1 情勢認識
第二次世界大戦終結から80年、そして国際連合の創設から80年を迎えた2025年は、国際社会にとって一つの節目といえる。
ポスト冷戦期において、自由で開かれた国際秩序の拡大、グローバル化の進展、そして国家間の相互依存の深化を特徴とする国際潮流が多くの国々に繁栄と安定をもたらした。
しかしながら、自由で開かれた国際秩序は、大きく動揺している。パワーバランスの変化や地政学的競争の激化を受け、歴史の大きな変革期にあり、こうした中で、現在、日本を取り巻く安全保障環境も、戦後最も厳しく複雑で、一層緊迫したものとなっている。かつての「ポスト冷戦期」といわれた比較的安定した時代は既に終焉(えん)を迎えたといえるだろう。
2022年2月に始まったロシアによるウクライナ侵略は、国際秩序の根幹を揺るがす暴挙であり、国連憲章を含む国際法の重大な違反である。また、中東では、2023年10月に発生したハマスなどによるイスラエルに対するテロ攻撃以降、地域全体が不安定化し、特にガザ情勢をめぐる国際社会の対立構造の複雑化、イランをめぐる情勢の緊迫化など、地域を越えた国際社会全体の課題となっている。
同時に、国際社会及び日本を取り巻く安全保障環境の変化が様々な分野で加速度的に進んできている。日本周辺においては、中国の外交姿勢や軍事動向、北朝鮮による核・ミサイル開発、さらには、露朝間の軍事協力の進展といった懸念すべき動きが見られる。これらの個別の事象は、グローバルな国際社会において相互に関連し、地域・国際情勢に多様な変化をもたらしている。
加えて、いわゆるグローバル・サウスと呼ばれる開発途上国・新興国の台頭により、既存の国際秩序の維持、グローバル・ガバナンス(1)の在り方が問われている。グローバル・サウス諸国は、経済成長と人口拡大を背景に、国際政治での発言力と影響力を急速に強めている。これらの国々の多くは、既存の国際秩序や国際機関の限界を指摘し、より公平で包摂的なシステムへの改革を求める声を強めている。そうした不満を背景に、自国のナラティブに基づいてあたかも国際秩序の擁護者かのように振る舞いつつ、都合良く国際秩序を作り変えようと試みる国々も出現している。
また、近年、安全保障と経済を横断する領域で様々な課題が顕在化する中、サプライチェーンの強靱(じん)化を始めとする経済安全保障の重要性は高まっている。さらに現代社会における科学技術の進展は、その速度と影響範囲において前例を見ないものとなっている。人工知能(AI)や量子技術といった先端分野におけるイノベーションは加速度的に進展し、国力をも左右する主要な要素として、その重要性が増している。また、デジタル技術の発展により、国家を背景とするサイバー攻撃を始め、サイバー空間における脅威が急速に増大し、サイバー安全保障分野での対応能力の向上が急務となっている。こうした中で、「技術覇権」をめぐる国家間競争が激化しており、次世代技術の発展が、各国の安全保障にも直結するとともに、将来の国力や中長期的な国際秩序に大きな影響を及ぼす時代となっている。
以上の認識の下、国際社会が直面する主要課題について述べていくこととしたい。
(1)法の支配に基づく自由で開かれた国際秩序に対する挑戦への対応
世界の様々な地域において、パワーバランスの変化と地政学的競争が激化してきている。それらが相互に連動することにより、法の支配に基づく自由で開かれた国際秩序は、大きく揺らぎ始めている。
ロシアによるウクライナ侵略は、2022年2月以降、今も継続している。国連安全保障理事会(国連安保理)の常任理事国が、主権・領土一体性の尊重、武力行使の一般的禁止という国連憲章の原則をあからさまな形で踏みにじる行為であり、法の支配に基づく国際秩序に対する挑戦である。ウクライナにおける公正かつ永続的な平和の実現は、国際社会における法の支配を守り抜く観点からも不可欠である。また、中東においても、2023年10月以降、イスラエルとハマスの武力衝突が激化し、深刻な人道危機が発生し、地域を越えた国際社会全体の課題となっている。
このような状況で、米国は、ウクライナの和平実現や世界各地における紛争の解決に向け、積極的な外交を展開してきており、日本もそうした米国の外交努力を後押ししている。国際社会の平和と安定を維持・強化するためには、米国の役割が引き続き不可欠である。
インド太平洋と欧州・大西洋の安全保障は不可分であり、ロシアによるウクライナ侵略への対応は、東アジアにおける力による一方的な現状変更の試みを防ぐ観点からも重要である。日本周辺の安全保障環境は、戦後最も厳しく複雑な状況にある。中国、北朝鮮、ロシアの軍事的動向は深刻な懸念事項であり、特に、東シナ海・南シナ海における中国による力又は威圧による一方的な現状変更の試みや、台湾海峡をめぐる緊張の高まり、北朝鮮による核・ミサイル開発の継続、そして露朝間の軍事協力の進展や中露間の軍事的連携の強化といった動きが懸念される。
このような状況下で、日本の外交・安全保障の基軸であり、インド太平洋の平和と繁栄の礎である日米同盟の抑止力・対処力を一層強化する重要性はますます増している。また、米国のインド太平洋地域に対するコミットメントの継続・強化が不可欠である。同時に、自由で開かれた国際秩序の維持・発展を重視する同志国との間で、多角的な協力枠組みを活用し連携を強化していくことが極めて重要となる。G7(主要7か国)、オーストラリア、インド、韓国に加え、東南アジア各国や太平洋島嶼(しょ)国などとの連携、さらには、日米韓、日米豪(オーストラリア)、日米比(フィリピン)、日米豪印といった枠組みを活用することで、同志国との連携を重層的に強化していくことが重要になる。さらに、インド太平洋と欧州・大西洋の安全保障は不可分との観点から、EU(2)(欧州連合)、NATO(3)(北大西洋条約機構)などの幅広いパートナーとの連携を深めることも必要である。
こうした取組を通じ、「自由」と「法の支配」の擁護、「多様性」、「包摂性」、「開放性」の尊重を中核的な理念とする「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)(4)」を力強く推進し、時代に合わせて戦略的に進化させていく。
同時に、近隣諸国とは、難しい問題、課題に対応しつつ、安定的な関係を築いていくことが重要である。日中関係については、「戦略的互恵関係」の包括的推進と「建設的かつ安定的な関係」の構築という大きな方向性は一貫している。様々な懸案と課題があるからこそ意思疎通が重要であり、今後も冷静かつ適切に対応を行っていく。
(2)グローバル・ガバナンス改革と地球規模課題の解決に向けた動き
2025年は、国連創設80周年という節目の年であり、多国間主義の重要性を改めて認識し、国際協調の在り方を問い直す好機となった。気候変動、環境、国際保健、災害など、今日の地球規模課題は依然として山積しており、こうした課題はいかなる国も一国のみでは解決することができず、国際協調が一層求められている。
日本は、第二次世界大戦終結以来80年間、国連を中核とした多国間外交を推進し、一貫して国際社会の平和と安定、繁栄に貢献してきた。しかし、国連安保理を始めとする既存の国際機関やフォーラムが、現状の課題に対して期待される役割を十分に果たせていない側面があることも事実である。時代の変化に対応し、より効果的な機能を発揮するためには、これらの組織の構造や機能に関する改革が急務である。
幅広い同志国とのネットワークの強化や連携の着実な推進は、グローバル・ガバナンスの強化にも資する。共通の価値に基づく国際協調を深化させることで、国際社会が直面する複合的な危機に対し、より実効的な対応が可能となる。また、国連を中心とする多国間システムが困難に直面する中、同盟国・同志国などの連携の重要性が相対的に増しているともいえる。
国際社会のパワーバランスの変化を受け、グローバル・サウス諸国は、国際社会における発言力と影響力を増している。その中には、あたかも国際秩序の擁護者かのように振る舞い、国際秩序に関する自国のナラティブを拡散する動きもある。グローバル・サウス諸国は、既存のシステムやルールに不満を抱えているが、グローバル・ガバナンスの強化のためには、相応の役割を共に果たし、負担を共有していくことが不可欠である。
ブラジル、ロシア、インド、中国の4か国で始まった「BRICs」は、後に南アフリカが加盟して「BRICS」となり、2025年時点で10か国が正式加盟するなど、メンバーシップ拡大の動きが見られる。グローバル・サウス諸国の間ではこうした動向も見られるが、各国の利害、思惑、政治体制、経済状況、ニーズは様々である。現在の国際社会では、グローバル・サウス諸国の個別の声に耳を傾けながら、きめ細かな外交を展開していくことが一層求められている。
(3)国際競争の激化や科学技術の発展がもたらす影響への対応
現代の国際社会では、国際競争の激化や科学技術の急速な発展が、国家間の関係や安全保障にも大きな影響をもたらしている。
近年、新型コロナウイルス感染症やロシアによるウクライナ侵略により、食料やエネルギーのサプライチェーンの脆(ぜい)弱性が顕在化した。また、重要鉱物や先端技術の獲得をめぐる国際競争は激化の一途をたどり、経済的優位性がそのまま安全保障上の優位性へと直結する時代となっている。これにより、安全保障の裾野は、従来の軍事・外交領域を超え、経済、技術、社会生活といった幅広い分野に拡大している。この変化に対応するため、サプライチェーンの強靭化を含む経済安全保障への対応が喫緊の課題となっている。
新興技術に関するガバナンスの確立も喫緊の課題である。AIを含む新興技術やサイバー空間の進化は、社会に大きな恩恵をもたらす一方、その悪用は深刻なリスクを顕在化させ、国家や社会の安定を揺るがす深刻なリスク要因となっている。ウクライナ紛争において無人機の大量運用を含む「新しい戦い方」が出現したことは、イノベーションが軍事分野にも与える影響の大きさを象徴している。また、地政学的な競争が激化する中で、偽情報の拡散を含む情報操作などを通じた、認知領域における国際的な情報戦が恒常的に生起しており、対応の重要性が高まっている。これらのイノベーションがもたらすリスクを最小化し、その恩恵を最大限に引き出すためには、国際社会全体での適切なガバナンスの確保が不可欠である。そのため、技術の開発・利用における倫理的規範の確立、サイバー空間における行動規範の策定、偽情報対策の国際協力などが、喫緊に取り組むべき課題である。
自国優先主義や保護主義的な動向、さらには一連の関税措置などの動きも見られる。
経済的依存関係、自国の強大な市場や保有資源を背景に、経済的影響力を用いて他国に圧力をかける事例や、非市場的な政策・慣行が見られる。例えば、重要鉱物の輸出制限などの事例は、国際的なルールや規範に従わない特定国に過度に依存する状態が経済安全保障上の大きなリスクとなることを表している。
こうした一連の動きに対応するためには、国際的なルール作りの取組や自由で公正な国際経済秩序の維持・強化に努めるのみでなく、重要鉱物に関するものを含めたサプライチェーンの強靭化などの取組を推進することが不可欠である。しかし、これらの課題は一国のみでは対処が困難であり、同盟国・同志国、そしてグローバル・サウス諸国との連携がますます必要となっている。
(1) グローバル・ガバナンス:国内のように上位の統治機構が存在しない国際社会において、国家間にまたがる課題への対応に予見可能性や安定性、秩序を持たせるための取組(機関、政策、規範、手続、イニシアティブの総体)
(2) EU:European Union
(3) NATO:North Atlantic Treaty Organization
(4) FOIP:Free and Open Indo-Pacific
