ODA

案件検索

ODAロゴ国際協力50周年記念シンポジウム
日本の援助は現地からどのように見られているのか
議事録

プログラムはこちら(PDF)をご覧下さい。

日時:2004年11月15日(月)午後2:00~5:30
開催場所:国連大学(ウ・タント国際会議場)
共催:外務省/国連大学/JICA
後援:日本経済新聞社/朝日新聞社

写真 清水牧子(司会):みなさま、お待たせいたしました。本日は「国際協力50周年記念シンポジウム――日本の援助は現地からどのように見られているのか」にお越しいただきまして、誠にありがとうございます。ただいまより、シンポジウムを開催いたします。

まず始めに、開催にあたりみなさまへのお願いとご案内をいたします。携帯電話をお持ちの方は、大変恐れ入りますがアラーム音をお切りになりますよう、ご協力をお願いいたします。そして、お時間の最後のほうに質疑応答をご用意いたしておりますが、質疑応答・ご発言の際には、御三方に一本ご用意しております卓上マイクをご利用ください。この卓上マイクは、緑のボタンを押すと電源がONになります。また、ご発言を終了されたときには、電源をOFFにしてくださいますよう、こちらも併せてご協力をお願い申し上げます。それでは、ただいまよりシンポジウムを開始いたします。申し送れましたが、本日、司会を務めさせていただきますフリーアナウンサーの清水牧子と申します。どうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございます。

今年は日本のODA開始50周年を迎える節目の年であることから、日本の半世紀に渡る国際協力の歴史を振り返る、国際協力50周年記念事業が各地で展開されてきています。本日のシンポジウムは、50周年記念事業の中でも中心的なイベントとして位置づけられています。では、まず始めに主催者である外務省の兒玉和夫経済協力局審議官より、冒頭のご挨拶と本シンポジウムの目的についてご説明をしていただきます。では、よろしくお願いいたします。

兒玉和夫(外務省経済協力局審議官) 兒玉和夫(外務省経済協力局審議官):ただいまご紹介いただきました外務省経済協力局審議官の兒玉です。冒頭に際しまして、主催者側である外務省を代表して一言ご挨拶を申し上げます。まず、本日のこのシンポジウムを共に開催していただくことになりました国連大学、そしてJICAの両共催団体に対して心からお礼を申し上げます。また、日本経済新聞社および朝日新聞社に後援をしていただいていることにつきましても、お礼を申し上げます。

今もご紹介がありましたが、日本が戦後復興期にあって、いまだに貧しかった昭和29年10月6日、日本政府はコロンボ計画への加盟を閣議決定し、開発途上国に対するODA(政府開発援助)を開始いたしました。この日にちなみ、10月6日は国際協力の日と定められ、国民のみなさまの国際協力への理解と参加を呼びかけてきています。今年は、先ほどもご紹介がありましたように、ODA開始50周年です。9月・10月・11月と、この3ヶ月間、国際協力記念月間としていろいろな形で、国内で行事を催してきました。本日のシンポジウムでは、ODA援助を受取って実施する側からの視点に焦点を置いて、日本のODAについていろいろな形で議論をしていただきたいと思っています。50年前、日本はまだ貧しかったと申しました。しかしながら、そのときに次のような議論が日本の国会で行われました。少し、それを読み上げます。これは1958年3月18日の参議院の内閣委員会での議論で、外務省のマツモト政務次官が「なぜインドに円借款を供与するのか」という質問に対し、次のように答弁をしています。「日本は財政的にも経済的にも豊かな国であるとは申されないのでありますが、復興途上において国内的にやはり資金が足りないという面もございますので、わざわざ外国に援助するまでもない、という議論もあります。しかしながら、国際間の諸般の情勢、経済外交推進の観点から考えましても、やはりこれをむげに断るわけにはいかぬ面もございます。貧者の一灯と言われておりますが、インドにとりまして、アメリカから借りた1億5000万ドルよりも、貧者である日本から5000万ドル借りたほうがよほどありがたい」というような、やりとりでございます。ここで分かることは、50年前のやりとりではありますが、日本自身が貧しい中で乏しい資金を遣り繰りしてでも、外国援助に回すことが国際社会で生きる道であるという志。そのためにODAが発足当初から外交政策の一環として位置づけられてきたということです。やはり、50年前を振り返りまして、そのような志でわれわれは政府開発援助を始めたのだということを確認しておくことは、意味があることかと思います。

その後の歩みについては、ごく簡単に申し上げます。日本は50年間で約7万人の専門家と約2万5000人のJOCV(青年海外協力隊員)を世界の166の国や地域に派遣してきました。また、176の国や地域から27万5000人もの人々をわが国に受入れ、技術指導などの研修を実施して、世界の国や地域における人づくり・国づくり・自助努力支援に貢献をしてきました。そして日本はこれまでの50年間で2210億ドル、単純に平均しまして1年あたり国民一人が約3700円のODAを実施してきたということになります。私どもは、日本のODAは国際社会において高く評価されていると自負がありますが、他方で今日、日本の経済財政状況が厳しい中、日本のODA予算が平成10年以降毎年削減され、この7年間で3割カットされたという現実もあります。そこには、日本国内における国民のみなさま、タックスペイヤーとしての視点からODAをより戦略的・機動性・透明性を持ってさらに効率性を高める努力をすべし、という叱咤激励の声も含まれていると思います。そういう意味で本日のシンポジウムにおきましては、ぜひ日本のODAについて忌憚のないご批判、評価をいただくと共に、日本の援助の強さ、良さは何かということも確認できたらと思います。それと同時に、ODAの不易な部分と、ODAが進化して変わっていく必要がある点があるとしたら何であるのかというようなところに、本日のシンポジウムの議論を通じてヒントが得られれば私どもとしましてはこのシンポジウムの開催の意義が達せられると思う次第です。

本日は、基調演説をUNDP親善大使の紺野美沙子さんにお願いしております。更に、スピーカーとして在京のブラジル大使、フィリピン大使、スリランカ大使、そしてタンザニア大使の4大使のご参加をいただいています。この場を借りて誠にお礼を申し上げます。また、コメンテーターとしても、アムダ理事長の菅波さん、日本経済新聞編集員の原田さん、そしてJICAの神田さんにコメンテーターとして参加いただいています。ぜひ本日のシンポジウムを盛り上げていただきたいと思います。あらためて主催者代表としてお礼を申し上げて、私の冒頭のご挨拶と代えさせていただきます。ありがとうございました。

清水アナウンサー:ありがとうございました。冒頭のご挨拶でございました。続きまして後ほどモデレーターもお勤めいただきます国連大学の横田洋三学長特別顧問から冒頭のご挨拶でございます。よろしくお願いいたします。

横田特別顧問 横田特別顧問:兒玉和夫、外務省経済協力局審議官、それから紺野美沙子国際連合開発計画親善大使そしてパネリストおよびコメンテーターのみなさま、ご列席の各国大使の方々、そしてご来場のみなさま、本日は日本の政府開発援助50周年記念シンポジウムに足をお運びいただきましてありがとうございます。共催者であり、また会場をお使いいただいております、国際連合大学を代表いたしまして海外出張中のハンス・ファン・ヒンケル学長に代わりまして一言ご挨拶申し上げます。

日本の政府開発援助、いわゆるODAは50年前の1954年に第二次世界大戦後コロンボ計画に参画して以来今日まで続けられております。その間日本は、経済成長を遂げ、それと共に日本のODAは質、量共に年を追うごとに拡充され1990年代には世界第一位の供与額を誇るまでになりました。ここ数年は経済停滞や財政の悪化を反映しまして、第一位の地位をアメリカに譲りましたが、今日もなお、9千億円近い多額のODAを毎年提供しております。この日本のODAは、外務省の無償供与それから本日のシンポジウムの共催者である国際協力機構JICAを通しての無償技術協力、それから国際協力銀行を通しての有償支援等、様々なルートそして様々な形態を取って行われております。そして、さらに日本のODAはこの国連大学もそうですが、その他国連開発計画、国連児童基金(UNICEF)、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)、世界銀行等多くの国連関係の開発機関を通しても実施されております。経済協力は経済的、技術的に余裕のある日本のような国が世界の国の3分の2以上を占める途上国に必要な資金、資材、人材そして技術を提供してより豊かでより健康で、より充実した生活を人々が享受できるように協力することが目的です。従って、経済協力は途上国政府そして何よりも途上国の人々が主体性を持って推し進めるべきものであり、日本等の協力国あるいは、UNDPのような協力機関はその途上国の努力を支援する立場にあります。従って、日本のODAもその評価は最終的には途上国政府、とりわけその途上国の人々がこの日本のODAをどう見ているかということにかかっていると言っても過言ではありません。その意味で本日のシンポジウムのテーマが日本の援助が現地からどのように見られているかという副題になっているということは特別の意味がこめられているとご理解いただけると思います。そしてまた、パネリストには世界各地域を代表する国々の大使の方々に参加していただきまして、ご意見、お考えを伺うことになっています。このことも途上国の立場に立ってのODAという観点から意義があるものと考えております。本日のシンポジウムを通して日本のODAが今後一層途上国の人々の生活の向上と安定に役立つものになることを祈ってご挨拶に代えさせていただきます。ありがとうございました。

清水アナウンサー:ありがとうございました。冒頭のご挨拶でございました。では、続きまして国連開発計画(UNDP)の紺野美沙子親善大使より基調演説をしていただきます。紺野親善大使は女優としてテレビ、映画、舞台でご活躍される一方、著作活動も行っていらっしゃいます。また、1998年にUNDPの親善大使に就任されてからは世界各地のプロジェクト現場を訪問なさっており、1999年にはカンボジア、2000年にはパレスチナ、2001年にはブータン、2003年にはガーナをご訪問なさっています。また、今年の7月には東ティモールをご訪問し、UNDPが関連するプロジェクトの視察や同国のシャナナ・グスマン大統領との会見もなさいました。そして、同じ時期にこの国をご訪問した外務省主催のODA民間モニターと日本政府拠出のプロジェクトの合同視察もなさいました。このように多くのプロジェクト現場訪問のご経験をお持ちの紺野大使でいらっしゃいます。それではまず、東ティモールご訪問の際のVTRからご覧いただきまして、引き続き紺野大使より基調演説をいただきたいと存じます。それではよろしくお願いいたします。

紺野美佐子UNDP親善大使のVTR:2004年7月私は21世紀最初の独立国、東ティモールを訪れました。豊かな自然に恵まれた小さな国は、幾多の紛争を経て、ようやく平和を手にし歩き始めたばかりでした。まるで幼い子供のように。

首都ディリの至るところに見られる崩壊した建物。1999年の直接選挙直後の紛争でほとんどの公共施設が破壊されたのです。長い戦いの歴史を経て誕生した国、東ティモール。その国創りはゼロからの出発でした。

国の発展に教育は不可欠。しかし、教育の中枢を担う国立大学も破壊の対象となってしまったのです。現在、施設の復旧と新しい設備の導入が進んでいます。再び学ぶ場を得た学生達は、これからは国のために貢献したいと熱く語ってくれました。

紛争で夫を失った女性を支援するために職業訓練所が造られました。彼女達が学ぶのは伝統的な織物、タイス作り。今やタイスは彼女達にとって重要な収入源になっています。タイスのおかげで子供を学校に行かせることができて本当に嬉しいと語る女性は見事なタイスを織り上げていました。

農業を大きな柱としてきた東ティモール、紛争で荒廃した国土を耕し、再び実り多き大地を得るために日本のODAの協力を得て、新たな農業技術の支援が行われています。元兵士だった男たちは銃を携えていた手に鍬を持ち、作物の育て方を学んでいました。ここで習得した技術が国を豊かにすることを願いつつ。

争いは多くの憎しみを生みました。独立か否か。同じ東ティモール人でありながら、対立し傷つけあった人達。彼らの憎しみを取り除かなければ恒久的な平和は望めません。真実和解委員会は膨大な聞き取り調査を行い、直接対話の場を設けることで人々のいくつもの憎しみを和らげてきました。

私は、開発援助は子育てに似ていると感じました。子供が自立するまでには、膨大なエネルギーと時間と見守り続けるまなざしが必要です。そしてそこには、何よりも平和がなければならないと。全ては平和から始まるのだと。

清水アナウンサー:まずは、東ティモールご訪問の際のVTRでございました。それでは紺野美沙子親善大使をこちらのほうへとお迎えいたします。よろしくお願いします。みなさま拍手でお迎えください。

紺野美佐子UNDP親善大使 紺野美沙子(UNDP親善大使):みなさんこんにちは。UNDP親善大使の紺野美沙子です。本業は女優業ですが、UNDPの親善大使をして6年になります。ちょっとこういう場所は慣れていないので非常に緊張しておりますが、よろしくお願いします。親善大使に就任するまで、国際貢献、国際協力、ODAもそうですけれども、そういう現場とは全く無縁でまいりました。こういった仕事に携わる前の私のODAに対する印象というのは、テレビ、新聞などマスコミを通じてのものでした。マスコミにはいつもODAの、ほとんど失敗例はないのでしょうけれども、そういう場合に新聞などには大きく取り上げられることが多いです。ですから、私は一市民として、日本のODAは本当に役に立っているのだろうか。よく日本の支援は顔が見えないとかハード、箱物中心等と言われているけれども、実際はどうなのだろうかという素朴な疑問がありました。

私が親善大使として初めて訪問した国はカンボジアでした。そこで私は、日本のODAによって派遣された青年海外協力隊の人達、技術協力、技術の専門家の方たちにお目にかかる機会がありました。ある人は、電気やガス、水道がないところで保健衛生指導のために奔走している看護婦さん。また、ある人は小学校で初等教育に携わっていた学校の先生。そして、道路の補修や地域の公民館の建設等、建設会社の方もいらっしゃいました。そのときに私が強く感じたのは、ODAを支える国際協力、国際貢献の場で最前線で額に汗をして働く人々の姿はなかなか報道されにくいということでした。悪いニュースは、大きく報道されるけれども、実際にこんなに素晴らしい成功例がある良いニュースというのはなかなか取り扱われないということをそのときに私は強く感じました。

今回の東ティモールでもそうです。東ティモールというのは、みなさんご存知のように1999年の独立を問う選挙の後に大きな騒乱が起きて、首都ディリを中心として東ティモール全土、ほとんどが破壊されました。その当時は日本国内でも大きく報道されましたが、それ以降、2002年5月の独立以降は日本を始め国際社会の関心というのはイラクに移ってしまってその後の東ティモールはほとんど報道されることがありません。そういったところがひとつの問題ではないかと思います。

今回私は、ODAモニターという全国各地から選ばれた一般のモニターの方とご一緒したのですが、そういった一般の方にODAの現場を見ていただき、そしてまたそれぞれの地域に戻ってその方たちが見たこと、感じたことを積極的に伝えていただくということはとても大切なことではないかと思います。私自身の役割もそうですけれども、まずODAについて関心を持っていただく、一人でも理解をしてくださる方を増やしていくこと。いわば、ODAサポーターを増やしていくような感じでしょうか。それはとても大切なことだと思います。

東ティモールの場合でも、今とても有意義なODAのプロジェクトが行われています。日本が得意とする技術面での協力、そして人づくりに関する部分がとても私は強く印象に残りました。例えば今、VTRにも出てまいりましたけれども、東ティモールならではのプロジェクトで真実和解委員会というものがあります。それはどういうことかというと、長い間独立派と反独立派が対立してきたわけですけれども、これから東ティモールという今世紀最初の独立国ができて、その国づくりのためにはやはり今まで対立してきた同じ民族の人達の和解から始めなくてはいけないということで、真実和解委員会というプロジェクトがそれぞれの立場の意見を聞いて、当時何が起こったかを調べて、お互いに和解に導く。これから共に暮らしていくために和解に導くというプロジェクトです。それも日本の支援によって運営が行われています。その他にも、元兵士の問題。それはどの途上国でもあると思いますが、元兵士の方達に農業指導を行い、実際にみなさんそれぞれの住んでらっしゃる地域で農業ができるように指導していくことですとか、後、紛争によって破壊された国立東ティモール大学を修復してその授業に必要なための機器を全部日本から導入して、そしてその機械だけではなく、その使い方パソコンもそうですし、様々な工科大学ですからそういった授業に必要な機器の使い方を指導する。きちんとした技術指導もJICAの方によって行われていました。それから、東ティモールというのはこれから外貨を獲得するために一番有望視されているのがコーヒーです。そういったコーヒーの外貨獲得のためのきちんとした生産のシステム、システム作りというものもODAによって行われていました。

そのように日本のODAによって何よりも国造りに大切な人造りがあちこちで行われているということをより多くの人達に知っていただきたいと思います。それから、東ティモールではつい最近まで自衛隊によるPKO活動も行われておりました。それも、地元の人に非常に感謝されておりまして、PKO活動によって、土砂崩れの後が修復されたり、きちんとした舗装道路がどこまでも続いていて、本当に感謝されています。それもイラクのPKO活動の影に隠れてあまり報道されませんでしたけれども、そういった事実も知っていただきたいと思います。そのために私もこれから微力ながら、親善大使として私自身が見てきたこと、感じたことを伝えてまいりたいと思います。

今日はあまり時間がないようですので、最後になりますが、今回私が東ティモールで強く考えさせられたことが二つございます。ひとつは、ちょうど訪問した時期が7月の下旬でした。今年の7月の下旬です。日本が例年にない猛暑で大変だった時期です。その猛暑の日本から東ティモールにまいりました。東ティモールというのは、本当に全てがこれからの国です。法律もインフラも何でもある国・日本から、何もない国・東ティモールに行って、エネルギーの観点から見てもこれほどまでに格差があって良いものだろうかと思いました。猛暑の日本は、どこに行ってもこれでもかというくらいクーラーが効いています。それは日本全国津々浦々どこに行ってもそういう状態です。その反面東ティモールは、そういったエネルギーの恩恵を全く受けることのできないアジアの最貧国です。そのありとあらゆる部分での格差を少しでもなくしていかない限り、世界的な平和というのは訪れないのではないかなと思いました。確かに日本という国が戦後まだ何もなかった頃に戻るというのは難しいと思いますが、日本という国が今ここでもうひとつ謙虚になって、アジアのそして世界のリーダーとして、リーダーらしいODAの方法を皆で考える時期だと思います。

そしてもうひとつVTRの中にも出てまいりましたが、今回東ティモールを訪れてあらためて開発援助というのは子育てに似ているなと感じました。それはどういうことかというと、子供が自立するまでにはお金もかかりますし、時間もかかります。労力もかかる。だけれども、その結果が出るまでに非常に長い時間が必要なわけです。それと共に、お金を子供に対していっぱい遣った親はそれなりの効果を期待します。こんなに投資したのに何でこの子ちっともできるようにならないのかしらとそう思う親も少なくないはずです。開発援助というのもそれと同じように、例えば東ティモールに対してこれだけの援助をしているのになかなか成果が得られない、そういった現場の焦りみたいなものを感じたことも事実です。でもやはり子供にはそれぞれ個性があるように、その国や地域にもその国や地域の文化や価値観にあった開発の仕方、援助の仕方があると思います。これから、日本のODAは各国の政府、国際機関、NGO、そして何より一番大切なその主役であるその地域の人々との連携を深めて、限られた予算の中で一番効果的にできることは何かということをぜひ日本の世界のリーダーとして推し進めていっていただきたいと思います。今日はどうもありがとうございました。

清水アナウンサー:どうもありがとうございました。もう一度大きな拍手をお願いいたします。紺野美沙子親善大使でございました。最前線のODAの現場、そして貢献する人々の姿等、お話を伺っていて大変よく頭の中に絵のように写りまして、興味深く配置をさせていただきました。それでは、引き続きまして世界各地の国々の在京大使のみなさまから本シンポジウムのテーマである現地から見た日本の援助についてプレゼンテーションをしていただきたいと思います。それではみなさま方にはご登壇いただきまして、ここからの進行はモデレーターの横田国連大学学長特別顧問へお願いしたいと存じます。よろしくお願いいたします。

横田特別顧問:それではこれからシンポジウムに入らせていただきます。ご紹介いただきました国連大学学長特別顧問の横田でございます。このシンポジウムのモデレーターを務めさせていただきます。今日は、最初に4人の世界の各地を代表する国々の大使の方々にこの会場に来ていただきましてプレゼンテーションをお願いしたいと思います。大変時間が限られていますけれども、15分ずつということでお願いしたいと思います。なお、順番としましてはこちら側から英語の国名順のアルファベットで大使の席が決まっておりますが、今日はスリランカの大使がご都合で少し早めに退席をしなければならないという事情にありますので、順番を少し変えさせていただきまして最初にアムヌガマ・スリランカ大使にお話をお願いすることになります。なお、この大使4人のプレゼンテーションの後で休憩を取りまして、その後コメンテーターの3人のかたからご意見をお伺いした上で、会場のみなさまからもご質問、ご意見をお受けしたいと思いますのでどうぞみなさん活発に後ほどご発言いただきたいと思います。それでは、これから各国大使のプレゼンテーションをお伺いしたいと思います。今ご説明いたしましたように、スケジュールのことがございますので、まず最初にスリランカ大使のアムヌガマ氏にお話いただきます。

カルナーティラカ・アムヌガマ(駐日スリランカ民主社会主義共和国大使) カルナーティラカ・アムヌガマ(駐日スリランカ民主社会主義共和国大使):横田さんどうもありがとうございます。ご来賓のみなさま、そしてご参会のみなさま、まず最初に本日のシンポジウムの主催をされました外務省に対しまして、今回お招きくださいましたことを心から御礼を申し上げたいと思います。本日は援助受入国の視点から日本のODAについてお話をしたいと思います。ここに集まっているわれわれは援助受け入れ国を代表しているわけですが、これまでの長い間日本のODAによって随分お陰をこうむってきたわけであります。すなわち、これから変わり行く世界の中で日本のODAはどういう風に変わっていくのか。どのようなモデルを構築し得るのかということについて大変関心を持っているわけでございます。スリランカの代表がこのシンポジウムに呼ばれたのは二つの理由があると思います。

まず、最初の理由からですけど、全てはコロンボから始まったからであります。日本のODAは1954年に始まりました。それは、日本がコロンボ計画に参加したからです。それが、日本の技術支援の始まりでした。また、コロンボ計画は1950年に作られたものです。英連邦の外相会議がコロンボで開かれて、そしてそのときにコロンボ計画が作られ、1951年から実施されました。それは、南アジアそして東南アジアに対しての経済援助を提供するというのがその目的でした。しかしながら、これはあまり知られていないのですが、アジアでの経済開発のメカニズムはこのコロンボ計画によって作られたのです。だからこそ、日本のODAはスリランカと深い縁を持っていると言えましょう。スリランカの非常に有名な政治家であるジャワラ・ディーン氏はこのコロンボ計画について1951年サンフランシスコ平和会議の席でこのように述べております。「コロンボ会議は日本を例外的なケースとは考えない。そうではなく、南、そして東南アジアの一員として日本が参加し、そして多くの富とそして人口が集中している地域に対して支援をするという意義がある。そして、この会議からは二つのアイディアが生まれた。ひとつは、独立した日本である。もうひとつは、南アジア、そして東南アジアの人々に対して経済および社会的な開発を進めなければいけない必要性がある。それを確実にするためにコロンボ計画が始まったのである」というふうに述べているわけです。

そして、2番目の理由、私がここにいるもうひとつの理由ですが、このスリランカというのはひとつのとても良いケーススタディになるのではないかなというふうに思います。つまり日本のODAの政策が新しい世紀を迎えて非常に変化しつつあるというそういうひとつの様子を示す良いケースだと思うわけです。それは、日本が今、スリランカの和平プロセスに貢献をしていることを表しているわけで、後でもう少し詳しく申し上げたいと思います。

今日の私のプレゼンテーションは3つから成っております。最初の部分では、私は日本のODAについてアジアのコンテクストでどのように行われてきたのか。特に、南西アジアに焦点を当てて、お話をしたいと思います。また、今日日本のODAの役割が変化しつつあるということについてお話したいと思います。そして第2番目にスリランカのような小さな途上国に対する日本のODAの意味づけについて、特別な意味についてお話をしたいと思います。また、供与国と受入国の関係のダイナミズムについて、また、日本のODA、また将来のODAのモデルについて、の課題についてお話をしたいと思います。

さて、このコロンボ計画の当初の目的に沿って日本は二国間ODAの大半をアジアの諸国に提供してきました。タイの50%から60%に当たります。これは1950年代にこの東アジア、そして東南アジアに焦点を当てるという地政学的な、また戦略的な理由があったということですけれども、それ以来日本のODAは一貫してアジアに照準を当ててきました。それは、ODA大綱に述べられておりますし、中期政策にも述べられています。日本は、最初南アジアについてはあまり関わっておりませんでした。しかし、1960年代から1980年代にかけましてこの南アジアに対する日本の貢献というのは、急速に拡大いたしました。従って、冷戦が終結するまでに南アジアの諸国におきましては、トップの二国間援助供与国になったわけです。そして、それは日本のODAの全体の4分の1を占めるようになりました。また、1990年以降南西アジアにも重要な役割を演ずるようになりました。つまり、まるで日本が1990年以降に南西アジアを再発見したようでした。1990年代にこの世界の秩序というものが変わったということで、それに対する外交政策の再調整があったのだというふうに思います。これに対しまして、小泉首相が2004年にスピーチを行っていらっしゃいますけれども、私自身このアジア全体の統一というものが非常に重要であるということを認識しているというふうに述べていらっしゃるわけです。この観点からするならば、日本の南西アジア、そして東南アジアにおけるこの結び付きというもの、あるいは交流というものがますます拡大されるようになったわけです。新しい、そして質的に異なった日本とスリランカの関係が始まったのは2000年以降のことです。それはスリランカの和平プロセスの支援という形で始まったわけです。

私はもう既に申し上げましたけれども、日本の外交政策というのは、1990年代に質的に変わったというふうに思います。それは、国際秩序が変わったということ。そして、新しいこの脅威が世界の安全保障を脅かすようになったからです。そのことによって日本はその役割を見直すようになりました。そして、日本はこの紛争の仲介役、そして平和の構築者として非常に目立った役割をアジア各国で演ずるようになりました。人権保護の促進、民主主義の促進、あるいは平和構築また、紛争の解決、管理というようなものに携わってきたわけです。それはそのODAのプログラムなどを通じて行われたものですが、これが新たな日本にとっての優先課題になったわけです。日本は非常に積極的にこのスリランカの平和促進に貢献をしてきたわけです。そして、日本のNGOはまた平和や再建の分野で台頭してまいりまして、世界の平和そして安全保障の促進役として知られるようになりました。このようにシナリオは変わりつつあるということで、南アジアは新しい重要性を持って考えられるようになりました。急速な経済発展がインドで起こっておりますし、また技術的な進歩も起こっています。日本のODAが南アジアに対してどれくらい振り向けられているのかというのを見ましたけれども、1990年代のデータを見ましても、非常に積極的な配分がされているのが分かります。この新しい日本の役割というのは、この地域の政治、そして社会開発に決定的な影響を与えたと思います。

次に、2番目の部分に入りますけれども、この日本にとってスリランカの関係において最も重要な外交政策というのは日本のODAであったというふうに思います。それは、その通りだというふうに思います。1977年の後、日本からスリランカに向けられましたODAの流れはまさに他の西側からの供与の流れを超えるものでした。日本はわれわれにとりまして、単一の最大の援助供与国になったわけです。そして、日本のODAは多くの途上国における経済発展、そして繁栄をもたらしたわけです。しかしながら、それは決して経済開発のひとつのファクターであるということではなく、貿易および投資というものもとても重要な役割を経済発展においては果たしたと言えましょう。スリランカの場合もそうでした。経済が1977年に自由化されました。そして、日本との貿易が活発になったわけですが、スリランカの第2の、最大の貿易相手国になってわけです。しかしながら、その貿易の関係ですが、この関係というのは1977年から今日に至るまで変わっていません。日本はわれわれにとっては最大の貿易相手国ですが、貿易のバランスはかなり日本のほうに有利な形で推移してまいったと思います。すなわち、非常に貿易格差があるというふうに思うわけです。そして、日本の直接投資ですが、これは例えば北米とかヨーロッパとか他の東アジア、あるいは東南アジアに対してかなり行われてきたということで、この数十年間で随分伸びましたが、しかしながらスリランカに対しましてはまだまだ非常に少ない規模であるというふうに思います。そして代々の政権がいろいろな努力をしてまいりましたけれども、今でもやはりこのFDIというものをもっとひきつけたいという風に思っているわけであります。

日本はスリランカの経済開発を助けてきました。それは資金的、そして他の資源を提供するということですが、これは譲許的ローンを通じたものでした。つまりFDI、あるいは投資というよりは譲許的ローンというのが主な手段であったわけであります。もちろん、この日本のローン、有償援助によりましてインフラ整備が行われたというのは事実です。こういうことは多くの途上国で行われているわけですが、しかし片や外国投資のほうはこの数年間伸びてきませんでした。ですから、確かにたくさんのODAというものが提供されて、人と人との関係というのが非常に強くなったというふうに思いますし、また二国間の関係も大変良くなったと思います。しかしながら、どこかでやはり不平等なこの援助供与国と受入国との間にあるというふうに思うわけです。ですから、本当の意味で豊かな経験を蓄えたいというのであれば、今までのようなこういう援助供与国とそして受ける国の関係のパラメーターをどこかで越えなければいけないと思います。

さて、将来の課題は何でありましょうか。現在の日本にとってひとつの課題というのはODA予算が削られているということです。様々な財政的な圧力などもあるかと思いますが、しかしながらこのようなシンポジウムが今日開かれているということは、なんとかしてこのODAの戦略的な重要性をもう一度この外交の舞台で取り戻したいと言う熱意の表れではないかというふうに思います。長い間経済的な不振の時期が続いたということ、そしてまた非常に批判的な世論もありまして、それを反映して日本のODA予算というのは1998年以降カットされてきました。これは、他のG7の諸国とは対照的です。彼らは9月11日の事件の後、ODA予算を増やしております。日本の実際の2003年ODA支出は、4年続けて前年度を下回ったわけです。2001年に日本はアメリカにODAのトップの座を譲りました。これは援助供与国の日本にとりましては、大きなチャレンジであるというふうに思います。そして、2005年にはこのミレニアム開発目標の進捗状況についてのレビューをすることになっておりますので、そういう意味で日本にとってはつらいことではなかったかというふうに思います。

ODAの削減ということですが、これは日本の予算の赤字を反映したものです。しかしながら、もうひとつ言えることは日本の世論の支援が段々なくなってきているということでして、様々なODAのシンポジウムが今月、この10月に開かれております。そして、日本のODAのプログラムを将来どうすれば良いのかというような議論が行われているわけですが、本当にこれによって何か具体的な解決策が見つけ出されるのかどうか、それはよく分かりませんけれども、例えば、ODAが税金によってまかなわれるというようなこともひとつでありますし、また、その世論が支援をするということも不可欠の要素であるというふうに思います。

そして、一般の人達にODAが本当にこのように役立っているということを知らしめるということも重要ではないかというふうに思います。つまり、日本の国益というのは本当にこのODA政策と緊密な結び付きを持っているということを理解する必要があるのではないかなというふうに思います。日本ではODAは非常に批判されているというふうに聞いております。それは、ひとつはその透明性がないからです。ですから、もう少しそのODAの支払額については透明性を増す必要があると思います。このような改革というのは、外務省が行わなければならないことだというふうに思います。そうすることによって、世論のODA支援というものも回復するのではないかなというふうに思います。そして、NGOを通じたそのODAに対する一般国民の参加というのもひとつであろうというふうに思います。

今日の日本というのは、様々な重要な役割をこの変わり行く世界で演じているわけですが、日本は国連にも深い役割を演じるようになっています。そしてまた、国連の安全保障理事会においてその常任理事会になるというようなキャンペーンも行われているわけですが、これも新しい日本の外交政策の一部です。日本は、これまでのようなODA予算の削減というような流れを逆にして、ぜひ国民の指示を得て、また国際的なコミュニティの支持が得られるような存在になって欲しいと思います。そして、21世紀世界の平和を促進する日本のODAであって欲しいと思います。どうもありがとうございました。

横田特別顧問:アムヌガマ大使ありがとうございます。非常に強いメッセージをいただきました。そして、非常に建設的で有益なご提案を日本のODAの将来に関していただきました。先ほど申し上げた通り、残念ながらアムヌガマ大使はちょっと先約がおありでして、もう退席されなければなりません。しかし、ここに来る前に大使はおっしゃいました。どのような質問であれ、あるいは今の質問に対する確認等があれば書面で書いた形でいただければ、後でそれに関してお答えをすると、そのようにおっしゃってくださっています。アムヌガマ大使非常に有益なスピーチをありがとうございました。

続きまして、次のスピーカーはイヴァン・オリヴェイラ・カナブラーヴァさんでいらっしゃいます。駐日ブラジル連邦共和国大使カナブラーヴァさんお願いいたします。非常に長い素晴らしい外交の背景をお持ちになっておられます。駐日大使になられます前には、駐アンゴラ大使、駐イスラエル大使などもお務めになっています。それからまた、日本にいらっしゃる前に5年間東京に講師として駐在した経験もおありでいらっしゃいます。では、今日のお話を楽しみにしております。カナブラーヴァ大使お願いいたします。

イヴァン・カナブラーヴァ(駐日ブラジル共和国大使) イヴァン・カナブラーヴァ(駐日ブラジル共和国大使):ありがとうございます。ご参会のみなさま、本日はこの素晴らしい国際協力50周年のシンポジウムに招いてくださいましたことを大変嬉しく思います。タンザニア、フィリピンそしてスリランカの大使と共にお招きくださいましたことを大変嬉しく思います。来年は、国連の改革についての会議が開かれます。そして、そのときにはもしかすると安全保障理事会の常任理事国が拡大されるかもしれない。そしてまた、ミレニアム開発目標の進捗状況を中間評価する年でもあるわけです。このいずれもブラジルと日本は重要な役割を演ずると期待されております。国際社会のイニシアチブと支援、そして制度的な枠組みの強化においてこの二つの国は協力をしていくということになると思います。

第11回国連貿易開発機関の会議で、これはこの6月にサンパウロで開かれたのですが、日本のヤマザキ大使がこの開発というのは最も大きな問題であるというふうにおっしゃいました。それは現在の国際社会の現状を考えてそうであると。そういったときには、途上国のやはり自助努力というものが重要であり、それと同時に国際社会の支援というものが非常に欠かせないのである。それがないと、ミレニアム開発目標は達成できないというふうにおっしゃったわけであります。また、ヤマザキ大使は国際社会に対しまして日本はこれまで全てのありとあらゆる政策ツールを駆使してODAを実施してきたというふうにおっしゃったわけです。ブラジル政府は、この言葉というのは素晴らしい、日本の人格を表すものであるというふうに思いますし、また日本人のプライドを表すものであるというふうに思います。

ブラジルにおきましては、政治的なコンセンサスがありまして、技術的、そして財政的なリソースを駆使いたしまして、このミレニアム開発目標を国際社会が達成できるというこのプロセスを支援したいというふうに考えているわけです。一方で、ブラジルはまたその開発目標を実施、達成するにあたってはやはり全国挙げた官と民の協力が必要であるというふうに思っております。また、ルーラ大統領の指導の下ブラジル政府はあらゆる所得支援を行ってまいりました。そして、それをひとつの全国プログラムに実施したわけです。また、ルーラ大統領はこの貧困の撲滅というようなことを大変重要視しておりまして、2004年9月20日ニューヨークにおきましては、この世界の貧困と飢えを撲滅するための指導者たちの宣言というものが採択されました。非常に短い宣言ではありますけれども、大変意義の深いものであるというふうに思います。もちろんこの飢えと貧困との戦いというのは、そんな簡単なものではありませんで、やはり教育であるとか、医療であるとかありとあらゆるものが政策が必要であるというふうに思います。

メキシコで、モントレー開発資金会議が開かれましたけれども、それ以来国際社会はこのミレニアム開発目標と言うのは、意識的に取組まなければ決して達成することはできないというふうに宣言を出しました。そして、この援助供与国の中にはGDPの0.7%というODAの目標を達成したところもあります。また、時期を切っていつまでにそれを達成するんだといったところもあります。これは、非常に希望の持てる兆しではありますが、しかしながら2015年までにこのMDGsを達成するためには500億ドルが不足しております。もちろん日本は、最近経済不況であるとかあるいは財政赤字というのに苦しんでおりまして、このODAに対して疑問視するような声が出ています。これは世界の心配の種でもあるわけです。

その結果日本のODAというのはカットされたわけですけれども、ブラジルはこれまで日本から様々なODAを受けてまいりました。それは国際協力銀行によりますソフトローンであるとか、JICAの技術協力というかたちで提供されたわけですが、ブラジルは中所得国ではありますが、今でも最貧国の抱えるような問題を一部抱えております。ブラジルはこれまで積極的に日本と良い関係を築こうと努力をしてまいりました。そして、ODAのプログラムの実施を図ってまいりました。過去40年間日本はブラジルにとって、最も重要な技術協力パートナーでした。そして、このプロジェクトを通じまして、JICAは数千のブラジルの職員に対しまして専門知識を授け、そして人間開発のトレーニングをしてくれました。それは、公衆保健であるとか環境であるとか農業など、いろいろな分野に渡ります。非常に成功裡にこれらの協力プロジェクトが実施されました。そうすることで、穀物生産、主に大豆、とうもろこしは、大きく進歩したわけです。その中でもブラジルのサバンナのセラードで行われましたセラード開発プロジェクトについてお話をしたいと思います。

プロデセル・プロジェクトと呼ばれている農業の近代化プロジェクト(セラード)で、サバンナの生産性を飛躍的に向上させました。これは3つの段階に分けて行われました。その実施期間は79年から2001年にかけてでしたが、このプロジェクトは国際協力のお手本として国際的に有名になりました。ブラジルはこのおかげで多くの技能、そして能力を授けられました。今や農業、ビジネス分野のリーダーの国のひとつとなったわけです。ご存知かもしれませんけれども、ブラジルは世界の大豆の20%を生産しております。また、世界で第5番目に大きい国です。国土面積はアメリカ程あります。というようなことからこのプロデセル・プロジェクトの重要性がお分かりいただけるというふうに思います。その実施面積は2億ヘクタールにのぼります。日本の国土の5倍にあたるわけであります。このプロジェクトのおかげで、日本に対するブラジルの大豆輸出は20年間で1.6%から12%以上に増加いたしました。

日本とそれからブラジルの安定した二国間関係のおかげで非常に実りの大きい3カ国間協力も行えるようになりました。スタートしたのは2001年です。日本ブラジルパートナーシッププログラムが作られました。この目標は技術支援や社会開発を第三の国に拡大するというものでした。このプロジェクトにおきましては一流のブラジルの研究機関がアフリカの諸国、アンゴラ、モザンビークに対しまして技術トレーニングを行いました。パートナーシッププログラムの下、ブラジルはまた他のラテンアメリカの諸国に対しましてトレーニングを行いました。そして、東ティモールにもそれを授けました。先ほど紺野大使からもお話があったと思いますけど、私も東ティモール2回ほどまいりましたけれども、紺野大使におかれましては非常に重要な時期に本当にこの高潔なる使命を果たされたというふうに思います。この東ティモールはポルトガル語を話す人達がいるわけですけれども、失礼、東ティモールの言語はポルトガル語であるということもありまして、ブラジルとは浅からぬ縁があるわけです。

さて、この資金協力ですが、2003年までの間に14のODAプロジェクトが実施されましてその総額は17億米ドルにのぼります。これは全てJBICによって提供されたものでありますが、JBICのおかげで様々なプロジェクトが実施されました。最近、小泉首相もこちらにお出でになられましてこのプロジェクトの成果をご覧になったところです。これはチェテ川流域汚染除去プロジェクトということで、川の氾濫をコントロールするというプロジェクトでした。それからもうひとつミナス・ジェライスという所で行われましたジャイバIIというプロジェクトがあります。これは南米で最も重要な農業開発、灌漑事業として知られておりまして10万の新規雇用を生み出し、そして6千万米ドルの輸出収入をもたらすと期待されています。このように日本のODAには様々にお世話になったわけであります。

また、ブラジルのケースに加えまして日本が果たしているもうひとつのとても重要な役割があります。先ほどスリランカの代表がご説明になりました平和プロセスに置ける役割ということです。特に紛争終結後の平和構築ということに対しまして日本はますますこれから役割を期待されると思います。どうもご静聴ありがとうございました。

横田特別顧問:ありがとうございました。カナブラーヴァ大使、大変有用な情報をありがとうございました。特にラテンアメリカ諸国、ブラジルが日本のバイラテラル、またトライラテラルなアシスタンスをどういうふうに見てきたのかということについて貴重なお話をいただきました。後でまたディスカッションのときに触れたいと思います。

では次のスピーカーの方です。ドミンゴ・エル・シアゾン大使でいらっしゃいます。みなさん恐らくご存知の通り非常に長く友好的な関係を日本とずっと持ってらっしゃいました。日本語もお話になります。いつかお目にかかったときに日本語でお話になっているのを伺いまして、日本人の方かと思いました。でもそうではなく、大使であるということを自己紹介されましたときには本当に驚いてしまいました。でもこのように重要な方がこれほど素晴らしく日本語をお話になるということを知り、とても嬉しく思いました。二国間の間にさらに良き友好関係を築きかけようとなさっているわけです。93年から、失礼、95年までの2年間を一度駐日フィリピン共和国大使を務めてらっしゃいます。その後、しばらく外務長官を務められまして、そしてまた再び2001年から駐日大使を務めておられます。これから見ても日本が何をしているかということを非常につぶさにご覧になってきたということがお分かりになるでしょう。ではシアゾン大使お願いいたします。

ドミンゴ・エル・シアゾン(駐日フィリピン共和国大使) ドミンゴ・エル・シアゾン(駐日フィリピン共和国大使):ありがとうございます。兒玉審議官、横田先生、ご参集のみなさん、私はこの大切なシンポジウムに参加することができて本当に嬉しく思います。このシンポジウムは日本がコロンボ計画に加盟したこと、それから日本のODAの50周年を記念してとそういう形で今回開かれております。こうしたお祝い事は本当にアジアでこそ明白であります。というのも日本のこうした対外援助がここアジアほどの大きな成功を収めているところはないからです。アジアが受け取っています41%がこの2001年の場合には日本から来ています。これは、開発援助委員会のドナー国からもらっているその援助の中でです。2002年には日本のODAは60%はアジアへ行きまして、そして、特にその中でも東南アジアが非常に大きな優先事項になっています。1980年の場合には日本の対外援助は大体ASEANの国々が受けとっておりました、失礼、ASEANの国々の予算の15%から30%まで占めるようになっていました。それからまた、いろいろ電力発電にしましても、マレーシアの場合は46%、インドネシアは31%、タイは16%、フィリッピン5%は日本の円借款により作られたものです。こうした東南アジアでは、開発努力のためにこのインフラが与えている影響というのは素晴らしいものです。

成功にはたくさんの父親や母親があるわけですが、しかしASEANの現在の経済の活気には本当に日本の海外援助に大きく依存しているところがあります。しかしながら、この地域的ないろいろな緊急事態があったときも、日本は本当に迅速にASEANの国々に援助の手を差し伸べました。アジアの経済金融危機のときには宮沢プランで答えてくださいましたし、またSARSや鳥インフルエンザの場合には沖縄イニシアチブで答えてくださいました。ここ23年フィリピンは日本から94億ドルの援助を受けています。日本のODAの受け入れ国としては、インドネシア、中国に次いで3番目です。それからまた、これまでに円借款のパッケージそして日本の技術支援26のパッケージを受けております。それは、米ドルにして総計16億ドルになります。フィリピンはまた、6千万米ドル相当の無償供与を年間受けています。

日本はこのようにしていろいろと行ってきて、そしていろいろな業績を挙げております。その現在の役割、効果のある日本のODAの方向性に関しましては素晴らしいものがあるのですが、しかしいろいろと厳しい批判もあります。受入国のほうではこれは日本の対外援助であるということをほとんど認識していないと。あるいは、また日本のODAプロジェクトそのものに対して批判も聞かれております。また、日本国内ではこのような批判に関してもまたそれに答える形で厳しい批判が続いております。そこに加わるのが日本の財政状況です。そういうところからODAの質を抑制すべきであるという声が聞かれ、そして政府もそれに答えざるを得ない形になっております。しかし、こういうようなことがあるにもかかわらず、ODAプロセスに関して日本の納税者の興味関心が高まったということでこれが重要な改革をもたらしました。その重要な部分が透明であると同時に、いろいろなステークホルダー、例えば学者、NGO、地方自治体やコミュニティそしていろいろな機関による参加というか形で改革がもたらされたのです。ODAのプロジェクトが受入国のとって一番良い形で提供されるように、そしてそれをさらに改革させるために国別のガイドラインさえできています。

私は去年、日本協力銀行の環境インスペクタの候補を審査する委員会に唯一外国人メンバーとして加えていただきました。このJBICの環境インスペクタというのは、JBICが出しておりますプロジェクトは全てその環境や社会のガイドラインに沿ったものであるということを確かめるためのものです。

1992年のODA大綱が改定されたときには、この新しい改定ODAには非常に国益中心型の思考が見えるという方もいらっしゃいました。しかしそのプロセスの終わりを見ますとこの改定ODA大綱は、近視眼的であるどころか、あるいは自己中心的であるどころかもっと幅が広くなり、そして進歩的になってきています。そしてそれは、人間の安全保障の概念を確固としてその中に組み込んでいます。貧困の撲滅、紛争の解決、テロの防止、難民への支援それから感染症への緩和策その他環境や水問題に対してのいろいろな策が盛り込まれています。そして地元の人達やコミュニティのニーズに答えようというものです。

確かに日本のODA予算は減少しました。しかし、こうした現象にもかかわらず日本のODA予算は92.2億ドルと、これは2002年の額ですが、世界で2番目に大きなものであり、DACの国々の総ODAの5分の1を占めるものです。2000年から2001年この2年間の間、日本の人口一人当たりのODAは97米ドルでした。これはG7の国々では最大のものであり、全てのDACの国々で7番目に大きなものです。従って、私はODAの予算の減少がこれで日本の国民の間にODAの援助疲れが逆行できないかたちで表れている兆候であるというよりも、むしろ今見直しが行われておりさらに効率性のあるものにしようとしているのであると思います。改定大綱というのは日本の納税者のお金をもっと効果的に、そして戦略的に使おうとするものでしょう。地球環境の中での繁栄やそれから安全保障を高めるためのものでしょう。ですから、日本がODAを何のために向けるかということがODAそのものの額よりも重要であるといえるでしょう。日本の近隣所国、東アジアの近隣諸国はここ50年間日本のODAからたくさんのものを得てきました。その中には、自分たちが今他の国にODAを供与できるようなところまできています。日本のODAはまだこの地域で関連性があるのかという質問も出てきています。

東アジアは、経済成長をしたといっても経済的や金融的な危機も迎えてきておりますし、またビジネスサイクルも非常にマイナスのときがあります。ASEANプラス3の国々は、今はしかし貿易パートナーとして本当に中心的なものになっています。経済的な相互依存は高まってきているのです。観測者は日本のODAは東アジアではそれほど大きな役割を果たしていないという方もいらっしゃいます。貿易の自由化のほうがODAのお金を注ぎ込むよりも良いのだおっしゃる方もいらっしゃいます。確かに、ODA以外にも他の手段はありますが、途上国の国々に対して市場の開放、それから外資の投入、あるいは近隣諸国との経済的な統合などから言いますとODAはまだまだ重要な手段です。こうした経済の収斂にとって極めて需要なのは、統合にとって重要なのは経済状況が収斂するということです。1994年に、カナダ・アメリカのFTA自由貿易協定にメキシコが加わりました。そしていろいろと発展段階が違うところでもできるということを証明しました。そしてEUはこの5月には新たに10カ国を、これも開発状態が違う10カ国を加えました。ASEANと日本との間でも同じような例が見られるでしょう。それがASEAN日本包括的経済連携という形で生まれようとしています。このように収斂をしていくためには、二つの重要な要素があります。

そのうちのひとつが人材に関してです。日本のODAには自助努力ということがよく言われていますし、JICAの活動でも人々に魚を与えるのではなく魚の釣り方を教えるのだというキャパシティビルディングの重視、これが重要です。このようにして人材を育てていくということがASEANと日本の二国間のFTA交渉にもよくでてきております。ひとつ有望なのは、この日本の急速に高齢化する社会に関してです。日本では今5人に1人が高齢者です。そして2015年には4人に1人が高齢者になるでしょう。それは日本の社会保障、年金制度やそれから経済競争力にマイナス影響を与えるでしょう。もう日本のヘルパーさんの協会というのがこうした日本の人口状況の違いが、日本の農村部においてヘルパーさんが不足するという状況を生み出していると認めております。その場合にフィリピンの看護士さんやヘルパーさんを雇うということも今はひとつの大きな可能性です。しかしその前にまず言語の訓練が必要です。これを可能にしていく、どうやればできるかということが今、日本フィリピン経済連携協定の中でもひとつの交渉材料になっています。この面でも日本のODAは役割を果たせるでしょう。いろいろと看護士やヘルパーさんに対する訓練プログラムを提供していくのです。同時にこの人材開発というのはこの地域統合の人間の顔の部分です。日本のODAはASEANと、いろいろと技術的な研修生や学生それから学者の人達との交流を増やしていきます。2003年、日本には10万9089人の人たちが登録しておりましたが、そのうちの93%がアジアからの人でした。しかし、タイやマレーシアやインドネシアやフィリピンから来ている人はたった5%です。ODAというのはもっとたくさんASEANからの生徒を招くためにも使われるのではないでしょうか。彼らは日本にやってきて勉強し、非常に長期的な友好関係を築いて行くでしょう。この途上国同士の南南協力、人材開発こそ日本の持っている自助努力の哲学によく即したものです。

二つ目のこの人材の育成と同時にもうひとつ、インフラの構築が必要です。フィリピンにあります日本商工会議所の方もよくおっしゃいます。投資がフィリピンに来ないのはインフラが不足しているからだと。ベトナムやカンボジアやラオスなどこの問題はもっと深刻です。東アジアでは、今アジアの債券市場を打ちたてようという動きも進めています。しかし、これが全面的に設立されるまでは、これから日本のODAがいろいろその国の前進のための公共事業に仕えていくことが必要です。輸送やコミュニケーションや、それから電力施設を作るのです。インフラ整備のためには、ASEANの国々が日本の円借款を使うことが良いと思います。日本の円借款は世界銀行のローンやアジア開発銀行の借款よりも利率が安いからです。これを批判する方もいらっしゃいます。ODAのこの円借款というのは日本の民間企業が海外にビジネスを広げていくための手段に過ぎないという人もいます。しかし、日本のこうした円借款というのは、実際に返済能力のある国にしか供与されていません。アフリカの国々の中で返済ができないようなところには、日本はODAとしてもっと無償供与を渡しています。従って、こうした批判に対抗するためには、今後もっと透明性を帰すれば良いでしょう。受入国のグッドガバナンス、それからもっと透明性のある、開放性のある、そしてもっと協議を続けるようなやり方がいいのです。そしてまた日本のODAの安泰化ということも必要です。地域のいろいろな開発の格差、これを削減していくためにも日本のODAは大きな役割を果たせます。東南アジアでの収斂を生み出すために日本のODAは二国間ベースだけではなくて今ではもっと地域的なメコン川の開発にも向けられています。ODAのプロジェクトが、ここでは5つの国とそれと中国の一地域に向けられています。つまり、質の高い人材と質の高いインフラこそ、これは収斂をもたらすソフトウェアでありハードウェアであるわけです。それがなければ効果的な地域経済の統合は達成できません。そして、それが達成できなければ急速なグローバルな変化にも向かっていけないのです。

最後に日本のODAが地域的な統合に、安全保障ということでどういう役割を果たせるかということを少々申し上げたいと思います。これまでの古い地政学的な秩序が終わり、今は新しく民族的な敵対関係それから紛争が出てきておりますが、こういう中で日本の改定ODAは人道問題に焦点を当てています。特に平和構築での協力です。明石元国連事務次長がおっしゃった通り、もしODAが小規模のものであれ、非常に上手に使うことができれば、そして迅速に、ダイナミックに使うことができれば、平和のために非常に大きなプラスのインパクトを持つことができます。ODAはこのように、平時のとき、平和なときに長期的な開発のためにも使えますが、そうではなくて、もっと短期的に平和の定着のためにも使えます。例えば難民やそれから国内避難民の救済、対人地雷の除去、そして武装解除や動員解除、そして彼らの社会的統合、選挙への支援、ベーシックサービスの回復などに使えるわけです。日本はこのようなPKOの活動のためにも、今その協力をし、そのプロフィールを上げています。日本に対してはODAの支援をいただいたこと、特にフィリピン南部の平和構築にいただいたことを感謝します。アフガニスタンの人も、インドネシアのアチ州の人も、スリランカの人も、カンボジアの人々もきっと私たちと同じ感謝の気持ちだと思います。日本のODAは50年にも渡り人々のライフライン、生命線でありました。これからも多くの人たちの生活を改善していくことができると思います。的を絞り、効果性をもたらせばであります。以上です。ありがとうございました。

横田特別顧問:どうもありがとうございました。大変有益な情報をいただいたと思います。特に日本のODAの重要性に触れられました。そしてASEAN地域の統合や、東アジアの統合という大きな目標にも資することができると、そうおっしゃったわけです。そしてまた、日本のODAというのは、途上国あるいはその国の人たちを助けるだけでなく、相互的に助け合うことができるようなもの、つまり、日本もODAから助けられる部分があるのではないかとおっしゃいました。日本の高齢化社会にどう対処するかということについて、日本も学ぶことができるとおっしゃったところに大変感銘を受けました。それでは、最後になりましたがエリー・エリクンダ・エリネーマ・ムタンゴ駐日タンザニア連合共和国大使からプレゼンテーションをしていただきます。大変豊かな外交経験をお持ちで、大使として東京においでになる前にアンゴラ大使をお務めになりました。また、国連その他の機関のタンザニア代表も務められました。そして2000年から現職についておられます。それでは、ムタンゴ大使よろしくお願いいたします。

エリー・エリクンダ・エリネーマ・ムタンゴ(駐日タンザニア連合共和国大使) エリー・エリクンダ・エリネーマ・ムタンゴ(駐日タンザニア連合共和国大使):外務省の兒玉審議官、横田先生、ご来賓閣下のみなさま、そしてご参集のみなさま。最初にこれまでのわが国に対する日本のODAで非常に成功した例についてお話しすることから私のプレゼンテーションを始めたいと思います。そしてその後、簡単に日本のODAがアフリカ全体にどのようなインパクトを与えたかということをお話し、そして、数多く残されているアフリカ開発に関する挑戦についてもお話したいと思います。最後に日本のODAにアフリカが寄せる期待についてお話いたします。

タンザニアは幸運です。といいますのも、タンザニアは日本の対アフリカODAの優先国として選ばれているからです。私たちは実際に無償供与の受入国としてトップに位置しています。またタンザニアは、日本が部門ベースのバスケットファンド、つまり農業部門の開発プログラムにお金を出してくれる数少ない国であると同時に、2001年からは、ノン・プロジェクト無償供与は直接予算支援に使えるという数少ない国でもあります。日本のODAはタンザニアに対して、特に農業や基礎教育、基礎保険、そして医療サービス、基本的なインフラ、森林の保全など、こうした重要分野に向けられています。特に農業分野では、日本は他のドナーと一緒になりながらいろいろと援助のコーディネーションを行なっています。また、無償供与や技術協力との調整をとりながらやってくれています。そしてまた、日本は農業部門での地方自治体のキャパシティビルディングにも協力をしてくださっています。教育の分野では、日本は教室や学校を作ったり、技術協力をしてくださったり、また教員養成や遠隔教育、成人教育にも携わってくださっています。こうしたいろいろな支援、その他のドナーのサポートも得まして、小学校の就学率が非常に高まりました。タンザニアの場合には、ミレニアム開発目標、特に初等教育を普遍化する目標は2015年となっていますが、2016年には達成できる見込みです。日本の支援により、道路や橋、コミュニケーション、電力ネットワーク、水道、下水道、廃棄物処理施設など、こうしたさまざまな基礎インフラの構築も進んでいます。都市人口が増えてきますとこうしたものがとても重要になります。わが国の首都、ダルエスサラームの舗装道路の20%が日本のODAによって作られたものです。また、電力の40%、電話線の30%も日本のODAによってできたものです。これによって、私たちの市場指向型の政策や民主化のプロセスが強化・促進されています。2001年の日本からのサポートは2億円を超過しています。私どもは日本の政府、日本の方々がこうした真の友好的関係を提供してくださっていることに感謝します。ODAはアフリカ全土を通して非常な効果をもたらしており、アフリカでここ10年間に起こったプラスの開発促進に大きな貢献をしています。トニー・ブレア委員会は今年始めのアフリカの開発に関する報告書で、貧困にあえぐアフリカの国が15カ国減ったこと、そして10人に9人の子供が学校に通えるようになったこと、アフリカの19カ国でGDPが5%以上の成長を遂げていること、そして2004年現在、アフリカの32カ国で民主的な選挙で指導者が選ばれていると述べています。1973年は民主選挙で選ばれた国家元首は3カ国しかありませんでした。ダルフールやコートジボワールのような失望させられる紛争もありますが、2000年には19あったこうしたアフリカでの紛争は今では3から4に減っています。アフリカは、日本がアフリカの開発に対して示しているこうした関心に非常に感謝しています。日本は、対アフリカODAの主要提供国であることを、われわれは強く認識しています。それからTICADのプロセス、アフリカ開発会議を東京でずっとやってきてくれました。11年に渡るこの日本のリーダーシップについても感謝しています。この間、世界で非常に劇的なことが起きてしまいましたので、TICADがなければ、アフリカやアフリカ問題というのは国際的なプライオリティのリストから、もっと下のほうに落ちてしまっていたと思います。しかし、アフリカの現在の状況にはいろいろな挑戦があります。アフリカ連合委員長のコナレ博士が最近おっしゃった通り、現在の進歩の速度では、多くのアフリカの国々はとてもミレニアム開発目標を達成できません。特に状況が暗いのは、アフリカの23カ国であるとおっしゃっています。コナレ氏の見解は、アフリカを助けるためにもっと大きな努力がなされなければ、多くのアフリカの国々は状況がどんどんと悪化し、開発のレベルも悪化していくとしています。さらにコナレ氏は、アフリカの人口は20年以内に10億人以上になる、しかもその大半が貧しい人間であるともおっしゃっています。こうして貧困にあえぐアフリカの人々が先進国に移動してしまう可能性もあるということで、もっと多くのことを迅速に行なわなくてはならないという、強い信号です。アフリカがグローバル化の主流になれるように、よりアフリカを支援しなくてはいけないということです。コナレAU委員長は、先進国のほうでもっと大々的な協力が必要であるとおっしゃっていますが、それはちょうど第二次世界大戦後の日本やヨーロッパを助けるためにアメリカが大規模な支援をしたのと同じです。また、日本がアジアの隣国に対して行なったのと同じくらいの大規模の開発援助をするべきだということです。特に農業生産の拡大と開発など、アグロ関係の産業です。そして中小企業の促進、市場へのアクセス、資金へのアクセス、新しい技術へのアクセスと、若い人たちへのル用創出などが極めて重要です。アフリカは豊かに産出される鉱物資源や原材料を使えるよう、キャパシティを高めていかなくてはなりません。つまり、付加価値を国内でつけていく。そして輸出物にも付加価値をつけていくということです。これを充分に開発していくためには、現在のJICAの活動やプログラムだけでは充分ではないかもしれません。しかし、アフリカはそれを必要としていますし、日本はすでにそのための専門的知識も持っていらっしゃるので、日本の民間セクターも資金を持っていますので、JICAがこうしたプログラムをこのような路線に沿った形で作り上げていくことはできないでしょうか。JICAが日本のビジネスコミュニティともっと緊密な関係を持ち、例えばJBICやアフリカにあるその他の開発機関などと協力して何かをやっていけないものでしょうか。このような協力を通して、いろいろなプログラムを開発し、アフリカをこの方向性へ引っ張っていくことはできないでしょうか。この方向性とはつまり、アフリカに対して日本の民間セクターのプレゼンスと関与をもっと高めていくということです。アフリカでは日本に対して大きな期待が寄せられています。日本のすばらしい経済的・技術的な業績に対して大きな期待を寄せているのです。そしてTICADのプロセスを通して日本がいろいろとやってきてくださったこと、そして日本はまた、21世紀における安定性や繁栄はアフリカの問題が解決しなければありえないともおっしゃってくださっています。このようなことをおっしゃってくださった世界最初の国でもあります。では最後に、最近アメリカの「Foreign Affairs」の中に載っていたコメンタリーについてここで言及したいと思います。編集長のジェームズJr.さんが、「今、パワーは西から東へと動いていっている」とおっしゃっています。そしてそれが国際的なチャレンジを大きく変えていくであろうともおっしゃっています。そのような中で、日本こそが大きな柱だと思っています。東へと移っていくパワーのセンターです。ですから、私たちアフリカは日本に対してリーダーシップの役割を大きく期待しています。日本はしかるべきリーダーシップが取れると思います。以上です。ありがとうございました。

横田特別顧問:ムタンゴ大使ありがとうございます。アフリカは、ミレニアム開発目標の対象地域であります。そして特に日本がODAを通してアフリカの国々および人々と協力していくことによって、この重要な目標が達成できるのだという、そういうメッセージを頂きました。これに関してはまた後でいろいろとQ&Aのセッションで詰めていきたいと思います。非常にいいプレゼンテーションをしてくださってありがとうございます。

ここで、少しお休みをとりたいと思います。それでは司会の清水さんにマイクをお返しいたします。清水さん、どうぞ。

清水アナウンサー:ただいまより、10分ほどの休憩とさせていただきます。後半のプログラムの開始は3時50分からとさせていただきますので、そのお時間にはみなさまお席にお戻りくださいますよう、よろしくお願いいたします。ご登壇のみなさまありがとうございました。

(休憩)

清水アナウンサー:みなさま、どうぞお席におつきくださいませ。それでは、ただ今より後半を開始させていただきます。後半部分は、まず、前半の各国大使のみなさまによるプレゼンテーションについてコメンテーターのみなさまからコメントを頂戴いたします。それでは、ここからはモデレーターの横田国連大学学長特別顧問にお願いいたします。

横田特別顧問:それでは、短い休み時間でしたけれども、これから後半のコメンテーターの方のコメントを伺いたいと思います。席の順番に、JICAの神田道男さん、日本経済新聞社の原田勝広さん、そしてアムダの菅波茂さんの順番に、お一人7分ずつでご発言を願います。

ご存知の通り、神田さんはずっとJICAに勤務され、その中でマニラ事務所長、社会開発協力部長、無償資金協力部長、インドネシア事務所長等、大変な要職をお務めになられまして、現在は独立行政法人国際協力機構の上級審議役の地位におられます。それでは神田さん、よろしくお願いいたします。

神田道男(JICA上級審議役) 神田道男(JICA上級審議役):ご紹介いただきました国際協力機構の神田です。今日はODAの50周年記念ということですが、振り返ってみますと、私はこの仕事に入りましてほぼ35年になりますので、50年のうち35年関わってきたことになります。最初に、そうした私の体験を通じて実務的な観点から、50年のODA、特に私が関わってきました技術協力ないしは無料資金協力につきましてどこに特徴があったのかを少々述べさせていただきたいと思います。

すでに横田先生や各大使の方からもお話がありましたように、日本のODAは有償資金協力と無償資金協力、そして私どもが実施しております技術協力の3つの方法で実施をされていると思います。この3つの手段をそれぞれの国の実情に合わせてうまく組み合わせて実施してきたのが、日本のODAの非常に大きな特徴ではないかと思います。そしてこれらの組み合わせの中でも、例えば日本のODAの特徴として、他の援助国に比べて、ローンの割合が非常に大きいということがあると感じている次第です。インフラの整備に貢献してきたこともこれと関連しています。この3つの組み合わせの具体的な例としては、先ほどフィリピンのシアゾン大使から非常に具体的なお話がありました。それから、ブラジルのカナブラーヴァ大使はセラドの開発という形で日本の資金協力とJICAの技術協力の組み合わせで非常に大きな成功を納めたというお話があったかと思います。

二点目は、私の体験的な面が大きいわけですが、日本のODAというのはヨーロッパ以外の国で初めて近代化といいますか、産業化に成功してきたという経験を基にした協力だと言えるのではないかと思います。日本の経験と申しますと、ひとつは明治期における西洋文明への適用がありますし、もうひとつは戦後の復興の経験というものと、大きく分けて二つの経験があるのではないかと思います。日本の経験を生かしていろいろな援助をやってきたということが言えるかと思います。私がこの仕事に携わりました頃には、どういうふうに近代化を進めるかというところの経験を生かしてしていろいろな途上国に援助していく点が非常に多かったと思います。先ほどのお話の中でも、まだ貧しい中で援助を開始したというお話しがありましたが、そういった戦後の復興の経験を援助の中で生かしていくというようなことが、80年代からはずいぶんと取組まれてきたかと思います。そういった日本の経験の中で、日本の特徴というのは教育を重視し、人づくりを重要な点として考えていく点にあったと思います。また、保健衛生面の向上や道路、電気、そうした生活の基盤を整備をしていくというところにも大きなウェイトを置いて協力を行なってきたということが言えるかと思います。

三つ目の特徴といたしましては、シアゾン大使がご指摘になったところですが、それぞれの国の自助努力を基にした協力を日本は続けてやってきたと思っています。こうした中で、自助努力という言葉が「オーナーシップ」という形で最近は定着してきていて、オーナーシップに基づく協力を進めていくことが世界的な意味で共通の理解に至ったのではないかと思います。こうした理解を進めていく上で、日本の自助努力を中心とした概念作りというのは、非常に貢献してきたのではないかと考えている次第です。

過去の経験をこのように三つに分けてみたわけですが、今後の協力の方向はどう考えていけばいいかということがあろうかと思います。2、3の点を指摘したいと思います。第1には、現在、二国間援助という形で国と国の援助ということで計画を進めていますが、そうした協力に加えて、近年では地域間の協力というものが非常に重要な役割を果たしてきていると思います。日本の援助の中でも特に東アジアのASEANの地域、最初5カ国からスタートしまして今10カ国でございますが、こうした地域間の協力を高める形で日本が支援をしてきたということが過去の経験の中から良い経験として取り上げられるのではないかと思います。こういった意味で、1993年から日本が始めておりますアフリカに対するTICADのプロセスを通じることによって、アフリカ全体が共通の目標で開発を進めていくNEPADの取組などが始まっているということがあります。こうした形で地域協力をサポートする形で援助を進めていくという点がひとつ重要な点としてあるのではないかと思います。

二点目には、先ほどのお話の中に出ておりましたが南南協力の推進ということがあるかと思います。これは先ほど日本の協力の中で、日本の経験を基に協力をするということのお話をいたしましたが、いろいろな途上国がいろいろな形での経済発展をしてきた経験を有してきているわけです。日本の近辺で言いましても、韓国でありますとか、近年ではタイ、マレーシアなどもこういった経験を随分有してきています。そして途上国が自から開発を進めてきた経験を他の途上国に生かしていくというようなそれぞれのお考えを持っております。そうした考えを日本としても支援していくことが非常に有効ではないかと思います。現実にアジアのいくつかの国においてはアフリカへの協力というものに非常に関心を持って考えていただいているということがあります。また、中南米の国々においてもブラジルやアルゼンチン、メキシコにおいてはその他の中南米の国々に対して何らかの支援をしていくというようなことを具体的にやっています。JICAもまた、そうした動きを支援するという動きをとっています。そうした形で南南協力を進めていくことがひとつあるかとおもいます。

最後に、三点目といたしまして、これからの大きな課題となってきています平和の構築があるかと思います。平和の構築につきましては従来協力してきた開発援助とはまた少し違ったノウハウを必要としてくるということがあるかと思います。こういった点につきましては、日本が戦後復興をしてきたことを基にした経験を生かしていくことが重要になってくるのではないかと思います。それから、開発援助・平和構築のいずれにも共通することとしまして、人間の安全保障の観点ということで、それぞれの地域の住民あるいは一人一人の人間に、果たしてこの援助が届くのかあるいは届く道筋が明らかになっているのかというような観点を常時念頭に置きながら、今申し上げたようないろいろな形での新たな取組みをしていくということが大事ではないかと、今日の大使のみなさまのお話を伺って感じた次第です。

横田特別顧問:神田審議役どうもありがとうございました。JICAのご経験を中心に日本のODAのいろいろな点に関して、大変よく整理してまとめていただきました。また、新しい視点も提起され大変参考になると思います。

続きまして、アムダの理事長をしておられます菅波茂さんにお話を伺いたいと思います。ご存知の通り、菅波さんはお医者さんとして人生のキャリアを始められたわけですけども、やがて1984年にアムダを設立され、1999年にザンビアのルサカでJICAのプライマリーヘルスケア・プロジェクトの国内委員を務めてこられました。さまざまな社会活動を国の内外で展開しておられますが、今日はアムダの理事長として日本のODAについてのご見解を伺いたいと思います。よろしくお願いいたします。

菅波茂(特定非営利活動法人アムダ理事長) 菅波茂(特定非営利活動法人アムダ理事長):まず最初に、こういう場を与えてくださいました主催者の方々そしてODAの内容に関しまして非常に実りのあるお話をしてくださった大使の方々に感謝します。私はNGOの立場から述べさせていただきます。私たちNGOがODAに参加しましたのは1991年です。すなわち、コロンボプランから始まったODAは50年の歴史がありますが、私たちNGOがODAに参加しましたのはわずか13年の歴史です。そしてなぜ私たちNGOがODAに参加するようになったのかということが非常に大切です。それは1990年の湾岸戦争のときに、日本が140億ドルを出したにもかかわらず、クウェートがアメリカに感謝した30カ国の中に日本の名前がなかった、そのことから全てが始まっています。そして「顔が見えない日本」というのが日本中をパニックに陥れまして、そこで初めて1億7000万円という外務省からの補助金がNGOにつきました。実は税金がNGOに使われるということは憲法違反で、国が管理しない団体の教育と、こうした博愛事業にお金を使ってはいけないとなっているのですが、それでも私たちNGOがお金を使うようになった一番の理由は「顔が見える日本」をNGOのサイドで何とか発信できないかというところにあると思います。また、私たち日本のNGOの原点はそこだと考えて私自身は行動しております。顔が見えるということはどういうことかと言いますと、顔が見えないからお金だけではダメだから人を出せばいいというものではないと思います。ちなみに、今まで海外の人が日本に対して援助してくれたときに何を言っているのかというのが大きなヒントになります。ここで「賢者は歴史に学び、愚者は自分の経験しか考えない」いう諺を引用いたします。1951年にスリランカのJ.R.ジャヤワルダナ蔵相(のち大統領)がサンフランシスコ講和条約で日本に課された戦後賠償を放棄したとき、こう言っています。「日本は隣人である。そして私たちスリランカは仏教徒の国である。仏教徒は寛大な精神を持っている。従って私たちは戦後賠償を放棄します」とこのようにしっかりとしたメッセージを出しています。そして、シアゾン大使が言われましたように、「額」よりもその「質」、「なぜか」というところが一番大切になっています。そしてつい最近では1991年の1月の阪神大震災がありましたときに、フィリピンのラモス大統領が「1か月分の給料を被災者のために出す」というメッセージを出しました。なぜを出すのかというと、「友人として日本の被災者のために私の1か月分の給料を出す」ということでした。これによってフィリピンと日本の心理的な距離が非常に近まってきたという事実があります。従って、一番大切なのは「なぜ私はあなたに援助するのか」という、この基本的なメッセージを出すか出さないかが一番大切になってきます。欧米の国々は人権ということでこうしたODAをしています。私たち国連NGOでもあるアムダという団体は28カ国に支部がありまして、アジア、アフリカ、中南米におきまして、民族・宗教・文化の壁を越えて活動しています。例えば、宗教もキリスト教、イスラム教、仏教、ヒンズー教いろいろあります。そして、私たちアムダはフレンドシップのために、つまり「相互扶助」を行なっています。友達が困ったときに助けるのは友達の責務である、そして友達が困ったときに助けることでフレンドシップからパートナーシップという人間関係になります。この、パートナーシップになったときの精神を「相互扶助精神」と言います。そしてパートナーシップとは苦労を共にする人間関係です。ではなぜ人間は苦労を共にするのか。苦労を解決する過程において自分にないものを相手に見出したとき、尊敬の念が起きます。どんなに苦労が重くなっても相手が逃げないときに信頼が生まれます。すなわちパートナーシップという関係は尊敬と信頼という新しい人間関係を生み出すのです。そして尊敬と信頼という人間関係に入ったとき、民族・宗教・文化の違いを超えた新しい人間関係になれるのです。だから、私たちはお互いに援助しますという形で、28カ国の多様性に富んだ支部が一緒に前向きになって活動しています。このように、私はメッセージ性というのが一番大切だと思います。では、日本はどうしたらいいのか。今も新潟で大地震が起きましたので沢山の人が行っています。特に阪神の被災者の方が行っています。その理由をこう話されています。「今から9年前の阪神大震災のときに、私たちは新潟の人にお世話になりました。だから、今私たちは助けに行きます。」これは取りも直さず、相互扶助の考え方です。困ったときはお互いさま。これが日本の「なぜ人を助けるのか」という原則的な考え方です。これは私たち日本から、ODAに行っている国々は、多くは血縁共同体の社会で、ファミリーが一番大切な国で、フレンドシップが一番分かりやすいからです。私はメッセージというのは、平和や人間の安全保障は手段であって目的ではないので、大切なのは「あなたと私は友達なのだから、困ったときはお互いさまではないですか」という、このようなメッセージをしっかり届けることが一番大切だと思います。そういった意味で、ヨーロッパの首相が日本は友達は少ないのではないかとコメントを出しました。なぜかというと、日本が「私は友達だから支援します。逆に、私たちが困ったときは助けてください。」と言わなかったからです。歴史に学ぶとしたら、100年以上栄えている国というのは非常に珍しいのです。これが500年、1000年となるとまた変わってきます。今、日本が他の国を支援していますが、逆に日本にいろいろな状況になったとき、私たちは助けてもらわなくてはならなくなります。そうした中で、一番分かりやすい言葉はフレンドシップ、すなわち「友達同士、困ったときはお互いさま」というメッセージです。私たちには相互扶助に基づいた人道援助の3原則があります。第1原則は「誰でも他人の役に立ちたい気持ちがある」、二番目は、「この気持ちの前に民族・宗教・文化の壁はない」そして、一番大切なのが「援助を受ける側にもプライドがある」。すなわち、友達同士、人間同士助け合うとき、相手のプライド・人間の尊厳を傷つけてはいけないのです。そこをどう説明するのか。このメッセージなくして、ただ、金額がどうだったこうだったということは、あまり後には残りません。とりあえずは役には立ちますけど。しかし、友情を長続きさせていくためにはメッセージが必要です。このメッセージが欠けているところに今の日本のODAに最大の問題があるのではないかと思います。メッセージをしっかり出せば、金額を超えた新しい多様性の共存ができるのではないでしょうか。これが私たちNGOサイドの考えです。なぜ私たちNGOが1990年以後税金を使っているのか、なぜODAに参加しているのかというと、政府が行なっているODAに加えてNGOとしてもっともっと世界の人たちにメッセージを出していくという役割を担っているのです。この観点から私たちはODAに参加しております。どうもありがとうございました。

横田特別顧問:世界的にはもちろんですが、日本のODAの実施においても、今日、NGOの役割を無視しては考えられなくなってまいりました。その中でも、かなり早い時期から日本政府と協力して、政府だけではできないNGOとしての役割を果たすべく活動してこられたアムダ理事長の経験に基づく、非常に熱のこもったご発言だったと思います。

それでは、今度はジャーナリズムの立場から、先ほど日本の一般の国民にODAに対する理解が充分に伝わっていないのではないかというようなことが一部で発言されましたが、そういった点で、メディアの役割が大変重要だと思います。メディアから来ておられる日本経済新聞社編集員の原田勝広さんにご発言をお願いします。

原田さんは日本経済新聞社に入社以降、サンパウロ、ニューヨークなどの特派員・駐在員を務められました。日本新聞協会賞等も受賞されている、ジャーナリストとして大変注目される活躍をしてこられた方です。それでは、原田さんよろしくお願いいたします。

原田勝広(日本経済新聞編集委員) 原田勝広(日本経済新聞編集委員):日本経済新聞の原田です。大使のお話には非常に感銘を受けました。ODAの国内の議論といいますと、どうしても枠が小さくなりがちだと思いますが、世界の平和やアジアの繁栄と安全という広い枠組みの中で議論の土台を提供していただいたような気がします。大使のお話を前提にしまして、私の立場からコメントをさせていただきたいと考えています。

第一点ですが、ODAが非常に削減されているということについて、懸念されているのではないかと予想しておりましたが、やはり、全体のトーンとしてこれを指摘された大使が多かったのではないかと思います。日本のODAは、2000年まで、10年間に渡って世界最大の供与国、ナンバーワンの位置にありましたが、その後削減が続き、昨年の2003年には3割くらい減ったと思います。みなさんは第2位だと理解されていると思いますし、そう言われていますが、これまでの日本の下がり方と3位以降の上りの傾向をこのシンポジウムの前に計算しました。今年(2004年)の日本の実績はまだ出ていませんが、年末にフランスに抜かれる可能性が非常に高いです。それからさらに、来年の2005年になりますとイギリスとドイツにも抜かれます。つまり、第5位に転落するわけです。これは、日本が下がってきたという話をしましたが、上がっている国もあるためです。先ほどから話に挙がっている国連のミレニアム開発目標ですが、各国の一番のキーの目標は絶対貧困の半減です。これに向けて各国とも、例えば2006年までに対GNP比0.3%や何年までに0.7%というように目標を掲げています。アメリカも9.11以降はテロの温床として貧困は何とかして解決しなくてはいけないと考えるようになりました。今まで、アメリカはどちらかというとODAには冷たかった国です。それが、方向転換したので欧米各国が上昇傾向にあるのです。その一方で、日本は下がり続けているのです。昨年のODA新大綱の中にはっきりと、日本はミレニアム開発目標に向けて貧困削減に頑張るということが書かれています。かつ、これを指導している国連安保理の常任理事国に立候補しています。ということは、日本は世界からみると、やや矛盾に満ちている国ではないかという印象を与えていることは否めないと思います。日本もグローバルコミュニティーの一員であるという原点に立ち返るということを真剣に考えるべきではないかと思います。

しかし、第二点ですが、ODAの額が急激に増えるかというと、これはなかなか難しいでしょう。つまり、日本の財政状況、さらにODAのイメージは必ずしも良くありません。政治家の介入や日本企業がビジネスとして活用しすぎている点、途上国の汚職など、いろいろあります。さらに、最近では中国が充分に経済発展しているのにどうしてODAを供与しなくてはいけないのかという声も良く聞きます。ということで、やはりこれからは量よりも質です。質とは何でしょうか。私が考えまするに、やはり「トランスパレンシー」と「アカウンタビリティー」ではないでしょうか。はっきりとどのように流れているのかが、公正にみんなに見えることです。それから、これはなぜ必要かということを国民が納得できるような形をとることです。今日のこのような場で、実際にODAを活用している国々の方々、大使がみなさんに説明するという機会をどんどん持って、情報を共有しなくては量的回復はなかなかないと思います。

三点目として、特に近年は大規模プロジェクト開発による、環境破壊、そして住民の強制移住がかなり問題になっています。ODAは問題が出てくる可能性は排除できません。しかし、そこまでに何をしたかが大事ではないかと思います。そういう意味でプロジェクトの事前の段階から、環境破壊になる可能性はないのか、社会を混乱させる心配はないのかを考える指標としてJICAやJBICが社会環境ガイドラインを設けたことは非常に評価すべきことだと思います。問題は、これがちゃんと機能するかどうかです。問題が起こる可能性は排除きませんから、これにしっかり対応することを忘れてはならないと思います。

四番目に、隣に菅波さんがいらっしゃいますが、NGOとの連携を一層進めなくてはいけないと思います。アフガンやイラクなどの戦闘地域あるいは戦闘地域に近い場所でみなさん非常に苦労されていますが、日本のNGOがアフガンに10団体、イラクに約7団体、これだけのNGOが日本から駆けつけたということは前代未聞です。みなさんの中にはご承知の方もいらっしゃるかと思いますが、ジャパンプラットフォームという経済界とNGO、外務省が協力した仕組みができました。これまではNGOが現場に駆けつけようと思っても初動資金がありませんでした。これまでも何かが起きたときには、募金を集めて行動することは可能でしたが、難民が出たのですぐに駆けつけるということはできませんでした。それを政府とNGOの協力で、この初動資金が出るようになりましてNGOの行動が活発になりました。しかし、ODAはどれくらいNGOを通して流れているのでしょうか。統計により数字は異なりますが、アメリカは33%という数字があります。日本も、数字が異なりますが、一番少ないものでは0.5%です。アメリカにはCAREという大きなNGOがありますが、もともとNGOが大きな存在を持っていたわけではありません。74年から80年にかけてアメリカは政策的にNGOを育てました。今、もう20年遅れ近くではありますが、NGOを本気で育てようという動きが日本にもあります。この0.5%という数字を、カナダやオランダのように10%前後まで持っていっていただきたいと思います。

今後のODAを考える上で、簡単な提案をさせていただきます。それは、ODAというのは途上国の経済発展と福祉に資するということを目的としていますが、経済発展ということを考えるとき、環境ということはどうしても考えざるを得ません。これを考えることなしに実行はできないという時代になっていると思います。来年2月には京都議定書が発行すると言われています。そうした中、例えば排出権売買やグリーン開発メカニズムが話題になってきています。途上国側から見ると、そのような環境案件にお金が移ってしまい、途上国が欲している本来の額が減ってしまうのではないかと非常に懸念されます。しかし、現在の地球環境の悪化を考えますと途上国に日本の環境技術を輸出して、何とか環境を良くする、場合によっては排出権を購入するというようなことも、また必要になってきたのではないかと思います。その際にODAの枠が減るという懸念があるならば、それは特別枠で設けるなど、いろいろな工夫ができると思いますので、ぜひ、こうした観点からも議論をしていただきたいと思います。

もう一点だけ。アジアの成功について言いますと、政府開発援助の他に、民間の資金が非常に入ったというところが重要なポイントだと思います。今、FTAと言われる二国間や地域間での自由貿易が非常に話題になっています。人・物の動き、金の流れを意識してODAを考えることも大事ではないかと思います。以上です。どうもありがとうございました。

横田特別顧問:ありがとうございました。ここでフロアからコメント、ご質問をいただいた上で、パネリストの大使の方々、そして今ご発言いただいたコメンテーターの方々からそれについてお答えなり、ご説明なりをしていただきたいと思います。フロアのほうから、どなたでも結構ですので手を上げてご発言ください。大変恐縮ですが、ご発言の際にはお名前と所属を最初におっしゃってください。手元にありますマイクロフォンの緑のボタンを押しますと赤いランプがついて、マイクロフォンが機能し始めますので、それからお話を始めてください。多くの方が発言をされると思いますので、恐縮ですが、なるべく簡潔にご質問・ご意見を伺えますとありがたいと思います。それでは、どなたからでも手を上げていただけますか。はい、そちらの女性の方。座ったままで結構です、どうぞ。

ハタノアヤコ(東京大学学生):すみません。東京大学3年生のハタノアヤコと申します。本日は大変有意義なお話どうもありがとうございました。アジアの大使の方からのお話を伺っていて、アジアの統合がODAと深く関わってくると思うのですが、貧困という面から考えると、アフリカ各国への援助のほうを重視したほうが効果的だという意見もあるかと思います。アジアの統合を推進するようなODAと、アフリカなどの最貧国を重視する援助というのは、限られている予算の中で効果的に両立させられるものなのでしょうか。その点に関してご意見をお伺いできればと思います。

横田特別顧問:直接的にはシアゾン大使にお答えいただければよろしいかと思いますが、ムタンゴ大使も若干コメントがあるかもしれません。後ほどコメントをいただくことにします。続いて、どなたでもご質問をどうぞ。はい、そちらの女性の方。

ミウラ(自由人権協会会員):私、最近、国連のNGO資格を取りました自由人権協会の会員で、ミウラと申します。大使の方々や横田先生にご意見を言っていただければと思います。外務省ではなく、恐らく総務省が主催していると思われるのですが、世界情報サミットがアフリカのチュニジアで来年開催されます。このことはみなさんご存知だと思います。日本がやろうとしていることの中心は、ユビキタスとブロードバンドです。IT革命をアフリカや東南アジアなどで普及させることを第一の目的としている会議です。そういうIT革命そのものがアフリカや東南アジア等でどれくらい有益性があるとみなさんはお考えになっているのか、伺えればと思います。よろしくお願いいたします。

横田特別顧問:はい、ありがとうございました。恐らくこれは、すべての方に何らかの形で関係すると思います。たぶんすべてのコメンテーター、そして大使の方に関係のあるご質問だと思います。ITの技術開発、そしてその関係の援助についてどう思うのかということです。それでは次にそちらの方どうぞ。

バルワ・サンジェス(バングラデシュ):ありがとうございます。バングラデシュからまいりましたバルワ・サンジェスと申します。現在、東京大学の建築を卒業して1年ほど建築家として務めています。コメントと質問がひとつずつあります。コメントのほうですが、バングラデシュはとても良いパートナーとして日本のODAのやり方には大変高い評価をしております。ですから、恐らくバングラデシュの代表から意見を聞かれれば、とても良い意見が聞けるのではないかなと思います。ぜひバングラデシュの代表もこのような会議に呼んでいただきたいと思います、というのがコメントです。それから2番目の、これは質問のほうですが、フィリピンの大使にうかがいます。シアゾン大使に質問があります。スピーチの中で、非常に重要なキーポイントを指摘されました。これは途上国にとってのライフラインだとおっしゃったのです。つまり、質の高いインフラ整備が必要だとおっしゃったのですが、私は、バングラデシュにおきまして建設省の仕事をしてきました。そして地方政府で仕事をしてきたのですが、インフラ整備のプロジェクトはたくさんあります。たとえば小学校を作るなど、そういったものはいろいろあります。しかし、質の高いインフラ整備とはどういう意味なのでしょうか。それは途上国にとってどのような意味を持つのでしょうか。それは、ODAの専門家の方にうかがいたいのですが、この質の高いインフラ整備とはどのような意味なのか教えてください。

横田特別顧問:どうもありがとうございました。これはシアゾン大使への質問ですが、他の方も何かコメントがあるかもしれませんね。それでは後ろのほうの男性どうぞ。

マイケル(国連職員):マイケルと申します。フィリピンからまいりました。国連の仕事をしております。私の質問は、兒玉さんへの質問です。他の方に答えていただいても結構ですが、このシンポジウムのタイトルは、援助受入国の視点ということが書いてあるわけですが、この援助受入国の視点となりますと、それはすなわち援助供与国の問題にもかかわってくると思うのです。つまり、まずリソースがなければ援助はできないわけであります。ミレニアムを迎えまして、いろいろな問題が日本のODAには生じております。制度的なことについて伺いたいことがあります。いわゆる援助供与国のODAに対して抱く価値観は、やはり正しい援助を時宜を得たときに正しい相手に対して提供することであり、それによって決まるということです。ですから、兒玉さんに外務省の立場を伺いたいと思います。日本の政府は援助受入国に対して援助を届ける能力の構築に対してどのように考えていらっしゃるのでしょうか。

横田特別顧問:それでは、開発援助を専門にしておられる草野教授がいらっしゃいますね、先生どうぞ。

草野(慶應大学教授):ありがとうございます。大使の何人かの方々の日本のODAに対する見方、改めて私も印象深く聞かせていただきました。ただ、今日のみなさまのご意見は、言ってみればそれぞれの国の政府の代表の方々の日本のODAに対するコメントだと思います。私が関心を持っておりますのは、recipient countriesの、グラスルーツと言いますか、一般の人々はどのように考えているのだろうと。そこで少しお聞きしたいのですが、現地のメディア、とりわけ英語の新聞ではなくローカルの言語の新聞あるいはテレビ、ラジオが日本のODAをどのように伝えているのだろうか、ということをご紹介いただければ大変嬉しいと思います。と申しますのは、先ほど来、大使の方々もご指摘になりましたように、日本の納税者は今財政赤字ということもあり、あるいは経済的な不況ということもずっと続きましたので、大変後ろ向きになっております。先ほど数字が原田さんのほうからもご紹介がありましたように、このままではどんどん日本のODA予算は減っていってしまいます。日本の納税者に、「こんなに役に立っているよ」というふうに説明する場合に、途上国の政府の皆さん方のご意見はもちろんですが、繰り返しになりますが、一般の人々がどのように考えているのかを知るために、メディアがどのように報じているのか、どのくらいの頻度で紹介されているのかなどといったことも含めて分かれば教えていただきたいと思います。以上です。

横田特別顧問:ありがとうございました。いろいろな大変有益なご質問、ご意見がでてきましたが、先に進みますと趣旨が薄れていく心配がありますので、ここでひとつ区切りましてお答えをいただいて、時間が余りましたらまたご質問、ご意見もフロアーから取りたいと思います。それでは、パネリストの方々に、質問、コメントにお答えいただきたいと思います。数分でご発言お願いいたします。では最初に、どなたでも結構ですが。シアゾン大使からどうぞ。

シアゾン大使:私は少し心配し始めています。私の医者に、高齢現象というのは、物事を忘れやすくなるとそうであると。本当に年を取ってきているのかどうかには条件が三つあります。ひとつは物忘れが激しくなったら。私はもうすでに2番目、3番目のことを忘れてしまいました。ですからまず最初の質問からお答えしますが、もちろんもっとたくさんのODAをアフリカに供与すべきである、それはもう疑いもなく明らかです。しかし、ここでまた指摘したいのです。ODAを提供した場合、これは世界銀行の報告書によるものですが、GDPの1%をODAで補っている場合には、GDPを0.5%押し上げる効果がある、そして貧困の削減では1%の効果があると。これは1990年の世界銀行のレポートによるものです。この数字に興味があればまたみなさまに差し上げます。

二つ目はNGOメンバーに関してですが、ブロードバンド、ユビキタス、こういうことについてお聞きになった方ですが、インターネットからメリットを受ける前にまず読み書きができなければいけないのです。それこそ最も根本的な要件なのです。タンザニアの大使が、アフリカの子供の10人に9人が、今ではもう学校に行っていて、2006年にはタンザニアの場合には初等普遍教育は達成できると、うれしく思います。子供たちが読み書きができるようになれば、もちろんIT革命は彼らにとってメリットになるでしょう。でもそのためにはハードウェアが必要なのです。ソフトウェア、頭はあってもハードウェアがなければどうにもならないのです。日本のODAはそこでハードウェアをあげられるかもしれない。中古品のコンピュータでもいいです。私たちは数百の中古コンピュータを、去年学校の子供たちのために数百台いただきましたが、これはとてもよかったのです。それからバングラデシュのバルアさん、ODAはもちろん必要です。EUは最初は6カ国だったのです。それが、15カ国、25カ国になりました。そうしますと、EUのODAのプログラムの大きな部分は、経済開発がまだまだ遅れている国々、そういう国々に対してもっと開発が収斂できるように、コンバージェンスができるようにと。そうなれば繁栄をもたらすだけではなく平和ももたらされます。貧しい国が隣にいれば不安定です。中東の問題はそれなのです。豊かな国もあれば、非常に貧しい国もある。アフリカの問題もそうなのです。隣の国はお金持ちだけどうちは違う、あるいは国内にあっても南部と北部が違う、金持ちと貧しい人たちがやはり別れているのです。ヨーロッパの飛行場あるいは港から、そして主な工業生産地帯から空港や港湾までにどのくらいの距離があるのか、これも大きなものです。車が100台しか走っていないところに、10レーンもするような道路はいらないのです。ですから経済の規模に沿って何が必要かということも決まっていくのです。そういう国の要件、条件に合わせた形でのプロジェクトが必要です。

それからドナーが突き動かしていくODAということに関しては、クサノ先生のご質問でしたでしょうか、私は自分のプレゼンの中で、ODAというのは、供給者がこれを動かしているというのは、ただ受入国の意思決定者が決定ができるほどの力がないと言っているわけではありません。そうではなくて、途上国の非常に貧しい国の官僚でさえ、非常に高い教育を受け、素晴らしい頭脳を持っている、ですからドナー国とちゃんと話し合いもできるし交渉もできるのです。クサノ先生に対しては、非常に素晴らしいお仕事をしてくださっていることを感謝します。政策提言、日本の21世紀におけるODAという提言をお作りになった委員会のメンバーでいらっしゃる。私たちは、政府の役人ですが、私は世界銀行からの、あるいはあなたのような専門家の方々からの文書を読みます。ハイダー・カーン、F・ジ二ーという学者やいろいろ日本のODAに関して分析をしている人たちの文書です。それからUNIDOの事務局長の文書を読みます。1985年から93年の間、私がここに大使としてくる前です。ですから政府の文書だけを見ているわけではありません。私たちフィリピンでは、日本のODAは非常に高く評価しています。ダムに関しては、強制移住が出てくるので問題はありますが、日本の大使とまず着工式を行う、そしてそれが完成したときには日本政府と大きな式典を開きます。それがメディアによりちゃんと載せられる、いろいろな苦情も出てきます。フィリピンでは報道の自由がありますから、どんなことでも言えます。???さんに聞いてみてください。残念なことにフィリピンでは、われわれの新聞の大半は英語なのです。でもラジオやテレビでは、地元の方言が使われますし、フィリピンの国語も使われています。そして日本のODAのプロジェクトはそういうフィリピンの言語ででも、非常に幅広くカバーされており、高い評価を受けていると言えるでしょう。

横田特別顧問:次にカナブラーヴァ大使、どうぞ。

カナブラーヴァ大使:ありがとうございます。質問全部に答える必要はないと思います。フィリピンの大使がもう随分お答えになりました。でも少しコメントを私なりに付け足したいと思います。最初の質問は、ODAがアフリカに集中していくことに関してでした。私たちは、ご存知の通りブラジルは非常にアフリカと特別な関係を持っています。キューバもそうですが、ラテンアメリカの中のアフリカだと言ってもいいでしょう。というのは、ブラジルの人口の半分は、アフリカ系からきているのです。ですからアフリカと言いますと、私たち、非常にいろいろなものを負っている大陸なのです。私たちの子孫が来たところでもある、そして私たちのブラジルの社会の開発にも非常に大きなインパクトを持っていたのがアフリカ大陸なのです。ですから、アフリカはある程度の多額のODAを受け取るべきだと思いますし、私たちブラジルというのは、資金的にそれほどパワーがあるわけではありませんが、アフリカのわれわれの兄弟の国々を助けるためのODAを供与しています。しかし、ODAの問題は、静的な問題ではないのです。いつもODAは動いているのです。ブラジルの場合、ブラジルの今の開発段階でもはやODAはある面では卒業してしまったわけです。いくつかのODAはまだ受けることができますが。今のわれわれの段階では、日本のODA関係の方々と、三国協力について話しているのです。日本が、例えば、私たちがとても良い技術を持っている分野で、熱帯農業、熱帯病など、そういう分野で私たちに大切なプログラムがモザンビークやアンゴラでもありますので、それを日本との協力でやっていこうというような話し合いもしているのです。東ティモールでもそれを始めようとしています。ODAはいつもいつも動いている、資金の流れも動いている。たくさんのシナリオがそこから産まれてくるものなのです。そしてたくさんのシナリオをやっていくときに、いろいろな地域にいろいろな資金を割り当てていかなければいけないと。これが最初の質問に関して私が持っております懸念のひとつです。

それから、慶応大学の方の質問でしたか。これにも私は感銘を受けました。とても興味深い質問でした。私の場合、私の同僚ほど、例えば外務長官でいらしたシアゾン大使の場合には、そして国連でもいろいろお仕事をなさった、それほどの経験は私はないのですが、しかし今日私たちは、政府の役人としてできるだけ透明性を保とうとしています。もちろんある場合にはやはり制約もあります。ブラジルに関して答えますと、ブラジルでは、いろいろな制約、制限に関しては、限度がないとも言えます。最近ブラジルでは「一番好きな国はどこですか」と人々に聞くと日本が第1 に来るのです。一番嫌いな国はという答えはここではいたしません。でも日本は一番好きな国なのです。それはODAだからというだけではなくて、日本とはとても特別な関係もあるからです。また、やはり日本のODAが大きな役割も果たしてくれたということもあります。ブラジルの報道を見ますと、すべての分野で非常に日本に対する感謝の気持ち、前向きな気持ちがあります。同僚のおっしゃった通り一部苦情もあります。文句もある。日本と交渉するのはなかなか難しい。というのは日本には独特の交渉のパターンがあり、その交渉のパターンに沿ってやっていかなければいけないからと。でもそれは苦情や批判ではないのです。そういう物事のやり方に敬意を払わなければいけないと。でも援助を得て、それが故に私の国では日本のイメージはとても高い。私自身、40年のキャリアを持っておりますが、強い非難が寄せられたという記憶はありません。このODAのプロジェクトはいけない、という日本のプロジェクトが厳しく批判されたという記憶はありません。それが、ブラジルの場合のやり方です。私の地域、ラテンアメリカでは、日本に対するODAはとてもプラスだと思います。

ITに関してですが、ドミンゴさんがおっしゃいましたように、とにかく読み書きの教育が第1なのです。しかしブラジルではこれはとても重要な意味を持ちます。IT革命はとても大切です。それは、雇用を生むこと、あるいは公式に現れてこないような雇用があると思いますが、とにかくコンピュータを使える人、こういう人たちはやはりたくさんの収入を得ることができる。またそういう人が増えていけば、たぶん国全体が変わると思います。またインターネットを利用することもできるようになります。それは、ブラジルに大きなインパクトを与えると思います。ただ、これはまだ一部の人に留まっています。ですから、大半の人たちはインターネットへのアクセスなどはまだ得ておりませんので、このようなゆがみは是正したいと思っております。どうもありがとうございました。

横田特別顧問:それではムタンゴ大使にお願いいたします。

ムタンゴ大使:横田先生、どうもありがとうございます。私のほうから、三つ言いたいことがあります。最初は、もっとアフリカに対する支援が必要ではないかということですが、東京大学の女性の方が、アフリカに対して共感を持っていらっしゃるようだと思ったのですが、あなたのおっしゃる通りです。私、先ほど少し比率を見ていたのですが、2001年の援助では、アフリカは14.1%です。ところが、56.7%はアジア向けとなっておりました。だからと言って、別にもっとアジアへのODAを減らしてアフリカへの支援を増やして良いということにはならないと思うのです。ODAの国際的な目標は、GDPの0.7%になっております。ですからまだ少し増やす余地はありますよね。もう少しこのターゲットまで、つまり0.7%までは余裕がありますので、その増やした部分をアフリカのほうに向けても良いと思います。やはりアフリカの状況は非常に良くありませんので、すぐに援助を差し向ける必要があると思います。でもだからと言って、すでにこういうODAの恩恵を被っている国へのODAを減らす必要はないと思います。もちろん、先進国の経済はこれからも潤っていくと思いますので。

そして2番目の点、ITに関してですが、確かにデジタル・ディバイドが問題になっています。九州沖縄サミットのときにもこれが問題として指摘されました。また他のサミットでも、沖縄サミット以降、先進国首脳会談において非常に問題になっています。つまり、貧困や所得のディバイドではなく、デジタル・ディバイドが貧しい国々を脅かしているということです。ITの技術がなければそういう貧困に陥ってしまうということでありまして、もちろんアフリカはそういう意味でITから恩恵を被るように努力しなければいけないと思います。先ほどフィリピンの大使がおっしゃいましたが、最初にやらなければいけないことはやはり識字教育ということです。アフリカの多くの人たちが、とにかく識字能力を手に身に付けようと努力しております。タンザニアでは2006年に完全な初等教育制度が実現しそうでありますが、従って、仮に読み書きができたとしてもコンピュータをすべての世帯が手に入れるにはとても時間がかかると思います。それから、例えば地方にITセンターなどを作ったらどうでしょう。そうしたらそこに地元の人たちがやってきて、コンピュータを使ってインターネットで農業の新しい技術について学べるようにしたらどうでしょうか。あるいはインターネットでいろいろな文献を手に入れて、コミュニケーションができるようにしたらどうでしょう。そうするとたぶんそのうちに所得が増えていくと思います。ですからそれぞれの家にコンピュータを用意するというよりは、そういったみんなのセンターのところで使うのが良いと思います。これは途上国であれ、先進国であれ、コンピュータは近代的な生活にとっては欠かせないものだと思います。

それから慶応大学の先生からのコメントがありました。私どもはもちろんここは大使という立場でお話をしておりますので、個人的な意見にはならないのですが、タンザニアの例を取りますと、草の根のプロジェクトがあります。そしてほとんどの村や地方においては、このような日本の草の根の支援が実りを生んでいます。確かに、実際に日本人は大変人気があります。例えば最近の日本の大使は、佐藤さんとおっしゃるのですが、タンザニアに行くと、必ずみんな「佐藤さん、佐藤さん」と呼びかけるのですよ。ですからみんなが佐藤大使の名前を知っているのです。それは、日本の援助が草の根レベルで提供されていて、一般の人たちが喜んでいるからなのです。ですからブラジルや他の多くの国でもそうだと思いますが、日本は一番のODAの供与国として望まれています。もちろん本当に多くの方々がこれにかかわれることを大変嬉しく思います。

横田特別顧問:ありがとうございました。シアゾン大使が発言を求められておられます。大使どうぞ。

シアゾン大使:私のほうから少しコメントがあります。私たちはどうも、りんごとみかんとごちゃまぜにしているように思います。例えば日本のODAのアフリカ向け、アジア向けといったことを言っているのですが、ODAは無償協力、有償協力、そして技術協力という3本柱を持っているわけです。アジアは非常に大きな地域であります。そしてローンはアジアに圧倒的に多いのです。つまり、ローンは借り入れであります。アフリカの多くの国々は、JBICのローンを受けることができません。ですから、アフリカ向けには無償協力か、技術協力のいずれかになるわけです。ですからローンは除くことになるわけです。2001年、アジアのグラントエイドは、アジア全体において7億2,700万円でありました。そしてアフリカ向けの場合には6億少しでありますので、それほど大きな差はなかったのです。技術協力の場合、アジアの場合は10億円、アフリカの場合には2億230万円ということですので、かなり大きな差があるということです。またグラントにおいても大きな差があるということですので、この、りんごはりんごと比べて、オレンジはオレンジと比べることが必要ではないかと思います。どうもありがとうございました。

横田特別顧問:ではコメンテーターの皆さま、発言等について何かご発言があればお願いします。まず菅波さんどうでしょうか。

菅波理事長:ありがとうございます。私たちNGOが活動するときに、一番大切なのはパートナーシップと言いまして、お互いともに苦労するということなのです。何が大切なのかと言いますと、ローカル・イニシアチブと言いまして、現地のやり方を現地の価値観でやることです。私たちにはそれが一番大切で、クサノ先生の今のご発言でも、やはりどのくらい現地で取り上げられるか、現地の方がどのくらいローカル・イニシアチブでやっているかが大きな判断になってくると思います。そういった意味で、スポンサーシップが一番嫌われます。それで、私は一番大切なことは、貧困対策はJICAのODAでも今一番大きくなっておりますし、平和構築に関してもやはり貧困対策が大きな要因を占めていますが、貧しい人はなぜ貧しいのかという理論的なものがあまりありません。さきほどバングラデシュの方が質の良いインフラと言われましたが、質が良いというのは、しっかりとしたコンセプトの下でやられることだと思います。私はバングラデシュを含めまして、ベンガル地域というのは非常に質の良いコンセプトをたくさん出していると思います。特に貧しい人はなぜ貧しいかということに関して二つヒントが出ております。ひとつはプロフェッサー・ユヌスという方が、意欲と能力があっても、チャンスが与えられないから自己実現できない。だからチャンスを与えたら良いのだ、ということで、グラミンバンクという小規模融資の方法論を生み出しました。1997年にクリントン大統領がアメリカで国際小規模融資の大会を開きまして、以来私たちNGOの間では、小規模融資が貧困対策の非常に大きな決め手になっています。これをやらずに貧困対策は語れないくらいになっています。これも、バングラデシュの中でユヌス教授がローカル・イニシアチブで出してきたセオリーです。

それからもうひとつ、貧しい人はなぜ貧しいのかということに関しまして、ノーベル経済学賞をもらった、プロフェッサー・セン、ベンガルの人だと思いますが、貧しい人は意欲があって、チャンスを与えられても、能力形成ができてなかった場合には自己実現できない、ということです。能力とは、大使も今言われていますが、識字教育、健康、土地改革であると。そして、これは個人ではできないから国家がやるべきだと。従って、国家がやる能力形成のことを福祉ということで、開発学の中に福祉の概念を持ち込んで、ノーベル経済学賞をもらっています。こういったローカル・イニシアチブに基づいた素晴らしいコンセプトが出てきております。こういったものをどのくらい、私たち日本のODAが肉付けしていくかが非常に大切です。今まではJICAの一番大きな目的は、能力形成でした。チャンスを与える、すなわち社会的ポジションやお金を出すことはしなかったのですが、小規模融資の形でお金を出していくようになりました。こういったローカル・イニシアチブのセオリーに基づいた貧困対策にJICAもどんどん出て行くかたちになってきています。こういった意味で、私は草野先生の、どのくらい現地の人が評価するのか、すなわち現地のローカル・イニシアチブによって行われるコンセプト、プロジェクト、これがどんどんできて行けば日本のODAはもっとスポンサーシップから本当のパートナーシップになっていくのではないかと思っております。

横田特別顧問:ありがとうございました。神田さん、何かございますか。

神田上級審議役:ありがとうございます。今、菅波さんのからお話いただきましたが、私はやはり質の良い援助や質の良い協力は何かというところが重要なポイントではないかと思います。私は、菅波さんのおっしゃったように、きちっとしたデフィニションを基に言っているわけではありませんが、やはりひとつひとつの協力なり援助が、個人のところにどのように伝わるかを確認していくようなことができれば、それは良い援助のひとつのポイントになるのではないかと思います。その意味で、ここ4、5年そうなってきていると思いますが、プロジェクトを計画するときに、参加型で計画すると。つまり、いろいろな政府の役人が計画を作る、あるいはJICAの調査団が行って計画を作るということではなくて、そこにいろいろなステークホルダーの方がかかわってきて、ひとつの協力計画を作っていくというような形の計画作りをするようになってきております。こういうことによって、何か質の良い協力につなげることができるのではないかと、そのような努力をしているところです。

横田特別顧問:ありがとうございます。原田さん何かございますか。

原田編集委員:はい、ありがとうございます。先ほどITの話が出たのですが、通信というのは本当に大事でありまして、グローバル化の中で役割は非常に重くなっております。もちろん経済的に利用されている場合もありますが、例えば、地雷の問題など、それからクライメート・チェンジ、気候変動の問題でも、あれを本当に動かしたのは政府や国連もありますが、やはり通信でつながった市民社会、トランスナショナル・シビル・ソサエティと言っていますが、こういう人たちが地球規模の問題に対して発言したというのはすごく大きいので、やはりアフリカの場合も、ぜひそういうところに入ってくるという意味でも、基本的な教育の問題とハードということを前提にして、そういう援助が必要であろうと言えると思います。いろいろな意味で、地球はどんどん狭くなって、狭くなっていることをお互いに自覚することによってもっと狭くなると言いますか、イラクに女性がボランティアで出かけるなど、不幸にして亡くなりましたが香田さんという方がやはりあんなに遠いところの問題に関心を持って出かけた背景には通信や輸送手段の発達は大きいのではないかと思います。世界は本当に小さいのです。われわれが思っている以上に小さくて、例えばスリランカの和平について明石さんが関与していらっしゃるなど。それからフィリピンは遠いという印象を持っている人がいるかもしれませんが、沖縄の一番南に波照間島という島がありまして、そこに行きますと、タガログ語のゴミと言いますか、ペーパーがどんぶらこっこ、波に乗って届くのです。それから長野県知事の田中さんのところには、タンザニアのティンガティンガの絵が、アニメーションに近い非常にかわいらしい絵ですが、飾ってあります。ブラジル、ブラジルはもっと本当に近くて、移民の方が行っていますが、先ほどセラドという話がありましたが、セニブラというのがありまして、日伯共同して植林をしています。アマゾンの樹を切るのではなくて、それを日本に持ってくるという話だったのですが、今中国が需要が多いということで、中国に紙を持っていくなど、非常に世界は有機的につながっておりますので、基本となる通信を援助するのは非常にODAの役割として大事ではないかと思います。

横田特別顧問:ありがとうございました。ご質問が兒玉審議官にもひとつ出されていますのでこの機会に兒玉審議官のほうから、ひとつご発言をお願いします。

兒玉審議官:ありがどうございます。フィリピンの方からの、いわゆる人的能力評価、キャパシティビルディング、あるいはグッドガバナンスの関係等について、それにその日本のODAが今後どのように対応していくのかというご質問だったと思いますが、シアゾン大使のスピーチのなかにもありましたが、ぜひまずPRさせていただきたいのは、日本政府としては昨年の8月にODAの大綱を全面的に改訂しまして、そのなかで自助努力支援とグッドガバナンスに基づく途上国の自助努力を支援するということを明確に基本方針のなかに書いてあります。加えてそのなかで平和や民主化、人権保障のための努力や経済社会の構造改革に向けた取組みを積極的に支援し、行っている国に対しては重点的に支援すると。これはわれわれで使っている用語でポジティブリンケージという言い方でちゃんとやっている国には重点的に支援するという哲学が明確に打ち出されています。更によくハードかソフトかという議論にもつながるのですが、グッドガバナンスということは基本的には相手国の政府あるいは民間セクターも含めて、あるいは地方を含めての個々人の能力の問題ですから、そこをわれわれとして技術協力を通じてどういう姿勢で支援ができるのかというところで今は??政策立試案??だとか制度整備への支援を行っていまして、例えばカンボジアには最近ニュースになりましたが、カンボジアの民法典の編纂に日本が協力をしていると。これはひとつの画期的な例だと思いますが、そのようなことをやっています。この関係でもうひとつ重要なことは???のなかにありましたが、世界の援助、日本の援助もそうなのですが、主流はカントリー・ベースド・アプローチと国別中心の支援をするというわけです。ですから、われわれとして昔の、昔というか、円借款は円借款、無償は無償ということでそれぞれスキームごとにその国の支援を考えるということではなくて、被援助国、相手の側の全体の国別の国家戦略、国家開発戦略と、あるいはアフリカ方面ではこれはプーティ・リダクション・ストラテジー・ペーパー、PRSPと呼んでいますが、貧困削減戦略というものに、日本なら日本の援助がちゃんとアラインしていくと、合致させていくという「アラインメント」という言葉、今やよく言われていますが、そのようなことを確保することが求められていて、そのために日本として総合的な国別援助戦ェを策定していくということもこの大綱のなかで確固として打ち出されています。今、実は私ども来年には出したいと思いますが、ODAの中期政策という、大綱を政策に更に引き写してより具体的な、例えば人間の安全保障の視点だとか、平和構築に対する取組みだとか、あるいは貧困削減更には持続的成長を通じた貧困削減はどのように考えて取組んでいくべきかということを今整理しています。これはまた透明性ということで申しますと、パブリックコメントにもさらして、国内のNGO、ステークホルダーの意見も求めながら1月中には仕上げたいと思っています。その辺もよくみなさまに目を通していただければ幸いです。最後に、情報公開透明性については、今日、UNDPの紺野親善大使もおっしゃっていましたが、民間モニター制度なども1999年から始めていまして、あるいは私どもできるだけ情報公開ということでODAのホームページ、メルマガなども始めていますし、そういうものをぜひ活用していただきたいと思います。以上です。

横田特別顧問:ありがとうございました。大変中身の濃いコメントをいただいたのですが、幸い時間がもう少し残っていますので、ここで短いご質問と、どなたにということを明確にしていただいて、それにすぐ答えていただくような質問の時間をとりたいと思います。2、3くらいしかお受けできませんが。

マイケル・マウエ(パプアニューギニア大使):ありがとうございます。パプアニューギニアの大使です。少し私の感想を述べたいと思います。最初に、ODAプログラムの見直しとレビューペーパーなかで国際社会の相互依存性を認識しているとおっしゃいましたが、これは重要だと思います。改訂ODA大綱のことだと思います。これは安全と安定性を平和をこの地域にもたらすためには重要であると。多くの国、パプアニューギニアも含めてそういう日本の、ODAを通した寛大な手厚い援助ということを高く評価していますが、特にそのなかでもトレンドとして、今言ったような相互依存性というものは、今後更に強化していきたいと考え、それを期待したいと思います。また、プログラムはドナーとそれから受入国との間の連携やパートナーシップということがとても重要で、それはODAの支援を、その受入国の優先順位にしたがったかたちで行っていくということ。受入国と、日本政府のようにODA供与国が協力して双方で協議をして決めていくことが重要だと思います。

それから、二つ目はカントリーレポートです。個人に、あるいは組織に対してカントリーレポートを書くというのは、すばらしい案だと思います。納税者としても、ODAがどのように受入国で受け入れられていて、どのような業績が上がっているのかということが見えるようになります。また、受入国のほうでもODAのプラス面・マイナス面が見えるようになりますので、納税者にとっても一般者にとっても、こうしたレポートを作成することはプラスになります。そうすれば、国民からも支持が得られますので、協力の強化を図ることもできます。ドナーにとっても、こうしたカントリーレポートはすばらしい機能を果たしうると思います。それから、NGOがやっている活動についても、重要な役割があるというコンセンサスができていると思います。いろいろな分野で彼らは専門的な知識を持っているので、それを私たちは充分に活用して行くのです。それぞれの国でNGOは素晴らしい役割を果たしていると思います。それから、タンザニアの大使がおっしゃいましたが、草の根の援助があります。草の根の援助は、農村部に住んでいる人まで届けることができます。本当に遠く離れているところ、水のないところでの井戸掘り、そうした活動で人々の生活を変えることができる草の根の活動は極めて重要なプログラムですので、政策立案者も留意し、注意を払うべきことです。農村地域がメリットを受けられることこそが草の根活動のエッセンスであり、重要性であると思います。

最後に、将来どのようにしてこれを改善していくか。ドナーの視点からすると、実施機関にもそれなりに突き当たっている障害物があると思いますが、それが何であるかを突き止めていくことが必要です。ソフトウェアがない、人材が足りない、そうした不足等について双方がどんどん話し合って、障害物を突き止めて行くのです。それを、ドナーの側から行なうべきです。そうすることで、受入国への援助ができるのです。受入国の側ではっきりと認識していないことも、こうすることで認識させることができるでしょう。

将来、どのような方向に進んでいけば良いのかということですが、国の中でドナーと競技をすることも必要ではないかと思います。例えば、その国の実施期間が協議をしていますので、間接的に実施をしていることになります。しかし、慶應の先生がおっしゃっていましたが一般の国民はどのようにしたらODAについて知ることができるのかについては、もう少し透明性を高めたほうがいいと思います。一般の人たちとの対話を進めることが必要であると思います。つまり、NGOと政府と市民との対話を進めていくことが必要です。私たちは長期的な視野に立って考えなければいけないと思います。長期的には、対話を行なっていくことで実りを生むと思います。

横田特別顧問:どうもありがとうございました。とても有用なコメントをありがとうございました。今のご発言は、コメントとしてお伺いましたので、パネリストのお答えは必要ないと思います。それでは、もうひとつだけ短い質問ないしコメントをお願いします。

ナカムラ(中央大学学生):中央大学政治学科2年のナカムラと申します。特に外務省の兒玉審議官と日経の原田編集委員にお訊きしたいと思います。ODAというものが先進国から途上国への援助である限り、途上国がいつか経済発展を遂げたときには打ち切るのが良いと思うのですが、その打ち切りの際の条件は何でしょうか。どのような条件が整えば援助を打ち切るのが妥当であるとお考えでしょうか。例えば、中国に対する日本の援助などについてはどのようにお考えでしょうか。

横田特別顧問:とても重要なポイントだと思いますので、お二人ともお答えいただけますでしょうか。時間の関係で、なるべく簡潔にお願いします。それでは、兒玉審議官のほうからお願いしてよろしいでしょうか。

兒玉審議官:はい、わかりました。卒業の問題というのは当然ある話です。ごく簡単に申し上げれば、中国を含めて、無償資金協力は一人当たりのGDPが1400ドルまでとなっていますので、1400ドルを超えますと卒業となります。例えば、世界銀行のひとつであるIDA(第二世銀)では、機械的には行なってはいませんが、一人当たりGDPの金額をひとつのメルクマールとして無償資金協力を終わりにします。その次の支援の中身はローンとして、借款で対応することになります。また、一人当たりのGDPの金額が3000ドルを達しますと、環境案件や人材育成等を除いた一般案件については借款を終了するという基準が採用されています。これを中国に当てはめますと、2003年には一人当たりGNI、国民総所得が1100ドルになっています。ですから、無償の卒業と言われる一般的な基準にはまだ達していない状況にあります。中国については、いずれにしてもいろいろな意見がございます。中国は、特に沿岸部を中心に大変な発達を遂げていたり、人工衛星を独自で打ち上げていたり、軍事予算の拡充を続けていたりしますので、批判もあります。しかし、中国にはまだ1日1ドルで生活している人が約2億人もおり、援助需要がありますし日中関係全般を考えて、より開かれた国際社会の責任ある一員として中国が行動していくことを促す効果が日本のODAにはあります。そうしたことを総合的に考慮した上で考えていくことではないかと思っています。

横田特別顧問:ありがとうございました。それでは、今の点のつきましては、原田さんにお答えいただけますでしょうか。

原田編集委員:はい、僕からも少々。簡単に言いますと、卒業の用件については今、説明があった通りです。私が大事だと思うことは、先ほど話したアカウンタビリティーだと思います。中国はもう経済発展を遂げていると一般的に考えられがちです。海岸部では発展しています。しかし、中国はひとつの国の中に先進国と途上国と最貧国が混在しています。それをきちんと説明して国民が理解することが必要だと思います。

もう一点は、軍事力の増強等については問題だという指摘もあります。このように、言うべきことはどんどん言うべきです。この二点が大事だと思います。以上です。

横田特別顧問:ありがとうございました。いろいろと有益なご意見を伺いました。残りが8分ほどとなっていますので、恐縮ですが、ここでモデレーターとして私のほうで今日の議論のサマリーをさせていただきたいと思います。十三点ほどにまとめた、短いものです。

第1点は、過去の50年間において日本のODAは非常に効果的に途上国の人々、国々を支えてきました。特に政府に、そして人々にも評価されています。しかし、もっと多くのことができるのではないか。つまり、日本のODAをもっと効果的で有用なものにする余地はあるということです。

二番目に、ODAは経済的な発展を途上国に促すだけでなく、長期的な視野で見て、途上国に平和と安定性をもたらすという点で有用です。特に、内紛があったような国には意味があります。そのような中には、DDR(非武装化、動員解除、社会復帰)を含む平和構築、そして紛争の予防と紛争の管理も入ってきます。

三番目。多くの途上国にとって日本は最大の援助供与国です。これはとても良いことですが、もっと日本からの投資が望まれています。そして、そうした国々から農産物を日本が輸入するというような貿易関係を構築することもODAの一環として考えられる必要があります。

四番目のポイントです。もちろん、ODAの額だけがわれわれの唯一の関心事ではありません。しかしながら、ある程度の資金がなければ目的を達成することはできません。ですから、お金も必要です。ということで、日本のODA予算はこれ以上減らしてはいけません。むしろ、増やさなくてはいけません。特に、スリランカの大使がおっしゃった通り、国際的に合意されたGNPの0.7%に達するまでは上げなくてはいけません。

そして五番目に、日本の一般の人のODAに対する理解を高めること、つまりODAに対する支援を得るためにODAの重要性について人々の認識を高めることが必要です。そのためには、ODAをもっと透明性の高いものにしなくてはなりませんし、宣伝も必要だと思います。また、現地との良い関係や、きちんとした実施体制等を明らかにし、制度的に構築していくことも必要です。また、質の高いODAを行なうことも重要です。

六番目。日本はさらに努力をしてミレニアム開発目標の達成に邁進しなくてはなりません。国連機関も努力しなくてはなりません。特に貧困の根絶に対しての努力が必要です。特に「人間開発」、「人間の安全保障」に力を入れるべきです。そして、NGOや市民社会の役割ですが、ODAにおける彼らの重要性をさらに認識し、促進しなくてはいけません。民間セクター、ビジネスセクターの役割も忘れてはなりません。かれらもODAの促進に努力ができます。企業はもっと途上国に対する投資を進めなくてはなりません。

九番目。さらに、質の高い基本的なインフラの整備を進めなくてはなりません。つまり、道路整備や電力、上下水道等の整備が必要です。しかし、それだけでなく、ソフトインフラと呼ばれる教育セクターや訓練セクター等も焦点にすえなくてはなりません。

十番目。ODAを提供するに当たっては、日本はもっと注意深く環境への影響を考えなくてはなりません。そして人権との関係も考えなくてはなりません。

十一番目。新しいタイプのODAの可能性も考えなくてはなりません。すでに実験的に実施されているものもあります。ブラジルの努力がひとつの例として挙げられると思います。それは、途上国に対して援助しますが、その目的は援助受入国が別の途上国に対して援助するためのものです。例えばブラジルが、ポルトガル語を話すよしみとして東ティモールやアンゴラ、モザンビークを支援している例が挙げられました。いわゆる南南協力です。これをもっと強調しなくてはなりません。平和構築や国づくり、紛争後の再建も日本のODAの中で支援していかなくてはなりません。そしてAIDSやマラリアなど伝染病の脅威に対しても取組まなくてはなりません。この観点から、難民に対する支援も必要です。これらを日本のODAと結び付けていく必要があります。シアゾン大使がおっしゃいましたが、日本のODAをさらに東南アジアの地域経済統合にも使っていくことが可能ではないかということです。

十二番目は、ODAは決して一方通行のものではありません。供与国と受入国という一方通行の関係があるだけではなく、双方向の関係があるべきです。つまり、地元の人たちの参加や、地方政府とのパートナーシップ、地元のオーナーシップも強調されなくてはなりません。日本の外交政策をもっと効果的なものにするために、ODAを通じて援助受入国における日本のイメージを高めることも可能ですので、外交政策との関係もあります。逆に、日本の若い人たちが途上国についてもっと学ぶこともできると思います。つまり、途上国の歴史や政治等を学ぶことができるという効果もあります。

十三番目ですが、どのような地域に日本のODAの重点を置くべきかということについて、意見の不一致があるようです。これまでアジアを最重要視してきましたが、アフリカも日本のODAの中心に据えてはどうかという話がありました。もちろん、ラテンアメリカ諸国も忘れてはなりません。各大使にどの地域が重要ですかとお伺いしても、いろいろな地域の代表ですのでやはりご自分のところが大事だとおっしゃると思います。それと同時に、各地域は世界から離れてそれだけで存在しているわけではなく、お互いに依存しているわけですから、ある地域の経済開発は別の地域の経済開発にもかかわってきます。ですから、日本のODAはもっとそれぞれの地域のニーズにあったものでなくてはならない、ということが一般的にコンセンサスとしてあります。教育が必要な国もありますが、特に技術協力が必要なくとも投資は必要な国もあります。ですから、そうした地域については日本の企業が進出する必要があるでしょう。例えば、アフリカのサブサハラ地域においては貧困の根絶、緊急人道援助、難民に対する対策が必要であると思います。こうしたことも日本のODAのひとつに加えていかなくてはなりません。地域に焦点を当てなくてはいけませんが、全ての地域にまんべんなくODAを当てるのではなく、その地域のことを良く理解してそこに適した支援をすることにより、日本のODAはもっと生きたものになるのではないでしょうか。

なんとか13点にまとめようとしたのですが、本当に盛りだくさんの内容でしたので、抜けているところもたくさんあるかと思います。これが、私が理解した今日のディスカッションの中の重要なポイントであったと思います。さて、時間が来ました。もっと質問をしたい、もっとコメントをしたいという方がたくさんいらっしゃると思いますが、外務省、JICA、国連大学では将来またこのようなセッションの開催を考えています。そのときにはバングラデシュやナイジェリアの大使もお越しいただきたいと思います。パネリストのみなさん本当にありがとうございました。質問にも丁寧にお答えいただき、ありがとうございました。会場のみなさまも最後までお聞きいただきまして、ありがとうございました。以上を持ちまして、日本のODA50周年を記念するシンポジウムを終了させていただきます。ご協力ありがとうございました。

清水アナウンサー:どうもありがとうございました。モデレーターの横田国連大学学長特別顧問、本当にありがとうございました。そして、会場のみなさま、また、パネリストのみなさまには大変貴重なご意見を頂戴し、ありがとうございました。以上を持ちまして「国際協力50周年シンポジウム――日本の援助は現地からどのように見られているのか」を終了させていただきます。

なお、みなさま大変お手数ですが、受付の際にお配りしましたアンケート用紙にご記入いただきましてお出口にてスタッフにお渡しくださいますようお願いいたします。そして、お使いいただきました同時通訳レシーバーはお席にそのままおいていただきますよう、こちらも併せてお願いいたします。本日は長時間に渡りましてお付き合いいただき誠にありがとうございました。

このページのトップへ戻る
目次へ戻る