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平成21年6月
(1)日時・場所 6月2~3日(4日未明)、サンペドロスーラ(ホンジュラス)
(2)参加国 34か国(北米及び中南米の全ての国(キューバを除く。))
我が国を含む常任オブザーバー国、NGO等との対話を実施
(我が国からは塩崎駐ホンジュラス大使が出席)
(3)テーマ 非暴力文化の構築に向けて(実際はキューバ問題が会議の焦点)
(4)成果文書 サンペドロスーラ宣言、キューバOAS復帰に関する決議等
(5)その他 次回OAS総会(明年6月、ワシントン(米国))
次回米州首脳会議(2013年 カルタヘナ(コロンビア))
(1)今次OAS総会では、当初、非暴力をテーマに様々な議論が行われる予定であったが、キューバ復帰問題について議長国ホンジュラスを含む加盟国による関心表明が相次いだことから、ブラジルの発案によって急遽、ワーキング・グループが設置され、各国外相による協議が行われた。
(2)2日間に亘る協議の結果、米国が中南米側に歩み寄った形で、1962年にキューバのOAS等からの排除を決定した決議を無効とする決議が全会一致で採択。キューバ復帰については、一部の中南米諸国が無条件での復帰を求め協議は難航したが、最終的には米国の主張も取り入れられ、「OASの慣習、目的及び原則」に従う旨の規定が決議に盛り込まれた。
(3)OAS総会には、クリントン米国務長官(2日のみ)、中南米諸国から首脳、外相等ハイレベルが出席。各国代表はキューバ復帰問題に関するワーキング・グループに参加。総会の議事は代理出席者によって進められ、最終日に非暴力に向けたサンペドロスーラ宣言が事務的に採択された。
(4)なお、キューバ政府は、従来の方針を繰り返し、OASへの復帰の意思がない旨の声明(6月8日付)を発表した。
【参考】1962年のキューバOAS参加排除決議(概要)
1962年1月、第8回外務大臣協議会議において、マルクス・レーニン主義を標榜するキューバ現政権がOASの諸原則と相容れないことを理由にOASへの参加排除を決議。同年、キューバはOAS脱退を宣言。冷戦下での同決議は時代遅れとの批判もあった。
(1)オバマ政権は政権発足時から中南米への積極的関与を掲げ、米州首脳会議ではオバマ大統領から中南米との対等なパートナーシップを構築したいとして対話・協調路線を明確にしていた。これに対して、チャベス・ベネズエラ大統領が「友人になりたい」とオバマ大統領に話かけるなど中南米側も肯定的に反応し、米・中南米関係改善の雰囲気が醸成された。
(2)オバマ政権発足後、米国要人の中南米訪問は活発化しており、これまでオバマ大統領自身が4月にメキシコ及びトリニダード・トバゴを訪問した他、バイデン副大統領がチリ及びコスタリカ(3月)、クリントン国務長官がメキシコ(3月)、ハイチ(4月)、ドミニカ共和国(同)、トリニダード・トバゴ(同)、エルサルバドル(6月)及び今回OAS総会が開催されたホンジュラス(同)を訪問している。
【参考】第5回米州首脳会議(概要)
(1)オバマ大統領は、大統領選挙の時から主張してきたとおり、キューバとの対話を重視し、これまでの米国の強硬な対キューバ路線を変更。3月にキューバ系米国人のキューバ渡航制限及び農産物・医薬品輸出に係る制限の緩和を含む一括歳出法が成立した。さらに、4月13日にはオバマ大統領は、在キューバ家族への送金の制限の撤廃、通信分野における規制の緩和等を関係閣僚に対して指示した。
(2)4月の米州首脳会議において、オバマ大統領は、これまでの米国の強硬な対キューバ政策を「過去の過ち」とした上で、キューバ政府と多くの課題について関与していく旨述べて、キューバとの対話路線を明確に示した。
(3)米国の一連の動きに対して、キューバ側もラウル国家評議会議長があらゆる課題について米国との対話の用意がある旨反応。今次OAS総会の前の5月下旬、キューバ側は米国の提案を踏まえ、ブッシュ政権下で中断していた二国間の移民協議(下記参考参照)の再開に合意し、テロ、麻薬密輸取引、さらには郵便に関する問題について協力する意思がある旨表明した。
【参考】移民協議
米・キューバ間では1980年以降定期的に移民問題について協議してきたが、1994年に米国への年間2万人の移民受入れを主な内容とする共同声明(いわゆる「移民協定」)が署名されて以降、同協定の円滑な実施のため、概ね年2回の移民協議を開催。しかし、2003年、米国政府は、キューバ政府が移民協定に反して米国査証を有するキューバ人の出国を許可しないことなどを理由に、移民協議を停止していた。