2008年4月30日
ユネスコ大使 近藤誠一
創造性も、経済も、新しいものではない。しかし新しいのは両者の関係の性質とその度合いであり、如何にしてそれらが組み合わさって、途方もない価値と富を作り出すかである。
(ジョン・ホーキンズ『創造的経済』より)
「『ブラボー、あなたをテレビで見ました』・・・いえ、『ブラボー、あなたを愛しています、アン』として下さい」電話を切って、女は自分の言ったことの意味を改めて考える。場所はフランス北西部ノルマンディー地方の港町ドーヴィル。真冬のラリーに勝って終点モンテカルロでの祝賀会に臨んでいた男は、この電報を受け取るや、おんぼろになったレーシング・カーを飛ばす。夜明けのパリを通ってドーヴィルへ。朝の海岸、冷たい風の中で遊ぶ女と2人の子供たちは、自動車のライトの点滅で、男が帰ったことを知る。砂に足をとられながら駆け寄る4人、抱き合う二人・・・。
3月のある週末、このド-ヴィルにやって来ました。アジア映画祭10周年記念行事に、他のアジアの大使と共に招かれたのです。ホテルの出口の左右に広がる浜辺は、1966年にカンヌ映画祭のグランプリをとった映画『男と女』のシーンを次々に想い出させます。一人娘におとぎ話を聞かせる女の髪を乱す冬の風、犬と歩く老人の足もとに寄せる波、雪の降り注ぐ駅での別れ、無邪気に遊ぶフランソワーズとアントワーヌ。カラーと白黒が効果的に混じりあった画像、そしてフランシス・レイの音楽・・・。右手には、映画の舞台となったホテル・ノルマンディー。
市長主催の昼食会では、再選されたばかりでご機嫌のフィリップ・オージェ市長が、ドーヴィル市の文化行事について熱っぽく語りました。37年前から始めたアメリカ映画祭、クラシック音楽祭、競馬、本の見本市、オークション等、この港町には一年中催し物が尽きません。そしてそれらを見に訪れる客のための豪華なホテルとカジノ。市の予算の20%が文化行事に割かれ、またカジノの収益の一部が文化行事に充てられているそうです。
1月末、ロワール河河口の街ナントに行きました。有名なクラシック音楽祭『ラ・フォル・ジュルネ』を聴きに行くためです。駅から運河を渡ってすぐのところにある会場では、一回45分の公演が、大小10近いホールで、朝9時から夜11時まで行われます。5日間で300近い公演が行われます。
これは文化による都市再生を訴えて1995年に当選したジャン・マルク・エロー市長の下で、奇才ルネ・マルタン氏の采配によって始められたもので、それまでのクラシック音楽の常識を破る試みでした。そしてそれが見事に当たったのです。フランスの週刊誌『ル・ポアン』は、フランスで最も住みやすい都市についてのアンケートで、2003年以降4回もナント市を第一位に選びました。かつては奴隷貿易や造船業で栄えたものの、いつしか寂れてしまったこの港町としては、奇跡的な復活と言えましょう。若者の人口増加率が高くなっているという統計もあります。文化施設の充実は、企業本社の移転をも促進したようです。スペインのビルバオ市、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロ市等が一斉に真似をし始めました。私が本省で文化交流部長をしていた2004年に、マルタン氏が訪れて来ました。そして翌年、東京国際フォーラムで「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン「熱狂の日」」が始まったのです。
2006年9月のことでした。着任したその日、建築家の隈研吾さんからメールが来ました。10月19日からオルレアン市で「アーキラボ」という建築の展示会があり、今年は「日本」がテーマで、日本の若手建築家30名が集まるので、是非オープニングと講演会に来てくれという依頼でした。幸い長い会議が終わった後でしたので、休暇をとって列車で出かけました。2000年に始めたこの建築祭は、すでに7回目となり、駅から会場に至る道路のあちこちに看板が掲げられ、市の力の入れようが分かりました。そしてその年は世界に冠たる日本の建築家を集めようということになったそうです。
伊東豊雄、隈研吾という日本を代表する建築家の講演は大盛況でした。聴衆の中には、フランス国内はもとより、遠くはトルコや東欧からバスを連ねて来た若い建築家や学生がいました。展示された隈さんの繭を思わせる茶室に代表される、「人工」から如何に「自然」に近づくかを中心とする日本の建築の思想が、世界にアピールしているのです。
こうした地方都市による、文化・創造産業の活用による発展は、チャールズ・ランドリー、ジョン・ホーキンズ、リチャード・フロリダといった英米人学者の注目を惹きました。ランドリーは、成功している地方都市に共通しているものとして、ヴィジョンをもった個人、創造的企業、明確な目的を共有する政治風土があることを挙げます。地方の運営に必要なのは、文化にもっと注目し、創造的で、ホーリスティック(全体を包括的に捉えること)で、予見性をもち、市民に根ざしたアプローチをとることだとも言っています。彼によれば、文化は街造りにおいて周辺の付属物ではなく、その中心となるべきものなのです。文化を経済の発展と深く結びついたものとして扱うのが、これらの理論家共通の見方です。ホーキンズが冒頭の引用で主張しているのもそのことです。
そしてフロリダは、経済成長に必要な要素として、それまで言われてきた技術Technologyと才能Talentに加え、寛容性Toleranceを3つ目のTとして挙げます。何故なら技術や才能、つまり人的資本は、原材料や土地などの伝統的生産要素と違って一つの土地に縛られずに動きまわるからです。グローバル化の時代には、こうした優秀な人的資本をひきつけることができるか否か、つまりその都市が開放的で包容力があるか否かが、経済成長の鍵となるのです。
更に彼は、国際比較のためにこの3つのTを指数化し、それを総合してglobal creativity indexを考案しました。これは、マイケル・ポーター教授のgross competitiveness indexや、国連の人間開発指数などと強い相関があるそうです。
ここで重要なことは、開放と寛容は、物質主義から開放されて初めてイノベーションを生むということです。物質は所有され、他の使用を許しませんが、アイデアはひとに提供されてもなくならず、何回でも使用でき、そしてそこから新しい経済価値を生んでいくのです。社会が物質で溢れ、他方で資源の有限性が叫ばれる今日、物質主義から脱却できるか否かが、その都市の成長を左右する重要な要素になるのです(フロリダ『クリエイティブ・クラスの世紀』)。
ドーヴィル、ナント、オルレアンのすべてに共通していることは、これらの町が、こうした条件を満たしていることです。ナントの音楽祭を任されたマルタン氏が、成功の秘訣は開放性と市民参加にあると私に言ったのはまさにこのことだったのです。またナント市文化局長のボナン氏が、市民が単なる文化の消費者だけではなく、文化を生活の一部にし、議論に参加できる見識をもつことが必要として、アート・エデュケーションを推進しているのも頷けます。
こうした地方都市の試みと相前後して、EU(欧州連合)も成熟した欧州経済の持続的発展に対して地方都市がもつ潜在力に注目し、1985年に「欧州文化都市」というプロジェクトを立ち上げました。これは毎年EU内のひとつの都市を「欧州文化都市」として指名し、補助金を与えて様々な自己の文化の紹介を奨励するものです。最初に選ばれたのはギリシャのアテネ、2番目はイタリアのフィレンツェでした。この企画は1990年に「欧州文化首都」という名に変更されながら次第に注目され、今や2019年まで毎年の「欧州文化首都」が決まっています。中でもよく語られるのが、1990年に指定された英国のグラスゴーです。かつては「大英帝国の第二の都市」と言われながら次第に産業構造の変化から置いて行かれ、経済停滞、高い失業率、街の荒廃、労働者の町という暗いイメージしかもたれていなかったこの街は、欧州文化都市となったのを契機に文化・創造産業に活路を見出して一気に活性化し、今や欧州ではロンドン、パリ、ベルリンに次ぐ第4の都市へと復興を遂げました。
他の地域も黙って見ている訳ではありません。1996年に「アラブ文化首都」(初年度はカイロ市)、2000年には「アメリカ文化首都」(初年度はメキシコのメリダ市)が立ち上げられました。アジアにはまだありません。
経済・社会の発展や、個人のアイデンティティーの確立に果たす文化の潜在力を最大限に引き出し、そのために文化の多様性の維持を重視するユネスコも、都市のもつ役割に気づきました。2004年、「創造都市ネットワーク」Creative Cities Networkというプロジェクトを始めたのです。都市を活性化させるための鍵となる文化産業を育成・強化していこうという、志を同じくする上記各地域の都市を国際的につなぐネットワークをつくり、お互いに経験や知識を共有することを側面援助しようというものです。
この対象となる分野として、文学、映画、音楽、民芸、デザイン、メディア芸術、食文化という7つが特定されました。いずれかの分野で創造的都市となる意欲と計画のある都市がユネスコに申請すると、専門家による審査を経て、事務局長による最終決定が行われます。ネットワークへの参加が認められた都市は、「ユネスコ映画都市」や「ユネスコ・デザイン都市」などのユネスコの名前をつけ、ユネスコのロゴ・マークを使うことが許されます。そして、相互に関心の一致した他の都市と更なる連携や交流ができることになります。
政府間の国際機関であるユネスコが、首都ではなく、地方都市が文化の発達、多様性の維持・発展に果たす役割に注目したのは卓見というべきでしょう。グローバル化が進み、個人やそのアイデアが自由に世界を動く今日、国境の内側を統括する中央政府によるピラミッド型の統治だけで文化の正しい発展を促進することには大きな限界があります。むしろ個人や市民団体、地方都市などが自由に世界と水平的なネットワークを結ぶことを奨励し、支援することこそ、これからの正しい文化政策といえるでしょう。特に地方都市は、独自の歴史と文化をもち、政策の小回りが利く上で適度に小さく、世界の文化産業を招き入れる市場としては十分大きいのが特徴です。こうした観念をいち早く発達させ、そして上記の理論家を生んだ英国が、ユネスコで音頭をとったのは当然です。
ナント、オルレアン、ドーヴィルの文化産業を支えている中心に日本人の音楽家、建築家、映画監督がいることに注目すべきです。日本には文化・芸術面で世界に名を馳せている優れた個人や産業が多く、また歴史と文化、伝統芸能などをもった地方都市も沢山あります。こうした個々の力の源泉が、必ずしもひとつのまとまった力となって、地方の文化の発展や、それを通じた市民の精神的豊かさの向上につながっていないように思われます。経済発展は道路など公共事業でという古い発想から抜け切れていないからではないでしょうか。
福田総理が施政方針演説で強調された「地方の元気再生事業」を真に意味あるものにするためには、各都市が物質主義を脱却し、自らイニシアティブをとって、ナント市のようなダイナミックな発展を目指すことが必要です。フロリダが言うように、これからの成熟した経済で付加価値を生むのは、モノではなく、アイデアやデザインといった文化なのです。都市を開放することで、如何にして優れた人材を呼び寄せて都市の発展を遂げるかの競争の時代に入っているのです。ユネスコの用意したネットワークに参加し、世界の都市と連携しながら、こうした21世紀型の都市の発展を目指してはどうでしょうか。
文化はまた、社会の連帯を強化し、個人の自信を深め、生活の技を高め、人々の精神的及び肉体的福祉を改善し、民主的市民として行動し、新たな訓練や雇用の道を切り開く能力を高める。
(チャールズ・ランドリー『創造的都市』)
現在ユネスコ創造的都市ネットワークに登録している都市の数は9(エディンバラ、セビリア、モントリオールなど)です。これからどんどん増えること が期待されます。日本からは現在2つの都市が申請中です。
問:フロリダのglobal creativity indexの上位5カ国はどこでしょうか?
前号の答:ユネスコの文化3条約のすべてに加盟している国の数は、(ロ)の35ヶ国です。
時間 | 内容 |
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午前 | 講演準備 |
13時00分 | 昼食 |
16時00分 | 仏の大学院での講演(「グルーバル化の中での外交官の役割」) |
20時00分 | 公邸での夕食会(アジアの大使送別) |
ご意見やコメントは以下のいずれかにお寄せ下さい。
イ.郵送:Permanent Delegation of Japan to UNESCO, 1, rue Miollis 75732 Paris, Cedex 15 FRANCE
または、外務省広報文化交流部 国際文化協力室(〒100-8919 千代田区霞ヶ関2-2-1)
ロ.E-mail:seiichi.kondo@mofa.go.jp
前回の「文化外交最前線」は、今回のシリーズと共に、外務省ホーム・ページ
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