1 オバマ米国大統領の広島訪問(2016年5月27日)
(1)オバマ米国大統領によるステートメント
*下記の日本語文書は参考のための在日米国大使館による仮翻訳で、正文は英文です。
71年前の明るく晴れわたった朝、空から死が降ってきて世界は一変しました。閃光(せんこう)と炎の壁によって町が破壊され、人類が自らを破滅させる手段を手にしたことがはっきりと示されました。
私たちはなぜ、ここ広島を訪れるのでしょうか。それほど遠くない過去に解き放たれた、恐ろしい力についてじっくりと考えるためです。10万人を超える日本人の男女そして子どもたち、何千人もの朝鮮半島出身の人々、12人の米国人捕虜など、亡くなった方々を悼むためです。こうした犠牲者の魂は私たちに語りかけます。彼らは私たちに内省を求め、私たちが何者であるか、そして私たちがどのような人間になるかについて考えるよう促します。
広島を特別な場所にしているのは、戦争という事実ではありません。古代の遺物を見れば、人類の誕生とともに暴力的な紛争も生まれたことが分かります。人類の初期の祖先たちは、火打ち石から刃物を、木からやりを作ることを覚え、こうした道具を狩猟だけでなく、人間を攻撃するためにも使いました。どの大陸においても、原因が穀物の不足か、金塊を求めてか、強い愛国心か、熱心な信仰心かにかかわらず、文明の歴史は戦争で満たされています。帝国は盛衰し、人々は隷属させられたり解放されたりしました。その節目節目で、罪のない人々が苦しみ、無数の人々が犠牲となりましたが、その名前は時間の経過とともに忘れ去られました。
広島、長崎で残酷な終結を迎えたあの世界大戦は、世界で最も豊かで最も力を持つ国同士の戦いでした。これらの国々の文明により、世界は素晴らしい都市と見事な芸術を得ることができました。これらの国々から生まれた思想家たちは、正義と調和と真実の思想を唱道しました。しかし、この戦争を生んだのは、最も素朴な部族の間で紛争の原因となったものと同じ、支配したいという基本的な本能でした。古くから繰り返されてきたことが、新たな制約を受けることなく、新たな能力によって増幅されました。わずか数年の間に、およそ6000万人の人々が亡くなることになりました。子どもを含む、私たちと同じ人々が弾丸を浴び、殴られ、行進させられ、爆撃され、投獄され、飢え、ガス室に送られて死んでいったのです。
世界には、この悲劇を記録する場所がたくさんあります。勇気と英雄的な行為の物語を伝える記念碑、言葉では言い表せない悪行を思い起こさせる墓地や誰もいない収容所などです。しかし、空に立ち上るキノコ雲の映像の中に、私たちは、人間が抱える根本的な矛盾を非常にはっきりと思い起こすことができます。すなわち、人間の種として特徴付ける、まさにその火花、つまり私たちの思想、想像力、言語、道具を作る能力、人間を自然から引き離し、自分の思いどおりに自然を変える能力が、比類ない破壊をもたらす力を私たちに与えたのです。
物質的進歩や社会的革新によって、この真実が見えなくなることはどれほどあるでしょうか。より大きな大義の名の下に、暴力を正当化する術を身に付けることは非常に容易です。全ての偉大な宗教は、愛と平和と正義に至る道を約束します。しかし、いかなる宗教にも、信仰を殺人の許可と考える信者がいます。国家というものは、自らを犠牲にして協力し、素晴らしい偉業を成し遂げるために人々を団結させる物語を語って生まれます。しかし、その同じ物語が、自分たちと異なる人々を弾圧し、人間性を奪うために何度も使われてきました。
科学によって人間は、海を越えて通信し、雲の上を飛び、病を治し、宇宙を理解することができるようになりました。しかし、こうした同じ発見を、これまで以上に効率的な殺人マシンに転用することもできます。
現代の戦争はこの真実を教えてくれます。広島はこの真実を教えてくれます。人間社会に同等の進歩がないまま技術が進歩すれば、私たちは破滅するでしょう。原子の分裂を可能にした科学の革命には、倫理的な革命も必要なのです。
だからこそ私たちは、この場所を訪れるのです。この町の中心に立ち、勇気を奮い起こして原爆が投下された瞬間を想像してみるのです。目にしている光景に当惑した子どもたちの恐怖を感じてみるのです。声なき叫び声に耳を傾けるのです。私たちは、あの恐ろしい戦争、それ以前に起きた戦争、そしてこれから起こるであろう戦争の犠牲になった罪のない人々のことを忘れてはいません。
単なる言葉では、このような苦しみを伝えることはできません。しかし私たちは歴史を真っ向から見据え、このような苦しみが二度と起きないようにするために、どのように行動を変えればいいのかを考える責任を共有しています。いつの日か、証人としての被爆者の声を聞くことがかなわなくなる日が来ます。けれども1945年8月6日の朝の記憶が薄れることがあってはなりません。この記憶のおかげで、私たちは現状を変えなければならないという気持ちになり、私たちの倫理的想像力に火がつくのです。そして私たちは変わることができるのです。
あの運命の日以降、私たちは希望に向かう選択をしてきました。日米両国は同盟を結んだだけでなく友情も育み、戦争を通じて得るものよりはるかに大きなものを国民のために勝ち取りました。欧州諸国は、戦場の代わりに、通商と民主主義の絆を通した連合を築きました。抑圧された人々や国々は解放を勝ち取りました。国際社会は、戦争の回避や、核兵器の制限、縮小、最終的には廃絶につながる機関や条約をつくりました。
しかし、国家間の全ての侵略行為や、今日世界で目の当たりにする全てのテロ、腐敗、残虐行為、抑圧は、私たちの仕事に終わりがないことを物語っています。人間が悪を行う能力をなくすことはできないかもしれません。ですから私たちがつくり上げる国家や同盟は、自らを防衛する手段を持つ必要があります。しかし私自身の国と同様、核を保有する国々は、恐怖の論理から逃れ、核兵器のない世界を追求する勇気を持たなければなりません。
私が生きている間に、この目標を実現することはできないかもしれません。しかし粘り強い努力によって、大惨事が起きる可能性を低くすることができます。保有する核の根絶につながる道を示すことができます。核の拡散を止め、大きな破壊力を持つ物質が狂信者の手に渡らないようにすることができます。
しかし、これだけでは不十分です。なぜなら今日世界を見渡せば、粗雑なライフルやたる爆弾さえも、恐ろしいほど大きな規模での暴力を可能にするからです。戦争自体に対する私たちの考え方も変えるべきです。そして外交を通じて紛争を回避し、始まった紛争を終結させるために努力すべきです。相互依存の高まりを、暴力的な争いではなく平和的な協力を生むものであると理解し、それぞれの国を破壊能力ではなく、構築する能力によって定義すべきです。
とりわけ、私たちは人類の一員としての相互の結び付きについて再考すべきです。これも人類を他の種と区別する要素だからです。私たちは、遺伝子コードによって、過去の過ちを繰り返すよう定められているわけではありません。私たちは学ぶことができます。選択することができます。子どもたちに異なる物語、つまり共通の人間性を伝える物語であり、戦争の可能性を低下させ、残虐行為を受け入れ難くするような物語を話すことができます。
私たちは、こうした物語を被爆者の方々に見てとることができます。原爆を投下したパイロットを許した女性がいます。本当に憎んでいたのは戦争そのものであることに気づいたからです。この地で命を落とした米国人の遺族を探し出した男性がいます。彼らが失ったものは自分が失ったものと同じだと信じたからです。私の国の物語は簡潔な言葉で始まりました。「万人は平等に創られ、また生命、自由および幸福追求を含む不可譲(ふかじょう)の権利を、創造主から与えられている」というものです。こうした理想を実現することは、国内においても、自国の市民の間でも決して容易ではありません。
しかし、この理想に忠実であろうと取り組む価値はあります。これは実現に向けて努力すべき理想であり、この理想は大陸や大洋を越えます。全ての人が持つ、減じることのできない価値。いかなる命も貴重だという主張。私たちは、人類というひとつの家族の一員であるという基本的で必要な概念。これこそ私たちが皆、語らなければならない物語です。
だからこそ、人は広島を訪れるのです。そして大切に思う人々のことを思い浮かべます。朝一番に見せる子どもの笑顔。食卓でそっと触れる伴侶の手の優しさ。ホッとさせてくれる親の抱擁。こうしたことを考えるとき、私たちはこの同じ貴重な瞬間が71年前、ここにもあったことを知ることができます。犠牲となった方々は、私たちと同じです。普通の人々にはこれが分かるでしょう。彼らはこれ以上戦争を望んでいません。科学の感嘆すべき力を、人の命を奪うのではなく、生活を向上させるために使ってほしいと思っています。
国家が選択を行うとき、指導者が行う選択がこの分かりやすい良識を反映するものであるとき、広島の教訓が生かされることになります。
この地で世界は永遠に変わりました。しかし、今日この町に住む子どもたちは平和な中で一日を過ごします。なんと素晴らしいことでしょう。これは守る価値があることであり、全ての子どもに与える価値があることです。こうした未来を私たちは選ぶことができます。そしてその未来において、広島と長崎は、核戦争の夜明けではなく、私たち自身が倫理的に目覚めることの始まりとして知られるようになるでしょう。
(2)安倍総理大臣によるステートメント
昨年、戦後70年の節目に当たり、私は、米国を訪問し、米国の上下両院の合同会議において、日本の内閣総理大臣として、スピーチを行いました。
あの戦争によって、多くの米国の若者たちの夢が失われ、未来が失われました。その苛烈な歴史に、改めて思いをいたし、先の戦争で斃(たお)れた、米国の全ての人々の魂に、とこしえの哀悼を捧げました。
そして、この70年間、和解のために力を尽くしてくれた日米両国全ての人々に、感謝と尊敬の念を表しました。
熾烈に戦いあった敵は、70年の時を経て、心の紐帯(ちゅうたい)を結ぶ友となり、深い信頼と友情によって結ばれる同盟国となりました。そうして生まれた日米同盟は、世界に「希望」を生み出す同盟でなければならない。私は、スピーチで、そう訴えました。
あれから1年。今度は、オバマ大統領が、米国のリーダーとして初めて、この被爆地・広島を訪問してくれました。
米国の大統領が、被爆の実相に触れ、「核兵器のない世界」への決意を新たにする。「核なき世界」を信じてやまない世界中の人々に、大きな「希望」を与えてくれました。
広島の人々のみならず、全ての日本国民が待ち望んだ、この歴史的な訪問を心から歓迎したいと思います。
日米両国の和解、そして信頼と友情の歴史に、新たなページを刻む、オバマ大統領の決断と勇気に対して、心から皆様と共に敬意を表したいと思います。
先ほど、私とオバマ大統領は、先の大戦において、そして原爆投下によって犠牲となった全ての人々に対し、哀悼の誠を捧げました。
71年前、広島、そして長崎では、たった一発の原子爆弾によって、何の罪もない、たくさんの市井の人々が、そして子供たちが、無残にも犠牲となりました。一人一人に、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実を噛みしめる時、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。
今なお、被爆によって、大変な苦痛を受けておられる方々も、いらっしゃいます。
71年前、正にこの地にあって、想像を絶するような悲惨な経験をした方々の「思い」。それは、筆舌に尽くし難いものであります。様々な「思い」が去来したであろう、その胸の中にあって、ただ、このことだけは間違いありません。
世界中のどこであろうとも、
再び、このような悲惨な経験を
決して繰り返させてはならない。
この痛切な「思い」をしっかりと受け継いでいくことが、今を生きる私たちの責任であります。
「核兵器のない世界」を必ず実現する。その道のりが、いかに長く、いかに困難なものであろうとも、絶え間なく、努力を積み重ねていくことが、今を生きる私たちの責任であります。
そして、あの忘れ得ぬ日に生まれた子供たちが、恒久平和を願って点(とも)した、あの「灯(ともしび)」に誓って、世界の平和と繁栄に力を尽くす、それが、今を生きる私たちの責任であります。
必ずや、その責任を果たしていく。日本と米国が、力を合わせて、世界の人々に「希望を生み出す灯」となる。この地に立ち、オバマ大統領と共に、改めて、固く決意しています。
そのことが、広島、長崎で原子爆弾の犠牲となった、数多(あまた)の御霊の思いに応える、唯一の道である。
私は、そう確信しています。
2 安倍総理大臣のハワイ訪問(2016年12月26日~27日)
(1)安倍総理大臣によるステートメント
オバマ大統領、ハリス司令官、御列席の皆様、そして、全ての、アメリカ国民の皆様。
パールハーバー、真珠湾に、今、私は、日本国総理大臣として立っています。
耳を澄ますと、寄せては返す、波の音が聞こえてきます。降り注ぐ陽の、やわらかな光に照らされた、青い、静かな入り江。
私の後ろ、海の上の、白い、アリゾナ・メモリアル。
あの、慰霊の場を、オバマ大統領と共に訪れました。
そこは、私に、沈黙をうながす場所でした。
亡くなった、軍人たちの名が、記されています。
祖国を守る崇高な任務のため、カリフォルニア、ミシガン、ニューヨーク、テキサス、様々な地から来て、乗り組んでいた兵士たちが、あの日、爆撃が戦艦アリゾナを二つに切り裂いたとき、紅蓮(ぐれん)の炎の中で、死んでいった。
75年が経った今も、海底に横たわるアリゾナには、数知れぬ兵士たちが眠っています。
耳を澄まして心を研ぎ澄ますと、風と、波の音とともに、兵士たちの声が聞こえてきます。
あの日、日曜の朝の、明るく寛(くつろ)いだ、弾む会話の声。
自分の未来を、そして夢を語り合う、若い兵士たちの声。
最後の瞬間、愛する人の名を叫ぶ声。
生まれてくる子の、幸せを祈る声。
一人ひとりの兵士に、その身を案じる母がいて、父がいた。愛する妻や、恋人がいた。成長を楽しみにしている、子供たちがいたでしょう。
それら、全ての思いが断たれてしまった。
その厳粛な事実を思うとき、かみしめるとき、私は、言葉を失います。
その御霊(みたま)よ、安らかなれ――。思いを込め、私は日本国民を代表して、兵士たちが眠る海に、花を投じました。
オバマ大統領、アメリカ国民の皆さん、世界の、様々な国の皆さん。
私は日本国総理大臣として、この地で命を落とした人々の御霊に、ここから始まった戦いが奪った、全ての勇者たちの命に、戦争の犠牲となった、数知れぬ、無辜(むこ)の民の魂に、永劫の、哀悼の誠を捧げます。
戦争の惨禍は、二度と、繰り返してはならない。
私たちは、そう誓いました。そして戦後、自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら、不戦の誓いを貫いてまいりました。
戦後70年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たち日本人は、静かな誇りを感じながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。
この場で、戦艦アリゾナに眠る兵士たちに、アメリカ国民の皆様に、世界の人々に、固い、その決意を、日本国総理大臣として、表明いたします。
昨日、私は、カネオヘの海兵隊基地に、一人の日本帝国海軍士官の碑(いしぶみ)を訪れました。
その人物とは、真珠湾攻撃中に被弾し、母艦に帰るのを諦め、引き返し、戦死した、戦闘機パイロット、飯田房太中佐です。
彼の墜落地点に碑を建てたのは、日本人ではありません。攻撃を受けていた側にいた、米軍の人々です。死者の、勇気を称え、石碑を建ててくれた。
碑には、祖国のため命を捧げた軍人への敬意を込め、日本帝国海軍大尉(だいい)と、当時の階級を刻んであります。
The brave respect the brave.
勇者は、勇者を敬う。
アンブローズ・ビアスの、詩(うた)は言います。
戦い合った敵であっても、敬意を表する。憎しみ合った敵であっても、理解しようとする。
そこにあるのは、アメリカ国民の、寛容の心です。
戦争が終わり、日本が、見渡す限りの焼け野原、貧しさのどん底の中で苦しんでいたとき、食べるもの、着るものを惜しみなく送ってくれたのは、米国であり、アメリカ国民でありました。
皆さんが送ってくれたセーターで、ミルクで、日本人は、未来へと、命をつなぐことができました。
そして米国は、日本が、戦後再び、国際社会へと復帰する道を開いてくれた。米国のリーダーシップの下、自由世界の一員として、私たちは、平和と繁栄を享受することができました。
敵として熾烈に戦った、私たち日本人に差し伸べられた、こうした皆さんの善意と支援の手、その大いなる寛容の心は、祖父たち、母たちの胸に深く刻まれています。
私たちも、覚えています。子や、孫たちも語り継ぎ、決して忘れることはないでしょう。
オバマ大統領と共に訪れた、ワシントンのリンカーン・メモリアル。その壁に刻まれた言葉が、私の心に去来します。
誰に対しても、悪意を抱かず、慈悲の心で向き合う。
永続する平和を、我々全ての間に打ち立て、大切に守る任務を、やり遂げる。
エイブラハム・リンカーン大統領の、言葉です。
私は日本国民を代表し、米国が、世界が、日本に示してくれた寛容に、改めて、ここに、心からの感謝を申し上げます。
あの「パールハーバー」から75年。歴史に残る激しい戦争を戦った日本と米国は、歴史にまれな、深く、強く結ばれた同盟国となりました。
それは、いままでにもまして、世界を覆う幾多の困難に、共に立ち向かう同盟です。明日を拓く、「希望の同盟」です。
私たちを結びつけたものは、寛容の心がもたらした、the power of reconciliation、「和解の力」です。
私が、ここパールハーバーで、オバマ大統領とともに、世界の人々に対して訴えたいもの。それは、この、和解の力です。
戦争の惨禍は、いまだ世界から消えない。憎悪が憎悪を招く連鎖は、なくなろうとしない。
寛容の心、和解の力を、世界は今、今こそ、必要としています。
憎悪を消し去り、共通の価値の下、友情と、信頼を育てた日米は、今、今こそ、寛容の大切さと、和解の力を、世界に向かって訴え続けていく、任務を帯びています。
日本と米国の同盟は、だからこそ「希望の同盟」なのです。
私たちを見守ってくれている入り江は、どこまでも静かです。
パールハーバー。
真珠の輝きに満ちた、この美しい入り江こそ、寛容と、そして和解の象徴である。
私たち日本人の子供たち、そしてオバマ大統領、皆さんアメリカ人の子供たちが、またその子供たち、孫たちが、そして世界中の人々が、パールハーバーを和解の象徴として記憶し続けてくれることを私は願います。そのための努力を、私たちはこれからも、惜しみなく続けていく。オバマ大統領とともに、ここに、固く、誓います。
ありがとうございました。
(2)オバマ米国大統領によるステートメント
*下記の日本語文書は参考のための在日米国大使館による仮翻訳で、正文は英文です。
安倍首相、米国民を代表し、丁重なお言葉にお礼を申し上げます。また本日この場所にお越しくださったことにも感謝いたします。今回の訪問は和解の力と日米両国民の同盟関係を示す歴史的な行為であり、戦争のもたらす最も深い傷も、友情と恒久平和に変わりうることを思い出させてくれます。
ご来賓の皆さん、米軍関係者、そして何より真珠湾攻撃の生存者およびそのご親族の皆さん、アロハ。
米国人にとって、そして特にハワイを故郷と呼ぶ人々にとって、この港は聖なる場所です。我々は献花し、あるいは今も涙を流す海に花を手向けながら、父親、夫、妻、娘であった、永遠に天国の手すりに並ぶ2400人を超える米国の愛国者たちに思いをはせます。我々は、12月7日が来るたびに少し背筋を伸ばすオアフを守った人々に敬意を表し、75年前にここで光を放った英雄的行為を思い起こします。
12月のあの日、夜が明け始めたとき、この楽園はこの上なく心地よい場所でした。海は暖かく、信じられないような青さでした。水兵たちは食堂で食事をとり、あるいはこぎれいな短パンとTシャツを着て教会に行く支度をしていました。港には戦艦カリフォルニア、メリーランド、オクラホマ、テネシー、ウエストバージニア、そしてネバダが整列して停泊していました。戦艦アリゾナのデッキでは海軍軍楽隊がチューニング中でした。
あの朝、人々の人間性は階級ではなく、心に秘めた勇気に表れました。島のあらゆる場所で、米国人たちは可能な限りの方法で応戦しました。演習弾を放ち、旧式のボルトアクション方式ライフルも使いました。通常であれば仕事は清掃だけに限定されていたアフリカ系米国人の厨房係は、司令官を安全な場所に避難させた後、砲弾が尽きるまで高射砲を撃ち続けました。
我々は、戦艦ウェストバージニアの掌砲1等兵曹だったジム・ダウニングのような米国人に敬意を表します。港に駆け付けようとしたとしたとき、結婚したばかりの妻が彼の手に聖書の一説(が書かれた紙)を握らせました。「いにしえの神は難を避ける場所、とこしえの御腕がそれを支える」(申命記33章27節)。彼は自分が所属する戦艦を守るために戦いながらも、遺族が心の整理をつけられるように戦死者の名前を確認していきました。彼はこう言いました。「やるべきことをやっただけだ」と。
我々は、心がひるむような激しい炎の中で、燃える戦闘機を死力を尽くして消火したホノルルの消防士、ハリー・パングのような米国人を忘れません。彼は民間の消防士でパープルハート章を受章した数少ない一人です。
私たちはジョン・フィン上等兵曹のような米国人をたたえます。彼は20カ所以上負傷しながらも0.5口径の機関銃を2時間以上撃ち続けたことで、米軍の最高勲章である名誉勲章を受けました。
この場所で、我々は、その最も揺るぎない価値観さえも戦争によって試されることに思いをはせます。戦時中、日系米国人は自由を奪われたにもかかわらず、米国史上最も多くの勲章を受章した部隊の中に、主に日系2世で構成される第442歩兵連隊とその下の第100歩兵大隊があったことにも思いを巡らせます。この第442歩兵連隊に、私の友人で誇り高きハワイ人、ダニエル・イノウエがいました。彼は私の人生と同じほどの長きにわたりハワイ州選出の上院議員を務め、私は彼と共に上院に在籍できることを誇りに思ったものです。イノウエ上院議員は名誉勲章と大統領自由勲章を授与されただけでなく、彼の世代の最も優れた政治家の一人でした。
ここ真珠湾で起きた、第2次世界大戦における米国にとっての最初の戦いにより、この国は目を覚ましました。いろいろな意味で、米国はここで大人になったのです。米国の「最も偉大な世代」である私の祖父母の世代は、戦争を求めませんでしたが、ひるむこともありませんでした。彼らは皆さまざまな戦線で、そして工場で自らの役割を果しました。75年が過ぎ、真珠湾の誇り高き生存者たちの数は少なくなりましたが、ここで思い起こす勇気は永遠に米国民の心に刻まれています。真珠湾および第2次世界大戦で戦った退役軍人の皆さん、起立するか挙手をお願いします。米国民から感謝をささげたいと思います。
国のあり方は戦争で試されます。しかし、それが決まるのは平時においてです。この海で激戦が繰り広げられ、何万人ではなく何千万人もの命を奪った、人類史上最も恐ろしい出来事の一つを経験した後、米国と日本が選んだのは友情であり、平和でした。過去何十年にもわたり、日米同盟は両国を繁栄へと導いてきました。新たな世界大戦を防ぎ、10億人以上の人々を極度の貧困から救い出してきた国際秩序を支える一助となってきました。今日、日米同盟は共通の利益によって結び付いているだけでなく、共通の価値観に根ざしており、アジア太平洋地域の平和と安定の礎であるとともに、世界各地で進歩をもたらす力となっています。日米同盟はかつてないほど強固です。
良い時も悪い時も、我々は互いのそばにいます。5年前、(東日本大震災で)津波が日本を襲い、福島で原子力発電所事故が発生したときのことを思い出してください。米軍兵士たちは、日本の友人たちを救うため現場に駆けつけました。日米は海賊行為の取り締まり、疾病との闘い、核兵器拡散の減速、戦争で荒廃した地域での平和維持活動など、アジア太平洋地域および世界の安全保障を強化するため、世界各地で連携しています。
今年、日本は20を超える国々と共に、真珠湾近くで行なわれた世界最大の海上軍事演習に参加しました。この演習には、ハリー・ハリス海軍大将が司令官を務める米太平洋軍も参加しました。ハリス司令官は海軍士官であった米国人の父と日本人の母の間に横須賀で生まれましたが、彼のテネシー訛りからは全く想像できないでしょう。
ハリス司令官、卓越した統率力に感謝します。
この意味において、本日我々がこの場にいること、すなわち日米は政府間のみならず国民同士がつながっており、そして今日、安倍首相がこの地を訪れていることは、国家間で、そして異なる国民の間で何が可能かを再認識させてくれます。戦争は終わらせることができます。最も激しく敵対した国同士も、最も強力な同盟国になることができます。平和がもたらす恩恵は常に、戦争による略奪に勝ります。これこそが、この神聖な港が語る揺るがぬ真実です。
この地こそ、憎しみが最も激しく燃え盛るときや、同朋意識の力が最も強いときでさえも、我々は内向きになる衝動に抗わなければならないことを思い出す場所です。我々は、自分たちと異なる人たちを悪者扱いする衝動に立ち向かわなければなりません。この場所で払われた犠牲、戦争がもたらした苦悩は、人類全てに共通の神聖な輝きを求めなければならないことを我々に気づかせてくれます。そして、日本人の友人が言う「お互いのために」存在するよう努力するよう求めています。
これこそ戦艦ミズーリのウィリアム・キャラハン艦長から学んだ教訓です。キャラハン艦長は、ミズーリが攻撃を受けた後でさえ、米海軍兵士が縫った日本の国旗で日本人パイロット(の遺体)を包み、軍の儀礼にのっとり葬るよう命じたのです。また何年もたって真珠湾を再び訪れた(別の)日本人パイロットから学んだこともあります。彼は米海兵隊の老いたラッパ手と友人となり、毎月この記念碑の前で永別のラッパを吹き、バラの花を2輪、1輪は米国人戦没者に、もう1輪は日本人戦没者に供えるようお願いしたそうです。
そしてこれは、東京で学ぶ米国人留学生、米国各地で学ぶ日本の若者、共同でがんの謎の解明にあたり、気候変動の問題に取り組み、宇宙を探索する両国の科学者など、日米の国民が日常生活の中で日々学んでいることです。またイチロー選手のような野球選手は、平和と友情で結ばれた日米両国民が共有する誇りによって支えられ、マイアミの球場を沸かせています。
国家として国民として、我々は受け継ぐ歴史を選択することはできませんが、歴史から学ぶべき教訓を選び、それを元にして我々の将来の進路を決めることができます。
安倍首相、日本の国民が私を常に温かく迎えてくれたように、私は友好の精神で首相の訪問を歓迎します。戦争よりも平和から多くのものを得られる、そして和解は報復よりも多くの恩恵をもたらすというメッセージを、我々が共に世界に向けて発信できることを願います。
この静寂な港において、我々は犠牲となった人々を追悼し、両国が友人として共に勝ち得た全てのことに感謝します。
神がとこしえの御腕に戦没者を抱き、そして退役軍人と、我々を守る全ての人たちを見守ってくださるよう祈ります。皆さん全員に神の祝福がありますように。
ありがとうございました。