この作業文書の目的は、軍縮・不拡散教育に関する作業文書(NPT/CONF.2005 /WP.30)セクション II パラ5が、「軍縮・不拡散分野において各国が実施している努力について情報を自発的に共有する」ことを奨励していることを踏まえて、軍縮・不拡散教育分野における日本の取り組みを紹介することである。
日本は、核兵器のない平和で安全な世界を目指し、国際社会において、平和国家としての地位を築くことを選択した。核の惨禍を経験した唯一の国として、日本は、広島・長崎の悲劇が決して忘れられないようにすることにコミットしている。この目的のため、日本は、特に若い世代に対する軍縮・不拡散教育を非常に重視している。
以下、この分野についての日本の取り組みを紹介する。
国連軍縮フェローシッププログラムは、1978年の第1回国連特別総会における決定を受けて、主として発展途上国からの専門家に対して軍縮問題について教育するために、1979年に初めて実施された。この約3ヶ月のプログラムは、様々な国の政府職員や国際公務員が、国連本部、ジュネーブ軍縮会議において研修を受け、国際機関、研究所及び関係国を訪問することによって軍縮・不拡散分野における知識を深める機会を提供するためのものである。日本は、1983年より毎年同プログラム参加者25名程度を日本に招聘し、2004年までに合計550名を超える参加者を招聘した。参加者は、日本の軍縮・不拡散政策についてのブリーフを受ける。プログラムには、広島及び長崎訪問が含まれており、原爆の惨禍を受けた唯一の国である日本について学ぶと共に、原爆の実態について見識を得る。フェローシップに参加した多くの外交官が、現在、世界の軍縮外交の前線で活躍している。日本は、このプログラムへの積極的な貢献を継続していく。
地方における軍縮会議は、地方レベルで軍縮の重要性について認識を高めるために、効果的な手段である。日本は1989年より毎年、国内の異なる地方都市における国連軍縮会議を後援し、世界中から一流の軍縮専門家が集まり有益な議論をする貴重な機会を提供している。昨年の国連軍縮会議は、7月に日本の札幌において開催され「平和・安全保障に対するさまざまな挑戦及び今日の軍縮」をテーマとして有意義な意見交換が行われた。本年は8月17日~19日に京都において開催される予定である。
2003年8月、大阪での国連軍縮会議開催中に、軍縮・不拡散教育セミナーが開催され、大阪の小学校、中学校、高校教師50名、国際機関職員及び軍縮・不拡散の様々な専門家が参加した。また、2004年7月の国連軍縮札幌会議開催中にも軍縮・不拡散教育セミナーが開催され、現役教師と専門家との間で活発な議論が行われた。
日本の外務省は、軍縮・不拡散分野における様々な取り組みについての情報を提供するため、種々の取り組みを行っている。「我が国の軍縮外交」は、2002年に日本語で発行され、2003年には英語版が発行された。2004年には、改訂版である「日本の軍縮・不拡散外交」の日本語版及び英語版も発行された。また、外務省は、日本の軍縮・不拡散分野の活動に関する公開可能な情報を掲載した包括的なホームページを作成し、定期的に更新している。
日本は、2005年NPT運用検討会議第2回及び第3回準備委員会へ軍縮・不拡散教育に関する作業文書を共同提出し、次世代の軍縮・不拡散を強化するための手段としての教育の重要性を強調した。
日本政府は、軍縮・不拡散教育の政府専門家グループへ自国の専門家を参加させ、グループの議論に積極的に貢献した。グループは、2000年8月に採択された第55回国連総会決議に基づいて設立され、事務総長に軍縮・不拡散の前進に向けての研究を準備することを要請した。グループは、2年後に事務総長に対して報告書を提出した。報告書には、短期的及び長期的履行についての一連の提言が含まれており、2002年及び2004年の国連総会で採択された決議案の基礎となった。
国連の軍縮・不拡散教育研究の提言に基づいて、日本は、軍縮教育専門家であり、社会的責任教育家(ESR)の代表であるキャサリン・サリバン女史を招聘し、2002年11月に高校生、市民社会のリーダー、被爆者と広島、長崎、東京にて交流を行う核軍縮教育ツアーを実施した。更に、2004年1月には、メリーランド大学グローバル安全保障軍縮プログラムよりナタリー・ゴールドリング博士が、2005年2月にはモントレー国際問題研究所よりウィリアムポッター博士が招聘され、それぞれ軍縮・不拡散に関する講義を行った。
原爆被害者(被爆者)は、学校を訪問したり、原爆記念碑や慰霊碑でガイドをしたりすることにより、直接、被爆経験を伝える。被爆者は、個人的経験を話し、核兵器による惨禍の認識を形成することにより、平和文化を学生や一般の人々に教育する。
日本の軍縮・不拡散促進センターは、軍縮・不拡散分野において今後活躍することを考えている人たちを対象に、軍縮・不拡散に係る最近の動向について理解を深めることを目的に、2004年3月に2日半にわたって「軍縮・不拡散問題講座」を開催した。同講座は、2004年8~9月にも3日半にわたって開催され、様々な分野にわたる一連の講演に続き参加者の間で活発な議論が交わされた。なお、同講座には外務省からも講師を派遣している。日本が、軍縮・不拡散の促進を外交政策の重要な柱と位置づけている中で、軍縮・不拡散教育を通じた専門家の育成や基礎的な知識の普及は不可欠である。
国連の提言の中で、平和公園、平和資料館、ウェブサイト等の創設を通じての平和都市の創設が奨励されている。原爆の惨禍を受けた日本の広島市及び長崎市は、平和について積極的に取り組んでおり、悲劇が繰り返されないように被爆経験を世界に伝えている。両市は、毎年平和式典を開催し、同式典は日本のみならず世界中からの出席者を得ている。広島市長及び長崎市長は、毎年、平和式典においてそれぞれ平和宣言を行い、核兵器が再び使われないよう希望を表明し、平和を訴えている。
また、両市長は、1982年に平和市長会議として知られる平和のための世界市長会議を創設し、核兵器全廃に向けて都市が力を合わせることを勧めている。会議は、広島及び長崎において交互に4年ごとに開催されており、現在、核兵器国の主要都市を含む110の国と地域の736都市が現在参加している。参加都市は、更に増え続けている。
平和資料館は、軍縮教育において重要な役割を果たしており、最も有名なものは、広島平和記念資料館と長崎原爆資料館である。平和資料館の国際ネットワーク(INPM)は、1992年に設立され、世界中の平和資料館の間で情報、展示及び意見交換することを可能としている。日本の平和資料館ネットワークは、1994年に設立された。平和資料館は、学校やより広いコミュニティーでの展示会やその他の活動を通じて軍縮に関する情報提供を支援しており、軍縮教育において中心的な役割を果たしうるものである。
広島市及び長崎市は、国際平和研究協会と共にUNESCOの支援を受け、平和教育の資料を提供し、大学レベルでの平和教育のモデルを確立し、意見や教育方法論につき交換することにより、世界中の大学で広島・長崎平和研究コースを設置するために協力することに合意した。
日本は、国際社会が、核兵器の破壊的な影響を十分に知らされるべきと考えている。核兵器が再び使用されてはならないとする日本国民の願いに基づき、日本政府は、2004年9月のフランスのオバーニュ及び2005年3月の米国コンプトンにおける広島・長崎原爆展を含む、地方自治体及びNGOによる数多くの原爆展開催の努力を支援している。