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第1章 ザンビア共和国概況



1.1 社会概況

(1) 国土

 ザンビアは、南部アフリカの中心部に位置し、コンゴ民主共和国、アンゴラ、ナミビア、ボツワナ、ジンバブエ、モザンビーク、マラウイ、タンザニア、の計8カ国と国境を接する。国土面積は我が国の約2倍の74万3400km2である。首都のルサカは国の中心からやや南西に位置し、人口葯200万人に達する都市である。この他にも、銅生産の中心地である銅鉱州にキトウエ(約34.8万人)、ンドラ(約90万人)といった街や、ビクトリア滝を挟んでジンバブエと国境を接するリビングストン(約8.3万人)といった街などがあるが、国土の相当部分は未開発のまま残されている。
 熱帯性気候に所属するが、国土の大半が高地であるため比較的過ごしやすい気象条件である。季節は大別して3つに分けられ、5月から8月までの涼しい乾期、9月から11月までの暑い乾期、12月から4月までの暑い雨期から構成される。北部では比較的降雨が豊富で年間1400mmの降水量があるが、南部では降雨が少なく年間800mmの降水量しかない。

(2)人

 ザンビアの総人口は944万人(1997年世銀推計)であり、南部アフリカ諸国の中では中程度の人口規模を持つ国である。1世帯あたりの平均人数は約5人、人口増加率は2.8%(90-97年世銀)と高い水準となっている。
 ザンビアはアフリカの国々の中では比較的都市化の進んだ国であり、総人口の約43%が都市部に居住している。国民の大部分はバンツー系であり、部族にはトンガ、ニャンジャ、ベンバ、ロジをはじめ73部族がある。しかし、他のアフリカ諸国と異なり、部族間対立は余り表面化していない。公用語は英語であるが、その他約80の言語が用いられている。主な宗教はキリスト教であるが、その他の伝統宗教も存在する。ザンビアの人々は総じて温厚である。

(3)生活

 ザンビアの一般庶民の生活は極めて貧しい。人口の98%が1日2ドル以下の生活をおくっているといわれる。都市部ではかなりの貧しい人々がコンパウンド(従来は不法占拠地区であったが、その後政府が合法的な居住地区として認めた地区)もしくは不法地区に住み着いているが、そこでの失業率(定職を持たない人の割合)は約8割に及ぶ。また、コレラが大量発生するなど、衛生状況も劣悪である。一方、農村部における人々の生活も苦しいものである。定期的におこる旱魃により主食であるメイズが不作になる年には、食料供給が不十分になることも多い。また、医療機関や学校といった公共施設へのアクセスも悪く、ベーシック・ヒューマン・ニーズ(BHN)が満たされていない状況下にある。

1.2.  政治概況

(1) カウンダ(UNIP)政権 (1964-1991)

 1964年英国から独立したザンビアは、UNIP(統一国民独立党)のカウンダ党首を首相とし自治政府を発足させた。UNIPは、1972年になると憲法を制定し一党制を確立させ、中国などと緊密な関係をもちながら、社会主義路線を進めていくこととなった。
 UNIPは、国家理念として、「万人への無料医療の普及」、「万人への無料教育の普及」を掲げ、保健施設や学校を意識的に農村部へと配置した。また、輸入物資に高い関税をかけることにより、工業部門の育成を試みた。農業部門においては、肥料の無料配布、補助金政策などによって農家を保護し、主食であるメイズの生産拡大と自給を目指した。
 こうした社会主義路線が計画された1970年代初頭は、ザンビアの主輸出品である銅の国際価格が高く、生産量も多かったため、良好な国際収支状況を維持することができていた。しかし、1970年代の中盤に入ると、銅価格が暴落し国際収支が悪化するにつれ国家財政の運営が難しくなっていった。
 1983年、対外債務返済不能に陥ったザンビアは、IMF・世銀の構造調整プログラムに入ることとなった。しかし、その後、ザンビアとIMF・世銀は構造調整のコンディナリティーに関してしばしば対立をすることとなる。1986年には、構造調整プログラムのコンディショナリティーの一環として実施されたメイズの補助金政策の見直に対し騒乱が発生したことに端を発して、UNIP政権はIMF・世銀の構造調整プログラムから離脱し、一時、独自の経済再建計画を試みることとなる。しかし、積み重なる債務負担の圧力に耐えきれず、1990年には再びIMF・世銀へ支援を要請することとなった。

(2) チルバ(MMD)政権 (1991-現在)

 独立以来、26年に渡って政権の座にあったカウンダ(UNIP)政権は、ドナーからの要請により複数政党制への選挙を余儀無くされた。1991年選挙が実施され、政権交代が実現し、複数政党民主主義運動(MMD)のチルバ党首が大統領に就任した。この政権交代はスムーズに実施され、当時、アフリカにおける民主化のモデルケースと高く評価を受けた。
 チルバ大統領は、就任後、IMF・世銀の支援の下、経済自由化政策を積極的に推し進めた。しかし、経済状況は思うように好転せず、また、現職閣僚を含む麻薬・汚職問題が露呈するにつれ、国民のMMD新政権への期待は低くなっていった。こうした状況下、カウンダ元大統領が94年に政界復帰宣言をしたため、チルバ大統領は、96年5月、憲法改正を行い、カウンダ氏の出馬資格を剥奪した。このようなMMD政権の対応に対し主要野党がボイコットを表明する中、MMD政権は同年11月選挙を強行した。MMD政権はこの選挙において大勝をおさめたものの、ドナーとの間にガバナンスの問題に関して強いしこりを残すこととなった。2001年、再び選挙が実施されるが、この選挙が適切な形で実施されるかが、ドナー間では強い関心事となっている。

1.3. 経済概況

 1990年代に入り、ザンビアは経済の自由化を急速に進めたため、現在は南部アフリカ地域においても最も経済の自由化が進んだ国となっている。為替は、1993年に、完全に自由化されており、金利も同様である。産業構造は、銅とコバルトを中心とした典型的なモノカルチャーであったが、農業部門を中心に近年漸く多様化がみられるようになってきている。季節が逆になることから、花卉や一部の野菜がヨーロッパへと輸出されるようになっている。こうした明るい材料があることも事実であるが、依然として国家の財政状況はおもわしくなく、必要最小限の公共サービスを提供するための歳出を国内の歳入からのみでは賄えない状況下にある。同国では、歳入の21.92%(1998年)を援助に依存しており、ドナーからの支援なしには財政運営を続けていくことは難しい。

(1) 経済状況

 1990年代前半の経済成長は芳しくなくGDPのマイナス成長が続いたが、後半に入ってからは1996年6.50%、1997年3.5%、1998年 -1.97%、1999年1.2%(予測値)、と1998年を除いてプラス成長となっている。産業構造は、卸売部門が全GDPの16.81% と最大のシェアをもち、農業部門の15.09%がこれに続く(1998年)。この他では、工業部門10.80%、鉱業部門10.70%等が主な産業となっている。貿易に関しては、主な輸出品は銅とコバルトであり、それぞれ総輸出額の49%、18%を占める(1998年推計)。しかし、近年、農産物を中心とした非伝統輸出品の輸出が伸びてきており、ザンビア政府も産業の多角化と貿易収支の改善のために、これらの品々の輸出に力をいれている。一方、主な輸入品は、鉄鋼部品(20.8%)、肥料(5.2%)、石油(7.7%)、メイズ(10.6%)、となっている。加工品の多くは主として南アフリカから輸入されており、経済自由化後、この傾向はより一層強まっている。
 近年、マクロ経済運営に関しては改善が見られ、インフレ率は、1996年35.20%、1997年18.60%、1998年24.36%、1999年20%(予測)と大分安定してきている。しかし、為替レートは実体経済の脆弱さを如実に反映しており、現地通貨のクワチャは1993年の1ドル647.38クワチャから5年間で1ドル2,298.92へと相当な勢いで減価している。また、1990年初頭まで国内企業の多くが赤字経営であったため、国内金融機関の収支状況が悪く、貸出し金利は年率30%を遥かに超える水準となっている。従って、殆どの国内企業が国内資本市場から資金調達を行うのは難しい状況下にある。
 先に述べたとおり、ザンビアの経済政策の基本方針は自由化である。具体的には、公営企業の多くが既に民営化されており、最大の目玉であったZCCMの民営化も2000 年度に売却が決定している。アフリカ地域の経済自由化を計る地域協力機関(COMESA)にも参加しており、関税についても2000年10月に加盟国間で撤廃する予定である。また、公共部門改革も現在進行中であり、公務員数の削減を含め、公共サービスの全般的な見直しが実施されている。
 国家財政の運営は混迷を極めている状況であるといっても過言ではない。均衡予算を目指し歳出を極端に削減したため、1995-1997年の期間、一時的に歳入が歳出を上回り黒字経営となったが、これは社会サービスを含む歳出を大幅に削減した結果である。ザンビアの貧困状況を鑑みると、歳出をこのままの水準で維持していくのは難しいと思われる。一方、歳入に関して分析してみると、税収75.1%、税外収入2.98%、ドナーからの援助21.92%となっている(1998年)。今後、ザンビア政府は、直接税から間接税へ、供給側から需要側へと税源を移行していく予定であるが、市場規模及び徴税制度の不備等により税収が伸びていない。

(2) 経済成長の阻害要因

 以上のように、ザンビアは自由化を基軸に経済成長を目指しているが、これを実現していく上で以下の事項が阻害要因となると思われる。

  • 内陸国であるための高い輸送コスト
    ザンビアは南部アフリカに位置する内陸国であり域外に物資を輸出するためには、空輸か他国の港を利用するしかない。従って、近隣アフリカ諸国と比べて輸送コストがかさんでしまう。また、域内インフラの整備状況が悪いことや近隣諸国の政情が不安定であることなどが、輸送コストを一層膨らませる要因となっている。
  • 不安定な気象条件
    気象条件が不安定であり、安定的な農業生産を行うのが難しい。一方で農業部門が経済の相当なシェアを持つことから、国家の経済運営が気象条件に左右されるようになっている。灌漑などにより雨水のコントロールを行うためには相当な資本が必要であるが、現在のザンビアの財政状況ではこうした大規模な資本投下は望めない。
  • HIV/AIDSへの高い感染率
    アフリカ諸国の中でも高いHIV/AIDS感染率をもつ。都市部では人口の4分の1以上が感染しているとの報告もあり、極めて深刻な状態である。生産活動に従事する世代がHIV/AIDSにより亡くなるため、労働者1名あたり3名の人員訓練を行わなければならず多大な経営負担となっているとも伝えられる。また、今後、HIV/AIDS孤児が急増すると予想されており、このままでは相当な財政負担になると考えられる。
  • 脆弱な行政組織
    行政組織が脆弱であり、特定の地位のスタッフがいなくなると事業の実施に支障をきたす状態である。また、公務員の給与水準が低く、優秀なスタッフを集めることが難しい。
  • 重債務
    ザンビアの対外債務は大きく、債務返済の困難性を示す際、一般的に用いられる指標のデッド・サービス率(債務支払額/輸出額)は30%に達している(1996年)。1980年来、ザンビアは度重なる債務救済措置を受けてきたが、現在もIMF・世銀が主導となって進めている新しい債務救済イニシアティブ(HIPCイニシアティブ)の適用を申請している。このイニシアティブが適用されると、ストックベースで相当な債務が減免される見通しであるが、それでもザンビアの債務問題を楽観視することは出来ない。この理由として、政府が債務支払いに予算の20%近くを歳出し、国内債務の負担が大きいこと、ならびに、貿易収支を改善する産業がまだ国内に育成されていないことの2点が挙げられる。

1.4 ザンビア支援の意義

 ザンビアを重点援助国として取り上げる理由として、我が国のODA白書では、ザンビアが、(1)アフリカ統一機構(OAU)等の有力メンバー国の一つであり、また南部アフリカ地域において指導的な立場にある国であること、(2)世銀・IMFの支援の下、金融関連規制の自由化、公企業の民営化、各種統制価格の廃止等の構造調整を積極的に推進していること、(3)銅、コバルト等鉱物資源の供給国として我が国にとって重要であること等が挙げられている。
 これらの理由に加え、以下の点もザンビアを重点国として取り上げ支援していく理由となろう。

(4)地勢的重要性

 ザンビアは、南部アフリカの中心に位置し8カ国と国境を接するため、ザンビアの政情が不安定化すると域内の資材の流れに大きな支障をきたす。従って、ザンビアに援助を行うことは域内の安定化と活性化のために有意義である。

(5)政治的重要性

 ザンビアは周辺諸国と良好な関係を保っており、また、アンゴラ、コンゴ、モザンビーク、といった紛争国の和平プロセスの仲介役として貢献している。こうしたザンビアの役割は近隣諸国からも評価を受けている。従って、ザンビアへの支援は南部地域への政治的側面からも重要である。また、ザンビアのこうした姿勢は我が国が求める平和主義の理念と一致する。

(6)経済的重要性

 南部アフリカ諸国において、経済の自由化を積極的に押し進めている国であり、域内の経済自由化(COMESA)の推進役としての貢献が期待される。

(7)食料供給

 ザンビアは農業部門に多大な潜在的可能性を持つ国である。従って、ザンビアへの支援は、しばしば食料が不足するアフリカ諸国への食料の安定供給といった広域的視点から意義が見い出される。

(8)親日的

 過去20年以上に渡り、計1000人を超える専門家及び青年海外協力隊員が派遣されており、人々と長く良好な関係が構築できている。

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