2007年3月10日
ユネスコ大使 近藤誠一
燃えさかる精神は鍛えられた身体に宿る
屈強な競技者に精神性が欠如しているのを嘆いてローマの作家ユベナルが言った「健全な精神は健全な身体に宿れかし」という標語が陳腐化したのを憂えて、クーベルタン男爵が言い換えた言葉です。
私が会場に入るのを見たその人は、壇上から深々とお辞儀をしてくれました。誰もが「何と礼儀正しいひとだろう」と思ったに違いありません。彼はその後、柔道の本質は、厳しい練習を通して自分を鍛え、ベストを尽くし合った対戦相手を讃え、敬う気持ちを養うことにあると語り、柔道の目的は勝つことではなく、体と精神を養い、礼儀を身につけ、それを日常生活に生かすことだということを分かりやすく説きました。その人とは、1984年ロサンゼルス五輪の柔道で涙の金メダルを獲得した山下泰裕氏です。
彼はまた、ロス五輪の決勝戦の相手のラシュワン選手(エジプト)が試合後、右足負傷という山下選手の弱みをつかなかったのはおかしいとメディアに批判されたのに対し、「自分は誇り高きアラブ人であり、相手の弱みをつくというような卑怯なことはしない」と堂々と述べたことを紹介してくれました。
その場には、フランス柔道連盟の会長で元世界チャンピオンのルジェ氏も座って頷いていました。彼もまた、フランスで55万人もの柔道人口がいるのは、柔道を通して礼儀、規律を子供に習わせることができるという、親たちの信念と期待があるからだと述べました。現に山下選手がこの後マルセイユとボルドーで行った実技指導には、それぞれ1,000人、1,500人の子供を含む柔道家たちが集まったということです。
スポーツという言葉は14世紀の古いフランス語desportに由来し、英語でも15世紀まではdisportと表記され、「日常から非日常への移動」を意味したそうです。それは「戯れ、息抜き」などを意味しました。それが次第に英国の有産階級が好んだ狩猟を指すようになり、19世紀半ばには、「正々堂々とした、潔い」という意味を持つものに発展しました。スポーツマンシップという言葉が始めて文献に現れるのが、フィールディングの『トム・ジョーンズ』で、トムの見事な狩猟家ぶりを表現するものとして使われたのです。スポーツはあくまで趣味の域に留まるもので、それによって経済的な利益を追求してはならないという「アマチュアリズム」が発達したのもこの頃の英国です。
スポーツの発展には、近代オリンピックの復活運動と深い関係があります。近代オリンピックの父クーベルタン男爵は、処女作『イギリスの教育』(1888年)にあるように、英国の生き生きした学校生活を生み出しているスポーツの役割の重要性に打たれ、それをフランスの、そして次第に世界の青少年の教育に広げようとしました。そして1894年ソルボンヌ大学における国際スポーツ会議でのオリンピック復活の決定に至ったのです。それには1875-81年のドイツの考古学者によるオリュンピアの発掘が刺激を与えたようです。
クーベルタンがオリンピックの復興を唱えるに当たってインスピレーションを得たのは、古代ギリシャの四大祭典の中で最も盛大なオリンピックが紀元前776年から293回、1169年間も続き、大会中は都市間の戦争は停止されたという実績でしょう。オリンピック憲章は、オリンピック運動の目的として、身体的・道徳的資質の発達を促進することや、青少年の相互理解と友好の精神の教育を通して世界平和の建設に寄与することなどを謳っています。クーベルタンの理想としたスポーツによる教育がその基本になっていると言えます。
しかしオリンピックは次第に3回にわたる戦争による大会の中止、政治問題に基づくボイコットや人種問題、テロなどに翻弄されてきました。同時に発生した新たな問題がドーピング(禁止薬物の使用)です。ドーピングは19世紀半ばから行われていたようですが、1960年五輪での競輪選手の死亡事件を契機に禁止運動が始まり、1968年の五輪からドーピング検査が行われるようになりました。スター選手のメダル剥奪などを経て、1999年には世界ドーピング防止機構(WADA)が誕生し、世界的に統一したルールができるようになりました。
しかしドーピングのケースは後を絶ちません。科学技術の発達で、新たな薬物の製造や、検査の目をかすめる技術の進歩と、それらの禁止、取締りの「いたちごっこ」がいつまでも続き兼ねません。これはスポーツマンシップに反するばかりか、選手を「競争」の犠牲者にし、社会のモラルに悪影響を与えます。
人には日常生活から離脱して、「戯れ」や「息抜き」(スポーツの原義)をしたいという欲望があります。それを助ける興奮剤は昔から使われていました。1889年に始めて英語の辞書に載ったドーピングのdopeは、元来南アフリカのズールー族が祭礼や戦いに際して飲んだ強い酒のことだったそうです。スポーツとドーピングは相互に結びつく必然性を秘めていたのです。
人は他人より優れていると認められ、また金持ちになりたいものです。個人主義と合理主義、科学主義を基礎とする近代社会は、こうした個人の欲望を掘り起こし、次第に経済至上主義、勝敗至上主義、数字偏重の風潮を作り出しました。ドミニカ修道院の牧師ディドンが、1894年に使ったラテン語の「より速く、より高く、より強く」という言葉は、クーベルタンを通して世界に広まり、オリンピズムの標語になりましたが、これがその意図に反して記録と勝敗至上主義の流れに取り込まれ、ドーピングを招いてしまったのは歴史の皮肉です。
こうした流れの中で1974年、IOC第75回総会(ウイーン)は、オリンピック憲章の大改正を行い、全文から「アマチュア」規定を削除しました。やがて世界のトップを競わせるとの趣旨から、プロ選手の参加が認められるようになるなど、参加資格はオープン化の道を歩みました。英国人はスポーツの中にフェア・プレーやアマチュアリズムという規律を作ることで、スポーツが社会の流れに迎合することに歯止めをかけることに一時的には成功しましたが、その英国自らがアマチュアリズムの廃止を主導したのです。
競争が激化するグローバル化の中で勝ち残るためには、きれいごとではなく、流れに合わせていくことの必要性をいち早く悟ったのでしょうか。異なる文化の人々が競争していくには、明確で合理的なルールをつくることが必要で、自己を規律するマナー、倫理は、それを持たぬライバルとの関係では不利になるという計算があったのかも知れません。アマチュアといっても、今や本来の仕事はせず、毎日科学的トレーニングに励むという現実も影響を与えたでしょう。
そして徹底した商業主義で黒字を出した1984年のロス・アンゼルス大会以来、五輪は益々経済原則に従属するようになってきました。クーベルタンの理想は見るも無残に侵食されたのです。冒頭のクーベルタンの標語にもどこか空虚さが漂います。近代社会の流れが個人の欲望を深め、競争を激化させ、ルールを潜り抜けようという動きを生み、それが競争を一層激化させるという悪循環が始まったのです。
科学もスポーツの発達に重要な役割を果たしました。それは筋力の合理的トレーニングや、記録の正確な計測という良い面もありましたが、それがやがて薬物の使用、1秒の100分の1を競う激しい競争を招いたのも事実です。
この悪循環を止めるには、単にルールを厳しくするだけでは不十分です。子供のときからの倫理の教育、明確なルールの設定と公正な適用、選手のモラルの向上、医者や薬剤師などの科学者の倫理の向上、製薬会社など企業の倫理の向上などを、官民協力して総合的に行わなければなりません。
今年の2月1日、ユネスコのドーピング防止規約が発効しました。IOCやWADAと緊密に協力しつつ、スポーツ分野では唯一の政府間国際機関であるユネスコがこの総合的取り組みに乗り出したのです。この規約は、禁止する物質、違反の処罰、ドーピング撲滅基金の設立の他に、教育や研修、行動規範や倫理などを定めています。スポーツのみならず教育と科学も担当するユネスコがイニシアチヴをとったのは当然なことです。また1981年にバーデン・バーデンで開催されたオリンピック会議で「オリンピックの未来像」などが議論された時にユネスコが国連と共に出席したのもその意味では当然のことでした。
しかしユネスコの行っていることで、より重要だが余り知られていないことがあります、「ユネスコ・フェア・プレー賞」(正式にはPierre de Coubertin Fair Play Trophies)です。1964年以来、様々なスポーツ・イベントで、正々堂々と戦った人やチームに送られるものです。そして1984年の受賞者は、まさしくロス五輪決勝で山下選手に敗れたラシュワン選手なのです。これこそルールだけでなく、マナーの原点に戻った、最もユネスコらしい活動ではないでしょうか。スポーツが本来の教育目的に逆行する今の流れを止め、元に戻すエネルギーを与えてくれる鍵となるものは、マナー即ち山下氏の言う規律と礼儀なのです。
山下氏の発言が皆の心に響いたのは何故でしょうか?勿論それは彼が金メダリストだからです。彼が「強い」からです。しかしそれだけではありません。世界一強い柔道家になりたいという夢が叶えられたとき、彼は強いだけでなく、優しい人になっていたのです。強いことは重要です。しかしそれは「優しさ」を伴っていなければなりません。片方だけでは十分ではありません。
格闘技は一見乱暴なようですが、生身の人間と体ごとぶつかり、お互いに衝撃や痛みを感じることを通して人間の強さと弱さを学び、そこから優しさを育むという、TVゲームではできない重要な教育なのです。マナーはこうした過程を経て鍛えた強さの中の優しさ、ゆとりから生まれるものなのです。会場の誰もが心を打たれたのは、山下氏がこのことを体現しているからです。それは私が会場に入ったときの彼の丁重なお辞儀から既に始まっていたのです。
「このオリンピックでは、勝つことよりも参加したことに意義がある」
(1908年、英国セント・ポール寺院ペンシルベニア主教が、第4回ロンドン・オリンピックに参加した英国と米国の選手団がナショナリズムによって互いに挑発しあい、トラブルが絶えなかったことを戒めて述べた言葉。クーベルタンが広めた「オリンピックで重要なことは勝つことではなく参加することである」という格言の基になりました。)
ユネスコ・ドーピング防止規約締約国数:47(2007年2月5日現在)
問:ユネスコのフェア・プレイ賞を送られた日本のスポーツ・チームと観客が1つずつあります(1968年と1977年)。それぞれどのチームと観客でしょうか?
イ.柔道 ロ.バレーボール ハ.サッカー ニ.テニス ホ.レスリング
前号の答:前回の問(ユネスコ本部に作品がある有名な画家は誰か)の正解は、ロ. のピカソです。これは1958年の壁画『イカロスの墜落』です。第一会議場前のホールの壁一面を覆う40枚のパネルから成っています。しかしピカソは展示の場所が気に入らず、壁画に署名しなかったと言われています。
時間 | 内容 |
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10時00分 | 文化財の移転に関する政府間会合出席 |
11時00分 | 国連改革に関する情報会合出席 |
13時30分 | 執行委員会の運営に関する主要国代表との電話会談 |
18時30分 | 国際女性デー開会式でのスピーチ |
19時00分 | 国際女性デー 夜の会「日本・雅」でのスピーチ |
21時30分 | 関係者との非公式夕食 |
ご意見やコメントは以下のいずれかにお寄せ下さい。
イ.郵送:Permanent Delegation of Japan to UNESCO, 1, rue Miollis 75732 Paris, Cedex 15 FRANCE
または、外務省広報文化交流部 国際文化協力室(〒100-8919 千代田区霞ヶ関2-2-1)
ロ.E-mail:seiichi.kondo@mofa.go.jp
前回の「文化外交最前線」は、今回のシリーズと共に、外務省ホーム・ページ
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http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/culture/index.html
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またユネスコ日本政府代表部のホーム・ページ, http://www.unesco.emb-japan.go.jp/では、英語版とフランス語版がご覧になれます。