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~日本のODAは何を目指しているのか

(外交フォーラム10月号:「特集ODA50周年 外交戦略としての経済協力」より)

外務省経済協力局長 古田肇

 「日本は財政的にも経済的にも豊かな国であるとは申されないのであります。復興途上におきまして国内的にやはり資金が足りないという面もございますので、わざわざ外国に援助までする必要はないではないかというような議論もございますが、国際間の諸般の情勢、経済外交推進の観点から考えましても、やはりこれをむげに断るわけにはいかぬ面もございます。貧者の一灯と言われておりますが、インドにとりまして、アメリカから借りた1億5000万ドルよりも、貧者である日本から5000万ドル借りた方がよほどありがたい」。1958年月18日参議院内閣委員会において、田畑金光議員は外務省に対し、円借款第一号案件であるインドに対する5000万ドルの資金協力の意義を問うた。冒頭の引用はこれに対する松本龍造外務政務次官の答弁である。議事録を見ると、このやりとりの前後には、多くの途上国からの借款の申し入れに対し、わが国としてどういう戦略で応ずるつもりか、国内が厳しいのになぜ外国に援助するのか等々、現在にも通じる興味深い問答が見られる。

 わが国自身が貧しいなか、乏しい資金をやりくりしてでも外国援助に回すことが国際社会で生きる道であるという志と、ODAが発足当初から外交政策の一環として位置付けられていたことが冒頭引用の国会におけるやりとりに現れている。1954年10月6日に日本がコロンボ計画に加盟を閣議決定し、ODAを開始してから今年で50年を数えるが、その間ODAは日本が戦後の国際社会との関わりを構築し、対外関係を調整していくための外交政策上の重要な役割を果たしてきた。1950年代から60年代にかけては、第二次世界大戦の戦後処理の一環として、東南アジア等諸国に対する経済協力が賠償と並行して行われた。70年代以降は、わが国の国力の拡大に応じた国際貢献の有力な手段の一つとしてODAが位置付けられ、量的に拡大した。なかでも80年代は経済・貿易摩擦が激化し、「黒字減らし」、「資金還流」というスローガンの下に、ODAの計画的な量的拡充が行われた。その結果、89年には米国を抜いて世界最大のODA供与国となった。90年代以降は欧米諸国の援助疲れが顕在化するなか、わが国はODA大国として国際社会が直面するさまざまな開発課題に責任ある対応をとることが求められており、同時に、開発問題におけるわが国の発言や行動は大きな注目を集めるに至っている。

 以上のような歴史のなかにもODAの戦略性を考える材料が多く潜んでいるが、まず、外交政策とODAとの連携を考える上で、ODAの供与先に着目してみたい。すなわち、ODAは全世界に対して均等に供与されているわけではなく、外交政策上の優先課題や重点地域に沿って供与されている。ODAを開始した当初は戦後処理の一環として賠償と並行して東南アジアに経済協力の対象先が集中したが、その後も政治的・経済的に日本との関係が深いアジア諸国に対し傾斜配分され、その基本的傾向は現在も同じである。アジアは日本と密接な関係を有し、日本の安全と繁栄に大きな影響を及ぼしうる地域であることから、昨年改定されたODA大綱においても重点地域と位置づけられた。今後ともこの地域に民主的な統治制度や先進的経済システムを根付かせ開発を支援するため、ODAを通じこの地域の諸国を支援し、連携を強化していくことは、わが国の優先的政策となろう。同時に、後述のようなアフリカ開発に関する政治的な注目度・重要性の高まり、あるいは、そのときどきの外交課題(近年では例えばアフガニスタン、イラクなど)に従って供与先の重点も時々刻々変化していることに留意する必要がある。

 特に最近は、平和構築の分野にわが国ODAの相当量が投入されていることに注目したい。イラク、アフガニスタン、スリランカ、東ティモール、アチェ、ミンダナオといった紛争後の地域、あるいはその周辺地域へわが国は多くの無償資金協力を供与している。紛争により統治機構の枠組みが破壊された国や地域での緊急人道支援・復旧支援から国づくりに至るまでの「平和の構築」は、ODAによる下支えが不可欠であり、政治レベルでの和平の流れを不可逆的なものにする「平和の定着」の側面においても、ODAが果たす役割は大きい。

 この意味で印象深いのは、ドイツ主導の政治プロセスとわが国主導の復興プロセスの二つの糸が結い合わされて、本年4月に実現したアフガニスタン支援に関する国際会議(ベルリン会議)である。それを象徴するかのごとく、同会議での記念写真撮影の場では、シュレーダー首相と緒方日本代表が全参加者の中央に立ち、その両脇にカルザイ・アフガン大統領とパウエル米国務長官が立った。

 一方、わが国がイラクの復興支援のために実施しつつある15億ドルの無償資金協力については、アル・ラヒーム在米イラク大使は6月末の主権移譲前にワシントンで行った講演において、「二国間で援助を行っているのは日本だけだ。多くの国、国連、世界銀行は資金協力を開始するためには主権移譲を待つ必要があるとして供与はまだ行われていない」と述べている。また、この資金はわが国が議長を務めるイラク復興信託基金のドナー会合の場でも、国際協調の呼び水ともなっている。

 ODAが外交政策と無縁に実施され得ないことはODA大綱の原則からも明らかである。ODAの実施に際しては当然のことながら、国益と開発の衝突の局面が出てくる可能性がある。その際の判断基準として、ODA大綱において、(1)環境と開発の両立、(2)軍事的用途および国際紛争助長への使用の回避、(3)軍事支出・大量破壊兵器等の動向に十分注意、(4)民主化、市場経済導入の努力並びに基本的人権および自由の保障状況に十分注意、といういわゆる四原則が規定されている。途上国側においてこれらの事項について望ましい動きが見られる場合には、わが国としてその途上国の開発を積極的に支援してきた(ポジティブ・リンケージ)。逆に、核実験の実施、軍事クーデターによる政府の転覆、人権の侵害等の事態が見られた場合には、日本として相手国に対し事態の改善を求める等外交的働きかけを行い、状況を総合判断の上、当該国に対する援助を見直す(具体的には援助の停止も含め適時適切な措置を講じる)ことを行ってきた。例えば、2002年にイエメンによる北朝鮮からのスカッド・ミサイルの輸入が発覚した際、イエメン側から、日本が表明した武器輸入の動向についての懸念を理解し、二度と繰り返さない旨の回答を速やかに得た。ODAは、イエメンの将来の行動に対するいわば抑止力として活用された訳である。中国、インド、パキスタンにおける核実験やミャンマーにおける民主化情況を考慮して、ODAの停止を含めた対応をした例がある。反対に、ポジティブ・リンケージとしては、日本が1991年の和平達成に大きく貢献したカンボジアにおいて、民主化を定着させるために総選挙支援をするとともに、同国政府の諸改革に対する取組みを積極的に支援しているという例がある。さらにODAが外交的な働きかけや外交交渉の中で重要な切り札として隠れた議題となっている例としては、2002年以降急展開した日朝関係がある。日朝間では第二次大戦以降、不正常な関係が継続しており、同時に北朝鮮を巡っては拉致問題、核・ミサイル問題をはじめとする安全保障上の問題等諸懸案が存在している。日本の対北朝鮮政策の基本方針は2002年の日朝平壌宣言に基づきこれら諸懸案を解決し、日朝国交正常化を実現することである(もちろん国交正常化が実現しない限りODAは供与されない。しかし、国交正常化交渉を前進させる大きな原動力の一つにODAがあることは疑いの余地がない)。

 ここで、現在の日本のODAが直面する重大な危機について触れてみよう。これは、日本外交のよって立つ基盤の急速な劣化にもつながりかねない深刻な事態と私は認識している。まずODAの量の問題があげられる。これは、1990年代の日本経済の低迷と財政事情の悪化から、ODA予算が97年以降7年間で約三割削減されたという事態である。特に、2001年9月11日の米国同時多発テロ事件以後、2001年11月の世界貿易機関(WTO)ドーハ会合、2002年3月のモンテレイ開発資金国際会議、2002年8月のヨハネスブルグ持続可能な開発サミット、と続いた一連の重要国際会議を通じ、貧困とテロ、平和の構築、人間の安全保障といった新たな途上国問題が国際政治経済の基調をなす論点として浮上するなか、米国をはじめとする世界の主要ドナーがいっせいにODAの大幅増額を表明しているにもかかわらず、わが国はこの流れから完全に取り残されているという事態である。日本のODA実績(ネット・ディスバースメント)は現在米国に次いで世界第2位ではあるが、すでに米国の半分強の規模になっている。また、国内総生産(GDP)比では開発援助委員会(DAC)が22カ国中19位であり、現在の予算削減の趨勢と借款回収額の増大傾向が続けば、ここ2~3年の間に英仏独にODA実績で抜かれることは確実の情勢である。ミレニアム開発目標(MDGs)の達成には年間500億ドルという現在のグローバルなODA量を倍増させる必要があるとの世銀の試算もあり、2005年秋には、この目標の達成状況等をレビューする国連サミットが開催される。また、2005年のG8サミットは、議長国イギリスが早くもアフリカ開発を主要議題とする旨宣言している。こうしたなかで、国際社会におけるわが国の発言力や外交力に深刻な影響を及ぼしかねないことから、ODAの戦略性、効率性等の質的な改革はもちろんのことであるが、同時に、少なくともODA量の底打ちが早急に図られるべきである。

 さらに、ODAに対する日本国民の信頼という点で、大きな懸念がある。例えば、昨年の10月に内閣府が実施した外交に関する世論調査において、今後の経済協力のあり方について、積極的に進めるべきだとの回答が19%であったのに対して、なるべく少なくすべきだとの回答が22.5%にものぼった。これは、1977年以降、最も高い数字である。その回答の理由として、7割の人が日本国内の経済状況がよくないことを挙げる一方、37%の人がODA事業の不透明性を挙げ、34%の人がプロジェクトが十分な成果を挙げていないとしている。また、中国に対するODAに関しては、中国経済の目覚ましい発展とともに、中国自身による対外援助や海洋権益をめぐる日本との摩擦などから、見直しが声高に叫ばれるようになっている。一方、欧米の主要援助国においてODA増額が国民からの大きな抵抗なく、あるいは高い支持を得て達成できるのは、ODAが途上国における貧困の削減、安定的な経済社会の発展を通じて、自国の安全保障や国際社会の平和と繁栄の維持に直結するという考え方が、特に9.11の同時多発テロ事件を契機に、国民の間に深く浸透しているからであろう。

 国民の信頼を確保していくためには、ODA改革をきっちりと断行してODAの質を高めていく以外に道はない。ODAのあり方について広く国民的議論を行い、コンセンサスを形成するべく、一昨年秋、私は、経済協力局長に着任早々、ODA大綱の改定に着手した。

 そして、昨年8月の新ODA大綱の策定に至るプロセスにおいて、ジャーナリスト、開発研究者、経済界、NGO等との幅広い意見交換会やタウンミーティングを合計80回以上開催するとともに、パブリック・コメントを募るなど、わが国のODAのあり方が国民の期待に沿ったものになるよう努力してきた。特に、ODAの目的として、日本の国益との関係が明確に書き込まれた。すなわち、わが国のODAの目的が、「国際社会の平和と発展に貢献し、これを通じてわが国の安全と繁栄の確保に資する」ことである点が明記され、ODAの目的と外交政策の目的とが合致すべきことが確認された。この背景には、第一にODAをわが国の国益の確保のために活用すべきとの世論の高まり、第二にわが国の今日の国際的地位を確立するにおいてODAの役割の大きさが再認識されたこと、第三に国際社会における将来のわが国の地位を維持するための、いわば投資としての価値がODAに付与されたことがあると言えよう。

 また、効果的なODAを行うために援助政策の立案および実施体制を強化することも、新ODA大綱に盛り込まれた。日本では各府省がODAに携わっていることから、ODAの成果が最大限発現するためには、政府全体として一体性と一貫性をもってODAを効率的・効果的に実施することが不可欠である。このため、小泉総理を議長とする対外経済協力関係閣僚会議の積極的開催、ODAの中期政策や国別援助計画の策定、現地機能の強化が着実に進んでいる。また、国別アプローチ強化の一環として、本年8月に外務省経済協力局は機構改革によりアジア大洋州諸国を担当する国別開発協力第一課とそれ以外の国を担当する国別開発協力第二課を新設した。また、現地機能の強化については、わが国の主要な被援助国において現地ODAタスクフォースを立ち上げ、大使館、独立行政法人国際協力機構(JICA)、国際協力銀行(JBIC)の現地事務所等のODA関係者の参加による現地レベルでの恒常的な協議・調整、さらには、被援助国との協議、他ドナーとの協調が図られることとなった。現在、世界64カ国においてこのタスクフォースが活動を行っている。

 ODAの成果を積極的に広報することも、国民の信頼を回復するために不可欠である。特に、ODA事業はその実施現場が開発途上国にあるため、事業の実態や成果、これに携わる関係者の姿が国民一般に見えにくいという面がある。そこで、平成11年度から「ODA民間モニター制度」を立ち上げ、公募された一般の方々に海外のODAの現場を視察してもらい、意見や提言をしてもらうという事業を行っている。この制度は今年で6年目を迎え、これまで全国各地からモニターとして参加された400名以上の方々の体験や意見はODA事業の改善に大きく貢献している。

 ODAに対する信頼回復のための努力の一環として、国際的な開発課題への能動的な取り組みも挙げられる。わが国はこれまでODA大国を自認しながら、率直に言ってODAを取り巻く国際的な潮流に対して受動的であったことは否めない。日本発のODAブランド、ODAコンセプトの発信という側面に加え、グローバル化の進展による新たな開発課題への対応に向けた知恵出しという側面からも、わが国の知的発信が強く求められていることに思いを致すべきである。

 最近、経済成長、特にインフラ整備が、投資環境の改善等を通じて持続的成長とMDGs達成に果たす役割の重要性に再び焦点が当てられることとなった。これまでも日本は経済成長を通じた貧困削減が重要との考え方に立って、教育や保健医療といった貧困層が直接裨益する分野に加え、経済インフラ整備といった経済セクター支援に対する援助を通じた貿易・投資の活性化、法制度整備、人材育成、民間セクターの育成及び技術移転の促進のための支援を行ってきた。そしてこの考え方に基づきODA、民間資本、貿易等の連携の好循環を通じた成長の重要性を国際場裡で主張してきており、東アジア開発イニシアティブなどを打ち出してきた。こうした貧困削減における経済成長の重要性に関するわが国の主張、役割については、経済協力開発機構(OECD)-DACにおける対日援助審査においても、高く評価されたところである。

 さらに、わが国は、人間の安全保障、平和構築、地球規模問題、MDGsといった新たな開発課題にも積極的に取り組み、国際的な討議の場でもメインプレーヤーとして活動するよう努めてきている。特に人間の安全保障の視点は、わが国のODA政策、ひいては外交政策の一部に不可分のものとして組み込まれており、今後は国際的にこの考え方の普及と実践に努力していく考えである。このほか、日本の最近の取り組みとしては、いままでのような個別課題やプロジェクトレベルでの援助国、国際機関の協調を超えて、開発戦略レベルでの協調も積極的に実施している。例えば、ベトナムにおいて策定された貧困削減戦略文書の経済成長戦略部分において、大規模インフラ整備と経済成長を通じた貧困削減の促進の視点を盛り込んだ対応の拡充を日本が他の援助国・国際機関の中心となって進めており、昨年12月のDAC対日援助審査においても高い評価を得た。また、ベトナムについては、英国の国際開発省(DFID)との協力・協調にも力を入れており、昨年10月に、私は、DFIDのチャクラバルティ次官とともにベトナムを訪問し、援助プロジェクトの視察を行うとともにセミナーを共催した。この日英共同のベトナム訪問により、いままで対極の援助哲学を持つと思われていた日英間で相互の信頼が形成され、双方の得意分野で相互補完をすることにより、よりいっそうの援助効果につながることを確認できた。このような主要ドナーとの連携は、そのほかにも、2002年6月からの「保健分野における日米パートナーシップ」や2003年3月の「水分野における日仏協力」などがあり、さらに、オーストラリア、欧州連合(EU)、ノルウェー、韓国等の援助国との間でも局長級の援助政策協議を行い、開発分野の主要課題に関する意見交換を精力的に実施している。

 言うまでもなく、わが国は、グローバリゼーションの進展による相互依存関係の深化の恩恵を享受し、資源・エネルギー、食糧などを海外からの輸入に大きく依存している。また、多くの日本企業が海外に進出し、国際貿易により利益を得ている。ODAを通じて途上国の安定と発展に貢献することは、日本が国際社会の中で名誉ある一員としてその地位を維持する上で、同時に、日本の安全と繁栄を確保し、国民の利益を増進する上で、不可欠の投資でもある。わが国が国際社会において得ている高い信頼と評価は、このような途上国の開発問題への地道な取り組みに支えられている部分も大きいことに留意すべきだ。

 最後に、最近の象徴的な出来事を指摘しておきたい。太平洋・島サミット(2003年5月)、第三回アフリカ開発東京会議(TICADIII、2003年9月)、日・ASEAN特別首脳会議(2003年12月)など、わが国がメンバーでない諸会議が東京で開催され、そこで多くの首脳や閣僚がそれらの地域、国々の発展のあり方について議論をする機会が増えている。また平和の定着の分野においても、わが国は、アフガン復興国際会議(2002年1月)、アチェ和平復興準備会議(2002年12月)、アフガニスタン「平和の定着」東京会議(2003年2月)、スリランカ復興国際会議(2003年6月)、西バルカン平和定着経済発展閣僚会議(2004年4月)などを主催し、国際社会から高い評価を得た。このようにわが国が主導的な役割を果たしている国際会議の背景には、わが国の総合的な外交力とODAに対する高い期待があることは間違いのないところである。

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