願います。

掲載日:

12月25日付:

媒体名(国名):

ハアレツ紙(イスラエル)
タイトル:
魚と人々について別ウィンドウで開く

執筆者(発信地):

アサフ・ロネル記者

 三重県の太平洋岸は奈良時代,天皇家に海の幸を奉納した3つの有名な地域の1つであり,現代日本ではほとんど廃れてしまった,海に生計をゆだねる昔ながらの生活が残っている。この地域にある登志島を訪ね,漁業民の生活を見聞した。
 登志島では,伝統漁法を守る海女さんの生活を訪ね,海女小屋を視察したりした。現在,島の海女さんの数は162名で,最年長は83歳。夫婦で潜ったり,単身で潜ったりしている。島の特産物はアワビで,養殖にも成功していることを島民は大変誇りに思っているが,天然物はやはり海女さんが潜って採取しなければならない。海女さんの一人,中村ちづるさんに,環境を損なわないようフィンの使用に制限がある事や海女小屋の利用方法,ナマコも採取もする等の話を聞いた。

掲載日:

12月28日付:

媒体名(国名):

ロピニオン紙(モロッコ)

執筆者(発信地):

Hafid Fassi Fihri記者

 2016年は日・モロッコ外交関係樹立60周年を記念する年。60年もの間,高速道路建設(総計約340億円),水セクター開発(計21サイト,総計約950億円)以外にも水産,農業,保健セクター等でモロッコとともに様々な開発プロジェクトを実施してきた。上述した大型プロジェクト以外にも地方のコミュニティを対象とした草の根・人間の安全保障無償資金協力をこれまで350件以上実施し,寄宿舎や伝統灌漑施設の改修に寄与してきた。今後も対政府向け大型案件と対地方コミュニティ向け草の根無償を使い分けてモロッコの発展に寄与していく。
 地理的に遠く離れているにもかかわらず,多くのモロッコの方々が日本の文化や日本語に興味を持ってくださっていることを嬉しく思う。最近では我が国の大学とモロッコの大学間において主に科学や技術の研究の促進を目的とした交流協定が締結されている。協力隊員に関しては現在5名がモロッコ国内で日本語教育に携わっている。毎年開催されている日本語スピーチコンテストは来春17回目を迎える。言語の習得は世界を知ることに繋がる。日本語を学習することで日本の技術や日本の文化を発見してほしい。ABEイニシアティブなど,日本の大学院への留学の機会を提供するプログラムも用意している。若い日本のファンにはこういった機会を活用頂き,二国間の友好の架け橋を担って頂きたい。

掲載日:

12月30日:

媒体名(国名):

ラ・ナシオン紙(コスタリカ)Periodico La Nacion, Costa Rica

執筆者(発信地):

篠原大使寄稿

 2015年は日・コスタリカ外交関係樹立80周年である。二国間関係の長い歴史にあって,「協力」が重要な役割を果たしてきた。9月には,ソリス大統領及びチャコン副大統領の臨席を得て,ロス・タホス下水処理場完成式典が行われた。
 また,日本は環境分野の協力においても積極的に参加しており,国家自然保全区機構(SINAC)を通じ,森林保全のための機材を提供した。さらに,発電にあたり化石燃料への依存度を下げ,再生可能エネルギーの割合を増やすことで,二酸化炭素排出量を削減するための資金も提供している。我々は,コスタリカと協働し,コスタリカが環境というテーマにおいて世界のリーダーとしての地位を保ち,カーボン・ニュートラル実現という崇高な目標を達成するための手助けが出来ることを非常に喜ばしく思っている。
 コスタリカと日本のこうした関係は,インフラ改善や機材調達のための財政的支援にとどまらない。10月には,JICAが青年海外協力隊(JOCV)開始50周年を祝った。JOCVは1965年に派遣が開始され,1974年にはコスタリカにも日本人ボランティア第一次隊が到着した。それ以後,600人以上のボランティアがコスタリカで活動し,彼らは,受け入れ先のコミュニティ発展に貢献してきた。
 国際政治の場も,同様に両国間の重要な協力の舞台である。両国は平和,自由,民主主義,法の支配,人権,軍縮といった基本的価値を共有し,そうした価値を普遍化することでより良い世界を作ろうとしている強力なパートナーである。
 まもなく始まる2016年には,コスタリカと日本はより良い世界に向けて共に一層働いていくことが出来ると確信している。

掲載日:

1月3日付:

媒体名(国名):

ラ・トリブナ紙(ホンジュラス)

執筆者(発信地):

ラミレス記者

 広島の街に残された原爆の傷跡は徐々に消え失せているが,原爆投下から70年の歴史を消すことは出来ない。当時6歳であった原爆被害者であるキシダ・ヒロコ氏は,中米の5名の新聞記者との懇談において,世界各国に核兵器の廃絶を求めるために,原爆の惨禍を語り続けなければならないと述べた。
 ラ・トリブナ紙は,広島平和記念資料館にて,世界各国から同資料館を訪れる数千の訪問者が,広島の悲しい歴史を聞き涙する姿を確認した。
 キシダ氏は,「広島の街は,広島の市民一人一人,及び,日本全国の協力により,完全に回復し,現在は,「平和の街」として位置づけられている。自分(キシダ氏)は,広島の街の回復を嬉しく感じると共に,世界から核兵器が廃絶され,真の平和が来ることを願う。」と述べた。

掲載日:

1月10日付:

媒体名(国名):

ラ・トリブナ紙(ホンジュラス)

執筆者(発信地):

ラミレス記者

 特に1995年と2011年には数千という死者を出した,長き歴史に記録される日本を襲った数々の自然災害により,日本政府は,日本のみならず中米等の友好国にも資する防災システムの構築に力を入れてきた。
 中米との外交関係樹立80年を記念し,日本政府が招へいしたラ・トリブナ紙を含む中米の5人のジャーナリストは,洗練された実験室での実験を通じ,過去数十年間に起きた悲しい出来事を繰り返さないために努力する日本人の取組を確認した。
 気象庁訪問において,ラ・トリブナ紙は,再現された地震と津波を体験した。防災に関する教育センター訪問においては,防災に関する知識や地震発生警報アラームを体験した。地震がほとんどないホンジュラス等中米諸国人にとって,同アラームは不気味なものであった。
 ホンジュラスを中心とした中米に対する日本の防災関連支援は,JICAを通じて行われる。1998年にホンジュラスを襲ったハリケーン・ミッチからの復興への支援等,JICAは,コミュニティーの能力強化や経済インフラを含む防災システムの構築に資する支援を続ける。

掲載日:

1月11日付:

媒体名(国名):

バンコク・ポスト紙(タイ)
タイトル:
外交の舞台に立ち 別ウィンドウで開く

執筆者(発信地):

佐渡島大使インタビュー記事

 佐渡島大使は,タイ赴任に際し,5つの政策目標を掲げた。
 (ア)産業の高付加価値化への協力,(イ)研究開発・人材育成への協力,(ウ)質の高いインフラ整備への協力,(エ)ビジネス環境の改善,(オ)当部臨海工業地帯における領事業務体制の強化,である。観光と人的交流も重点目標である。タイでも時々報道される,訪日タイ人の好ましくない振る舞いについて質問したところ,大使は,日本人はタイ人観光客を歓迎しており,タイのメディアが取り上げるほど問題は深刻ではないと述べた。大使の故郷の福岡では,タイ人観光客の増加に伴い,街の標識にタイ語を併記する案が出ているそうである。
 大使は,日タイの既に強固な関係を,更に次のレベルまで引き上げることが使命だと語り,「全ての子ども達を一同に育てれば,世界の紛争は無くなる,という言葉を聞いたことがある。子どもは偏見を持たない。相手との違いを認識し克服していく。大人もそうなれるはずである。一朝一夕にはいかないが,日タイ両国もアユタヤの時代から関係を築いてきた。更に緊密な関係を深めていけるはずである。」と述べた。

掲載日:

1月17日付:

媒体名(国名):

エル・ディアリオ・デ・オイ紙(エルサルバドル)

執筆者(発信地):

マリクリス・デ・ラ・オ記者

 ヒロシマが史上初の原子爆弾被爆を被ってから70年以上経った。70年間は木の1本も生えないと思われたにも関わらず,ヒロシマ市は今や(被爆の)克服と人類平和の好例となった。
 人口116万人を擁し,ヒロシマ市は商業的に繁栄した都市であり,その中心街は相生通りである。また,平和記念公園があり,そこには平和記念資料館があり,同資料館の原爆犠牲者記念国立平和室は世界平和と核兵器廃絶のメッセージを流布することを目指している。
 生存者の一人であるキシダ・ヒロコさんは,1945年8月6日に原爆が爆発し何千という人々を殺したことについての記憶を分かち合っている。原爆の歴史を直接語れる生存者はどんどん少なくなっているから彼女は目標である終身の語り部となっている。

掲載日:

1月19日付:

媒体名(国名):

アルハヤート紙(サウジアラビア)
タイトル:
ハヤート紙に対して日本大使,サウジの繁栄は中東地域の安定に重要

執筆者(発信地):

奥田駐サウジ大使インタビュー

 奥田紀宏・駐サウジ日本大使は,2聖モスクの守護者サルマン国王が国王に就任しての1年は,国内外の事項において顕著な成果を達成したと述べ,サウジの安定と繁栄は,中東地域及び世界の安定に重要であると強調した。また,奥田大使は,中東地域が直面する課題に対処するため,日本はサウジ及び中東の国々との協力強化を望んでいる旨を述べた。
 奥田大使は,特にサウジ人の若い世代を対象として,日本はサウジ人の人材育成への継続した努力を行っていると述べつつ,サウジ国内で活動する日本企業によるサウダイゼーションの推進に力を入れていると説明した。また,国際協力機構が,サウジで40年に亘って業務を行っており,公的機関に勤務する2000名以上のサウジ人職員が,これまでに日本で訓練を受けた旨を付言した。
 奥田大使は,2015年は日・サウジ外交関係樹立60周年にあたり,この長い年月を経て,政治,経済,文化の分野において,二国間関係が深化したと述べた。近年は,2013年に安倍総理大臣がサウジを訪問し,サルマン国王(当時皇太子)は2014年に日本を訪れている。また,両国は,60周年を記念する行事を数多く開催し,その中でも,5000人以上のサウジ人が演武を楽しんだ,昨年11月の日本武道代表団のサウジ公演は特筆すべきものであった。

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