文化外交(海外広報・文化交流)

文化外交最前線 [II]:ユネスコ編
―第8号―

2008年3月20日
ユネスコ大使 近藤誠一

はじめに

 お互いの違いに眼をつぶらぬようにしよう - しかし同時に我々の共通の利益と、こうした違いを乗り越える方法に注意を向けよう。

(J・F・ケネディー)

今月のテーマ:ユネスコ総会:その裏舞台-その2

<会議の中断と非公式協議>

 前号の冒頭でご紹介した、あわや投票になるところであった決議がコンセンサスでまとまるまでの5日間を振り返ってみます。

 数人の大使の要請で、18日の会議は中断され、これらの大使たちと議長が部屋の隅で話し合いを始めました。賛成派、反対派と議長がそれぞれの公式の立場からやや離れて、妥協案をつくりました。しかし推進派の大使が、本国や共同提案国になってくれたすべての国と相談しなければ自分の一存では決められないと述べ、また反対派の大使も同様の立場にあるので、その日の午後、この案を議長の案として会議に提示し、皆が持ち帰って相談し、翌日改めて協議することにしました。

<またもや決裂>

 その日の会議終了後、提案推進派の国々が集まって協議し、議長案はぎりぎり呑めるが、それ以上の修正は認めないという方針を決めました。そして翌日の午後会議が再開されましたが、反対派は、内部で相談した結果、議長案はまだ彼らの立場を十分反映していないとして更なる修正を提案しました。議長はその日が委員会の最終日で、しかも金曜日だったので、いよいよ投票で決めるしかないと言いました。しかし提案国側と反対派のいずれもが投票に反対し、週末に更に検討し、翌週の月曜に臨時会合を開いて決めることに合意し、その日は残りの問題をすべて処理しました。

 月曜日が来ました。しかし反対派のグループは週末にも協議したようですが、依然として強硬派と妥協派に割れて対応が決まりません。大使たちは会議場の外に出て、携帯電話で本国の大臣たちと協議をしていました。反対派の言い分をよく聞いてみると、彼らの立場からすればそれなりの理屈はある様に思えました。そこで「立場は分かるが、もうこれ以上文言をいじる時間はない。採択に賛成しなくとも良いから、反対せず、採択後に実は不満だがコンセンサスを尊ぶ立場から反対はしなかった、自分の立場を明確に記録に止めて欲しい」と断って言い分を明確にすることで、面子を保ちつつ全体に協力的な態度をとってはどうか、反対して押し切られるよりはるかにプラスになると示唆しました。

 他方文言を単純化することで双方の顔が立つと思われる案を考え、提案国グループのリーダー格の大使に相談しましたが、今更一切の文言の変更は認められないとの返答でした。いざとなれば多数の賛成を得る自信があったのでしょう。反対派のリーダーの大使にこの強い姿勢を伝えました。

<思わぬ落とし穴>

 結局月曜日に臨時会合を開くことは諦めました。火曜日の朝、やっと反対派の大使から、今の案の採択に反対はしないが、採択直後にいくつかの国が自国の意見を改めて述べることで面子を保つという方向で強硬派を説得しつつあるとの報告を受けました。ほっとした瞬間、ひとつの心配が頭をもたげました。反対派の地域グループに属さない強硬派の国がひとつあることを思い出したのです。その国もOKなのかと聞きましたら、「そんなことは知らない、自分達のグループではないから」という返事でした。賛成派のリーダー格の大使に聞いても、その国への働きかけは全くしていませんでした。

 しかしその国は、かなりの大国で、独自の強い意見をもち、しかも大使は新任であることもあっていつも孤立気味で、ましてやコンセンサスを尊ぶユネスコの伝統をあまり理解せず、一国でも反対を唱え、負けるのを覚悟で投票による採決に進む可能性がありました。もし彼が今の流れを知らず、突然臨時会合を開いて現行の妥協案が出されたら、必ず反対するでしょう。もし一カ国でも反対すれば、コンセンサスを達成するという重要な目的があるからこそ自国の政治的立場に目をつぶって反対しないことにしたグループも反対せざるを得なくなり、これまでの数日間にわたる水面下の努力は無為に帰してしまいます。投票で決着はつくものの、かなりの国が反対票を投じ、総会全体の雰囲気が悪化し、様々なしこりを残し兼ねません。

<最後の説得>

 ここは日本の出番です。決議案賛成派に属してはいましたが、それをごり押しすることなく、反対派とも心を開いて話せるのが日本の強みです。早速その国の大使に会いにいきました。彼は驚くほど事態の流れをフォローしていませんでした。どちらのグループからも殆ど相手にされていなかったのです。丁寧に現状と、この種の問題の扱いに関するユネスコの慣行を説きつつ、採択に反対せず、必要なら採択の後声明を読み上げて立場を説明するという、他の反対派の方針を伝え、それが考えうる最良の選択肢であることを説明しました。

 しばらくして、その大使はその方針で本国の了解をとることを約束してくれました。やがて午後になり、臨時会合が召集されました。議長に確認したところ、反対無しで採択をし、その後賛成派、反対派それぞれの複数の大使が発言を求め、それぞれの立場を説明するというシナリオであることを確認しました。早速もうひとつの反対派の大使にそのことを伝えました。ところが彼は採択には反対しないが、採決の前に発言すると言ったのです。

 もし採択前に過激な反対論を述べられると、他の反対派も勢いづいてそれに同調するでしょう。そうなれば支持派が強い賛成論を展開することは目に見えています。それは意見の違いを表面化させ、議論をエスカレートさせてまとまらなくなり、コンセンサス採択ができなくなることは火を見るより明らかです。そこで、他の強硬派も皆言いたいことは言うが、それはあくまで採択した後であること、ここが最後の正念場であることを繰り返し説きました。

<採択>

 明確な返事をもらえぬまま、会議が始まりました。急いで議長に耳打ちし、妥協案に反対の意見はないかと聞いてから、時間をおかずにすぐ「採択」を宣言するべきことを伝えました。なまじ時間があると、その国の大使が何か言わざるを得なくなるからです。議長が「反対無しと認めます。よって採決」と手際よく木槌を打ってしまえるか否かが、勝敗の分かれ目だったのです。議長はそれを見事にやりました。

 そして採択の後、くだんの国を含め、強硬に反対していた国のうち3カ国が発言し、内容には不満足だが、コンセンサス重視というユネスコの伝統を壊さぬために反対しないと述べました。賛成派の大使が採択に感謝する旨発言し、日本を含む先進国3カ国が、双方の柔軟性と妥協の精神を賞賛し、無事にひとつの決議が採択されました。薄氷を踏むようなコンセンサスでした。

<コンセンサスというマジック>

 欧米でも、日本同様、非公式な協議の場で、公式には言えない「本音」を言いながら、「落ち」を見出すことが可能になるのです。例え本国からの指示と異なっても「これなら全会一致で通る。これを阻止すると非難される。立場は明確に表明しつつ、採択に反対しない方が良い」という進言を本国にすることもできます。公式の立場と異なる決議となっても、「コンセンサスを妨げない」という言葉は、面子を保ちつつ会議を進めるマジック・ワードと言えましょう。

 これはユネスコに限った話ではありません。ただユネスコにはこの伝統が他の機関よりも強く尊重されているような気がします。文化や教育という「ソフト」で長期的な分野を扱っているからかも知れません。文明間の対話などを手がけてきた経験も基礎にあるかも知れません。同じ国も、他の国際機関で同じ状況に直面すれば、全く違った対応をするであろうことは容易に想像できます。

<個人の信頼関係>

 これはユネスコには、紛争や競争ばかりが紙面を飾り、国益の強硬な主張が喝采を浴びがちな現代において、例え自分が多数派で、投票で勝つと分かっていても最後までコンセンサスを求めるというカルチャーがあることを示しており、重要です。そしてそれを可能にしているのが、大使を筆頭とする代表部員たちなのです。殆どの加盟国が、パリにユネスコ代表部とその長である大使を置いています。私達は大きな会議がない時は、他国の同僚たちとランチやディナーを共にしてお互いとその立場を知り合い、信頼関係を築きます。そしてユネスコの崇高な目的をどう実現するかにつき意見を交換します。この積み重ねがあって始めて、いざというときに、それぞれが自国の固い立場から離れ、世界全体の利益を視野に入れて、どの辺りなら全加盟国の妥協が得られるかを探ることが可能になるのです。

<外交官なき外交?>

 アメリカの外交官でかつ学者でもあるジョージ・ケナンは、1997年秋、フォーリン・アフェアーズという雑誌に「外交官なき外交?」という論文を書きました。ハイテクの進歩により、首脳や外務大臣が直接電話で話し、メールを交換し、いざとなれば飛行機で相手の国にかけつけて交渉ができるこの時代に、果たして任地に常駐する大使は必要かという問を発し、それに対して依然として必要であると述べています。それはまさに現地の事情に通じ、幅広くかつ深い人脈を築いて初めて、何かあったときに直ちに事態が自国にどのような意味をもつかについての分析と、適切な対策を考えることができるからです。

<大使は遊軍>

 このような局面は毎日ある訳ではありません。しかしいつ起こるか予想がつかないのも事実です。従っていざという時、大使が遅滞なく現場に飛んでいける体制をとっておくことが必要です。そこで威力を発揮するのが携帯電話です。どこかの委員会で話がこじれ、大使同士でやりとりをしなければならなくなったときや、コンセンサスの案をつくるための非公式な作業部会が作られたときなどは、そこにいる担当官が携帯で大使を呼び出します。

 その電話がないときは、大使は会議場から会議場へと移動し、カフェで仲間の大使と情報交換をします。何かありそうだという直感が働くこともあります。そんなとき、その会場に入ると、直後にアメリカやカナダの大使が同じようにぶらりと入ってきて、顔を見合わせて苦笑するということも幾度かありました。大使はこうした会議の間は、大臣のお供をするとき以外は、特定の持ち場を持たぬ、いわば遊軍なのです。

<同時通訳の苦労>

 国際会議に同時通訳は不可欠な裏方ですが、総会の後、彼(女)らの苦労話を聞いたことがあります。それは、予想に反し、一般討論のようなスピーチは通訳が難しいということです。通常我々は通訳に役に立つようにと、大臣等が読むテキストを予め渡しておきます。しかし、ひとは誰でもテキストを読むと棒読みになり、感情や人間性が薄れてしまいます。そして8分といった時間制限があると、知らず知らずのうちに早口になるそうです。通訳の最大の敵は、日本人が気にする文法的間違いではなく、早口なのだそうです。下手でも良いから、ゆっくり自分の言葉で話す方が、メッセージは伝わるのです。

今月の引用

 新外交と旧外交について云々することは、区別にもならぬことを区別することである。徐々に変化しつつあるのは、外交の外観、または、もしお好みとあらば、外交の体裁にすぎない。実体は変らないであろうーーというのも、第一に人間性というものはけっして変化しないものであるし、第二は国際的紛争を解決するのにはただ一つの方法しかないからである。そして最後に、政府が自由にできるもっとも説得的な方法といえば、結局は誠実な人間の言葉に他ならないからである。

(ハロルド・ニコルソン『外交』斉藤眞訳より))

今月の数字

 ユネスコは海外54ヶ所に事務所をもっていますが、途上国中心で、日本にはありません。

今月のクイズ

 問:ユネスコの事務局には、正規の職員として雇われている同時通訳は何人いるでしょうか。

 イ.3人  ロ. 35人  ハ. 58人  ニ. 110人  ホ. 150人

 前号の答:第34回総会で採択された決議の総数は、(ニ)の94件です。但し手続き的な事項や選挙の結果も決議の形式となっていますので、それらを併せると118件になります。

<大使の一日>(2007年10月19日。総会4日目。出席と書いてない委員会には席に座って出席した訳ではありませんが、会場の間を行き来し、時として中に入って様子を見ました。レセプションも一部を除きすべてに顔を出しました。固有名詞は省略します)

<大使の一日>
時間 内容
08時45分 総務委員会
09時45分 一般事業委員会
09時45分 文部科学大臣政務官をユネスコ玄関でお出迎え
10時00分 全体会合一般討論出席
10時00分 教育円卓会合
10時00分 一般事業委員会
11時00分 文化委員会議長との会談
13時00分 アジアの大使主催レセプション
15時00分 全体会合一般討論
15時00分 教育円卓会合
15時00分 行政委員会
15時00分 一般事業委員会
18時00分 中東の国主催レセプション
18時30分 アジアの国主催レセプション
18時30分 中南米の国主催レセプション
19時00分 東欧の国主催レセプション
19時00分 北米の国主催レセプション
22時00分 代表部に戻って打ち合わせ

後記

ご意見やコメントは以下のいずれかにお寄せ下さい。

イ.郵送:Permanent Delegation of Japan to UNESCO, 1, rue Miollis 75732 Paris, Cedex 15 FRANCE
または、外務省広報文化交流部 国際文化協力室(〒100-8919 千代田区霞ヶ関2-2-1)

ロ.E-mail:seiichi.kondo@mofa.go.jp

前回の「文化外交最前線」は、今回のシリーズと共に、外務省ホーム・ページ
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/staff/index.html
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/culture/index.html
でご覧になれます。

またユネスコ日本政府代表部のホーム・ページ, http://www.unesco.emb-japan.go.jp/他のサイトヘでは、英語版とフランス語版がご覧になれます。

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