軍縮・不拡散

(注)以下のプレゼンテーションは、2006年2月28日、NYにて行われた国連軍備登録制度政府専門家会合第一会期において、国連軍縮局の求めに応じて行われたもの。

「国連軍備登録制度:そのレビュープロセスとこれまでの実績」
国連政府専門家会合における
堂之脇 光朗 日本政府専門家顧問によるプレゼンテーション
(仮訳)

(はじめに)

 国連軍備登録制度は世界的規模での透明性・信頼醸成措置の1つであるが、通常兵器の生産や貿易そのものを管理しようとする仕組みではない。本件制度は国連加盟国による普遍的な参加を意図した世界的メカニズムであるので、参加の「簡明性と容易性」が設置に際しての支配的、基本的な考え方であった。国境をまたぐ奇襲攻撃に使用される、確認し易く、数え易く、登録し易く、隠しにくい大型の通常兵器のみ、というのが登録対象として想定された武器であった。金額的価値等ではなく数量のみの登録が要請された。輸出国と輸入国双方が登録するため、登録されたデータの照合が可能であり、これが本件登録制度のユニークな特徴であった。正確さ、データの整合性は二の次で、透明性や信頼醸成の活動に協力しようとする参加国の意思が最も重要なことであると考えられた。

(登録制度のレビュー実績)

 1991年12月9日の総会決議46/36Lにより登録制度が設置された際、私は決議案文作成に関わった一人であり、可能な限り多くの国連加盟国の賛同を得られるよう働きかけを行った。本件決議は賛成150、反対なし、棄権2で採決された。

 同決議は登録制度の運用につきレビューを継続するよう求め、事務総長に対し同制度の「運用」と「更なる発展」について報告書をまとめる政府専門家会合を1994年に設置するよう求めた。同様のレビューは1997年、2000年、2003年に行われ、私はこれら全ての会合に出席した。従って、この政府専門家会合における私自身の経験を基に国連軍備登録制度のこれまでの成果につき評価を試みることと致したい。

(参加の状況)

 登録制度の運営につき評価する際、自問すべき第1の問題は、登録制度への参加の状況である。この制度は世界的規模の透明性メカニズムであるので、参加状況が本当に世界規模であるのか否かが基本的な問題である。配布したリストが示すように、最初の6年間90以上の国が登録にデータを提出した。1994年と1997年の政府専門家会合では、このレベルの参加は他の類似の国際報告制度と比較して最も高いものであったが、世界的という規模からはほど遠く、より一層の参加促進努力が必要とされた。

 そして、7年目、1998年の登録数が始めて90ヵ国を割った。「一体どうしたんだ」というのが、2000年政府専門家会合で真剣に行われた議論であった。結論の1つは、数の減少の多くはそれまで「該当案件なし」の報告を行った国によるもので、何等かのデータの登録を行ってきた国によるものではないということであった。

 従って、7つのカテゴリーの武器の輸出も輸入も行っていない国による参加を助長するため(このような国が大多数であったが)、標準的な報告様式を使うのではなく、「該当案件なし」という報告を行うより単純化された様式が作成された。結果として、喜ばしいことに、2000年には登録国が116ヵ国に伸び、本件制度設置10周年の2001年には124ヵ国が登録を行った。その後の3年間は数が若干減っているものの、110以上となっている。

 同時に、登録制度設立13周年に当たる2004年までに少なくとも1回登録を行った国の数は、同年に始めて参加したブルンディを含めて169ヵ国に上ったことを付け加えなければならない。これにより、これまで登録に参加していない国は22ヵ国(アフリカ諸国15、アジア諸国7)を残すのみとなった。この数字は登録制度が世界的な制度と呼ぶには十分でないかも知れないが、十分素晴らしいものであり、本件制度が近い将来世界的な制度となるのに十分な可能性を秘めたものである。

 他方、参加の状況は地域によって異なることが認識されなければならない。配布したリストからも分かるように、「西欧・その他の諸国」の参加はほぼ100%である。東欧諸国、ラテン・アメリカ・カリブ諸国からの参加は最近の何年かで目覚ましく改善した。アジア諸国は66%以下、アフリカ諸国は33%以下に止まった。

 2000年政府専門家会合が、より多くの国による参加を促進するため「地域・サブ地域ワークショップやセミナーの実施を援助すること」を勧告したのはこの理由による。この勧告に続き、カナダ、ドイツ、オランダ、日本が国連軍縮局(DDA)と協力しガーナ、ナミビア、ペルー、インドネシアにおいて2002年、2003年に4つのワークショップを実施し、その全てに私とカマール国連軍縮局政務官が出席した。

 2003年の政府専門家会合により類似の勧告がなされ、地域・サブ地域のワークショップが2004年、ケニアとフィジーで開催された。

(登録されたデータの質)

 次に、本件制度に登録されたデータの質を見てみよう。ここで4つの点を強調したい。第1に、登録はそれまで知られていなかった数多くの武器移転を公表する効果を発揮した。このことは運用が開始されてから2年以内の初期の段階で明確になった。登録制度が設置されるまでは、SIPRI年鑑が武器移転の包括的なデータ・ブックであると信じられており、登録制度は余り新しいデータをもたらさないのではないかと言われた。ところが、最初の2年で登録された358の移転のうち、191のみがSIPRI年鑑でカバーされていた。例えば、中国からイランへの大砲131件の移転はカバーされておらす、これは理解可能であるが、フランスからサウジアラビアへの大砲175件、英国からアラブ首長国連邦へのミサイルやミサイル発射基328件についてもカバーされていなかった。

 もう一つの例を引用しよう。1994年4月にMIIA(Monterey Institute of International Affairs)は1994年GGE(政府専門家会合)等の専門家に対しセミナーを開催した。このセミナーにおいてIISSのアンドリュー・ダンカン氏は、国連軍備登録制度のお陰でミリタリー・バランスのデータの正確さをチェックできたと述べた。同氏によれば、ミリタリー・バランスでカバーされていない28件の武器移転につき登録で確認することができたそうである。これには中国による輸出4件が含まれていた。

 これまで知られていなかったデータの公表というメリットの他に、民間研究機関により集められたデータと異なり、登録制度は政府により行われているということによる固有の価値があることを認識すべきである。データが公式なものであるため、登録制度は武器の移転をより透明性のあるものにし、国家間の信頼・安全保障の醸成に貢献している。

 次に、登録制度により明白になった武器移譲の規模に関し、政府専門家会合報告書は毎回、登録により貿易の大きな部分がカバーされていると結論づけた。この「大きな部分」の意味について説明させて頂きたい。武器貿易の金額につきごく少数の国しか公表していないため、その金額の世界総計は推定するしかないが、幾つかの研究機関により推定が出されている。SIPRI年鑑2005の統計を使った場合、2000年から2004年までの5年間の武器輸出の世界総計は約844億9千万ドルとなるが、この中、トップ30ヵ国の輸出合計は836億28百万ドル、合計の約99%となる。このトップ30ヵ国の中、28ヵ国は登録制度の常連国である。それ以外の2ヵ国の中、中国は1997年以降、政治的な理由により参加を中断している。しかし、当該期間中の中国の武器輸出は約14億ドル相当と推定されており、右は世界総計の約1.7%に当たる。もう1ヵ国は北朝鮮で、当該期間中の輸出は推定で約9600万ドル、世界総計の約0.1%である。従って、理論的には、世界の武器輸出の約97%が登録制度により明らかとなったことになる。登録制度により達成されたもう一つの注目に値する業績であると思われる。

 第3に、登録用紙の「備考欄」の使用が長年のうちに改善されたことである。登録制度が設立された時、登録への報告は任意であるが、備考欄の使用はもっと任意であると理解されていた。また、このことを明らかにするために、本体欄と備考欄との間に細い隙間が作られた。この備考欄に移転された兵器の型やモデルを記載することにより、兵器移転の正確性、透明性は格段と高まる。従って、政府専門家達はこの欄の使用を各国に奨励した。

 結果として、兵器を輸入した国の大部分が最初の年から備考欄に記入し始めた。数年後、主要輸出国――1995年から仏が、1996年から英が、そして1997年からは最大輸出国の米が記入を始めた。主要輸入国の1つ日本も1997年から記入を始めた。

 2003年の政府専門家会合報告書で述べられているように、2001年の移転の登録を行った49ヵ国全てが備考欄を使用し、型やモデルの情報を提供した。このように、データの正確性や透明性は長年の間に著しく改善された。

 第4に、輸出国と輸入国間の具体的な移転データの齟齬の問題は、依然解決されていないことにつき言及する必要がある。勿論、一方が報告し、他方が報告しない、もしくは登録そのものを行っていない場合、齟齬が発生する。たとえ両方が報告しても、移転された武器の数がぴったり一致しないこともある。

 当初より、政府専門家達はこのような齟齬が発生する重要な理由は移転についての共通の定義がないことにあると認識していた。共通の定義の欠如は移転が行われたか否かだけでなく移転の時期についての解釈の相違を生んだ。従って、政府専門家会合の勧告により、1994年から登録国が移転の定義を記入できるよう登録様式が改訂された。1997年からは、登録国がナショナル・コンタクト・ポイントを明示し解釈の相違等の問題につき協議できるよう更に様式の改訂がなされた。従って、長年の間、改善はなされているが、何を以て移転とするかという点につき登録各国が異なる慣例に従う限り、齟齬は発生し続けるものと思われる。

(カテゴリーの調整)

 さて、政府専門家会合の度に話題に上る登録制度の「更なる発展」の問題に話題を転じよう。登録によりカバーされる7つのカテゴリーの見直しや登録のスコープ拡大は会合の度に取り上げられた二大課題であった。

 カテゴリーの見直しについては、一部の政府専門家は様々な理由から7つのカテゴリーの定義の見直しが必要である旨主張したのに対し、他の専門家は、拙速な見直しを行うより登録制度を強固にする方に重点を置くべきとの主張を行った。1994年、1997年、2000年の政府専門家会合ではこの点について盛んに議論が交わされたものの、何等かの合意に至ることはなかった。登録制度の運用が開始されて10年が経過した2003年の専門家会合において政府専門家はようやくこの問題を真剣に検討する時期が来たと感じた。

 それ以前の会合における議論で明らかになっていたが、注目に値し、恐らくカテゴリーの定義の見直しを正当化する2種類の懸念が存在していた。1つは、小型武器の拡散についての国際社会の懸念である。登録制度はこの懸念を解消するために見直す必要があるとされた。もう1つは、軍事投射・軍事増強機能を持つ幾つかの種類の装甲戦闘車両、戦闘航空機、ヘリコプターが既存のカテゴリーの定義に含まれていないことへの懸念であった。ここではこれらの問題の詳細には触れない。

 2003年の政府専門家会合は最初の懸念に対応する修正を行うことができたが、2つ目の懸念につき合意には至らなかった。よく知られていることであるが、大口径火砲システムは100ミリから75ミリに引き下げられ、MANPADSはミサイル・ミサイル発射基のカテゴリーに盛り込まれた。

(スコープの拡大)

 最後に、登録制度のスコープ拡大は、設立当初から熱心に議論された問題である。初期の段階では、登録制度が武器移転のみをカバーするのであれば、武器を国内生産により調達できる国は登録制度に報告することは余りなく、透明性・信頼醸成という観点からは不公平なものになると主張された。従って設立決議A/46/36Lが採択された際は、国内生産を通じた調達及びそのような武器の保有をカバーする登録範囲の拡大はペンディングとされ、登録国はそのような背景情報を毎年提供するよう「奨励」されたのであるが、移転の場合のように「勧告」されたのではなかった。

 後に、1997年の政府専門家会合による勧告に基づき事務局長年次報告書では、そのような背景情報提供を行った国の国名だけを掲載するのでなく、そのような背景情報そのものも掲載されるようになった。これはより大きな透明性を促進する有益な措置であった。日本は軍備保有・調達についての自国の報告が、事務総長年次報告でも見られるとおり、最も透明性の高いものの一つであるとの誇りを持っている。実際、毎年約30ヵ国がそのような背景情報を報告しているが、そのほとんどは武器移譲の登録に使用されている7つのカテゴリーについての報告となっている。

 しかし、そのような情報提供は、移転データの提供と比較すると、任意に基づくものであるので、スコープが拡大されたということにはならない。残念なことに、登録のスコープ拡大については部分的にせよ合意に至ったことはなく、これは登録制度の長期に亘る問題の一つとなっている。

(結び)

 私の挨拶を結ぶに当たり、これまでの発言内容を要約する。登録参加のレベルは素晴らしく有望なもので、毎年110ヵ国以上に達しており、これまで170ヵ国近くの国が少なくとも1回登録に参加していると述べた。登録の質につき4つ述べた。第1に、登録はそれまで知られていなかった武器移譲を公表するという効果があった。第2に、通常兵器報告の7つのカテゴリーの輸出・輸入国の殆どが登録制度に報告する結果、今やそのような貿易の殆どが登録でカバーされている。第3に、登録国が移転された武器の型・モデルを進んで備考欄に記入していることから、透明性の程度が格段と高まった。しかし、第4に、輸出・輸入国間の具体的移転データの齟齬は未だ効果的に減少していない。

 登録の発展について、私は、2003年の政府専門家会合が兵器の7つのカテゴリーの定義に、更なる見直しの余地を残しながらも、幾つか見直しをおこなうことに成功した、と述べた。国内武器保有・調達をカバーする登録のスコープ拡大については、事務局長年次報告にそのような背景情報を含めるというような改善は見られたが、設立当初からの長年の課題であったスコープ拡大は未だ達成されていない。

 過去13年以上の運用の歴史で見られるように、登録制度はいくつかの成功と失敗を経験した。しかし、登録制度が達成した利点は達成できなかった欠点を大幅に上回っている。これは登録制度を支えてきた多くの諸国の意思によるものである。登録制度は今日の我々の時代の誇りある成果物であると言えると思う。今年の政府専門家会合が登録制度の運用を見直し、強化・発展する方途を見出すために最大限努力することを信じ、期待している。

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