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はじめに

行政の説明責任、透明性、効率性などが国民から広く求められようになってから、行政機関の評価体制は年々、強化されている。

そうした中でも政府開発援助(ODA)に対する評価は、1975年に事後評価がはじまるなど、他の行政評価に比べ、かなり早くから実施されてきており、一歩先んじた存在ともいえる。

これまでODAは、外務省、国際協力機構(JICA)、国際協力銀行(JBIC)などによって政策レベル、プログラムレベル、プロジェクトレベルと多層にわたる評価が実施されてきた。しかし、まだ第三者による評価など本格的な評価の手が入っていない分野もいくつか残されていた。専門家派遣、個別の青年海外協力隊などがそうした未着手の分野だが、もう一つ、手が付けられていなかったのが、国際緊急援助活動だ。

わが国の国際緊急援助は、1987年に施行された「国際緊急援助隊の派遣に関する法律」(国連平和維持活動協力法の施行で92年に一部改正)に基づいて実施されており、同法において日本の国際緊急援助活動は、国際緊急援助隊(JDR)の派遣、物的援助、資金援助の3つが柱になっている。その中心にあるのは、言うまでもなくJDRの派遣だ。JDRは、救助チーム(被災者の捜索・救助、応急措置)、医療チーム(被災者への診療、疫病の発生防止)、専門家チーム(災害の拡大防止、災害復旧支援)の3つからなり、災害の状況や被災国からの要請に応じて適宜、3つのチームを組み合わせて派遣するシステムがとられている。

JDRの活動は、内外のマスコミなどで大きく取り上げられる機会も多く、生存者の救出などの実績も挙げており、国民の関心も少なからざるものがあるが、第三者による外部評価のメスを加えられることはなかった。その理由として、緊急援助活動は、早期開始、早期終結の原則を重視しており、短期間で仕事を帰結させるという慣習が、派遣されたJDRが解散した後までの評価に結びつかなかったのではないかと思われる。

しかし、悪く言えば時には拙速でも、速さを求められる緊急援助活動こそ事後の評価が必要なものではないか。事後にゆっくりと、終了したタスクの本格的な評価を行い、今後は短い時間内でいかに早く決断して、しかも正確に支援活動を行うか、そのノウハウを蓄積して次の活動に繋げるフィードバックが、もっとも有効なエリアだとも言えるのだ。

他方、JDRの派遣の目的には人道的側面が強い。日本の派遣隊の活動が被災地・国の人々に残した印象がどのようなものであったか、などを知ることも重要な評価だ。被災者たちの気持ちは災害発生直後の混乱の中ではなかなか知り得ないが、災害復旧がひと通り収まって、被災者の心が少し落ち着いた時期なら、直接聞き取ることも可能だ。人々の心に日本の緊急支援活動がどう映ったかを調査することは、今後の国際協力活動をより効果的に実施するために極めて重要な資料となるだろう。

こうした課題を踏まえて今回、初めて緊急援助活動を第三者によって評価した。前述したように緊急援助活動には3つの柱があるが、今回は、その中心となっているJDRの活動を評価対象に絞った。

本報告書で取り上げたのは、1999年8月、トルコ西部で発生した地震に対する緊急援助活動(救助、医療,専門家チーム派遣)、同年9月の台湾地震への緊急援助活動(救助、医療、専門家チーム派遣)、2003年3月、ベトナムの重症急性呼吸器症候群(SARS)に対し情報収集・分析、感染防御体制などの助言を行った活動(専門家チーム派遣)、そして同年5月、アルジェリア北部で起きた地震に対する緊急援助活動(救助、医療、専門家チーム派遣)の4つのケースだ。

ベトナム、アルジェリアについては、2003年末から2004年初頭にかけて評価ミッションのメンバーが現地に足を運び、相手国政府の担当者、被災者、現地の日本大使館等から直接、ヒヤリングを行い、わが国の救援活動に対する現地の人々の生の声を聞く機会を持つことが出来た。

初めての試みである国際緊急援助隊の活動に対するこの第三者による評価が、今後もわが国の重要な国際貢献策として位置づけられるであろう、緊急援助の分野の活動に役立てば幸いである。



  2004年3月
杉下恒夫

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