ODA

案件検索

ODAタウンミーティング in 水戸(議事概要)

1.目的: ODA大綱の見直しを含むODA改革の動きについて国民に紹介するとともに、ODAに対する国民の生の声を聴取し、今後のODA改革に役立てる。
2.日時: 平成15年9月20日(土)14:00~16:00
3.場所: 常陽藝文センター・ホール(水戸市三の丸1-5-18)
最大収容人数302名
4.内容:
(全体で2時間程度)
(1) 司会よりパネリスト紹介、パネリストより挨拶(10分)
(2) 外務省出席者よりODA改革の動きについて紹介(10分)
(3) ODA総合戦略会議メンバーより同会議での議論について紹介(10分)
(4) パネル・ディスカッション(20分)
(5) 一般参加者との意見交換(質疑応答形式)(60分)
(6) 司会より閉会の言葉
5.出席者:
(全体で4名)
現地パネリスト:
・杉下 恒夫 茨城大学教授
ODA総合戦略会議メンバー:
・牟田 博光 東京工業大学教授
外務省:
・城所 卓雄 経済協力局 民間援助支援室長
司会:
・星野 幸子 コミュニケーション・アドバイザー
聴衆:
 約130名
6.その他:
(1) 共催:外務省、JICA
(2) 後援:茨城県、水戸市、茨城県国際交流協会、水戸市国際交流協会、守谷氏国際交流協会、笠間市国際交流協会、茨城県青年海外協力隊を育てる会、青年海外協力隊茨城県OV会、茨城県JICA帰国専門家連絡会、茨城新聞、常陽新聞、常陽リビング、常陽ウイークリー、朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、産経新聞、日本経済新聞、NHK、茨城放送、日本テレビ、東京放送、フジテレビ、テレビ朝日
7.議事概要:  以下の通り
議事概要


司会: 皆様、本日はお集まり頂きまして、ありがとうございます。ただ今からODAタウンミーティング・イン・水戸を始めます。私自身のODAに対する関心としては、東南アジアやアフリカにダムや橋を作ったりすることという程度のものでした。しかし、私自身が2年前に子供を出産してから、目に飛び込んでくるODA関連のニュースに対する関心が変わってきました。たとえば、日本では当たり前に接種できるポリオ・ワクチンですが、保健・医療が発達していない難民キャンプにいる子供たちが何万人も毎年亡くなっています。そのようなニュースを見ていても、平等に扱われるべき尊い命が失われていることに涙ぐましく感じるようになりました。ポリオ撲滅のための援助活動、タリバン政権崩壊後のアフガニスタンの女子教育などそういったソフトの部分も目に見えてくるようになりました。今日は、会場の皆様と共にODAに対する理解を深めて参りたいと思います。ODAタウンミーティングは、「第2次ODA改革懇談会」の中間報告を紹介することを目的として平成13年8月に始まりました。平成13年度は全国5カ所、平成14年度は全国7カ所、そして平成15年度はODA大綱の見直しに関する公聴会を東京、大阪、福岡で開催し、この8月末にODA大綱が改定されました。今回のODAタウンミーティング・イン・水戸は、新ODA大綱についての説明を中心に、ODA改革をめぐる最近の動きを紹介すると共に、皆様との意見交換を今後のODA改革で役立てる目的で開催されます。

城所: それでは、私から最近の動きをご説明します。1989年、日本のODAが初めて世界のトップとなりました。翌年90年には、アメリカに抜かれましたが、1991年から約10年間、日本がトップドナーの地位を占めることとなりました。トップになったとき、日本のODAが何を目指すのかという憲法がなかったので、1992年に政府開発援助大綱、いわゆるODA大綱ができたわけです。ところが、それから10年経って、世の中がどんどん変わり、援助予算が削減されてきました。援助の分野・地域の重点化・効率化ということを図っていくため、ODAの戦略性、機動性、効率性を高めるべきことが認識されてきました。我々の日常生活で魚や寿司などの食卓に上るものが、ほとんど輸入品になっています。皆様も召し上がるおそばや大豆に至っても、ほとんど外国からの輸入品です。そうした意味で、国境が無くなってきました。そのことをグローバル化と呼んでいますが、グローバル化されていく中で、国際情勢も急激に変わっています。私が勤務したロシアもそうですが、冷戦終結後、国際社会は変わりました。最初のODA大綱が公表された92年当時には、アフガニスタンのような問題が起きるとは誰も考えていませんでした。また、内戦、テロなどで開発途上国が戦場となってしまうケースもあります。難民の保護、地域の復興などにODAがいろいろと必要とされてくるようになりました。これは平和構築と呼ばれています。また、従来、援助は政府対政府で行われてきましたが、政府対政府の関係では、物事が解決できなくなるなど、客観情勢が変わってきました。国際機関、NGO、民間企業といったいろいろなレベルで開発戦略が出てきました。日本のODAもそれらの問題を全部網羅していかないと、国際社会から取り残されてしまうという点があったと思います。この8月29日にODA大綱が改定されました。今回のODAタウンミーティングは、その後最初のものです。今回の見直しでは、これまでのODA改革のいろいろな議論を取り込んでいくことをやってきました。それから、関係省庁、様々な団体などとも緊密に協議してきました。ODAタウンミーティングにおいて皆様のご意見を吸収するということは、10年前の様相とは全く違うと思います。また、特に強調したいのは、ここにいらっしゃる牟田先生をはじめ、ODA戦略総合会議の委員にお願いしていろんな論点を整理して頂いたころです。客観情勢ががらっと変わってきています。私が強調したいことは、ODA大綱の最初の2sです。我が国の目的は、「国際社会の平和と発展に貢献し、これを通じて我が国の安全と繁栄の確保に資することである」、いわゆる国益ということです。ODAを通じ、積極的にこれらの取り組みを展開していき、我が国の姿勢を内外に示していくことが、国際社会の共感を得るための最もふさわしい政策です。それから、基本方針のところですが、「人間の安全保障」の視点を新たに入れてあります。今までは、政府対政府ということで、物事を考えてきたのですが、そうではなくて、人間の尊厳を重視し、集落やそこに住む人々を念頭においたODAの活用ということを想定しています。重点課題については、「平和の構築」が新たな概念として入っています。重点地域では、特にアジアを重視しています。また、これまでの日本のODAは、相手国の要請に基づいてやってきましたが、今後は、両国の政府間がよく話し合って、本当の援助需要とは何かを見出すべきことが記されています。援助政策の立案及び実施の部分では、国民参加の概念が非常に広くなっています。最後に不正と腐敗の防止ですが、私が着任してから一週間目で、NGOに纏わるの不正事件が表面化しました。それについて、我々は、迅速なアクションで返金を求め、9月4日には、警視庁に刑事告発をしています。そのくらい厳しくしなければと思っています。

司会: 城所さんの説明にもありましたODA総合戦略会議についてですが、委員のお一人である牟田さんから、ODA総合戦略会議ではどのようなことが話し合われているのかお話を伺いたいと思います。

牟田: 総合戦略会議というものものしい名前が付いていますが、これは、そもそもは第2次ODA改革懇談会の最終報告の中で提言として出てきたものです。そこに書いてあったことは、ODA総合戦略会議を設け、ODAの指令塔として国別援助計画等の基本政策および主要プロジェクトの意義や優先度について議論し提言するということです。この中で、外務大臣の諮問を受けと書いてありますが、ご存知のように、ODA総合戦略会議の議長は川口外務大臣です。これは異例のことであります。普通、諮問会議というのは、大臣が有識者グループにいろいろな意見を求めて、それを政治的な判断によって、実行するか否かをお決めになるものです。その諮問を受ける先の会議の議長が大臣であるのは非常に異例です。それはやはり、川口大臣が戦略会議というものに、非常に重みを置かれたことだと思います。つまり、戦略会議の代表者が大臣ですから、外務省に結論を持って行ったときに、こんな難しいことはできませんとは言えません。もちろん、いろんな考慮があるとしても、基本的には、そこで決まったことは駄目とは言えないような仕組みに立ち上げの時にしてしまったということです。どういう方が委員でいらっしゃるかと言うと、議長は大臣、議長代理は拓殖大学の渡辺先生、その他は開発専門家、国際機関の経験者、NGOや経済界の方々、ジャーナリスト等の18名で構成されています。月1回、会議があり、ODAに関する諸々のことを議論し提言をしています。その中の一つのプロダクトが、今、城所さんが話されたODA大綱です。大綱の原文は外務省の事務局が作りましたが、それを作る過程において、従来のODA大綱のどこに問題があるか、今の世界的な問題に鑑みて、どういう点が足りないのかというような主な骨格について、戦略会議で何度も議論をしました。戦略会議で主な論点となったことの一つは国益です。その国益については、いろいろなご意見があります。我が国の安全と繁栄の確保に資することについては、誰も文句を言う人はいませんが、要はバランスの問題で、国際社会の平和と発展と我が国の安全と繁栄とのバランスをどう書くかということが大きな議論となりました。最終的には、まずは国際社会の平和と発展があり、それが巡り巡って、我が国の安全と繁栄になるんだという書きぶりになりました。当然、ここに至るまで、国益についてはこれでは強すぎる、弱すぎるという両方のご意見がありました。もう一つの論点は重点地域です。アWア地域は引き続き重点地域ですが、その他の地域についても目配りを効かるような書き振りになっています。たとえば、アジアに対してODAを供与しているドナーの中では、日本がトップです。もちろん、日本は世界の至る所へODAを供与していますが、アジア地域ではトップです。しかし、ヨーロッパの国々では、アジアに対するODAは少ないのです。西欧諸国が相対的に多くのODAをアフリカ地域に供与するのは、貧困が多いのこと、元々、自分たちの植民地であったことに拠ります。先進諸国の中では、西欧諸国が多いわけですから、特に貧困の多いアフリカ地域にもう少し力を入れてくれというようなことが、国際的な力として働くわけです。そういう背景もあり、我が国もアジア地域だけでよいのか、もっとアフリカ地域に力を入れるべきではないか、いや、もっと世界中にやるべきではないかといったところが、非常に大きな議論になりました。いろいろな議論を経ながら、また、ODAタウンミーティングを開催して国民のご意見も聞きながら、先程ご紹介したODA大綱が決まったわけです。以前からの批判として、日本の援助はいろいろと多種多様な援助をやり過ぎていて、何をやっているのか明確でないということがあります。たとえば、アメリカのODAは、良かれ悪しかれアメリカ式民主主義を世界に広めるということが基本的な目的で、これをアメリカも公言しています。それでは具合が悪いという意見はありますが、ODAとして何をやっているのかは明確です。しかし、日本は要請主義に基づき、開発途上国から頼まれると非常に気前よく、何から何までやってしまう。しかし、全体としての目的や理念は何かと問われて、困っている人を助けるためですと言っているだけではメッセージが弱い。分野をいくつかに絞っていくことでメッセージ性を強めるということが必要になっています。しかし、それを大綱の中でやるのは難しいので、国別援助計画を作るときに、分野の絞り込みもした方が良いということになります。国別援助計画にはテクニカルで専門的な部分があります。各国について余り知らない委員がそれを決めるというのは無理なので、タスク・フォースの中で専門家が国別援助計画を作るときに、意見を言ったりして、国別援助計画の中にODA大綱の精神を反映させていくということも言っています。スリランカやベトナムの国別援助計画については、来月の戦略会議で最終案が出される見込みとなっています。その他、本年度中にモンゴルAインドネシア、パキスタン、インドの国別援助計画案が、戦略会議で議論されることになっています。そうすると、ODA大綱と同様に、戦略会議で承認されたことについて、外務省での事務的な作業を踏まえ、各省との協議を行い、さらに閣議で決定するという手順を踏みます。ODA総合戦略会議の設置の目的の中に、この会議はODAに対する国民的な議論を積極化させるための触媒としての役割を果たすと書かれています。大綱については、既に出来上がったのですが、国別援助計画については、これからいろいろと考えて参りますので、会場の皆様の忌憚のないご意見をいただければと思います。

司会: 最後に、ジャーナリストの立場から長年に渡りODAの取材を行い、現在は大学教授として、国際協力論を教えていらっしゃる杉下さんからODAを取り巻く環境についてお話を伺いたいと思います。

杉下: ご紹介にあずかりましたように、長いこと新聞記者をやりましたが、80年代後半からの十数年間はODAを専門に取材しておりました。その間、何度も日本のODAは曲がり角にきているという記事を書きましたが、現在ほど、ODAが激しい転換期を迎えたときはないと思います。さきほどまでも話があったのですが、国際環境の変化、冷戦の崩壊、それに続く民族紛争や地域紛争等、国際社会は21世紀になって大きな変化を遂げています。日本を振り返ってみると、ODA予算が過去4年続けて減っています。今年も削られ、ODA予算は最盛期の7割位になっています。他方、世界中の国際協力を必要とする要因、たとえば貧困人口等は、一向に減っていません。人口が増えたので比率は下がっても10億人前後という絶対数は減っていません。感染症を例にとってみても、昔は結核などだけでしたが、10数年前からはAIDSが加わり、昨年はSARSという新しい感染症も出てきています。その他、貧困、人口、食料等に付随して、やることは80年代の倍以上にも増えています。それに対して、我が国のODAの供給量は減っています。ODAを取り巻く環境はすでに大きな曲がり角を曲がったともいえます。では、どうすればいいか、ということですが、一つの方向性として、目的と課題を明確化することです。これは、新大綱の中にも指針として現れています。どういう方向に向かっているかというと、一番大きなODAの方向性として皆さんに知って頂きたいのは、ポスト・コンフリクト・ピース・ビルディング、紛争が終結してからの復興開発、紛争や戦争が起こる前の予防開発など平和への寄与が、現在のODAの主要な役割になったということです。去年、総理がシドニーで小泉ドクトリンともいうべき新しい日本の外交政策のお話をされたのですが、そこでは「平和の定着」、つまり、紛争前後の安定的な平和を作るために日本のODAが貢献していこう協力して行こうということが述べられています。これが日本の一番新しい日本のODAの方向性であります。冷戦後の90年代には、皆様もご承知の通り、いろいろな紛争が起こりました。しかも、実際にはどの紛争も完全には収まっていない。私も先日、ボスニア・ヘルツェゴビナへ行って来たばかりですが、多くの皆さんは、今はボスニア・ヘルツゴピアは静かな平和な国になっていると思っているでしょうが、ニュースに出ないこともありますが、紛争は一向に収まっていないんです。冷戦後に起こった小さな地域紛争では、完全に恒久的に平和に進んで行っている国はまだ一つもありません。そういうことに対して、ODAによって貢献していこうというのが、一番新しい日本のODAの方向性です。今までODAは、PKOが撤退して完全に平和な状態になってからではないと、実施することが出来ませんでした。PKOのようなピース・メィキングと呼ばれる段階では、ODAは介入出来なかったのですが、それでは平和の定着に貢献できない。だから、一歩進んで紛争が完全に収まる一歩手前でODAを投入して、平和の定着へ寄与していこうではないかといった形が新しいODAの動きではないかと思っています。

司会: 3人のパネリストからご意見を伺いました。それでは、皆さんのご関心のある事柄を聞いて参りたいと思います。開発援助では、政府や国連機関だけではなく、NGOの活躍も広く目にしております。多分、この会場にもNGOの方々がいらっしゃると思いますが、正直、フットワークの軽さから言えば、NGOの方が良い印象を受けます。最近は、外務省とNGOとの確執ともとれるような報道がなされていますが、ODAの実施における、NGOとの協力体制について、城所さんからお話を伺いたいと思います。

城所: 簡単に私が力を入れている点を2点だけお話させて頂きます。日本のNGOの歴史というのは、外務省がNGOに資金を出すようになってから15年、つまり平成に移ってからになります。偶然、私はそのときに小規模無償というスキームを作ったのですが、ちょうど15年前の平成になった頃に日本のNGOに対して政府の資金がでたと認識していただきたいと思います。他方、欧米のNGOの歴史はもっと古く、50年から100年以上の歴史があります。日本のNGOと欧米のNGOとは体力が全然違って、大人と子供の差があるだろうと思います。ですから、今私は、日本のNGOが国際機関へ出て行って対等な力を発揮できるよう、対等な力をつけるということを日々やっております。たとえば、イラクやアフガンでの問題が起こったとき、日本のNGOに出て行ってもらいたいという援助ニーズがあります。国際機関の人を呼んで、国際機関ではこういうプロジェクトをやってくれる日本のNGOを探していますというようなことを聞いて、いわゆる、マッチングをしております。6月25日にニューヨークでNGO会議があったときに、私一人が出て行って、援助ニーズは何かを探してきてすぐに日本のNGOに、こういうニーズがあるからあなたが用意をしてくださというようなことをやっています。それから、今一つは、国民参加型ということで、NGOだけでなく、大学の先生や学生、地方の方々にNGOをもっと身近に感じてもらうことをやっています。ですから、私も、いろいろな方々から訪問を受けまして、どのようにしたら政府の資金を使えるのですかと聞かれています。私はいつも言っておりますが、アポなしでどなたでもすぐに会っております。政府の資金を使わず5年、10年やってきましたが、最近、景気が悪いので、政府の資金を使いたいのですがという質問が実は一番嬉しいです。国際協力NGOというのは、400団体があると言われていますが、実際にはもっと底辺が深いということがわかっております。私はそういう方のための下支えをしたいと思っております。

司会: 続きまして、どんな事業でもやりっ放しでOKと言うことではなくて、それが援助国に対してどのような成果をもたらしているかという評価が大切です。また、そういった評価をすることで、次の効果的、効率的な援助ができるということもあると思います。牟田さんの専門分野はODAの評価です。ODA評価の観点からみて、ODA改革は進んでいるかというお話しをお願いします。

牟田: 城所さんからODAを巡る不正についてお話がありました。確かに、新聞などで時々、ご欄になることがあるかと思います。しかし、数百万、数千万を個人のポケットに入れることはできますが、数十億をポケットにいれることは不可能でしょう。しかし、たとえば、援助で数十億を無駄使いするといったことは簡単にできます。無駄使いと言ったのは、捨てるということではなくて、その位お金をかけてやったけど、かけたお金に見合った成果が上がらないという意味です。ですから、そうしたことがないようにするために、やはり評価が大事なわけです。評価を重視することによって、お金を大事に使うようになるだろうと思います。私はODAの評価を専門にしておりますが、新ODA大綱でも評価の重要性が4行ですが書かれています。しかし、この4行の中に、昨今のODA評価に関する議論がすべて盛り込んであります。ODAの評価はこの3年余りですごく変わりました。一つには、ODAだけではなくて、いわゆる政策評価ということで、各種の行政の活動に関する評価の体制が大きく変わってきたことと関係があると思います。ODAは今から20年前から評価をやってきました。これは、国内の公共事業とは違って、かなり力を入れてやってきました。それでも不十分で、この3年余りですごく変わってきました。これがここ(新ODA大綱)にすべて書いてあります。たとえば、評価の充実ということで、事前・中間・事後と一環した評価ということがあります。従来の評価というのは、終わった後に評価をするということでした。私もいろいろな評価の仕事をしてきましたが、評価をしてきて思うことは、そもそもどうしてこんなプロジェクトを始めたのだろうということがあることです。十分に調査をしていれば、こういうプロジェクトはいくらがんばっても効果がないので、初めからやらないというのが正しい選択だったろうと思うのです。そのためには、事後の評価をするのではなく、事前の評価をし、効果が確実だとわかるものについてのみ実施するということが重要です。事前の評価をして、これは駄目だと思ったのは実施をしない。あるいは、中間評価をやった結果、いいと思ってやってみたけど、このままでいいからやる、このままでは駄目だから、やり方を変える、あるいは、どうやってもこのままでは駄目だと思ったら止めるということも大事です。ですから、評価は事後だけではなく、事前、中間が大事で、しかも、事前・中間・事後で評価の視点を一定ノすることが重要です。評価の視点をころころ変えていては、何のためにやっているかわかりませんから、事前・中間・事後と一環した評価を行うということが最近の動きです。それが、ここ(新ODA大綱)に短い言葉で書かれています。また、政策、プログラム、プロジェクトを対象にしてとも書かれています。従来の評価というのは、ほとんどプロジェクト評価だけでした。橋を一本造る、学校を百校建てるというのがプロジェクトで、その評価をする。しかし、ODA大綱の中で援助の目的は何かという大きなことが書かれているように、橋を一本造って目的を達成するということはありません。ある国には、橋を造る、学校も建てる、道路も直す、病院も補助するといったことをいろいろとやっていますが、それでは、ODA全体としてどうなったのか、その国に対して、援助全体としてどうなったのかといったように、大きな評価の目で見る必要があります。、橋を造ること、学校を建てることは、援助の最終目的ではないはずです。その国の社会発展に寄与するとか、あるいは、その国の貧困を削減するとかいった大きな目標があって、その手段として、橋を造ったり、学校を建てたりしているわけです。学校を建てました、橋を造りました、きれいになりましたといっても仕様が無いことで、それがそもそもの目的にあっているのかどうかを大きな目で、大きな分野で見なければいけません。それが、プログラムの評価、政策の評価と呼ばれるものですが、そういうことがここ(新ODA大綱)に書いてあります。さらに、ODAの成果を測定・分析し、客観的に判断すべく、と書いてあります。ODAの関係者は皆頑張っていらっしゃっいます。私の経験する限り、手抜きをしてさぼっているプロジェクトを見たことはありません。しかし、頑張っているのと成果が出たかどうかというのは別のことです。やはり、頑張っただけではなく、ODAは成果が出なくてはいけない、成果というものはできるだけ客観的に見なければいけないということです。そういう客観的な成果主義ということがこの数行に入っています。評価というのは、仲間だけでは駄目で、やはり第3者が評価する、あるいは、少なくとも第3者の目をどこかに入れるということが大事です。そういうことも書いてあります。それから、最後に一番大事なことは、評価結果をその後のODA政策の立案や効果的、効率的な実施に反映させることです。評価の報告書を出して、公表することも大事ですし、説明責任、透明性ということも大事です。しかし、もっと大事なことは、評価結果にこういう点を改善すればよいと書いてあることが次に活かされたかどうかという点です。ところが、従来の評価というのは、評価をして報告書を書いて、あるいは、ウェブに載せておしまい。それがどう具体的に活用されたのかという所まで行かない。実際に仕事をしている人から見て、ありきたりのことしか書いてない、ある報告書にはこうしろ書いてあったけど、別の報告書には違うことが書いてあるので、何をしてよいかわからないということではやはり困るわけです。報告書の書き方の問題もありますが、教訓や提言が必ず次のサイクルで政策や実施に反映される仕組みを組織として作らなければいけないということになります。今、外務省、JICA、JBICにそれぞれ評価フィード・バック委員会がありまして、私もその中に入っています。杉下さんにもJICAの評価フィード・バック委員会に入って頂いております。そういう仕組みを作ることによって、評価結果を確実に活かしていき、そういうことによって、効率化を達成しようという思いがこの4行の所には書いてあります。

司会: 杉下さんは長年ジャーナリストとして外側からODAを見てきており、現在では、JICAの客員国際専門員としてODAの内側から協力しておられます。また、タウンミーティングが以前秋田で開催されたときにもパネリストとして参加していらっしゃいます。この新しいODA大綱に対して、国民の声がどのように、活かされているのか、反映されているのか率直なご意見を聞かせて頂きたいと思います。

杉下: まずODA大綱について話したいのですが、ODA大綱のドラフトは、皆さんもご存じでしょうが、7月上旬から外務省のホームページに出ておりました。しかし、広く国民から寄せられた意見は、ジェンダーという言葉を修正したほかは、あまり取り入れられ無かったと聞いております。これは残念なことですが、新たな国の経済協力の基本理念の作成に、広く国民の意見を組み入れて作ろうという従来にない試みでは素晴らしいことだと思っています。前回のODA大綱は、泥縄式に作ったものだと思っております。具体的にいえば、国家がODAに介入する機会を与えるODA基本法を作るのが嫌なことから、その対案としてのODA大綱を作って、ODA基本法の制定を阻止したというものです。だから、不明快な大綱だったわけです。しかし、それに比べますと、今度の新大綱は言葉が明快だし、目的も分かり易くなっているんじゃないかと思います。学校の成績でいえば及第点をつけても良いのではないかと思います。一番前面に出しているのは国益ということですが、もちろん、国益という言葉は出していません。「我が国の安定と繁栄」という文言がそれにあたります。国益論というのは、非常に狭い国益論から広い国益論までいろいろとあるわけです。狭い国益論とは、日本が援助しているのだから「ありがとう」といいなさいとか、日本の車が売れないのだからしょうがないじゃないかとかいったものです。広い国益論というのは、良好な国際社会の環境があってはじめて日本の安定と繁栄が成り立つという長期点な視点からの国益論です。このほか、ODAを国の利益に使うなんて冗談じゃないという真っ向から反対する意見もありました。ですから、国益論というのは、非常に幅広く論じられたはずです。今回の大綱では、どの幅の国益論をとっているのかということがポイントになるんじゃないかと思っています。我が国の安定と繁栄というなら、それがどの程度の範囲内のことかを明快にしておかないと、対中援助や今後の援助の中で問題になりそうな点について、今後の論争の下敷きになる指針とはなりにくいと思います。その点、新大綱も少しファジーな部分を残してしまったかなと思っています。城所さんがおっしゃっていたNGOとの協力ですが、これはとてもいいことで私も大賛成ですが、現在の日本で政府とNGOが真に対等の立場に立って協力してゆく態勢が整っているか、ということではまだ不安があります。基本的には政府とNGOが対等に協力しようと思チたら、情報とかあらゆる物質を含めて、NGOと完璧に共用しないと、完全な協力というのはできないものです。現在、城所さんたちが大変努力され、特に民間援助支援室ができてから大幅に改善されたことは私も認めるのですが、まだ十分に政府とNGOが完璧な情報の共有には至っていないように見えます。また、政府がいつまでも上から下を見るような状態でNGOと協力しようとしても、これも同じフィールドでの協力にはならない。逆にNGO側も力をつけて、政府と同じ土俵に立って物をしゃべれるような力を身につけないと、いくら政府がNGOと協力しようと言っても、協力することはできない。

司会: 杉下さんから注文をつけられましたが、城所さん、牟田さん、何かコメントをお願いします。

牟田: 国益のことですが、戦略会議でも一番大きく揉めたところです。結局、多数決では決められないので、こうした漠とした書き方になったと思うわけです。一つ考えなければいけないことは、ODAの目的と書いてありますが、よく言われるように、ODAは外交のツールであるということです。私はそれが正しい、正しくないと言っているわけではないのですが、そういった側面があるのも事実です。たとえば、ほかの強大な国であれば、外交は武力でやる、ODAは人道主義でやるということが可能です。しかし、日本には武力はないので、外交もODAでやろうとする。そうすると、ODAの基本理念の中にいろいろな思惑が入ってくるわけです。実は評価をしていて一番困ることは、政治的な案件があることです。これはかなり無理に始めたというのもあります。しかし、ODAとして始めた以上、これを評価するのであれば、そもそものいきさつを抜きにして、他の案件と同じように評価をすることになります。そうすると、そもそもの出発点が判断できない。外交には、手の内を見せられない、明らかになっていないところもあります。そういうところをどうやって仕分けをしていけばよいのか。だからといって、訳が分からなくて、評価ができないものを全部外交だと言われても困ってしまいます。やはり、ODAとしてやっている以上、他の案件と同じように評価をしていこうとなるわけです。政治については、杉下さんの方がご専門ですから、杉下さんに返します。

杉下: 私は基本的には牟田さんと同じ考えです。皆さんに理解して頂きたいのは、ODAというのは外交のツールであり、さらに国民の税金を使って慈善活動をしている国はどこも無いということです。ODAというのは慈善行為や人道行為でない。ODAは第一義的には政治行為であるということを理解して頂ければODAというのが非常によく見えてくると思います。

司会: 城所さん、お願いいたします。

城所: 私の視点から言いますと、援助の中には無償資金協力や有償資金協力がありますが、それには、こういう国に対しては無償資金協力が可能ですとか、こういう国に対して有償資金協力が可能ですといったガイド・ラインが一応あるわけです。ところが、それだけで援助ができるのではなく、枠を越えていても、その国に協力すれば、開発効果を期待でき、日本にとって結果的にいろいろとプラスになると分かれば、日本は当然協力します。そういうことから考えると、国益の議論が分かると思います。そういうガイド・ラインの枠に入っていても、援助していない国というのも当然あるということを皆さんに分かっていただきたいと思います。

司会: 国益についての意見もパネリストの方から出て参りましたが、多分、ここが皆さんが一番聞きたい部分だと思います。日本は武力を持たない、だから、ODAを外交ツールの一つに使っている。そういった中では、政治的な要素が絡んだODAもあるわけですから、牟田さんがおっしゃったように、評価の段階で何故始めたのか疑問に思うものが出てくるわけです。また、杉下さんがおっしゃったように、税金を使った慈善活動はないというのは、すごく明確な答えだと思います。そういったことを踏まえて、これからは会場からいろいろなご意見を伺いたいと思います。

質問者A: NPO法人も国際協力を始めていますが、NPO法人というものをどのように捉えているか、お聞かせください。

城所: 従来、外務省としては、要請があれば、任意団体に対しても協力してきました。しかし、我々としては、以前に協力した案件はどうだったかということまでトレースしなければなりません。場合によっては、会計検査が入ることもあります。ところが、電話をかけると、事務所がありませんとか、言葉は悪いのですが、あっちこっち逃げ回っているような団体もあります。そういうことでは困るので、法人格を取って下さい、ということになったわけです。また、公的な資金を使われるのですから、外部監査といって、公認会計士に資金の支出をチェックしていただくことが必要となってきます。一つはプロジェクトに関する外部監査、もう一つは団体の日常活動に対する監査、いわゆる団体監査という二つのアプローチがあります。人間でいえば、健康診断のようなものです。毎年、ヘルス・チェックをするのと同じように、やはり、一定のスクリーンをやった方が、我々としても資金を出し易くなるわけで、法人化を取って下さいということになっています。

質問者B: 適正な援助が行われているかという問題が多いと思うのですが、例えば、インドネシアのコタパンジャン・ダムでしたか、現地の住民の方が東京で裁判を行っていると思います。実際、インドネシアのスハルト政権の下で行われた援助で、住民に対して、銃を突きつけて力ずくで移転地に連れて行き、まともな生活手段も保証されないという例もありますが、これも一例に過ぎなくて、世界中で多く起こっていることだと思います。城所さんも言われたとおり、国対国の援助ではなく、事前に適切な援助が行われるような環境を保証できるようにできるのか、保証できないのであれば、援助そのものを取り止めるということを含めて事前調査を行うということも改革として必要だと思います。その点について、もっと詳しくお聞かせいただければと思います。

城所: 先ほども申し上げましたが、援助自身は、必ず先方政府の要請で出てきます。すべての案件について先方政府の各省庁によるクリアランスが終わった後で、我々のところに出てきます。役人的に言えば、全部手続きが済んで、そこで始めて日本側へ提案が出され、手続きを踏んでやって来ましたということになります。但し、不幸にもそういう結果が出てきており、若干見直しをした方がよいのであれば、見直しを行い、結論を出して欲しいと思っています。

牟田: 2つ申し上げたいと思います。1つは評価の基準、あるいは、価値観というものです。ODAの技術協力では、5年ものというのはざらにありまして、借款では10年以上のもあります。そういう場合、そのプロジェクトをどういう基準や価値観で評価をするのかというと、やはり、その時代の基準で評価を進めるということになります。しかし、事後評価というのは、プロジェクトの企画から10年、15年経って、新しい基準で評価をする。そうすると、昔の体制で良かったことが今の体制ではおかしいのではないかということが出てくるわけです。もう1つは、以前は事前評価が十分ではなかったということです。今は、JICA、JBICが行う大きな案件については、すべて事前評価をすることになっています。事前評価の段階で、現状がどうであって、プロジェクトが終わる最終段階でそれがどういう仕上げになっているか、たとえば、5年間でどれだけ学校を作るか、それによって、その地域の就学率がどのくらい上がるかということまで予測するというのが今のやり方です。それと同時に、環境や人権でのサイド・エフェクトがないかどうかもすべてチェックすることになっています。そういった動きはこの3年位のものです。従って、今、企画をされているもの、最近、実施をされたものについては、ほとんど新しい厳密な基準で評価をされたと思いますが、今から10何年前に始まったプロジェクトについては、事前評価が十分でなかった、サイド・エフェクトの評価が十分でなかった、あるいは、当時の価値観が今とはかなり違ったということがあり、今になってそういった問題が吹き出ているのかなと思う次第です。皆様にお願いしたいのは、ODAを巡る問題が起きたときに、いつ始まった案件かをご覧になってくださいということです。最近始まった案件で、そういった問題が出てきた例は、私の記憶ではありません。今は非常に良くなっています。今後は、今お話になっているような問題はほとんど起こらないのではないかと思っております。しかし、過去のものについては、そういった残念なこともあったんだろうなという気がします。

杉下: 最新の話では、10月からJBICが異議申し立て制度というものを作りました。これはすでに世界銀行とかアジア銀行がやってることでして、コタパンジャン・ダムのような話が出てきたときに、住民が融資の停止を申し立てる制度が10月からスタートします。JICAもまもなく環境関係でそういう制度をスタートします。もちろん審査をするわけですからすべて住民の異議申し立てが通るとは限りませんが、これからは住民サイドで事業をストップできる道も開けています

司会: 今のところで私から質問をさせて頂きます。たとえば、JBICから融資の停止の申し立てを住民の方からできるという話ですが、停止の申し立てをする以前に、住民とその国の政府でアセスメントを出来ないのでしょうか。また、そこにはODAのドナーとして介入できないのでしょうか。

牟田: 環境問題に関しては、JICAもJBICもガイド・ラインを持っていまして、それに基づいて事前評価をしていますから、異議申し立てというのは、実際には、ほとんど起こらないのではと思っています。出そうな問題については、ガイド・ラインできちんと然るべき処理をしておりますが、事前に100%分かるということはなかなか無いと思います。事前評価は大事ですが、評価にはお金がかかります。やるかやらないかわからないプロジェクトの事前調査に膨大なお金かけて、これは駄目だから止めましょうという事例がたくさん出てくるのも困ります。もちろん、いい加減に始めては困りますが、事前評価をやってみて、こんなはずではなかったということはあり得ることです。そういうときに、2年後にプロジェクトが始まったら新しいデータを基づいて軌道修正する、最悪の場合はプロジェクトを途中で止めるといったような仕組みを取り入れるべきだと思います。私は外務省、JBIC、JICAとして途中で止めた例をいくつか作った方がよいと思います。つまり、始めたことは必ず良いことで、当初の計画通りすべて終わるというのはおかしいことで、途中で軌道修正をするというのが当たり前だと思います。ところが、役人根性としては、途中で変えた場合、そんなことは初めからわからなかったのかと言われるのが嫌なものですから、ついこのくらい良いかということで、終わりまでやってしまうことがあります。そういうことをしないで、事前も中間も事後も評価を必ず行い、当初、考えたことでも悪いと思ったら直すことを実行して行けばおのずと成果が出ると思います。

質問者C: 第3者機関が評価をするということですが、プロジェクトを評価すると同時に、評価する人を評価する、プロジェクトを許可した人を評価するシステムは出来ているのですか。

城所: プロジェクトの評価には非常に難しい面があります。例を挙げますと、インドネシアで無償資金協力によりポリオ・ワクチンを製造するプロジェクトを作ったことがあります。事前の段階では、そのプロジェクトは必ずうまく行くということでした。そして、いよいよ建物もできて、実際にポリオ・ワクチンを作り始めるということになったときに、そのプロジェクトが頓挫するかもしれないという情報が入り、私はそのプロジェクトの現場へ行ってみました。当時、インドネシアはポリオ・ワクチンを製造できる段階にあったのですが、数字的に、技術があと5%足りないため、プロジェクトが頓挫しつつあるということを聞いて、新たな技術協力として、専門家に2年間指導を行って頂きました。先ほど先生が言われたように、軌道修正したわけですが、結果的にインドネシアはアジアでポリオ・ワクチンを国民に十分供給できる唯一の国になったわけです。おそらく、今では輸出しているはずです。その段階で、皆さんがいろいろ知恵を出すことで、プロジェクトが動き出すわけで、結果的に、インドネシアではすばらしいプロジェクトにさらに伸びて行くわけです。評価をするというのは、非常に難しいのですが、その段階でプラスかマイナスかではなく、どういった方向へ持って行ったら、そのプロジェクトが評価されるようになるのかという視点も私は必要だと思います。

牟田: プロジェクトを実施した人の責任はどうなるかという観点ですが、JICAが独立行政法人になり、実績評価ということがされますと、個人にまで責任が及ぶかどうかは別として、少なくとも、担当したグループの評価というものには繋がって行くと思います。評価をした人の評価はどうかというのは、おもしろい観点です。といいますのは、評価をした人が良い、悪いではなく、たとえば、評価をする人の基準が違うことがあると思います。私は杉下さんとよく仕事をしますが、他の人と比べると私は仕事の効率性というものを追求します。つまり、同じお金をかけるのなら、もっとできるのではないか、同じ事をするとしても、もっと安くできるのではないかという点を他の人より、もっと厳しく見ます。しかし、杉下さんは多分違う見方をされると思います。たとえば、自立発展が大事だという観点をお持ちの方もいます。ですから、だれが評価をしたかで、評価の結果が少し変わるのです。どのくらい違うかについては、JICA報告書の中に私の書いた物がありますので、そういうものをご覧いただければと思います。そういうことを考えますと、一人だけではなく、グループで行えば、客観的な評価ができると思います。また、数字で測れないものについては、専門家として判断します。先ほど、ODA大綱は及第点とおっしゃいましましたが、可にするか、良にするかは判断です。判断の基準は個人によって違います。ですから、いろいろな人を組み合わせて評価をすれば、客観的な評価ができることになります。同時に、誰が評価をしたかということを今はきちんと書いてあります。評価報告書をみれば、この評価者は大体こういう基準で評価をするということが逆に分かります。ODA評価報告書にいつも名前を載せている人は、100人もいません。私どもは報告書に自分の名前を書きますが、それは誰に見られても良いという気持ちで書いています。それが評価をする者の一つの自己規制になっているわけです。現状としてそれ以上の改善点はないであろうと思っています。グループで評価する、あるいは、一人で行ったものは別のグループがそれを見るというように、評価結果の客観性を担保しています。

質問者D: 評価を国民に分かりやすく説明する方法を牟田先生、杉下先生からお聞きしたいと思います。

牟田: 難しいが、大事な質問です。専門家が客観化して評価すると、評価の結果がわかりにくくなることがあります。成果を難しい数式ではじき出すといったことに慣れていないに人は益々分かりにくくなる。評価結果はすべてオープンにしています。JICA、JBIC、外務省でもホームページに全部載っています。せっかく多くの人がご覧になっても、今のご質問のように難しいことが書いてあって、分かりにくいということがあります。タウンミーティングの席で、いくつかの案件について、こういう結果が出たという説明をすることも大事だと思います。日本評価学会というものを3年前に作りまして、ODAのみならず、公共事業、公共政策の評価についても議論をしているところですが、学会で議論をすればするほど、中身が非常に専門的になって行きます。測りにくいものをどうにか数値化するということは、普通の人が聞かれてもおもしろくないわけですが、確かに税金を使って評価をするので、もっと分かり易く知らしめよというのは非常に貴重なご意見ですし、個人としても学会としても、そういうことをやっていかなければいけない思っています。

杉下: 学者や専門家が集まると、誰でも公平で納得する評価を作りたいということで、マトリックスを作って説得力、公平性、中立性を出す方向へ行ってしまいますが、そうすれば、そうするほど、一般の人たちからは訳のわからない評価になっていくジレンマがあります。評価はホームページや報告書で読むことができますが、一般の市民の人たちがそれを見て、どこまで信用しているかという問題もあります。公開度は高いのですが、一般の人から見て、信頼度については疑問が残るのではないかと思います。メディアの立場から申し上げると、ジャーナリズムの悪い習慣なのですが良いものは基本的に書かないです。ひどいプロジェクトというというのはそれほど多くはないです。私が知っている限り、概ね良くできているが、中には問題のあるのもある。メディアというのは、そういう悪いものを報道するのが仕事です。良いプロジェクトを書いたって切りがない話で、ニュース性に乏しいわけです。皆さんは悪いものだけを読まれるから、日本のODAというのは、悪いものだけをやっている、あるいは、失敗ばかりしていると悪い印象ばかりを強く持たれると思います。メディアによる評価というのは、ジャーナリズムの立場からもいろいろと考えさせられます。もう一つ、現在の評価のやり方ということですが、評価者は現地に行って、担当者から資料をもらって、説明を受けながら、駆け足で現場を見て帰ってくるケースが多い。もちろん、行く人はそのプロジェクトの専門家ですが、そのプロジェクトが地域の人たちにどういう影響を与えているのかという細かいことは見えにくいわけです。要するに、JICAやJBICや外務省から与えられた資料を読んで、数値の整合性を見るだけで、判断するしかなくて、そのプロジェクトがそこに住んでいる人たちの生活にどのような影響を及ぼしているかということは、なかなか判断できない。そこに評価の限界があると思っていまして、その地域に住んで、地元の人の生活ぶりをみて、そしてプロジェクトが地元の人にどのように浸透してどのように役立っているか、どういう効果があるのかについて、長期間にわたり定点観測をしないと本当の評価というものは出来ないと思います。ですから、これは無いもの強請りなのですが、究極の評価に近いものをなんとか見つけ出して、皆さんの納得したものを公表したいということを考えているところです。

牟田: 2年前の外務省の経済協力評価報告書の中に、私が書いたものがございますが、いわゆるプロジェクトのレーティングというものを50件位実施しました。いろいろな評価の観点、OECDの援助委員会で決めた観点、妥当性、効率性、効果といった観点を絡めて、1、2、3、4、5という点数をプロジェクトにつけます。合計点をグラフにすると、大体平均が3.4とか3.5と数字の少ない方が尾を長く引くような形になります。大体は中くらいより良くできていますが、中には数件悪いのがあります。私は全体として非常に良いと判断するのですが、一般の人がご覧になると、この一番低いのは何だろうと思ってしまいます。どこのプロジェクトで、どこの誰がやって、担当は誰かという風な話の方がおもしろいものですから、どうしてもそうなりがちです。いろいろな理由がどこかへ行ってしまって、最終的にはレーティングだけが一人歩きしてしまうのですね。一人歩きしても良いから、レーティングを毎年出すということが個人的には良いと思うのですが、いろいろな影響を考えて、今はプロジェクトのレーティングは外に出していません。もちろん、不正というのは別です。しかし、一番悪いのは誰だということで血祭りに上げれば、誰だってそんなことをされたくないのですから、評価を個人の弾劾に利用するとなると、個人の常として隠そうとしたくなり、評価ではそれをほじくり出そうということになります。これは非常に不幸なことです。評価というのは、あいつが悪い、こいつが悪いというあら探しをするのではなくて、コンサルティングのようなもので、どこを改善していけばもっと良くなるかという視点でやっていくものです。やはり自発的にみんなデータを出してもらって、長期的にODAが良くなる方向に持っていきませんと、評価でがんじがらめになってしまって、誰もそんなことに協力するのは嫌だということになってしまいます。そうなってODAが良くなることはないと思います。評価というのはプラス思考で行かなければと考えています。

質問者E: ODA大綱については、日々の生活の中ではなかなか理解することはできません。大綱の中にある基本方針というのが、援助政策の立案・実施の中で必ず全てにまんべんなく反映されると理解して良いのでしょうか。杉下先生がパブリック・コメントの中からジェンダーという言葉が入ったと言っておられましたが、どういう観点から入ったのか教えていただけないでしょうか。

司会: 基本方針ですが、これらが今後すべてのODAの実施の際に反映されるのかどうかというところを城所さんからお願いします。

城所: 基本方針ですが、お話にあったとおり、ODA大綱にこのように書きこまれたので、このラインで我々の仕事が動くのですが、実質的には、我々は、従来からこのラインで仕事をしてきています。従って、更にこのような明確な方針を出して、仕事をしていきましょうということです。たとえば、我が国の経験と知見の活用というところですが、我々はこれまでにもその分野で知見を採用してきました。たとえば、先程のポリオの件ですが、外務省やJICAだけでポリオのプロジェクトが動くのではなく、ちゃんと専門の研究所があって、そこの専門家の方々の所へ行って、技術協力をお願いしたりしています。そういう意味で、今までやってきたことをもっと明文化していこうということです。特に私が強調したいのは、国際協力における協調と連帯という点です。これは、昨今では一種の流行のように言われていますが、教育セクターで言えば、既に1989年にはフランスとUNICEFとの連携をやっています。90年代に入って、UNDPと日本との間で協議を行っています。要するにすべての点で行っているんですが、そういうことが明確でなかったので、さらに深く追求していきましょうということです。

司会: ジェンダーの視点についてですが。

杉下: 公平性の確保ということです。女性の地位向上に一層取り組むという文言が書かれていますが、公平性という意味で、女性に配慮した言葉で女性の地位向上を目指したと聞いております。

質問者F: ODAは一歩一歩改善していくという成果率を示して頂ければと思います。また、ODAによる国内の国際化への還元、青年海外協力隊への現場訓練を含む教育に配慮をして頂きたいと思います。

司会: ODAの英知を国内に生かせないかということと、海外に行く日本人の訓練ということですが、牟田さん、よろしくお願いします。

牟田: 最初の部分は、ODA大綱にも開発教育ということで書かれています。JICAでも、学校から要請があれば、海外で経験を積んだ人が、その経験を話すという協力をしております。また、生涯教育の場がたくさんあります。昨今は教育分野での援助も多くなり、学校の先生が海外へ行かれる機会が多くなりましたが、そういう先生が帰国されてから、子供達に海外での経験を話している例も聞きます。それから、出て行く人の訓練も大事です。長期の人の訓練については、JICAでもプログラムを組んでやっているのですが、短期の人の訓練については、十分ではないと言うところかと思います。もちろん、危険な所へ行く人にとっては、特別な訓練が必要というのはご承知の通りです。問題の改善率を示すという案には、大変賛成でして、そのように示せればと思います。もうひとつ、評価が現場に負担を懸け過ぎていると感じています。特に、評価が精緻になればなる程、データをたくさん出せと言われるようになりました。私は評価の専門家ですが、見極める上でどういうデータが大事かということについて、私自身にも分からない点があります。100のデータを出せといわれますが、100の中のこの10が大事なんだということがだんだんとわかってくると、基本的な変数が分かって、負担も軽減できると思っています。それも評価の研究課題の一つであり、大きな課題だと考えております。

司会: 杉下さんも大学で教育している立場ですので、先程の教育について一言コメントをお願いします。

杉下: 若い層の国際協力への認識には素晴らしいものがあります。日本の援助の現場へ学生を連れて行くとほとんどの学生が国際協力の重要性をたちまち体で理解するようになります。若者は最初から偏見を持っていないから、すごく自然な形で国際協力に参加して行く。我々が危惧するまでもなく、日本の若い世代の国際理解は進んでいると思います。若い世代の国際協力理解推進に貢献しているものの一つとして海外青年協力隊を挙げたいですね。ある地域に協力隊OBの人が一人いるだけで、その人と接触した何百人という若者たちが途上国を肌で感じ、自然体で国際協力を理解して参加してゆきます。協力隊は毎年1000人以上の人が海外へ派遣され、日本に帰って来ることで、地域にそのような成果が出てきていると思っています。それ以外もNGOの方たちとの接触の機会も増えており、そんなに危惧することはなく、日本人の国際協力意識は高まっていると思います。

司会: 最後の方、よろしくお願いします。

質問者G: 一般的なことで恐縮ですが、援助実績をみると日本が1位でアメリカが2位です。貴重な税金を使って援助をしているのですが、これだけの援助をしていることが、世界各国に知れ渡っているのか疑問です。メディアを使って、ODAではどういうことをやっているとか、日本でこういう援助をやっているとか、大いに宣伝すべきだと思います。アメリカは民主主義を広げることを大前提として援助をしているということですが、日本はやはり人類の幸せということを掲げて世界にアピールすべきです。エイズが東南アジアやアフリカにこれからも広がっていくと言われていますが、その背景には貧困や低い識字率が原因としてあると思われますので、そういうことを目的の前提として掲げては如何でしょうか。

司会: 1つ目の質問は、顔の見える援助についてですが、それが海外でどのようになされているかという点を城所さんからお願いします。

城所: ご指摘の点はごもっともですが、JICA、JBIC、外務省ともにODAのPRがうまくないと思います。確かにおっしゃる通り、毎年約1兆円を超えていた時期もあるわけですから、もっとうまいPRをすべきだと思います。在外公館では、ODA大使館として、JICA、JBICが一体となって、日本が何をしてきたかということをPRしております。これからも更にPRしていこうと思っています。何故、援助が必要かということですが、第2次世界大戦後、最初に手をさしのべてくれたのは、実はアメリカでした。また、社会・経済インフラが全く無いときに、新幹線、東名高速道路、名神高速道路、主な火力発電所、主な自動車工場、黒部第4ダム等は、すべて世界銀行の融資で作られました。それらが無ければ今の日本がないのです。世界銀行への返済が終わったのは1990年。先程お話ししたとおり、日本がトップドナーになった時期です。そういう意味で、現在、これだけ繁栄していますが、十分に水が飲めない、十分にお医者さんがいない、教育が受けられないような国が、全世界の190ヶ国中、160ヶ国もあるという現実に対して、我々は目を向けるべきです。また、日本が全部それをやるのではなく、日本の援助により途上国から卒業していった国、即ち南の国が、新たに南の国をサポートしていくというのが本来の援助の姿だと思っています。

司会: 人道支援をもっとしてほしいということですが。

杉下: 途上国の中でメディアがある程度発達しているところでは、日本のODAのことが数多く報道されています。日本の経済協力というのは、途上国では我々が思っている以上に知名度が高く、海外で感謝されています。広報に関しても、城所さんは控え目に言われたと思いますが、在外公館、JICAの事務所等が、現地のマスコミのツアーを組んで、プロジェクトを見学させたり、テレビを開所式に意図的に呼んだり、日本のODAのことがかなりの量で現地で報道されています。ですから今言ったように、途上国においては、日本の経済協力はかなり知られています。日本国内よりもたくさん報道されているくらいです。それから、平和の定着についてですが、これは新しい開発協力のあり方の問題です。開発協力というのは、相手国の一部の人を太らせるというのが目的ではなく、相手国の庶民に届く協力です。これからのODAは、底辺の庶民に届くことによって貧困者を少なくくしたり、環境を守り、男女や人種の差別を無くす人間の安全保障に繋がります。平和の定着というものは、国民生活の安定がない限りないという基本的なコンセプトに基づく考えです。

城所: 昨年ですが、ラオスの副首相が来られた時にお土産に持ってこられたものがあります。それは、日本の援助で作った橋がデザインされているお札でした。先程、杉下さんが言っておられたように、国によっては、日本の援助は非常に広く知られています。それから平和の構築ということですが、例えば、スリランカの場合、政府とゲリラとの和平をODAによって促進しよう、つまり、ODAを使ってコンフリクトそのものを終わらせて、平和を築いて行こうという非常に強いメッセージが、今作っている国別援助計画には書かれています。そういうことで、ポスト・コンフリクトではなく、コンフリクトを終わらせることもODAの役割ではないか、そうことが出来れば、日本の外交上、非常に大きなことになると思って頑張っています。

質問者H: 誰も言わないので、私が申し上げます。中国に対する援助のことです。核兵器を持つ程の国に対して援助する必要があるのかという議論があるかと思います。戦後賠償の一面を持っているとしても、一兆数千億円もの援助をしてきたわけですから、これ以上の援助をそういう国に対して必要なのかという点についてお伺いします。

司会: 城所さんは外務省の立場で、牟田さん、杉下さんは個人的意見で答えて頂きたいと思います。

城所: 日本と中国との関係には、グローバルな点があり、今いろいろな点から考慮しております。他方、従来型の協力を続けていくのは如何なものかなということもあり、数字的には、ここ数年間でかなり減ってきています。環境案件とか、北京と地方の格差は大きいですから、本当に地方へ絞った支援とかになってきていると思います。ですから、従来のラインを継続しているというわけではありません。

牟田: 対中援助では、借款が大きな割合を占めています。しかし、中国自体が強い力をつけてきていますので、今後は中国に大きな借款が出ることはあまりないと思います。城所さんがおっしゃったように、環境や地方の貧困という面に限って、技術面での援助を行うことは必要と思われます。逆に、これからは中国に貸した借款が日本に返ってきて、日本が中国に出す分よりも、中国から日本に返ってくる分が増えてくるようになると思います。

杉下: 対中援助については、皆さんお考えの通り、不満が多い、納得できない事が多いということは良くわかるのですが、ODAというのは、先ほども申し上げましたが、政治的な側面が強いです。これからのことは別にしまして、過去10年間、15年間は、日中関係が、決していい関係ではなかったにせよ、破滅に至らなかったことには、ODAの効果が非常に大きかったと思われます。中国は、ここ十数年間、国作りをするために巨額のお金を必要としました。そこで、使い勝手のよい円借款は、中国にとっても感謝する一面があったわけです。もし対中円借款が行われていなければ、アジアの安定と平和というのは今程ではなかったのではないかと思います。やはり、アジアの2つの大国がそこそこの関係を保ってきたのは、ODAの政治的な肯定面の評価ではなかったかと思います。これから中国は日本の援助を必要としない時代に入っていますし、新しい日中関係ができてくると思いますが、これまでの対中援助は、少なくとも政治的評価からみれば、それなりの効果があったのではないかと思われます。

司会: 最後に今日の感想を一言ずつお願いします。

城所: ODA大綱が公表されてから最初のタウンミーティングでしたが、非常に貴重なご意見を頂きました。水戸でもNGOに対してご関心を持たれている方が多いということで、我々も、日本の隅々までNGO支援を広めて行きたいと考えております。

牟田: 評価ということが、非常に重要であると私は訴えてきましたし、会場からはそれについてのご理解も頂いたと思いました。また、そういうことをもう少し分かり易く説明してくれとのご意見ですが、ご尤もなことだと思います。これからはどう分かり易く説明をするかということを研究してみようと思っています。 

杉下: 地方自治体に限らず、住民も含めて今は地方のパワーが非常に強いです。これからは、日本の改革は地方から行われている時代に入っていくと思っています。国際協力もまさに地方からのパワーで、方向性を変えていくのではないかと思っています。私は最近、国内のいろいろな場所を歩いていますが、地方のほうが、国際協力、国際理解が遙かに進んでいます。そういう全国からのパワーを中央に結集すれば、日本の経済協力のあり方を変えることができると思うので、是非、皆さんにはODAも厳しくウオッチして頂き、皆さんの足が地についた活動を政府の外交政策なり援助政策なりを動かす力にして頂きたいと思っております。

司会: ありがとうございました。私からも感想を一言申し上げますと、やはり国民参加ということが大切で、透明性、情報公開、評価といったものが示されれば、我々も、ODAをより深く知ることができると思いました。皆様もお付き合い下さりありがとうございました。会場からの貴重なご意見をこれからのODAの実施に活かして頂きたいと思います。これでタウンミーティング・イン・水戸 を終わらせて頂きます。
このページのトップへ戻る
目次へ戻る