文化外交(海外広報・文化交流)

文化外交最前線 [II]:ユネスコ編
―第6号―

2007年8月20日
ユネスコ大使 近藤誠一

はじめに

 御山の繁盛夥し、自分の召使う者千人に及び、国々の人群集すること二十万余、谷々に銀錬満ち、六谷のくつろぎ昔日にあらず、家は家の上に家を作り、仏閣瓦を並べ、鐘を鳴らし太鼓を打ち、昼夜の賑い京や堺に異らず。

(山師・安原備中の自伝書(1605年)より。石見銀山の繁栄ぶりを示すものとして山陰中央新報社『輝き再び 石見銀山―世界遺産への道』に引用されているものから借用)。

今月のテーマ:石見銀山遺跡:世界遺産はどのようにして決まるか-その2

<世界遺産リストからの削除>

 前号では世界遺産条約の目的と、その達成のために要請される高度の専門性、さらにそれに対する専門家の深いコミットメントについてお話しました。今号は私が今度の会議で最も感銘を受けたある先進国の女性の専門家の話から始めます。彼女は既に現役を退きながら、世界遺産条約への強い思い入れのために無給でその国の代表を買って出たそうです。そして膨大な会議文書の全てに自分で目を通し、全ての議題についてしっかりとした意見を述べていました。

 今回の世界遺産委員会が決定したことの中で最も悲しむべきことは、世界遺産史上初めて或る中東の国の自然遺産を世界遺産リストから削除したことです。これはそこに住む野生のカモシカArabian Oryxが、政府の統制の及ばない密猟のお陰で激減し、また世界遺産の範囲として指定された地域内で資源の開発が進んだため、世界遺産としての価値を維持することができないとして、その政府自身がリストからの削除を申し出た極めて珍しいケースです。その国は保護区域を大幅に狭め、現在生きているカモシカをその中に集めて保護し、増殖を進めて原状に戻す努力をするが、その間は世界遺産の価値を維持する義務が果たせないと述べて、自発的に世界遺産の資格を放棄したいと述べたのです。

<世界遺産の価値の崇高さ>

 諮問機関であるIUCNは、狭められた保護区域では動物は本来の自由な野生生活を送れないので、そこに自然遺産として必要な価値、すなわち「顕著な普遍的価値」OUVは存在しないと断言しました。そこで半数以上の委員国が何となく止むを得ないとして削除に賛成の意向を示しました。しかしこの専門家はいくつかのことにこだわりました。第一は、もともと世界遺産として指定されていた広い範囲から、OUVが完全に失われたのか否かです。彼女はもしそこにOUVがまだ不完全なりとも残っており、保護を強化することで世界遺産の価値が守れるなら、その政府はその維持、回復のために全力を尽くす義務があると主張しました。その政府に保護する能力がないとか、その意思がないというだけで、OUVのある遺産を安易にリストから削除することは条約の精神を踏みにじるもので許されないと主張したのです。この点に対するIUCNの返答が若干あいまいで、まだOUVがあると見られるというニュアンスが残ったため、かなりの専門家が彼女に同調しました。

<義務違反への憤り、条約の失敗への悔恨の念>

 この点は結局IUCNが、もともとの広い範囲には最早カモシカはおらず、保護の体制も脆弱なので、OUVは完全に無くなったと明言したことで決着し、全会一致で削除が決まりました。しかしここでこの専門家がこだわった第二の点は、リストからの削除をどのように表現するかです。彼女は原因が動物の密猟であれ、資源開発であれ、一旦認定された世界遺産の価値が失われるのをみすみす放置したその政府の罪は重いのみならず、それを防ぐことができなかったのは委員会の失態であり、条約の失敗であり、国際社会の失敗だと毅然と述べたのです。

 その口調は静かながら、史上初の「削除」に対する悲しみ、そこに至らしめた当事国の義務違反への怒り、それを防げず、「危機リスト」に記載することすらないままにいきなり「削除」という事態を招いた委員会の無為への悔しさ、そして手をこまねいて何もできなかった国際社会への憤りに溢れていたのです。主権国家の行為に対する遠慮は全くありませんでした。そして何よりも崇高な条約に傷をつけたこと、自分も関係者でいながらそれを救えなかったことへの腹立ちと深い悔恨の念を抱いていることを会場の皆に感じさせました。これは世界遺産条約の理念に対するあまりに純粋な思い入れとコミットの深さを表すものとして多くの人々を感動させました。委員会は彼女の気持ちを代弁する厳しい口調の決議を採択しました。このような専門家が自分の国にも育って欲しいと思ったのは私だけではないでしょう。

<専門的視点と、文化・立場の違い>

 この削除のケースは、条約の理念とそれを信奉する専門家の信念が、政治を乗り越えて筋を通した例です。しかし現実には、専門家の判断通りに行かぬことがしばしばあります。それは文化や立場の違いが、国と国の間、政府の代表と専門家の間、そして専門家同士の間ですら意見の相違を生むからです。それが顕在化するのが、新規登録審査における、諮問機関による勧告と委員会による決定との差です。今回について分析すると以下の通りです。

<勧告と決定の差>

 今回の委員会には当初計45件の新規登録案件が提出されました。それが委員会によって最終的にどういう扱いになったかを示すのが下記の表です。左の欄にある勧告を受けた案件が、それぞれ最終的に上の欄にある結果になったことを示すものです。例えば情報照会という勧告を受けた4案件のうち、2件が記載になり、残りの2件が情報照会のままであったということです。

(結果)
(勧告) 記載 情報照会 記載延期 不記載 撤回 拡大
記載 19(1) 18           1(2)
情報照会 4 2 2          
記載延期 10 2 3 3   2    
不記載 11(3)     3 1 7    
範囲拡大 1           1  
合計 45 22 5 6 1 9 1 1


(1)部分的に記載が勧告された案件(遺産の一部は記載に値するが、他の部分は「記載延期」等)3件を含む。審査結果はいずれも全体で「記載」。
(2)隣国との国境問題により判断が延期となったもの。
(3)部分的に不記載が勧告されたもの1件を含む。結果は勧告のまま。
(4)下線は勧告よりも上位の結果となったもの(「格上げ」)。

<専門性と価値観の相違の狭間で>

 ここで注目すべきは、9件(不記載7件と記載延期の2件)が推薦国から撤回され、逆に10件が委員会で「格上げ」されたことです。これは何を意味するのでしょうか。撤回は当事国政府や専門家が厳しい専門的評価に納得し、国内を説得したと考えるべきでしょう。「不記載」ならいざ知らず、「記載延期」とされたものを撤回するには、専門性尊重の強い信念があったと見るべきです。

 それでは「格上げ」はどうでしょうか。格上げを求める背景には、推薦国が自分の主張する価値が十分国際的専門家に理解されていないと思う場合と、政治的要請の2つがあると思いますが、これらを明確に分けることは困難です。推薦した国の主張がコミュニケーション不足や価値観の違いにより正しく勧告に反映されないことは十分あり得ることですが、他方本国の専門家の判断には主観が入りがちで、客観的な国際基準から乖離する可能性もあるからです。また欧米に本部を置く諮問機関の評価はどうしても西欧の価値判断に左右され易く、非西欧、特にアフリカなどの途上国の独特の文化や伝統の価値は十分評価されないので、委員会の場でこそそれを正すべきという議論もよく耳にします。

 委員会はこうした異なる要素に基づく「格上げ」(稀に「格下げ」)の圧力に直面する訳です。今回は記載(および拡大)以外の勧告を受け、撤回をしなかった案件は16件ありますが、うち10件が格上げとなりました。格上げ率は、情報照会が50%(4件中2件が記載)、記載延期が62.5%(8件中5件―2件が記載、3件が情報照会)、不記載が75%(4件中3件が記載延期)、平均で62.5%ということになります。撤回した件数9件を分母に加えると、40%となります。ただこの数字は毎年全く異なるので一般化はできません。

<イラクのケース>

 石見銀山遺跡は、「記載延期」から一挙に「記載」への格上げというかなり異例の結果となりました。イラクの遺跡も二段階格上げになりましたが、直接危機リストに記載されるなど、その背景には遺跡の価値や保全体制という基準を超えた高度に政治的配慮があったことは容易に想像できます。これは専門性を超えた、いわば十分正当化できる政治配慮といえるのではないでしょうか。

<石見の逆転の鍵>

 他方石見銀山遺跡の「巻き返し」の成功も、そのあまりの「快挙」故に、日本は専門性ではなく強い政治力を使ったという見方が一部にあるかも知れません。確かに初めての「記載延期」という評価は、面子にかけて受け入れられぬと考えた人はあったでしょう。しかし少なくとも委員会に先立ついろいろな働きかけの先頭に立った私の頭にあったことは、ICOMOSの勧告に欠けていた「環境に配慮した銀山」としての価値など、必ずしも十分に評価されていないと思われる日本の価値観を、どのようにして短期間に他の委員国に理解してもらえるか、そしてそれを如何にしてルールに従った正攻法でスマートに実現するかに尽きました。その議論が通じなければ結果は甘んじて受けると割り切り、政治力の行使や取引きを目論んだことは一切ありませんでした。

<環境配慮、ローザンヌ憲章、奈良文書>

 16世紀の昔から石見銀山で働く人々は、銀の精錬に必要な燃料として木を切ってもすぐに植林をして森を絶やさず維持し、また地崩れを防ぐため竹を植えるなど環境に特別の配慮をしてきた結果、いまでも遺跡は緑に覆われています。石見銀山遺跡の現場を視察した際にこのことを実感した私は、自分のデジカメで撮った写真を見せてこのことを各国代表に説明しました。

 また勧告の中で価値の証明が不十分な理由として、発掘が不十分である、また木造の家並みは当時のものではないから「真正性」に欠けるという指摘があったことにも正攻法で反論しました。第一は石見銀山遺跡の発掘は、環境や遺跡の保護のために発掘は最小限に止め、他の科学的手段で補うべしというICOMOS自身が採択した「ローザンヌ憲章」(1990年)に準拠しているということです。第二は建物の真実性は、木造建築のように材料そのものが当時のものでなくとも、設計や素材、技術など当時のものを使って補修・再建されたものは「真正性」があるものと見なすという「奈良文書」(1994年)と言われるものがあり、これが世界遺産条約の運営指針自体の中に組み込まれていることです。

 これらを英仏両言語で簡潔な1-2枚のメモにして説明に使いました。そのうち最も手応えがあったのが「環境にやさしい銀山」というコンセプトです。従って当然この点を働きかけの中核に据えました。これが決め手になったことは、まさにこの点が委員会での各国の支持の発言の中心になったことから明らかです。しかも委員会の半数を占める同僚の大使たちだけでなく、専門的基準に最も厳しい先進国の専門家、自国に鉱山をもつ中進国の代表、途上国の専門家など、幅広い層から支持を得たことは、日本の主張が専門性という正面から理解された証左と言っても良いのではないでしょうか。

<恥じない保全を>

 今回逆転登録ができたことは、多分に幸運によるものです。偶々巻き返しの材料の中心となった石見銀山遺跡の強みが、環境という現在誰もが関心を抱いているマジックワードであったからです。今後万一諮問機関の勧告で似たような低い評価を受けても、同じような「逆転」ができる保証は全くありません。従ってまず石見銀山を、世界遺産として世界に恥じない立派な遺跡として保存し、その価値を日本国民のみならず世界に一層良く知ってもらうようにしなければなりません。今後予想される観光客の増加は、人々の認識の増加と、プラスの経済効果をもちますが、それは直ちにそれに見合う保護・保全対策の強化が必要であることを意味します。面子にかけて保全に配慮をしていくべきです。

 その上で今回の教訓としていくつか感じたことをご紹介します。

<教訓1:もっと世界のルールの研究を>

 第一に、今後日本として世界遺産条約など、世界遺産をめぐる世界のレジームをよりよく研究し、その基準の解釈の変遷などを十分把握していかねばなりません。世界のルールに基づいて世界遺産を認めてもらうためには、法律によって裁判を争うのと同様、その基準の文言の意味や解釈の背景・変遷などを熟知し、それに準じて自己を判定者に効果的にアピールしていく必要があります。自分の文化や考えのみで判断して自己満足に陥るだけでは何も得られません。

<教訓2:国際的専門家の育成を>

 第二は、人材の養成です。世界に通用する専門家を育成し、彼らを積極的に海外に派遣し、またユネスコのような国際機関やイコモスのようなNGO、更に他国の研究機関と人材交流をすることが何より効果的です。国内には優秀な人材が少なくありません。今度もクライスト・チャーチで何人かの専門家の方々に貴重な教えを頂きました。こうした方々の地位を向上させ、世界に自由に羽ばたかせて、世界の専門家のネットワークの一部になって頂くような制度を早急につくるべきでしょう。そうして初めて国内の基準と世界の基準が一体になり、今度のように価値観の違いを埋める努力はしなくても済むようになるのです。その上でもし記載延期などの評価を受けたら、潔く撤回する位の毅然たる対応をとることが、日本の地位の確立につながるでしょう。

<教訓3:世界のレジームの運営に参加を>

 最後にこうした世界遺産条約のレジームのマネジメントを他国に任せるのではなく、そこに積極的に参加することで、日本の価値観を自然な形で世界のスタンダードに反映させていくべきです。日本やアジアの価値観はまだ十分世界の中心に位置づけられていません。自分の価値観を政治や力で押し通すのではなく、共に世界をマネージしていく過程で、少しずつ相手に納得させることが必要です。このような努力を通して世界の文化や価値観が混ざり合うことで初めて真の相互理解が進み、世界平和が達成されます。そしてその過程でお互いに刺激し合うことで、それぞれの文化が健全な発展を続けることができるのです。

今月の引用

 「文化の広い普及と正義・自由・平和のための人類の教育とは、人間の尊厳に欠くことのできないものであり・・・政府の政治的及び経済的取極のみに基く平和は、世界の諸人民の、一致した、しかも永続する誠実な支持を確保できる平和ではない。よって平和は、失われないためには、人類の知的及び精神的連帯の上に築かれなければならない。」

(ユネスコ憲章(1946年)前文より)

今月の数字

 危機遺産リストに載っている遺産の数(2007年7月1日現在):30件

今月のクイズ

 問:世界遺産リストにある遺産で、今回のクライスト・チャーチの世界遺産委員会で「危機遺産リスト」に移されることになったのは次のどれでしょうか。

 1.タージマハール寺院、 2.ケルンの大聖堂、 3.ロンドン塔、 4.ガラパゴス諸島、 5.バーミヤン遺跡

 前号の答:前回の問(世界遺産を最も多く持っている国とその数))の正解は、以下の通りです(2007年7月1日現在)。

 1.イタリア 41件、 2.スペイン 40件、 3.中国 35件、 4.ドイツ 32件、 5.フランス 31件

<大使の一日>(2007年6月15日。実際の日程ですが、固有名詞は省略します)

<大使の一日>
時間 内容
09時00分 大使公邸での警備の打ち合わせ
10時00分 中央アジアの大使の来訪(代表部執務室)
11時00分 アジア・太平洋地域グループとの会議(ユネスコ会議場)
11時30分 邦人文化関係者との打ち合わせ(ユネスコ会議場)
13時00分 先進国大使との昼食を兼ねた打ち合わせ(大使公邸)
16時30分 某欧州大使を往訪(先方代表部)
18時00分 某欧州大使着任レセプション

後記

ご意見やコメントは以下のいずれかにお寄せ下さい。

イ.郵送:Permanent Delegation of Japan to UNESCO, 1, rue Miollis 75732 Paris, Cedex 15 FRANCE
または、外務省広報文化交流部 国際文化協力室(〒100-8919 千代田区霞ヶ関2-2-1)

ロ.E-mail:seiichi.kondo@mofa.go.jp

前回の「文化外交最前線」は、今回のシリーズと共に、外務省ホーム・ページ
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/staff/index.html
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/culture/index.html
でご覧になれます。

またユネスコ日本政府代表部のホーム・ページ, http://www.unesco.emb-japan.go.jp/他のサイトヘでは、英語版とフランス語版がご覧になれます。

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