平成19年8月21日
於:インド・インターナショナルセンター
(英文はこちら)
お集まりの皆様、わたくし本日ここに来ることができて、わたくしの好きな映画をご覧に入れられますことをとても嬉しく思っています。
といってもわたくし、ここがどこの国で、一体どなたに向かってお話ししているのかを存じております。インドの皆さんというと、何しろ世界でも名だたるシネマ愛好家ですから。
もうそうなりますと、勇気をふるって皆様にチャレンジしてみるよりありません。日本人だって、映画好きです。皆様には、ほんのちょっと負けているかもしれませんが。
お目にかけたい映画を数本、お持ちしました。ここに昨日来られた方は、きっと猫型ロボットのドラえもんが、キュートでフレンドリーだと思われたはずですし、フラダンスを踊る女の子たちも、大喝采ものだと思われたに違いありません。
関係の皆様に、わたくしからお礼を申しあげたいと思います。とりわけ国際交流基金の皆様には、今度の会を催すに当たって大変お世話になりました。
会場の皆様、どうかお忘れになりませんよう。大きくなったニューデリーの国際交流基金には、日本文化センターという施設があります。まだできて1年で、場所は、ビクラムホテルの近くです。ここが皆様と、それから文化を愛するインドの方々すべてにとりまして、良い待ち合わせ場所のようになればいいなというのが、わたくしの願いです。
皆様、これからお目にかけますのは、わたくし見る度、なつかしい、旧き良き1950年代へと、引き戻されるような気持ちにさせてくれる映画です。
「ALWAYS三丁目の夕日」、英語ではAlways Sunset on Third Streetという題名です。
映画は上手にCGを使って、1950年代の東京を再現しています。
舞台は戦後13年目。再建真っ盛りの東京です。
1945年の3月と5月、東京を襲った焼夷弾の激しい空襲は、10万人を超す犠牲者を出しました。その多くは女性と子供でした。東京は灰燼に帰し、一面の焼け野が原になったのです。
それなのに、この映画に出てくる東京の人々が希望に満ち、楽天的なことといったらどうでしょうか。みんな、上を向いて歩いています。
その視線の先、空中高く、東京タワーが見えています。まだ半分しかできていません。でもまるで日本自身の再生を象徴するように、上へ向かって伸びています。もっと遠くに、夕日が今しも沈むところです。三丁目に住む善良な人たちの営みを、夢と希望を、愛、そして涙を、幻想の色オレンジの柔らかい光に包みながら。
「ALWAYS三丁目の夕日」に出てくるのは、そんな期待に満ちた時代の小さな横丁です。鈴木さんという一家が出てきます。スズキ、というのは、日本でいちばんたくさんある名前の一つなんですね。その鈴木さんの、小さな自動車修繕工場。六子(むつこ)というのは、田舎から就職しに出てきたティーンエイジャーです。飲み屋のおかみはヒロミ。生活が、なんとかならないかなと思っています。竜之介(りゅうのすけ)は駄菓子屋の店主ですが、実は小説家志望です。こんな人たちが、三丁目に住んでいます。
三丁目の人たちは、なにかを信じていました。明日がきっともっと明るくなるのを信じ、互いを信じ、なにより自分たち自身を信じていました。
こんなふうにして、日本人は歩みを始めたのです。よりよい生活へ向かっての、デモクラシーと繁栄へ向かっての歩みを、このようにして始めたのでした。
この映画は、昨年、日本アカデミー賞14部門のうち、13部門を総なめにしました。原作はベストセラーのマンガです。
一つだけ心残りなのは、わたくしの夫がいないことです。この映画は、夫がとても好きな作品の一つです。素朴な子どもの頃のことを、夫はこれを見ていて思いだすようです。自分が皆様に紹介することを、夫は楽しみにしておりました。
ともあれ皆さん、どうか皆さんを、無垢なうちにも懐かしい、三丁目の夕日が描き出すあの楽天的な日本へと、ご招待させてください。
どうぞお楽しみに。有難うございました。