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補遺1:インドネシアにおけるNGO

 今日のインドネシアにおいては、スハルト体制の負の遺産を清算し、政治改革・政治的民主化を基軸とする新しい秩序の構築が叫ばれている。それは具体的には、参加、自由化、民営化、地方分権、良い統治、法の支配、人権、市民社会、環境、人間開発、ソーシャル・セーフティ・ネット、ジェンダー、貧困緩和、オーナーシップ、パートナーシップ、透明性、説明責任等である。とりわけインドネシア「再生」の鍵を握るものとして強い関心を寄せられているのがNGOである。

 Muhammad AS Hikam は、“Non-governmental Organizations and the Empowerment of Civil Society”と題する論文において、NGOに対する過大評価を戒めながらも、1)社会における意思決定過程が、脱官僚化(debureaucratization) および地方分権化(decentralization) へと移行しつつある状況の下で、インドネシアにおいてNGOのはたす役割はますます重要になると多くの人が考えている。2)市民社会が依然として弱体なインドネシアのような開発途上国においては、NGOは市民社会を強化するうえで重要な役割を担うことが期待されている、と指摘している(in Richard W. Baker et al. eds.,Indonesia: the Challenge of Change, Institute of Southeast Asian Studies, 1999, p. 217.)。

 インドネシアにおけるNGOの生成・発展の軌跡、現状をSSIMPとの関連を念頭に置きながら、以下概観してみたい。

1.軌跡

 インドネシア語で、自助的共同体(self-reliant community institutions) を意味するLSM(Lembaga Swadaya Masyarakat)、あるいは、文字どおりの直訳でORNOP(Organisasi Non-Pemerintah) という呼称で知られるインドネシアのNGOは、歴史的にはその起源を伝統的なゴトン・ロヨン(gotong-royong) 組織、あるいはスバック(subak) 等に遡ることができる。前者は、公共施設(道路、橋、水路、学校、集会所等)建設のための共同無償労働や事故・災害の被害者に対する近隣住民による支援等、自発的な相互扶助を意味する。また後者は、本来、2次分水路を意味するが、転じてバリ島で組織された水利組合の呼称として用いられ、さらに派生して灌漑を軸とする農民組織を意味する。伝統的にインドネシアでは、その他にも宗教、教育、村落共同体の運営等に関わる組織が存在するが、それらはいずれも、1)小規模、2)緩やかな組織構造、3)地域に密着、4)エスニック・グループや宗教グループを基盤とする、5)最低限の生存志向、という特徴を有してきた。

 1920年代には、このような社会的土壌(風土)の下で、インドネシアにおける民族意識の覚醒と軌を一にしながら、数多くの社会・経済団体が設立された。それらは、今日のインドネシアにおけるNGOの原型を構成しており、そこには、1)近代的な教育を受けた中産階級出身の専門家をリーダーとし、2)都市を拠点に、3)様々なイデオロギーや目標を志向する多彩な人々から構成される、という特徴が存在する。またそれらのいくつかは、政党へと変貌していった。

 このような歴史的背景をもつインドネシアのNGOが、大きく飛躍を遂げるのは、1950年8月の独立(インドネシア共和国の再発足)以降、とりわけスハルト第2代大統領による「新秩序」体制が定着していった、1960年代から1970年代への移行の時期にかけてである。スハルト大統領が掲げた「新秩序」の構築は、外国からの資本および援助を積極的に導入し、成長志向開発戦略(Growth-Oriented Development Strategy)の推進を通じて、スカルノ初代大統領による「政治化」路線の歪みを解消しようとするものであり、その一環としてNGOの積極的活用が、政府の政策として大々的に推進されたのである。すなわち、「1973年の国策大綱以来、5年ごとの国策大綱で、政府が遠隔地の開発政策を重点項目とし、地元のNGOが開発政策に参加することを奨励してきた」(首藤もと子、「ASEAN諸国のNGO」、『駒澤大学法学部政治学論集』、第45号、1997年、12頁)からである。そもそも、そのような政府のNGO活用政策に呼応して、「各地で開発NGOが急速に出現し増加する伝統的社会基盤は(すでに)あ(り)」(首藤、同上、16頁)、またNGOにとっても、政府の開発政策に対する積極的コミットメントは、インドネシア社会の不均衡発展の是正、トップ・ダウン方式による意思決定過程の牽制、成長志向開発戦略の矛盾軽減等の役割効果を期待させるものでもあった。

 こうして1970年代初頭以降、NGOはインドネシア政府との緊密な連携の下に、農村開発、保健医療、住民組織育成、教育・技能訓練、小規模企業育成等の分野で活躍することとなり、NGOがインドネシア各地に誕生した。その主たる役割は、インドネシア政府(諸機関)、あるいはグローバル・ドナー・コミュニティが展開する開発プロジェクトの策定・実施に携わることであった。

 とはいえ、こうしたインドネシア政府とNGOとの間の、開発に特化した「パートナーシップ」は、1970年代末以降は微妙に変化していった。強力な軍部を軸とするスハルト体制の「制度化」は、インドネシア社会全体を硬直化させ、やがてインドネシア国民の間に閉塞感を蔓延させていったからである。NGO内部にも変革の気運、すなわち、NGOとしてのアイデンティティの再確認、政府との権力関係の再検討、参加の重要性の再認識等の気運が高まっていた。その結果、NGOはマクロ・レベルでの社会・政治問題に対して積極的に関与するようになった。こうしてインドネシアにおけるNGOの活動領域は、人権、環境、消費者保護、労働関係、ジェンダー・イシュー等、「政治化」への傾斜を深めていった(Muhammad AS Hikam, ibid., pp. 221-222)。

2.活動概況

 インドネシアのNGOの活動を、主として「首藤論文」、“Muhammad AS Hikam論文”、およびNon-Government Organizations and Democratic Participation in Indonesia(Philip J. Eldridge,Oxford U.P., 1995)、日本インドネシアNGOネットワーク(JANNI) 編集・発行の『インドネシアNGOダイレクトリー1996年』に依拠しながら概観する。

 インドネシアには多数のNGOが存在しており、その数は数千から数万ともいわれる。ただしその大多数は、県または郡以下のレベル(場合によっては村レベル)を主たる活動拠点としており、州レベル、複数の州にまたがり、全国規模で活動するNGOは限られている。

 約250にも及ぶ多様なエスニック集団から構成される2億人の国民が、ジャワ島は例外としても、東西5,300kmにわたり点在する無数の島々(群島)で生活を営んでいるインドネシアにおいては、文字どおり草の根レベルにおいて、小規模、少人数で、地域の個別ニーズの充足に当たることこそ合理的といえよう。それは、ある意味では、インドネシアの伝統的な歴史風土に根ざすものでもある。

 このような事情から、インドネシアを舞台とするNGOの活動に関しては、主観的(印象的)かつ断片的な情報が中心であり、実証的かつ体系的なデータはごく限られている。

 そこで、日本インドネシアNGOネットワークがアンケート調査(1995年実施)を中心として作成した『インドネシアNGOダイレクトリー』は、インドネシアで活動する171団体の調査結果が収録されている。インドネシアのNGOの特徴として次の点をあげている。

1)小規模:約90%が、20名以下の有給スタッフで運営されている。
2)財政難:約40%が、年間予算2,000万ルピア(約100万円)以下で運営(1994年度予算)されており、資金不足に悩んでいる。
3)多様性:活動分野は、農業開発(農業・畜産・漁業)、農村社会開発、保健医療、栄養、教育技能訓練、家族計画、住民組織育成、組合づくり、伝統文化・芸能の保存、先住民保護、女性の地位向上、労働者問題、都市貧困層支援、環境、人権等、多岐にわたっている。
4)急成長:約90%が、1980年代以降に設立されている。

 以上はサンプリングにより作成したインドネシアにおけるNGOの最大公約数的な特徴である。

 こうしたNGO以外に高度な専門性を保持するスタッフを数多く擁し、財政的に自立し、多数の州にまたがる全国的ネットワークを構築し、さらに国際社会(グローバル・ドナー・コミュニティ)との間に活発な交流を行っているNGOとして以下があげられる。

1)YLBHI(Yayasan Lembaga Bantuan Hukum Indonesia,インドネシア法律扶助協会財団)-設立年:1970年、本部:ジャカルタ、有給スタッフ:160名、主要活動分野:人権、法律扶助。
2)LP3ES(Lembaga Penelitian, Pendidikan, dan Penerangan Ekonomi dan Sosial,経済社会調査教育情報協会)-設立年:1971年、本部:ジャカルタ、有給スタッフ:60名、主要活動分野:労働、農村開発、都市貧困層の生活向上。
3)YDD(Yayasan Dian Desa,ディアン・デサ〔村の灯火〕財団)-設立年:1972年、本部:ジョクジャカルタ、有給スタッフ:500名、主要活動分野:技能訓練、農村開発、小規模産業支援、女性。
4)YLKI(Yayasan Lembaga Konsumen Indonesia, インドネシア消費者協会) -設立年:1973年、本部:ジャカルタ、有給スタッフ:29名、主要活動分野:消費者への商品情報提供。
5)Bina Desa(INDOHRRA, Indonesian Secretariat for the Development of Human Resources in the Rural Areas, 農村人材開発インドネシア事務局) -設立:1974年、本部:ジャカルタ、有給スタッフ:25名、主要活動分野:農村開発、都市貧困層の生活向上、環境、人権、女性。
6)YBK(Yayasan Bina Karya, 仕事の創造財団)-設立:1979年、本部:バンドゥン、有給スタッフ:3名(無給 18名)、主要活動分野:子供の教育、技能訓練、農村開発、人権、女性、労働、組合づくり。
7)WALHI(Wahana Lingkungan Hidup Indonesia,インドネシア環境フォーラム)-設立:1980年、本部:ジャカルタ、有給スタッフ:26名、主要活動分野:環境。
8)BS(Bina Swadaya,自立促進)-設立:1981年、本部:ジャカルタ、有給スタッフ:570名、主要活動分野:農村開発、技能訓練、小規模産業。

 これらのNGOは、Umbrella Organizationとしての機能を果している。すなわち、大規模NGOはインドネシア各地に散在する中小NGOの相互間の連携を推進する役割を担っている。ただし、大規模NGOと中小NGOとの間には、「意図したものでないにせよ割り切った役割分担も見られる。たとえば、中央のNGOが政府の政策を批判する一方で、それに関連するプロジェクトを、同じネットワークに属する地方の小規模NGOが地方政府と協力して実施しているという例も見られる」(首藤、前掲論文、15頁)のである。両者の関係は、一方的依存関係というよりは、水平的相互依存(機能的連携)関係といえる。

 また大規模NGOは、「外圧」に対するゲートキーパー的な役割を果している。「特に、土地問題や労働問題等に関する件で地元の警察や軍当局が一方的に介入してくると、個々の小規模NGOの対応能力を超えるが、そのような場合に中央の著名な大規模NGOが援護に乗り出してくると、紛争処理の効果を持つか、少なくとも小規模NGOの存在を防衛する効果はある。その意味で、大規模NGOの国内ネットワークは、各地の自律的ではあるが行政当局や治安当局の前には脆弱な存在である小規模NGOを保護する力と役割を持っているといえる」のである(首藤、同上、15~16頁)。

3.LP3ESとLEPPSEM

 SSIMPは、USAID(米国国際開発庁)の農村開発プロジェクトにインドネシア政府の要請により、1989年から日本が協調融資した。USAIDはプロジェクト当初からNGOを梃子とする参加型開発の促進を図った。

 1994年にUSAIDが撤退するまで、USAIDは受益農民による水管理組合(P3A,Perkumpulan Petani Pemakai Air) の設立をSSIMPにおける主要課題の一つと位置付け、その組織化をインドネシアにおける有力NGOの一つであるLP3ESに委ねていた。それは住民参加による開発促進、NGOの積極的活用という新しい開発理念に根ざすものであった。

 LP3ESは、1971年に設立された組織で、Prisma(季刊誌)の発行や農村開発における実践的活動を通じて成長したNGOであり、参加型灌漑マネジメントに関しては早くからノウハウを蓄積していた。また、LP3ESは、USAIDやフォード財団から資金援助を受けており、アメリカにとって関連のあるカウンターパートであった。

 LP3ESは、南スラウェシ州のアウォ堰灌漑プロジェクトの水管理組合組織化の任にあたるコミュニティ・オーガナイザーとして、一種の「コンサルティング」契約をプロジェクトの事業主体であるインドネシア政府/公共事業省と締結した。LP3ESに課せられた業務内容は、1)コミュニティ・オーガナイザーは当該プロジェクト地域のブギス語を話し、ブギスの文化習慣に精通している人間から選抜する。2)コミュニティ・オーガナイザーに対して、LP3ESスタッフが事前にトレーニングを行う。3)あらかじめコミュニティ・オーガナイザーをプロジェクト地域に配属させ、プロジェクトの開始に備える、というものであった(杉山卓、「インドネシアにおける参加型灌漑マネジメント-小規模灌漑管理プロジェクト(SSIMP)の事例研究を通して」、コーネル大学大学院国際開発学修士プログラム提出論文〔未公刊〕、1998年、20頁)。

 1994年、SSIMPからUSAIDが撤退するにともない、USAIDからの資金協力を失ったLP3ESはスラウェシの農業開発に特化したNGO、LEPPSEM(Lembaga Pengembangan dan Pembinaan Sostal Ekonomie Masyarakat,村落社会経済開発・建設協会)を設立した。

 LEPPSEMが作成したApproach Participatory: WUAO-SSIMP South Sulawesi, 1999., によれば、LEPPSEMの概要は次の通りである。

1)目的:農民を灌漑システム(主要システムおよび末端システム)の管理運営に参加させることにより、開発過程への農民の参加を促進する。
2)アプローチの方法:
a)フィールド・ワーカーを派遣して、農村社会の現状を的確に把握する。
b)トップ・ダウン・アプローチとボトム・アップ・アプローチの連結を図る。
c)プロジェクトと農民との間の接点を探る。
d)利害当事者間の緊密な協議(consultation)を積み重ねる。
3)具体的活動:
a)水管理組合の設立支援:農民の水管理組合に対する認識を深め、その普及を図る(socialization) 。
b)水管理組合の運営支援:会議の開催や議事録の作成方法を指導する。
c)管理運営体制の構築支援:末端の3次水路の適切な操作や維持管理を指導する。
d)会議の開催支援:収穫期前(各シーズン毎)の定期的会議の開催や月例会議の開催を  指導する。

 USAIDの撤退後、単独でSSIMPを継続することになったOECFは、引き続きNGOの積極的活用を図った。OECFは、NGOを梃子として、1)灌漑システムの完成以前に、受益農民による水管理組合を設立する。2)3次水路の設計・建設・運営を農民が自主的にできるような態勢づくりを行う。3)NGOに地域社会とプロジェクトとの橋渡し役をさせる、ことを企図したのである。

 LEPPSEMが、1)経験豊かですぐに活動可能、2)スタッフは農民の生活水準向上に強い熱意を保持している、3)現場の状況に柔軟に対処する能力を保持しており、かつ農民とともに生活し、労働する意欲をもっている、4)間接費がかからず、コスト的に割安である、等から評価されることになる。こうして南スラウェシ州のアウォ堰灌漑に加えて、新たにサロメッコダム灌漑事業の実施にもコミットしていくのである。その活動に関しては、次のように高い評価が下されており、NGO活用の全面的展開が図られるなど高い評価がなされている。

 スンバワ島でSSIMPを行っているプロジェクト責任者もLEPPSEMを次のように高く評価している。「(LEPPSEMの役割は)当初、水管理組合の設立のみであったが、実際にはそれに留まらず、農民・行政機関・工事業者との間の有効なパイプ役を果たし、土地収用、施設の設計変更、工事、等が円滑に進んだ。現在同じNGOを営農指導にも活用しているが結果は良好である。地元農民の言語や社会習慣を理解できる地元NGOを開発の初期段階から活用することは、農民の開発への自発的合意形成をうながし、事業を円滑に進め、ひいては水管理組合の自律的な活動を長期に持続させるための有力な手段となる。」(佐藤周一〔インドネシア国小規模灌漑開発事務所〕、「灌漑農業開発成功へのアプローチ<インドネシアSSIMP10年の経験と教訓>」。

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