平和構築

平成28年8月4日
(左:インターン生 アルッガマゲ未美利,右:大川秀史さん)

インタビュアー:
国際平和協力室インターン アルッガマゲ未美利(びより)
立命館大学法学部法学科国際法務特修3回生
(注)インタビュー実施日は平成28年度7月25日

1 平和構築分野に関心を持ったきっかけを教えてください。

 札幌で一般の弁護士として働いていましたが,国際的な仕事に携わりたいと思い東京に転職し,そこで在日ミャンマー難民の案件に関わったことが平和構築分野に関心を持つきっかけとなりました。自らの国の民主化と経済発展を願って活動し,また異国で暮らす同胞同士が支え合って暮らしている姿に心打たれました。その後,ミャンマー人や入管被収容者からの弁護依頼が殺到するようになり,様々な難民事件を担当するうちに自分自身の興味関心も発展していきました。

 今後海外での活躍を目指す若い方々にお伝えしたいのは,私が経験したような思いがけない出会いや思いがけない国を大切にすることで,人生が切り拓かれていくということです。

2 平和構築人材育成事業に参加するまでは日本国内で弁護士として働かれていた大川さんですが,本事業に応募しようと思った理由は何ですか。

 国内で難民に関する弁護を数多く担当するなか,受入支援だけでなく,より難易度の高い,難民の発生元での緊急支援に携わりたいという思いが強くなりました。また,故郷帰還支援にも関わりたいと思うようになり,国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)で勤務したいと考えて本事業に応募しました。

3 6週間の国内研修の感想をお聞かせください。

 私は事業に参加する以前は海外での実務経験がなかったため,授業についていくのは大変でした。しかし業務経験や海外訪問歴などは年齢相応であったため,最低限の対処はすることができました。

 思い出深いのは,配布物が配られた際,多くの日本人研修員はじっと静かに読んだ上で分析し発表をするのですが,外国人研修員の方はちらっと内容を読んですぐに議論を始めており,その違いに驚かされたことです。とにかく彼らはよく喋り,主張し,そのときに受けたカルチャーショックは留学中に経験したもの以上でした。一方で,組織では事実をしっかりと把握して必要な事務処理を進められる人材も必要とされるので,その点は日本人の強みだと感じます。

4 UNHCRコソボでの海外実務研修の経験で特に印象的だったことを教えてください。

橋の上に積まれた土砂バリケード
大騒ぎの起きた故郷視察訪問

 赴任して一ヶ月も経たないうちに,川を隔ててセルビア人とアルバニア人が暮らす都市で銃撃戦が発生したことです。事の発端は,コソボ北部とセルビア本国との間にコソボ政府が税関を設置したことでセルビア人の往来が遮られたことでした。その報復としてセルビア人がこの都市の橋の上に土砂でバリケードを築いていたところ,コソボ軍が撤去しようとして銃撃戦に発展したのです。当時は紛争終結から10年以上経っていましたが,そのような事件が起きたことは衝撃的でした。その後まもなく,アルバニア人地域に帰還したセルビア人夫婦が射殺される事件も起こりました。彼らは難民の故郷帰還を率先して進めていたリーダーであったため,この出来事にはUNHCR事務所も悲しみに包まれました。日常生活でも,スーパーでセルビア人とアルバニア人は口をきかない,小学校でも入り口は別々,という衝撃的な状況を目にしました。

 一方,コソボ独立5周年パレードに参加することができ,群衆が外に出て大統領や首相が演説するという素晴らしい瞬間に立ち会うこともできました。

 UNHCRの活動の一環で難民の故郷視察訪問に同行した際には,帰還者とその帰還に反対する地域住民との間で険悪になる場面にも遭遇しました。首都に帰還しようとしたロマ人に対して,地元アルバニア人の女性が「この人は内戦の時にセルビアに味方して軍服で歩き回っていたのに,今この場所に帰ってくるなんて!」と言って声を荒げていたのは今も忘れられないですね。

 欧州各国で難民認定されずに送還されてきたコソボ人の近況聴取に赴いたこともあり,海外での生活が夢叶わずふるさとに送り返された彼らは,皆うつ状態でまるでスイッチが切れたようでした。また,ロマ人の住居も数多く訪問しましたが,シャワーや水洗トイレが使えないなど,その住環境の酷さには言葉を失いました。また,子供たちも苦しい環境で暮らしており,10代前半での妊娠や,ゴミの収集や解体の仕事をする若者が多く存在しています。社会問題が山積していて,一体どこから手をつけたら良いのかという状況です。

 週末等には,日本のNGOスタッフとともにセルビア人集団居住センターも訪問し,物資配給を行いました。また,現地NGOと共にロマ人の子ども達に補習やダンス指導もしていました。

 民族構成の異なる全38自治体を訪問しましたが,コソボの人達は大変親切で,全ての民族が私のことを大歓迎して下さいました。同時に,私をこれほど温かく迎え入れてくれる彼らがなぜ内部で反目しあうのか,と大変残念でなりません。

5 コソボで海外実務研修や生活をする上で,苦労したエピソードはありましたか。

 インフラ整備がまだ進んでおらず,停電・断水・パソコンの接続停止は日常茶飯事です。漏水によるカビの大量発生にも苦しみました。しかし,マンションの技術者が大変親切で,トラブルが起きるたびに飛んできて下さったのです。今でも本当に感謝しています。

6 事業参加前と参加後ではキャリア選択の幅にどのような変化がありましたか。

 事業参加後は,セルビアやフィリピンのNGOで子供支援のインターンに参加しました。弁護士として復帰した後は,国際人権活動が評価されて日弁連の自由権規約個人通報制度等実現委員会の事務局次長をさせて頂いています。現在は通報ケースを学んで全国の弁護士会で講演したり,請願活動を行ったりしており,事業参加前よりも積極的に弁護士会の国際人権活動に参画できています。お世話になった外務省と日弁連との橋渡し役を務めさせて頂ければと強く願っています。

 また,コソボで目にしたロマ人の問題や,帰国後に支援団体の訪問をする中で知った教育分野の課題を参考に,今後は外国人や外国にルーツを持つ子供たちの教育問題にも取り組んでいます。また将来,再び海外赴任して,日本の法律家としての法教育活動や,法整備支援などの分野で貢献していきたいです。

7 事業参加中に得たネットワーク(研修員や講師)は今どのように生きていますか。

 海外インターンを探す際には講師の方々が協力してくださいました。今でも,難民支援の調査方法を伺ったり個人通報事件のケースを伺ったりと,何か困ったことがあると頼りにさせていただいています。また,留学や海外視察,長期赴任をしたいという若手弁護士がいる場合,講師の先生や同期研修員らを紹介すると大変親身になって下さっています。

8 国内研修及び海外実務研修の経験は,現在の弁護士業務にどのように生かされていますか。

 UNHCRがコソボ全土で世界難民の日記念イベントを実施していたのを参考に,日本全国の主要な弁護士会や支援団体に呼びかけて,毎年6月に世界難民の日記念法律相談会を開催しています。このことは,全国の弁護士会が組織として動いたという点で大きな成果だったと思います。

 UNHCRにいる頃学ばせていただいた難民・移民分野のEU指令は関係者で翻訳し,全国の主要な弁護士会に配布もしました。難民条約には,どのような場合に難民として認定されるのかということが殆ど書かれていません。一方,EU指令は加盟国に対してこういう法整備をしなさいという指示であり,意見書を作成する際や各事案に照らし合わせる際に役立っています。

 また,コソボの難民弁護団が難民申請事件全件を受任して奮闘されている姿に深く感銘を受けました。その経験から,帰国後は関東地方の入管収容所に収容されている外国人数百人一人一人に弁護士を付ける取り組みに関わり,1年余でほぼ達成しました。これにより,長期被収容者や,十分な病気治療を受けられない被収容者が大きく減少しました。

 また,弁護士会の中に教育プロジェクトチームを立ち上げることを提案し,認めていただきました。ロマ人の子ども達の教育指導を行っていたコソボのNGOを参考に,補習,進学や高校入学,奨学金の取得,留学生,卒業後の就職が難しい子供たちの支援等を行っています。

 これらの活動は全て,コソボでの活動からヒントを得たもので,日本だけで働いていたら全く想像もしなかったと思います。

9 平和構築の実務家に求められる素質とは何だと思いますか。

 まず1つ目に自立心です。海外で困難に直面しても独力で解決するしかありません。2つ目に多様性や包容力です。自らと異なる人や物との出会いや,それぞれの個性を楽しみ,過度に干渉し合わないようにしながら共存を図ることが求められます。ユーモアや,小さなことは笑い飛ばせる余裕も欠かせないと感じます。最後に好奇心です。未知なる人や物を自ら探求して進んでいければ良いと思います。

10 将来法律家として平和構築の分野で働くことを目指している方々に,メッセージやアドバイスをお願いします。

 日本の法律家になることと,海外で平和構築の現場で活躍することを両立するのはなかなか容易ではありません。日本の法律の知識を詰め込んだ後,法律家として数年間の経験を積むと30歳前後になっています。他方,国際関係分野に進んだ方は学部1年生である18~19歳から海外の現場を少しずつ経験されています。

 したがって,日本の法律家は海外の現場経験が不足しているという点でハンデを負っています。それでも願いを叶え国際機関を目指していくためには,相応の計画性が必要です。具体的には,法律家になってから国際分野業務に取り組み,留学し,海外インターンを経験し,いよいよ海外での平和構築業務に応募する,という長い過程が必要で,更にこれらの分野が一貫している必要もあります。

 良き法律家になるためには苦労も必要で,苦労することによって,アイディアを考案できたり,他人に手をさしのべたり,見通しの厳しい案件を受任できるようになったりします。しかし,法律家が国際機関を目指すためには上記のとおりそれなりに計画的かつ順調に進む必要もあり,悩ましいところです。

 いずれにせよ,日本の法律家にとって平和構築分野は殆ど未知の領域です。困難は数知れませんが自由自在に活躍し,歴史を拓いて下さい。


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