軍縮・不拡散

朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)

平成18年6月

1.KEDOとは

 KEDO(The Korean Peninsula Energy Development Organization:朝鮮半島エネルギー開発機構)は、1994年(平成6年)10月に米朝間で署名された「合意された枠組み」を受けて、翌1995年3月に設立された国際機関です。

 KEDOの主な設立目的は、北朝鮮が独自に建設した既存の黒鉛減速炉(核兵器の原料となるプルトニウムの生産が容易)の活動を凍結し、最終的には解体することを条件に、軽水炉(核兵器の原料であるプルトニウムの生産が比較的困難で、また国際的監視に服させやすい)2基を建設し提供すると共に、軽水炉第1基目の完成までの代替エネルギーとして、年間50万トンの重油を供給することにありました。

 2002年10月、北朝鮮がウラン濃縮計画を認めたことを契機として核兵器開発疑惑が再び深刻化したため、KEDOは、2002年12月に重油供給を停止、さらに2003年12月より、軽水炉プロジェクトを「停止」し、北朝鮮の対応改善を待ちましたが、その後、2005年2月には、北朝鮮は核兵器保有宣言を行うなど、軽水炉プロジェクトを推進する基礎が完全に喪失されたと判断されるに至ったため、2006年5月、KEDOは軽水炉プロジェクトの「終了」を正式に決定しました。

2.KEDOのこれまでの経緯

(1)設立までの経緯

 北朝鮮は、1993年3月、核兵器不拡散条約(NPT)からの脱退を表明し、IAEA保障措置協定の遵守を拒否しました。同年6月の米朝協議の結果、北朝鮮はNPT脱退の発効を中断しましたが、北朝鮮による保障措置協定違反はその後も続き、翌1994年5月、黒鉛原則炉からの核燃料棒抜き取りに着手するに及んで、同年6月、IAEAは北朝鮮に対する協力を停止(医療分野を除く)する決定を行いました。これに反発した北朝鮮がIAEAからの脱退を表明し、国連安保理が対北朝鮮制裁決議について非公式の協議を行うなど、危機感が一気に強まりました。

 この危機を打開するため、同月カーター元米大統領が訪朝し、金日成主席(当時)との会談等を経て、1994年10月、米朝間で「合意された枠組み」が署名されました。これにより、(a)北朝鮮が、NPT締約国にとどまる他、IAEA保障措置協定上の義務履行を通じた核開発の検証、既存及び開発中の核施設の凍結・解体等を行うこととなり、その代わりとして、(b)米国は、「国際コンソーシアム」を通じて、出力合計約2000メガワットの軽水炉(出力約1000メガワットの軽水炉2基)を北朝鮮へ供与するとともに、第1基目の軽水炉完成までの間、黒鉛減速炉の凍結に伴い失われるエネルギーの代替として、年間50万トンの重油を供与することとなりました。

 この「合意された枠組み」を受けて、1995年3月、日米韓3か国はKEDO設立協定に署名し、北朝鮮における軽水炉プロジェクトの資金手当て及びその供与並びに暫定的な代替エネルギーの供与等を目的としたKEDOが「国際コンソーシアム」として正式に発足しました。

(2)軽水炉プロジェクトの開始

 1995年12月、KEDOと北朝鮮との間で軽水炉プロジェクトに関する供給協定が締結され、KEDOが北朝鮮に対し出力1000メガワットの軽水炉2基を提供すること、軽水炉完成後北朝鮮は3年の据え置き期間を含む20年間で無利子返済することが合意されました。

 この供給協定の締結を受けて、1997年8月、北朝鮮咸鏡南道(ハムギョンナムド)琴湖(クムホ)地区の軽水炉建設用地において、土地の造成を中心とする準備工事の着工式が行われ、軽水炉建設に向けての工事が開始されました。2001年9月には、北朝鮮から建設許可が発給され、サイトの掘削工事が始まり、翌2002年8月には軽水炉建屋基礎部分へのコンクリート初注入式典が開催されました。

(3)北朝鮮のウラン濃縮計画疑惑とKEDOによる重油供給の停止

 しかしながら、2002年10月、北朝鮮は、訪朝したケリー米大統領特使に対して、ウラン濃縮計画の存在を認める発言を行いました(その後一転して否定)。これを受け、同年11月に開催されたKEDO理事会は、それまで実施されてきた毎年50万トンの重油の供給を同年12月より停止すること、また、将来の重油の供給は、北朝鮮がウラン濃縮計画を完全に撤廃するための具体的かつ信頼できる行動をとることにかかっていることを決定しました。

(4)軽水炉プロジェクトの「停止」

 これに対し北朝鮮は、2002年12月、核関連施設の凍結解除及び同施設の稼働と建設の即時再開を発表し、続いて、黒鉛減速炉、燃料加工工場及び再処理施設の封印撤去、IAEA査察官の国外退去等の措置を一方的に取りました。更に翌2003年1月10日には、NPT脱退を表明しました。

 こうした一連の北朝鮮の言動に対し、IAEAは数次に亘り理事会決議を採択し、北朝鮮に対して、速やかにかつ検証可能な形で、いかなる核兵器計画も放棄するよう求め、国連安保理も本件を取り上げました。しかしながら、北朝鮮は、更に2003年10月、「8000本余りの使用済み核燃料棒の再処理を成功裡に終了した」と公式に表明するなど、改善が見られなかったため、同年11月のKEDO理事会において、軽水炉の建設を同年12月1日より「停止」することを決定しました。

(5)軽水炉プロジェクトの「終了」

 その後も、北朝鮮は、2005年2月には核兵器保有宣言を行うなど、核問題をめぐる言動をエスカレートさせ、軽水炉プロジェクトを推進する基礎が完全に失われたと判断されるに至ったことから、同年11月のKEDO理事会において、軽水炉プロジェクトを終了すべしとの基本方針が共有されました。

 その後、KEDO理事会メンバー(日、米、韓、EU)間で、法的・財政的問題等につき協議を行った結果、2006年5月のKEDO理事会において、軽水炉プロジェクトの「終了」を正式に決定しました。

3.今後の見通し

 KEDOが軽水炉プロジェクトの「終了」を決定したのは、北朝鮮がKEDOと北朝鮮との間で結ばれた供給協定に定められた措置(注)を履行しなかったためです。したがって、KEDOは、供給協定に基づき、KEDOが被った金銭的損失について、北朝鮮に対して支払を要求していきます。

(注)供給協定上北朝鮮が履行しなければならない関連措置(供給協定附属書3)

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