5-1パレスチナ援助の特殊性
1993年9月に始まる「パレスチナ暫定自治」が発足して以来、5年が経過した。当初考えられていたパレスチナ暫定自治のスケジュールによれば、99年4月には暫定期間が終了し、占領地の恒久的地位確定が行われるはずであった。しかし、ラビン首相の暗殺の後政権についたネタニヤフ政権下では暫定自治交渉が停滞し、恒久的地位の確定問題は先送りにされてきた。その後99年6月になってバラク政権が成立すると、暫定自治拡大への取り組みにイスラエル、パレスチナ双方に歩み寄りの動きが出てきた。このような政治的な環境の変化のなかにあって、援助国・国連・国際機関はアドホック連絡委員会を軸にした対パレスチナ国際支援体制のもとで、さまざまな援助を展開してきた。こうしたなか、日本は6回アドホック連絡委員会のホスト国として、これまでの援助を点検しつつ今後の援助の在り方を検討する作業に入った。
本稿ではこのパレスチナ援助検討作業に資する目的で、日本の援助に焦点を絞って検討するものとする。
パレスチナに対する援助を考えるに当たって、いくつかの基本条件を確認しておく必要がありそうである。パレスチナに対する援助を開発援助の概念から見るとき、一般的な開発援助の枠組みにはない特殊性が読み取れる。
その一つはパレスチナがまだ暫定自治の地位にあるということである。このような国家体制が不安定な地域に対する援助の在り方については、最近議論がされ始めたが、国際政治上の目的はともかく、普通開発援助の効果を考えようとすれば、被援助国の政治的不安定は援助の効果を計りにくくする要素であることは間違いない。
その二はパレスチナはこれまで歴史的にも国家経営の経験をもたず、将来自治が達成された場合、パレスチナ人は、近代初めて国家経営に取り組む事になるということである。戦後の独立国の多くはかつて植民地だったが、多かれ少なかれ植民地統治下において宗主国の統治手法を学んでおり、独立後はその統治手法を応用している国が多い。パレスチナの場合、歴史的にはシリア、エジプト、トルコの影響を強く受けており、法体系や各種制度面ではジョルダンの影響も混在していると指摘される。
その三は伝統的にパレスチナ人はモビリティが高く、教育水準も高い人が多いことである。多くの開発途上国が国内において有能な技術者や官僚など人材が不足しており、頭脳流出にも悩まされている事に比べて、パレスチナは受け入れ機会さえあれば人材は豊富とのことであり、さらに歴史的にも周辺アラブ諸国や先進国で活躍する人材が多いといわれる。
1) パレスチナ暫定自治の実態
現在パレスチナ暫定自治政府のもと、さまざまな開発支援が展開しているが、開発の効果を一層高めようとすれば、開発を統治し、効果的に経営するという条件がどのような状況にあるかを見ておく必要がある。ここでは統治の範囲(地理的範囲と権限の内容)と法の運用における自由裁量権という視点にたって見ることにする。パレスチナの暫定自治の内容は大きく見てこの3つの要素において大きくイスラエルの制約を受けているからである。
まず統治の地理的範囲をみると、ガザ地区は大半がパレスチナ自治区になっているが、農村部のところどころにはイスラエル人入植地が作られており、そのなかは当然パレスチナの自治は及んでいない。また西岸地区ではA地区、B地区、C地区に分けられており、Aは完全自治、Bはパレスチナ・イスラエルの共同統治地区、Cはイスラエル統治地区とされる。
A地区、B地区は都市部を中心に点在しており、面としての地域を形成していない。基本的に飛び地である。C地区は西岸全域に広く広がっていて、西岸の大半をカバーしている。さらに大きく見れば、パレスチナはガザ地区と西岸地区に2分されており、開発上大きな障害となっている。
このような地理的統治範囲を見ると、これがパレスチナの自立発展的な開発を大きく疎外している事は明らかである。拠点間の自由な移動が保障されず、行政サービスの普及も阻害されざるをえない。都市と農村は互いに孤立しており、経済的、社会的にも交流が制限されている。このような状態が今後とも永く続くとすれば、パレスチナの自治は形骸化し、イスラエルに対する依存関係をさらに深めていくことになろう。平和の配当がパレスチナの自立的発展を目指すのであれば、地理的な統治範囲の統合という問題は避けて通れない問題の1つである。オスロ合意においても西岸とガザを結ぶ幹線交通網の建設が将来の可能性として検討されている。これに関連して、もし将来和平合意が一層の進展を見るとすれば、中長期的には西岸・ガザを一体的に結ぶ全国国土交通網の整備が考慮されなければならない。
次に自治権限の範囲を見ると、行政権と治安維持権が一体的に委譲されている地区(A地区)、分離されているところ(B地区)、両方とも委譲されていない地区(C地区)にわかれている。しかも行政権が与えられていても、実際の開発行為に関してはイスラエル政府当局との協議を必要とする事が多く、いわば許認可権がイスラエル政府の手に委ねられている状態である。特に水資源利用、電力開発、港湾建設、道路建設といった基盤的施設の整備にはさまざまな検討委員会がパレスチナとイスラエル政府の間で設けられており、この委員会の承認を得なければ一切の開発が制限されている。水資源に関する開発問題に至っては7から8以上の委員会の承認が必要とされており、事実上パレスチナ側の自治権は行使できないとのことであった。その反面、西岸地区においてC地区の範囲は徐々に解除の方向にあり、2%程度の面積がA,B地区へと転換しつつある。さらにC地区内であっても、いくつかの道路に関しては管理補修がパレスチナ側に移管されることになっている。このように縦糸と横糸が織り成す規制の網は和平の進展を睨みながら、極めて慎重に運用されていることがわかる。これを解きほぐす作業が容易でない事はいうまでもない。基本的には時間と信頼の醸成を待たなければならないが、言い替えればこれが和平の配当の一つともいえよう。ただ少なくとも国際機関はその役割として、パレスチナ・イスラエル開発委員会運営の簡素化や手続きの簡素化に向けた調整役を果たしうることが期待されるし、またそのために開発資源の実態調査や利用実態の公開に向けて、一層のイニシャティブを取ることが期待されていいであろう。
2) 新たな国家経営への取り組み
パレスチナの歴史は古くまた複雑である。地名としてのパレスチナは古代ローマ、ギリシャ時代から使われており、ジョルダン川西岸地域に対して広く使われるようになったのはビザンチン時代からといわれる。その後ダマスカス王朝、エジプト・マムルーク朝を経て、1516年から第1次大戦まではオスマン・トルコの支配下にあった。そして第2次大戦後48年にイスラエルが建国されてから、これに対抗する形でパレスチナ国家樹立の動きが高まった。その意味で、パレスチナという地名は古くからあったが、パレスチナという統一国家はこれまでに作られたことがなく、統一的な国家体制を共有したパレスチナ人という共同体はなかったところに、新たに近代国家の建設に取り組むことになったといえる。
現在のパレスチナは、この永く複雑な歴史を色濃く反映している。パレスチナの地域社会は歴史的に農業をベースにした都市型社会を形成してきたが、今日パレスチナの総人口約220万人のうち、100万人はパレスチナ難民としてジョルダン、シリア、レバノン等中近東諸国に居住している。さらにこのほかに就業機会を求めてクエートやジョルダン等湾岸諸国で働くパレスチナ人が少なくない。湾岸戦争時、ガルフ諸国から帰還したパレスチナ人だけで27,000人に達したと報告されている。この在外パレスチナ人が送金する金額はGNPの30%に達すると見られている。
こうして見ると、パレスチナ自治を支える人的リソースは、国内パレスチナ人、在外パレスチナ人、そして難民パレスチナ人という各々社会経済基盤の異なる3つのグループからなる、ということになる。このうち難民パレスチナ人は日々さまざまな生活支援を必要としているグループであり、当面直接自治政府の行政を支え、民間経済を支える企業の指導的な役割を担う人材としては、国内及び在外のパレスチナ人グループに属するものに頼らざるを得ないであろう。事実パレスチナ暫定自治政府の中心的官僚のなかには少なからず、海外留学パレスチナ人、帰還パレスチナ人が登用されている。
このような枠組みを前提とした自治体制の確立を考えるに当たって、注意を払うべきはパレスチナ人の地域コミュニティの体質である。歴史のながい地域社会に共通する事だが、地域社会の伝統的な指導者を軸とした社会構造は利益誘導が特定な構成員に集中することがあり、個人的平等の考えに基づく公平な社会的利益の配分が阻害されることが起こりうる。パレスチナは宗教的にはイスラム教徒、キリスト教徒を含むものであって、自治政府が両者の共通利益を保障するような社会的枠組みを用意することを必要としている。特に暫定自治が定着し、地方自治体制の確立が求められてくるようになると、パレスチナにおけるグッド・ガバナンスの在り方の議論はより現実的なものとなってこよう。
3) 個人的能力の高いパレスチナ人
すでに述べたように、パレスチナ人のなかには技術者として、行政官として、学者として、文学者として、また企業家として有能な人材が少なくない事は一般の開発途上国と比べたとき、特筆に値する点であろう。彼等はヨーロッパ、アメリカ等で学位を収めたものばかりではなく、エジプトやトルコなどアラブ圏で高い学歴を収めたものも多く、当然幅広い人脈を持っている。このことはイスラム教徒であっても思考形態は西欧的な教養に支えられて、良くいえば個人主義的であり、悪くいえば自己中心的な発想にたつ人格を形成する傾向にあるといえる。これを国民性という観点から見ると、同じパレスチナ人としての郷土愛的な共感はあるにしても、国民国家的な意味での愛国心を曖昧にしている傾向がみられる。この心情はイスラエルに順応するパレスチナ人にも見られるとの指摘がパレスチナ人文学者の間の議論の中にかいま見ることができる。これはあるいは国際化した人間に共通する点だと言うことができるかもしれない。この傾向は被援助国として援助の受け取り方にも時に発現する。援助を自立に向けた経過的措置と考えるのではなく、持てるものが持たざるものに対する当然の行為と見なし、自治政府自立へ向けた展望のシナリオを描ききっていない点が1例である。自治政府の財政基盤が不安定で脆弱な事は自明であるが、そのなかで難民問題にどう主体的に取り組むか、財政基盤強化にどう取り組むかなどさまざまな課題に対して、国家経営に取り組むパレスチナ人としての姿勢は単に行政能力にとどまらず、文化的な背景との関わりを無視できないものと考えられる。
このことを援助する側の立場に立って解釈すれば、時間的枠組みはともかくとして、パレスチナ援助に関する中長期的展望を提示する事によって、パレスチナ政府の自立に向けたシナリオ造りを側面から支援する事が期待できる。特に世銀やUNDP等国際機関はこうした作業に十分対応できる能力を有するものである。
5-2. 次期5ヵ年に向けた援助の重点
パレスチナ暫定自治政府はドナーの援助を受けて1997年12月、1998-2000年を計画期間とする第1次パレスチナ開発計画を立案し、1999年1月には1999-2003年を計画期間とする第2次パレスチナ開発計画を策定した。そのなかに提案された開発の重点分野は、
1) | インフラの開発:運輸・交通、通信・情報システム、水資源開発、エネルギー開発、環境保全、汚水処理施設、廃棄物処理、住宅等 |
2) | 組織・制度の構築:法的制度の構築、民主化支援 |
3) | 社会・人的資源の開発:教育、保健・医療、WID、青少年活動支援、文化支援、人道援助、難民支援、等 |
4) | 産業開発:観光、農業、工業、等。 |
これに対して我が国援助の有望な分野は、インフラの整備、統治機能の強化、人的資源開発、有望産業セクターへの支援、環境保全等と考えられている。
1)インフラの整備:
(1) | 全国的な交通体系の在り方を検討した上で、当面必要な西岸・ガザ地区における基幹交通網の整備、都市内道路体系の整備、農村部道路体系整備、さらに西岸とガザ地区を直接結ぶ高速道路計画等の分野 |
(2) | 上・下水道整備とリサイクルを含む水資源開発整備の分野 |
(3) | エネルギー・電源開発の分野 |
(4) | このほか、問題があれば通信・情報システムの整備も視野にいれてよいものであろう。 |
2)統治機能の強化:
(1) | 統治機能の実行性は特に行政機能と司法機能の双方が有効に働く必要がある。法制度の整備、財政システムと伴に、司法に関わる警察システムの整備や遠隔僻地への救急システムの整備も考慮されてよい。 |
(2) | 開発的能力を高めるために、徴税システムの確立・整備が欠かせない。また地場産業育成や企業活動の活性化に向けた支援・投資促進制度の整備も重要であろう。 |
(3) | 将来を見据えると、地方自治行政の整備に向けた準備を視野にいれることが望まれる。 |
3)人的資源の開発:
(1) | 教育分野に関しては、学校施設などのニーズに加えて、理数科教育の総合的な整備が望まれる。 |
(2) | 職業訓練としては、広い分野で中堅技術者の育成が必要とされる。 |
(3) | 保健医療分野では地域医療システムの整備とともに、地域保健医療従事者の不足が指摘されている。 |
(4) | これに加えて、特に無償協力による医療機械の操作・保守・管理に関する技術者の要請が求められる。供与器材の活用上効果のある分野であろう。 |
4)産業の育成:
(1) | 当面有望な産業としては観光産業の育成・振興が考えられる。歴史的・文化的遺産や独特な自然景観があり、資源ににめぐまれている分野である。 |
(2) | 都市型産業としては工業・サービス業があるが、地場のものとしてはいずれも零細なものがほとんどである。その近代化のためには各業界別の同業組合の組織化が有効であろう。 |
(3) | 農業は基本的に節水型農業であり、小規模営農を軸とした農家の組織化と農業の近代化を計る必要がある。 |
5)環境保全:
(1) | 環境汚染への対策として、地下水の汚染と塩水化への対応と都市廃棄物処理システムの整備が急務である。 |
(2) | 乾燥気候下の自然環境の保全とガザ地区沿岸部の海水汚染問題が取り沙汰されつつある。 |
5-3まとめ
まとめとして、中長期の援助課題について考えて見たい。
<援助の枠組みと政策分担>
これまで我が国によるパレスチナ支援の枠組みは大きく、国際機関への資金拠出と二国関援助による無償資金協力、草の根無償、技術協力、選挙協力であった。過去5年間の援助をみると、各援助機関による援助は自治暫定合意直後ということもあって、援助側の思料から援助対象が選定されていた感が否めない。しかしこれも98年以降パレスチナ開発計画が立案されるに至って、援助機関の間での調整も進み始めたという全体状況が見えてきた。
しかしもう一歩進めてパレスチナ問題の特殊性を考慮すれば、国際機関のパレスチナ情勢への関与と二国間関係から見たパレスチナ情勢への関与とは質的な違いがあるように見える。たとえば二国間関係のもとでは内政干渉とも取られる事象のなかには、国際機関の立場にたてば内政干渉にならないものもあるであろう。特にパレスチナ当局とイスラエル政府の開発協議の簡素化や、パレスチナ当局の援助からの自立のシナリオづくりへの支援といった分野は国連機関のイニシャティブに期待したいところである。
もしそうだとすれば、今後の5年間の援助調整においては、援助分野の分担に加えて、援助効率を高めるための周辺環境改善として何が出来るか討議されることが求められる。
<難民問題>
パレスチナ難民が発生してからすでに半世紀以上の時がたって、第2世代、第3世代の難民が生まれている。パレスチナ自治が実現したとしても、これら難民の全員が帰国するとは考えにくく、難民のなかには難民から移民という立場に移行するものがでてくるはずである。そのときの受け入れ国の支援策や援助機関による援助支援の在り方についても長期的には議論されるべき時期が到来するのではなかろうか。長期にわたる難民支援の結果、なかには難民受入国の国民貧困層の問題が顕在化してきた国もある。周辺難民受け入れ国における貧困対策支援といった課題が新たに浮上してくる可能性を否定できない。また長期的には、UNRWAのあり方の変化も視野に入れておくべき課題である。パレスチナ暫定自治政府・準国家・国家が成立した時点で、UNRWAは当初の目的を終了するからである。
<パレスチナの経済的自立のシナリオ>
パレスチナの国家主権を高め、経済的な自立を計るために引き続き援助が求められるが、援助国の援助予算が縮小傾向にあり、なおかつ新たな援助需要国が発生してきている状況のなかで、長期的にはパレスチナ自身が経済的な自立のシナリオを描くことが求められてこよう。このシナリオを確かなものにするためには周辺国を含むマクロな経済環境を安定させるとともに、パレスチナ国内のミクロな地域組織の確立と近代化が欠かせない要素である。