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平成20年1月
(1)人口 467,680人(平成19年4月1日現在)
(2)面積 56.39平方キロメートル(東西延長8.20キロメートル、南北延長13.33キロメートル)
(3)特徴
市川市は、千葉県の玄関口として、昭和9年(1934年)市川町・八幡町・中山町・国分村の3町1村が合併し誕生しました。
千葉県の北西部に位置し、北は松戸市、東は船橋市と鎌ヶ谷市、南は浦安市と東京湾に面しております。また、都心から20キロメートル圏内にあり、都心部と県内各地域を結ぶ広域交通が集中し、鉄道網が発達し、幹線道路が東西方向に通っています。
市川市は、江戸川のゆったりとした流れと市街地の黒松、斜面をおおう雑木林など、都心に近接しながら今なお自然環境の残る都市です。先人たちのたゆまぬ努力と交通の利便性など地理的条件にも恵まれ、首都圏の中枢都市として順調に発展してきました。
(1)面積:265.1平方キロメートル
(2)人口 約300万人
(3)特徴
メダン市はインドネシア共和国北スマトラ州の州都で、マラッカ海峡に注ぐデリー川の河口から24キロメートル上流に位置します。1860年代にオランダのたばこ会社が進出してから急速に発展し、周辺地のタバコ、ゴム、茶、アブラヤシなどの産物の集散地として繁栄してきた都市です。
現在は、石油の積出港として知られるベラワン港を擁し、スマトラ島最大の交易の中心地でインドネシアの重要な商業都市として発展しています。
気候は、年平均気温25.2度、年間降雨量約2,300ミリメートルと年間を通じて高温多湿な熱帯雨林気候です。市内には、歴史的な史跡としてマイムーン宮殿やラヤ・モスク(回教寺院)があり、また、市の中心地から南東200キロメートルにあるトバ湖周辺は、風光明媚な観光地として知られています。
1984年(昭和59年)8月に市内各界の方々による、「東南アジア友好視察団」がはじめてメダン市を訪れて以来、毎年市民による親善訪問が行われてきました。1988年(昭和63年)3月にはメダン市長が市川市を訪れるなど、人的往来により交流が深められてきました。また、友好の証として蝶の標本やイリエワニのはく製が寄贈されました。
このように、両市の交流が重ねられてきたなかで、1988年(昭和63年)11月に市民で組織するスマトラ会から「インドネシア共和国メダン市との姉妹都市締結に関する要望書」が市川市長並びに市川市議会議長あてに提出されました。
1989年(平成元年)8月に、メダン市の要請により市川市長を団長とする「メダン市友好親善市川市視察団」がメダン市を訪れ、姉妹都市締結に向けての趣意書の調印が行われました。この合意にもとづき、1989年(平成元年)9月19日、市川市議会は両市の姉妹都市締結を全会一致で議決しました。その後、同年11月にメダン市長を団長とする「メダン市代表団」を迎え、11月4日両市市長による「日本国千葉県市川市とインドネシア共和国北スマトラ州メダン市との姉妹都市締結に関する盟約書」の調印が行われ姉妹都市締結が成立しました。
市川市とメダン市は、これまで両市の公式訪問団の相互訪問、市民団の派遣、消防・清掃分野の研修生の受入れ、隔年の青少年派遣などの人的交流の他、消防車や補聴器の贈呈、日本猿とオランウータンの交換など様々な交流を行ってまいりました。
メダン市から寄贈されたオランウータン2頭(オス:イーバン、メス:スーミー)と市川市で誕生した子供(オス:ウータン)は市川市動物園で見ることが出来ます。
公式代表団の相互訪問は3年毎に行われています。
平成18年度は、相互交流の年にあたり、市川市公式代表団が平成18年5月16日から5月23日にメダン市を訪問しました。滞在期間中、メダン市長表敬訪問を行い、これまで両市間で築いてきた友情を再確認するとともに、さらなる活発な交流を行うことで合意しました。
また、平成19年3月27日から30日にメダン市公式代表団が来市し、市長表敬訪問や市内視察を行ったほか、市民との交流を図りました。
市内在住の高校生とメダン市の高校生の隔年での交互交流が行われています。これまで多くの両市の高校生がホームステイなどを通して、お互いの国の文化や歴史を学んできています。
平成19年度は市川市青少年代表団と引率者を含む11名がメダン市に派遣され、現地校への体験入学やホームステイを通して、インドネシアの高校生の生活に触れるなど、日本では経験できない時間を過ごしました。
市川市民親善訪問団の派遣は、3年毎に市川市国際交流協会主催で行われています。これまでの市民親善訪問団の派遣では市民同士の活発な交流が行われており、友情と信頼を育んでいます。