文化外交(海外広報・文化交流)

文化外交最前線 [II]:ユネスコ編
―第2号―

2007年2月1日
ユネスコ大使 近藤誠一

はじめに

 何世紀も、あるいは何千年もの間隔を置いて、炎はかつて光り輝いていたところにまた戻って来る。しかしそれは決して同じものではない。

(フェルナン・ブローデル『地中海』)

今月のテーマ:ペペ・ル・モコ

<望郷の想い>

 ペペは警官に撃たれて死んだと聞かされた女は、パリに戻る決意を固める。船が出る。傷心の女はいたたまれず甲板に出て、港の上の丘を見つめる。港に駆けつけた男は、港の鉄柵を握り締めて、「ギャビー・・・」と女の名を叫ぶ。しかしその時ちょうど鳴り始めた大きな汽笛にかき消され、その声は女に届かない。女は耳をふさいで船室へと戻ってしまう。二度と会えぬことを悟った男は、ナイフで自らの命を絶つ。その手にはすでに手錠がかけられていた。

 フランス映画『望郷』(原題は『ペペ・ル・モコ』)の最後の場面です。アルジェリアの首都アルジェのカスバに身を隠すギャングのペペ(ジャン・ギャバン)は、美しいパリ女ギャビー(ミレーユ・バラン)と会い、彼女がもつ故郷パリの「におい」に惹かれます。逢瀬を重ねるごとにパリへの想いは増していきます。遂にはカスバの迷路から誘き出そうという刑事の策略を承知で、パリへ帰る女に会うため港に出ます。ならず者も、最後は死を賭して、愛する女とパリへの激情に身をあずけるのです。

 恋や故郷への想いにおいて、ひとの間に差はないという70年以上前のこの映画のテーマは、グローバル化が進み、誰もがアイデンティティーに悩む今、ますますひとの心を捉えるのではないでしょうか。ペペがギャビーに感じる「メトロの匂い」は、石川啄木の「ふるさとの訛り」に通じるものです。「花はマロニエ、シャンゼリゼ・・・」という大高ひさおの『カスバの女』の歌詞も、ペペとギャビーの会話を想起させます。

<北アフリカの要衝の地アルジェ>

 カスバは、北アフリカ一帯にある街の城壁あるいはそれに囲まれた古い居住地帯のことで、この映画の舞台となったアルジェのカスバは中でも代表的なものです。ユネスコ大使として赴任してから初めての出張がアルジェでした。無形遺産条約(2003年採択、2005年発効)の実施要領を交渉する第一回政府間会合のためです。会議が終了し、空港へ向かうまでの短時間カスバを訪ねました。

 ボディー・ガードに守られながら、羊や鶏の肉、野菜やデーツ、日用品などを売る、喧騒に包まれた市場や、蟻の巣のように細く曲がりくねった道と、両側に作られた住居街、モスクなどを見ました。港から見る蒼い空、青い海と住居やモスクの白い壁のコントラストは、地中海独特の趣をかもし出しています。

<世界遺産>

 このカスバは、1992年にユネスコにより「世界遺産」に登録されました。ギャビーが最後に港から見上げ、目に焼き付けたカスバの景観と、海岸から延びる急斜面につくられ、地中海アラブの歴史を語る街並みとが合わさって、世界遺産の条件である「卓越した普遍的価値」を有すると認定されたのです。

 モロッコからリビアまでの地域は、アラビア語で「日が没する地」を意味するマグレブと呼ばれます。先住民はコーカソイド(白色人種群)のベルベル人ですが、7世紀と11世紀にアラブ人の侵入を受け、混交して大多数はイスラム教を受容し、アラビア語を話すようになりました。11世紀から13世紀にかけてはムラービト朝、ムワッヒド朝を建国してマグレブとイベリア半島を支配するまでになりました。16-19世紀はオスマン・トルコの支配下に入りました。

<文明の交流>

 地中海、大西洋、アトラス山脈、サハラ砂漠に囲まれたこの地域は、小麦、オリーブ、イチジクなどの穀倉地帯でしたが、紀元前9世紀にカルタゴを建設したフェニキア人などの活躍で、早くから地中海をベースに、東方のマシュリク地方からアンダルス(イスラーム教徒が支配したイベリア半島の部分)までにわたる通商や海賊で繁栄しました。この交易と巡礼は、文化の伝播に貢献しました。とくにイベリア半島を様々なイスラーム王朝が支配した8世紀から15世紀までの間、古代ギリシャのさまざまな文物、学問、芸術、思想が西欧にもたらされたのは、まさにこの地中海からピレネー山脈へのルートだったのです。トレドでは膨大な量のアラビア語文献が欧州諸国の言語に翻訳されましたが、そこには寛容な処遇を受けていた多くのユダヤ教徒の活躍があったようです。

 2002年の国連開発計画(UNDP)『アラブ人間開発報告書』には、外国の書物のアラビア語への年間翻訳件数が、ギリシャ語への翻訳の5分の1、9世紀以来の翻訳総数は10万冊で、スペインによる年間の翻訳数と同じというショッキングな報告があります。17世紀に始まった欧州での近代化が、まだアラブ諸国で十分に理解され、吸収されていない一因かも知れません。

<文明の炎>

 ブローデルの冒頭の引用は、地中海文明が西から始まって東に伝わり、それが西に戻った可能性を指摘する文脈で言っているものですが、それはより大きくアラブ文明と西欧文明についても言えるはずです。中世の時代に西欧に移り、啓蒙の時代やルネッサンスを経て、近代化につながったアラブの炎が、まだ「かつて光り輝いていたところ」に戻っていないのは何故でしょうか。

 そこに政治・歴史・宗教等の諸要因があることは明らかです。しかしカスバの世界遺産としての認定は、アルジェリアの人々に自信を回復させ、近代技術や理念の積極的受容へのエネルギーを生んでくれることが期待できます。アルジェでは、議長の文化大臣の計らいで、ベルベル人の伝統的歌と踊りを見ました。これはユネスコから「無形遺産の傑作」として宣言を受けたものです。白一色のベールと衣装をまとったベルベル人たちの独特のリズムは郷愁をそそるものでした。自分たちが誇る伝統を数十カ国の大使たちに見てもらったという自信と喜びもまた、文明の炎の新たな流れにつながると良いのですが。

<歴史の痛み>

 しかし民族の歴史は痛みなくしては語れません。多民族が長く混在し、いろいろな民族の王朝の栄枯盛衰を見てきたたこの地域も例外ではありません。中でも重要なものがフランスによる支配です。1830年以来132年間にわたるフランスの植民地時代は、複雑な経済・社会構造を生み、カスバは反社会的なひとびとのたまり場ともなったようです。やがて各民族はイスラームの下で結束し、アルジェリア独立戦争を戦い、勝利しましたが、その傷はまだ完全には癒えていません。カスバは独立運動の拠点でもありました。

 またアルジェリア国内の民族間の問題もあります。ベルベル人は現在では山岳地帯や砂漠などに住み、アルジェリアの総人口の約18%を占めるに過ぎませんが、時として独自文化を主張する民族運動を起こします。80年の「ベルベルの春」がその例です。世界遺産や無形遺産の登録に当たって、常に国や民族の感情に対する、慎重な政治的配慮が必要になるのはそのためです。

 しかし、国内の異なる民族間でも、国際的にも登録に合意できたということは、文化的価値を前面に出すことで困難な問題も乗り越えられることを意味します。また私はカスバのある建物の中に、ユダヤのマークが刻まれているのを見ました。かつてこの地域では、アラブ人とユダヤ人が一緒に暮らしていたことの証左です。世界遺産になったことで、より多くのひとがこれを見れば、現在の世界で最も深刻な問題の解決に役立つでしょう。文化やその造形物は歴史から学びつつ、歴史を乗り越えるきっかけを与えてくれます。人類進歩のために文化がもつこの力を見直すべきです。

今月の引用

 文化と、文化が前提とする一定の自由がなければ、如何なる完全な社会もジャングルでしかない。だからこそすべての真正な創造物は将来への贈り物なのだ。(アルベール・カミュ『Actuelle II l' Artiste et son temps』)

 なおカミュはアルジェリア生まれです。

今月の数字

 ユネスコの事務局職員数(2007年1月1日現在):2,269人
 うち日本人職員数:66人(カイロなど現地オフィス勤務の人を含む)

今月のクイズ

 問:ユネスコ本部にはある有名な画家の絵があります。次のどれでしょうか?

 イ.シャガール ロ. ピカソ  ハ. マチス ニ. ドラクロア ホ. モネ

前号の答:前回の問(日本のユネスコ加盟の年)の正解は、ロ. の1951年です。因みにイ. の1946年は終戦およびユネスコの設立、ハ. の1956年は日本の国連加盟、ニ.の1964年は日本のOECD(経済協力開発機構)加盟とIMF8条国移行、ホ. の1979年は先進国首脳会議(サミット)開催の年で、いずれも日本の戦後の国際社会復帰の重要な年です。

<大使の一日>(2006年11月28日。実際の日程ですが、固有名詞は省略します)

<大使の一日>
時間 内容
11時00分 ヨーロッパの新任大使の訪問を受ける
13時00分 アジアの有力大使を招いたランチ(公邸)
16時30分 外出(健康診断)
17時30分 ユネスコ事務局長との会談
18時00分 美術館の展示内覧会出席
19時30分 ヨーロッパの大使7人を招いての夕食会(公邸)

後記

ご意見やコメントは以下のいずれかにお寄せ下さい。

イ.郵送:Permanent Delegation of Japan to UNESCO, 1, rue Miollis 75732 Paris, Cedex 15 FRANCE
または、外務省広報文化交流部 国際文化協力室(〒100-8919 千代田区霞ヶ関2-2-1)

ロ.E-mail:seiichi.kondo@mofa.go.jp

前回の「文化外交最前線」は、今回のシリーズと共に、外務省ホーム・ページ
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/staff/index.html
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/culture/index.html
でご覧になれます。

またユネスコ日本政府代表部のホーム・ページ, http://www.unesco.emb-japan.go.jp/他のサイトヘでは、日本語版に加え、英語版とフランス語版も掲載されます。

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