2007年4月12日
ユネスコ大使 近藤誠一
冬ごもり 春さり来れば 鳴りかざし 鳥も来鳴きぬ 咲かざりし
花も咲けれど 山を茂(し)み 入りても取らず 草深み 取りても見ず
秋山の 木の葉を見ては 黄葉(もみじば)をば 取りてぞ思(しの)ぶ
青きをば 置きてぞ嘆く そこし恨めし 秋山ぞ我れは
(『万葉集』巻第一 新潮日本古典集成より)
幕が左から右へと引かれると、舞台に溢れんばかりの紅葉の彩やかさに観客席から「ほー」という感嘆のため息が聞こえるようでした。3月23日夜、パリのオペラ座での歌舞伎初公演の初日のことです。市川団十郎、海老蔵親子率いる一座の演し物は、「勧進帳」「口上」そして「紅葉狩」でした。公演は大成功で、最後は観客が総立ちで感動を表しました。
16世紀末にイタリアの宮廷で始まったオペラは、次第に欧州の音楽の中心的地位を占め、各地にオペラ専用劇場が沢山つくられました。パリのオペラ座はルイ14世の下で1671年に創立された国立音楽・舞踏アカデミーが管理してきましたが、現在のものは1875年にC.ガルニエの設計で完成しています。外面も内装も豪華な装飾に溢れていますが、有名なシャガールの天井画は、1964年に文化相アンドレ・マルローが依頼したものです。
J. B. リュリがイタリア起源のオペラとフランスの宮廷で好まれたバレエを統合してフランス・オペラを確立して以来、この劇場はオペラとバレエの公式舞台としてパリっ子に親しまれてきました。バレエ好みのフランス人が親しむオペラ座で、「ややこ踊り」を演じた出雲のお国を出発点とし、オペラと同じく400年の歴史をもつ歌舞伎が成功したのは当然かも知れません。森鴎外がオペラのことを「西洋歌舞伎」と記したのも頷けます。
オペラも歌舞伎も、視覚と聴覚に訴える綜合的舞台芸術であることから、そこには神話や伝説、宗教、歴史、民謡、民族舞踊、衣装、所作などが織り込まれて、極めて民族性の強い芸術表現になります。それゆえに国家体制に利用されたり、逆に民族主義の高揚として弾圧されたことさえありました。歌舞伎も明治維新直後や第二次大戦直後には存続の危機にさらされました。
「紅葉狩」は、鹿狩りに出た平惟茂(これもち)が、戸隠山で出会った更科姫(実は鬼女)の酒宴に招かれますが、女の舞に見とれているうちにまどろんでしまいます。女が姿を消している間に石清水八幡の神が危険を知らせて神剣を渡します。目覚めた惟茂はやがて正体を現した鬼女を、その神剣で退治するという話ですが、これは北信濃戸隠村の民衆に伝承されてきた鬼女紅葉伝説に基づき、謡曲や能がテーマとし、それをもとに9代目団十郎が明治初期に新富座で初演したものです。
季節の移ろいにことのほか敏感な日本人は、古くから紅葉を愛でてきたようです。冒頭の万葉集の引用は、天智天皇の前で、春(春山の万花の艶)と秋(秋山の千葉の彩)のいずれをより好むかとの論争があったときに、額田王が詠んだ歌で、秋に軍配を挙げています。平安朝になると紅葉狩りは貴族にとって重要な季節の楽しみに発展していたようです。源氏物語では、朱雀院の庭で光源氏がもみじの枝を簪にして舞楽を舞い、あまりの美技に「少しものの心知るは涙落としけり」と述べられています(『紅葉の賀』岩波 新日本古典文学大系)。
こうした伝承・文化が、謡曲、能、歌舞伎などさまざまな形態をとって伝えられ、またそれぞれが時代の変化や相互の影響、外国の影響を受けながら現在まで命を保ってきたことは驚くべきことです。江戸の各時期での発展、明治期の演劇改良運動、シュークスピアの影響を受けた坪内逍遥の「新歌舞伎」など、さまざまな潮流の中で歌舞伎に身を捧げた創作者と演者の努力は我々のうかがい知れぬものがあるでしょう。オペラ座の観客の総立ちは、そうして磨き上げられた価値の真髄が、国境を越えて伝わるものであることを立証したのです。
またこうした歌舞伎の価値を一目で見抜く鑑識力がフランス人にあるということでもあります。フィガロ紙は「個々の動作、体の傾きにさえも意味がある」と評しました。このことは歌舞伎の発展に江戸時代の「役者評判記」が果たしたように、芸術の発展には良い評論家、鑑賞者が必要なことを物語っています。
歌舞伎を見てから10日後、インドに出張したとき、会議の催しのひとつとしてユネスコの無形遺産傑作宣言の第一回(2001年)に登録されたインドのクーディヤッタムという2千年以上の歴史をもつ古代サンスクリット劇を見ました。独特な演劇スタイルと演技法、とくに感情を表す特殊な様式化された目や頬の表情は、厳しい訓練に裏打ちされており、その質の高さゆえに古来の信仰や伝説、ひとびとの心の葛藤を現在まで伝え続けているのです。ひとりの演者が、怒り、愛、苛立ちの3つの感情を、目と顔の筋肉の動きとわずかな体の動きだけで繰り返し演じ分ける技法は、インド文化に疎い私にとっても感動的でした。
しかしいかに質的に優れているものでも、全くそのままでは外国人に理解されるとは限りません。自己の伝統のエッセンスを残しつつ、相手に合わせるという工夫も必要です。観る側にもそれを受け入れる心の準備が必要です。今回の歌舞伎公演では、まず幕は歌舞伎伝統の黄緑、黒、茶の三色でした。そして冒頭の「紅葉狩」の幕開けを思い出しながら気づいたのですが、幕は左から右に引かれました。つまり歌舞伎の伝統である「引幕」だったのです。オペラ座は通常赤いビロードの緞帳(垂幕)です。また紅葉は鮮やかな赤でした。日本人には当たり前ですが、欧州では秋の葉は殆どが黄色になります。この違いが何によるものか分かりませんが、冒頭の引用のように、万葉人にとって「もみじ」は黄色い葉だったようです。これが源氏物語では「紅葉」になっています。
他方花道はなく、舞台の前面、オーケストラボックスの上辺りに横につくってありました。そして口上の場面では役者さんがすべてフランス語で話しました。舞台の上にはフランス語の字幕もありました。そして終わった後のカーテンコールも極めてオペラ的です。
交流におけるこうした工夫は、長い間にお互いに影響され、知らず知らずのうちに自分のものになる可能性もあると思いました。それを感じたのは、第二幕の口上と、最後の「紅葉狩」の背景の違いです。口上の舞台の背後には広間が西欧的な線的遠近法で描かれていたのに対し、「紅葉狩」では、近くの紅葉や木は濃く、遠くの山は薄く描くという、日本的遠近法が用いられていたのです。線的遠近法は江戸中期に日本に入りましたが、口上の広間は、まるで丸山応挙の描いた「三十三間堂通し矢図」のように迫力に溢れた奥行きを感じさせるものでした。これは奥行きを重んじるオペラ舞台を意識した結果なのか否かは知りませんが、いずれにせよ過去の東西交流の産物と言えます。
しかしこうした弛まぬ努力と交流による刺激によっても、舞台芸術などの無形文化が簡単に生き残れるわけではありません。歌舞伎も20世紀初頭などいくつかの危機に直面しました。ましてグローバル化の下で経済至上主義、短期成果主義が世の中を風靡している今、世界中の国々でその貴重な伝承文化の存続が危機に瀕しています。それは人類共通の文化遺産の取り返しのつかぬ消失を、そしてそれに伴う人々の誇りやアイデンティティーの消滅を意味します。
それに警鐘を発したのがユネスコです。2001年以来3回にわたって「人類の口承及び無形遺産に関する傑作の宣言」を行って、こうした貴重な文化遺産の重要性の認識向上、保護の体制整備を始めました。そしてそれを条約にしたのが、いわゆる「無形文化遺産条約」です。当初「無形」の文化遺産という概念に馴染めず、また少数民族問題など様々な国内問題を抱える西欧諸国が反対しました。それを粘り強い説得で引っ張ってきたのが松浦事務局長と日本政府です。日本はすでに昭和25年につくった文化財保護法を発展させる中で、重要無形文化財や、それを高度に体現している人(いわゆる人間国宝)を保護する体制をつくり、それには国民的な認識があります。しかしモニュメント中心の欧州などはなかなか理解しようとしませんでした。
それでも日本はすでに1993年に無形文化財の保存を支援する「基金」をユネスコにつくり、積極的に途上国の無形文化遺産の保護を行ってきました。これまでに計1182万ドル(14億円程度)を拠出し、既にカンボジアの伝統舞踊復興等45件の支援を終え、現在28件の支援を行いつつあります。上で述べたインドのクーディヤッタム劇もその対象になりました。伝統的技法を伝える家族がわずか3つになり、継承者が殆どいなくなってしまったからです。インドの若者は何年もの修行をして芸を磨くことより、金融やITを勉強して一攪千金を狙うでしょう。そこで若者を惹きつける訓練所開設、俳優の手引書や公演記録の保存などを支援するなど現地の事情にあったきめ細かい対策をとりました。
先日ナイジェリアの教育・観光大臣に夕食に招かれ、またナイジェリアで最も影響力のある部族長を主賓とするランチに招かれました。その際双方から日本からの援助、中でもユネスコを通した援助に対する深い感謝の念が伝えられました。上記の無形文化遺産保護の基金から「イファの占い制度」を保存する計画に拠出し、また日本が設けている「人的資源開発信託基金」からもナイジェリアの教育に貢献しているからです。
文化・芸術は絶え間なく発展・変化するものです。従って重要なのは、わざの保存と言っても、現在の姿を「冷凍」するのではなく、生きたものとして自由に将来に発展し続ける力と意欲を与えるということ、そしてそのためには上で述べたように、観る側の鑑識能力も育っていかなければならないことです。
こうした実績を重ねるうちに最近になって西欧諸国もその重要性に気づき始めました。またアフリカやアジアなど、かならずしも壮大なモニュメントはなくても、民族や歴史を現す豊富な口承や劇、踊りがある国々も、自国民の自信回復に役立つこうした日本の努力を高く評価し始めました。こうして無形文化遺産条約を支持する国が次第に増え、遂に2003年に条約が採択され、2005年には批准する国の数が規定数に達し、発効しました。2003年にフランスが反対から賛成に転じたことは、その意味で重要な転換点でした。
松浦事務局長の努力と、外務省、文化庁、財務省などの日本政府の支えがかみ合って、日本らしい外交が10年経ってようやく花咲きつつあるのです。この経験は、目先の成果にこだわらず、いかにして日本の発想を世界に反映させ、世界に役立てるかを考え、それを信念をもって忍耐強く実行していくことこそ、短期成果主義に傾きがちな現在最も必要であることを物語っています。
しかし最近この基金の額が減り始めました。ODA(政府開発援助)削減の影響です。ODAは武力を使わず、途上国のために貢献する日本らしい外交政策です。1954年のコロンボ・プラン加盟以降半世紀にわたり、正しいと思うことを根気よく続けた結果、遂には1990年代にODAナンバー1の国になることで、戦後の日本の評価をじわじわと高めてきました。無形文化遺産と同様、日本の努力とその評価の間には大きなタイム・ギャップがありました。ところがここ数年でODAは減少傾向を強め、いつの間にか日本はODAの額で米英についで3位に落ちてしまいました。ドイツ、フランスなどとの差もあと少しというところまで縮まっています。このままではいけません。
ODAによる日本の貢献努力とその評価に大きなタイム・ギャップがあったと同じように、ODA減少の影響にもタイム・ギャップがあるでしょう。今すぐ感じなくともやがて日本の評価は徐々に、確実に低下していくでしょう。一旦評価が下がると、その認識を変えるには膨大な金額と時間が必要になります。
無形文化遺産に関する日本の貢献の成果と経験は、ささやかなことかも知れませんが、実はこのように極めて重要なことを物語っているのです。4月12日からユネスコ本部で、無形文化遺産の写真展を開いています。この3月から行われた奥谷博画伯による油絵の「世界遺産展」に次ぐもので、今度は「無形文化遺産」の重要性を少しでも観る人に分かっていただくためです。もちろん費用は日本の「基金」から出しています。
富樫 目にさえぎり、形あるものは切り給うべきが、もし無形の陰鬼妖魔、仏法王法に障碍(しょうげ)をなさば、何をもって切り給うや。
弁慶 無形の陰鬼妖魔亡霊は、九字真言をもって、これを切断せんに、何の難きことやあらん。
(歌舞伎『勧進帳』の安宅の関でのやりとりです。)
ユネスコ無形文化遺産条約締約国数(2007年4月1日現在):75カ国
問:日本のいわゆる「人間国宝」といわれている方々は、すべての分野で合わせて現在(2007年4月時点で)何人いらっしゃるでしょうか?(お一人で2つの分野の人間国宝の方がいらっしゃいますので、「延べ」(つまり人間国宝の数)でお考え下さい。
イ. 23人、ロ. 57人、ハ. 92人、ニ. 114人、ホ. 135人
前号の答:前回の問(ユネスコからフェア・プレイ賞を送られた日本のスポーツ・チームと観客は、どの競技のチームと観客か)の正解は、
チーム:(ハ)の日本サッカー・チーム(1968年メキシコ・オリンピック)、
観客:(ロ)のバレーボール(1977年日本でのワールドカップ)の観客です。
日本の観客が敵味方分け隔てのない声援,良いプレーへの拍手を送ったことに国際バレーボール連盟会長が感激して推薦してくれた由です。今まで観客がこのフェア・プレイ賞を受けたのはこのときの日本と、1998年のリリハンメル冬季オリンピックの時のノルウエー国民だけです。
時間 | 内容 |
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06時05分 | パリ・シャルルドゴール空港着(インド出張からの帰り) |
10時00分 | 世界遺産委員会非公式ビューロー会合(ユネスコ本部) |
11時15分 | 世界遺産委員会非公式全体会合(ユネスコ本部) |
11時30分 | 文化セクターの業務についての事務局幹部による邦人記者説明会(代表部) |
12時15分 | 来るべき執行委員会についての邦人記者説明会(代表部) |
15時30分 | 科学セクターの外部委員によるレヴューの報告会(ユネスコ本部) |
17時00分 | 文化財保護の邦人専門家の来訪(大使執務室) |
ご意見やコメントは以下のいずれかにお寄せ下さい。
イ.郵送:Permanent Delegation of Japan to UNESCO, 1, rue Miollis 75732 Paris, Cedex 15 FRANCE
または、外務省広報文化交流部 国際文化協力室(〒100-8919 千代田区霞ヶ関2-2-1)
ロ.E-mail:seiichi.kondo@mofa.go.jp
前回の「文化外交最前線」は、今回のシリーズと共に、外務省ホーム・ページ
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/staff/index.html
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/culture/index.html
でご覧になれます。
またユネスコ日本政府代表部のホーム・ページ, http://www.unesco.emb-japan.go.jp/では、英語版とフランス語版がご覧になれます。