フィジー共和国

基礎データ

令和7年1月21日
フィジー共和国国旗

一般事情

1 面積

1万8,270平方キロメートル(四国とほぼ同じ大きさ)

2 人口

936,375人(2023年、世界銀行)

3 首都

スバ

4 民族

フィジー系(57%)、インド系(38%)、その他(5%)(2007年、政府人口調査)

5 言語

英語(公用語)の他、フィジー語、ヒンディー語を使用

6 宗教

 フィジー系はほぼ100%キリスト教、インド系はヒンドゥ教、イスラム教。
 全人口に占める割合はキリスト教52.9%、ヒンドゥ教38.2%、イスラム教7.8%

7 略史

年月 略史
1643年 蘭人探検家タスマン、フィジー諸島の北部発見
1874年 英国の植民地となる
1970年10月10日 英国より独立(立憲君主制)(国名:フィジー)
1987年5月、9月 ランブカ中佐による無血クーデター
1987年10月 英連邦から離脱し、共和制へ移行(国名:フィジー共和国)
1990年7月 フィジー系を優遇する改正憲法発布
1997年9月 英連邦再加盟
1998年7月 民族融和を目指す新憲法発効(国名:フィジー諸島共和国)
1999年5月 労働党党首のチョードリーが初のインド系首相に就任
2000年5月 武装グループによる国会占拠事件が発生
2000年7月 ガラセを首班とする暫定文民政府が発足
2001年9月 総選挙を経てガラセが首相に就任
2006年5月 ガラセ首相が再任
2006年12月 バイニマラマ国軍司令官による無血クーデター、セニランガカリを暫定首相に任命
2007年1月 セニランガカリ暫定首相辞任、バイニマラマ司令官が暫定首相に就任、暫定内閣が発足
2011年2月 国名を「フィジー共和国」に変更
2013年9月 新憲法公布

政治体制・内政

1 政体

共和制

2 元首

ラトゥ・ナイガマ・ラランバラヴRatu Naiqama LALABALAVU)大統領(2024年11月就任)

3 議会

1院制
議員数55名、任期4年(解散あり)

4 政府

(1)首相
シティヴェニ・リンガママンダ・ランブカSitiveni Ligamamada RABUKA
(2)外務大臣
ランブカ首相が兼任

5 内政

  • フィジーは主に先住民フィジー系と英国植民地時代に移住してきたインド系住民からなる社会であるが、政治面ではフィジー系の優遇政策がとられてきたこと等により、民族間の政治的対立が存在し、独立以来現在まで数度に亘りクーデターを経験している。
  • 2006年5月の総選挙で再選を果たしたガラセ(フィジー系)政権は、労働党を含めた複数政党内閣を組閣し、フィジー系、インド系の対立の改善をはかる姿勢を見せたものの、2000年の議会占拠事件関係者への恩赦等をめぐり、同関係者の徹底的糾弾等を求めるバイニマラマ国軍司令官との対立が同年10月頃から深刻化。同年12月、同司令官は行政権の奪取と非常事態宣言を施行し、無血クーデターを断行した。2007年1月、同司令官が暫定首相に就任し、暫定内閣が発足した。
  • 2007年5月、事態の収束等を受け、暫定政権は非常事態宣言を解除した。また、フィジーの民主化に関する共同作業グループが太平洋諸島フォーラム(PIF)に設置され(2007年4月)、民主化に向けたロードマップが策定された。これを踏まえ、暫定政府は2007年10月のPIF首脳会議(於トンガ)において、2009年3月までに総選挙を実施することを公約した。
  • しかし、2008年6月、同暫定首相は上記公約は実施不可能と表明、2009年1月のフィジー問題に関するPIF特別首脳会合(「バ」暫定首相欠席)では、フィジーが同年末までの総選挙日を設定し、かつその選挙日を同年5月1日までに対外的に公表しない場合には、フィジーのPIF各種会合への参加資格停止等厳しい措置を検討するとの内容がコミュニケに盛り込まれた。
  • これに対し、フィジー政府は、「選挙制度改革が先決であり選挙はその後である」との立場を主張し、2009年5月1日までに上記コミュニケに沿った行動をとらなかったため、翌2日からフィジーのPIF関連会合への参加資格が停止された。
  • 2009年4月、控訴審判決(バイニマラマ暫定首相率いる暫定政権は非合法であり、大統領に対して、新たな暫定首相(caretaker Prime Minister)及び暫定政権(Interim Government)を任命することを命じたもの)を受け、イロイロ大統領はバイニマラマ国軍司令官を今後5年間の政権の首相に任命し、2014年までに総選挙を実施するよう指示するとともに、現行憲法の廃止(abrogation)及び全裁判官の罷免を行い、出版・放送への制限なども含む緊急事態令を発布した。
  • 2009年7月、バイニマラマ首相は「変化のための戦略的枠組み」(A Strategic Framework for Change:2014年9月の総選挙実施に至るまでのロードマップ)を発表。このロードマップにより、2012年9月から2013年9月にかけて新憲法を策定し、2013年9月から約1年間かけて総選挙準備を行うとした。
  • また、2009年9月、フィジーは英連邦閣僚行動グループ(CMAG:Commonwealth Ministerial Action Group)が求める民主化プロセスに応じなかったため、同日付でフィジーは英連邦から完全に資格を停止(fully suspended)された。
  • 2012年1月、バイニマラマ首相は緊急事態令を解除した。また、3月には、2013年の2月末までに新憲法を策定するプロセスについて発表した。12月、憲法委員会ガイ委員長が新憲法草案を大統領に提出。2013年3月、フィジー政府は政府独自の新憲法草案を公表し、国民からの意見を公募。2013年9月、フィジー政府は新憲法を公布。2014年3月、バイニマラマ首相が国軍司令官を辞任。
  • 2014年9月、総選挙を実施。バイニマラマ首相率いるフィジー・ファースト党が単独過半数の議席を獲得し、同党首のバイニマラマ首相が就任。同総選挙以降、PIF(首脳レベルでの総会参加は2019年から)及び英連邦等に復帰。2018年11月の総選挙でもフィジー・ファースト党が単独過半数の議席を獲得、同党首のバイニマラマ首相が再任された。我が国は平和裡に総選挙が実施されたことを歓迎する旨外務報道官談話を発出。
  • 2022年12月に総選挙が行われ、連立に合意した3党(人民同盟党、国民連合党及び社会民主自由党)が過半数の議席を獲得し、現職のバイニマラマ首相率いるフィジー・ファースト党は敗北。ランブカ人民同盟党党首が首相に就任し、2014年にフィジーが民政に復帰して以降、初の政権交代となった。

外交・国防

1 外交

 従来より、オーストラリア、ニュージーランド及び太平洋諸国との協力関係を重視。しかし、2006年12月のクーデター発生後、オーストラリア、ニュージーランドとの関係が冷え込む中、中国、ロシア、インド、ASEAN、アラブ諸国等との関係を構築。近年はオーストラリアおよびニュージーランドとの関係も改善されている。

 フィジーの首都スバには、PIF(太平洋諸島フォーラム)事務局、USP(南太平洋大学)など多くの地域協力機関及び国際機関の事務所があり、地域協力に向け中心的役割を果たしている。

 国連、英連邦、PIFなどの加盟国であるが、2006年のクーデターを受け、英連邦及びPIFはフィジーの参加資格を停止。2014年9月の総選挙を受け参加資格停止を解除されものの、2019年8月の総会から、首相が出席。

2 国防

(1)兵役
志願制
(2)兵力
正規軍(Regular Force)約3,500名(陸軍2,600、海軍400名、PKO等派遣500名)のほか、非常事態等に召集される地域軍(Territorial Force)要員として約5,600名の予備役が登録されている。PKO等派遣については、主に国連兵力引き渡し監視軍(UNDOF(ゴラン高原))に約140名、国連イラク支援ミッション(UNAMI(イラク))に約170名、多国籍部隊・監視団(MFO(シナイ半島))に約170名を派遣しているほか、UNIFIL(レバノン)、UNTSO(イスラエル)、UNMHA(イエメン)及びUNMISS(南スーダン)にそれぞれ司令部要員を若干名派遣している。

経済

1 主要産業

観光、砂糖、衣料等

2 GDP

54.95億米ドル(2023年、世界銀行)

3 一人当たりGNI

5,580米ドル(2023年、世界銀行)

4 GDP実質成長率

8.0%(2023年、世界銀行)

5 物価上昇率

2.5%(2022年、世界銀行)

6 貿易総額

  • (1)輸出 1,066.8百万米ドル
  • (2)輸入 2,970.1百万米ドル

(2022年、アジア開発銀行)

7 主要貿易品目

  • (1)輸出 原料別製品(木製品等)、食料品(魚介類)、飲料等
  • (2)輸入 機械類及び輸送機器(車等)、食料品等

(太平洋諸島センター統計ハンドブック2022)

8 主要貿易相手国

  • (1)輸出 米国、オーストラリア、ニュージーランド、トンガ、中国
  • (2)輸入 シンガポール、オーストラリア、中国、ニュージーランド、米国

(2022年、アジア開発銀行)

9 通貨

1フィジードル=約66円(2024年4月)

10 経済概況

 経済成長率は、2006年12月のクーデター直後の2007年にマイナス6.6%を記録した後、2008年には0.2%と改善したが、2009年の経済成長率は砂糖産業の衰退及び世界経済危機等の影響によりマイナス3%と落ち込んだ。特に、長年にわたりフィジー経済を支えてきた砂糖産業は、機械の老朽化等の問題がある。2011年以降は2%~5%台の成長を維持するなど、フィジー経済はおおむね安定。2020年以降、コロナ禍により、特にGDPの35%を占める観光業を中心に深刻な影響を受けたが、その後は回復傾向にある。

経済協力

1 日本の援助

  2021年度 2021年度までの累計
(1)有償資金協力 100.00億円 272.87億円
(2)無償資金協力 6.07億円 238.15億円
(3)技術協力 5.07億円 313.49億円

2 主要援助国

  • (1)オーストラリア(121)
  • (2)日本(82)
  • (3)ニュージーランド(49)
  • (4)韓国(7)

(単位:百万米ドル、2021年、DAC)

二国間関係

1 政治関係

1970年10月
フィジー独立と同時に同国を承認
1979年1月
日本側大使館をスバに開設
1981年1月
在京フィジー大使館開設
1987年12月
新政府承認(黙示)
1990年7月
在大阪名誉領事任命(1998年9月まで)
2000年9月
新政府承認(黙示)
2009年4月
在大阪名誉領事任命(2015年11月まで)
2012年3月
在横浜名誉領事任命(2022年1月まで)
2013年4月
在仙台名誉総領事任命(2016年11月まで)
2015年10月
在別府名誉領事任命
2017年10月
在江別(北海道)名誉領事任命
2018年9月
在秋田名誉領事任命
2019年
在大阪名誉領事任命

2 経済関係

(1)貿易額(2023年、財務省貿易統計)
  • フィジーへの輸出 117.7億円
  • フィジーからの輸入 27.4億円
(2)進出日本企業数
23社(2022年10月現在、外務省海外進出日系企業拠点数調査)

3 在留邦人数

309名(2023年10月現在、外務省海外在留邦人調査統計)

4 在日フィジー人数

335名(2023年12月、法務省在留外国人統計)

5 要人往来

(1)往(1980年以降)
年月 要人名
1980年 長谷川四郎 衆議院議員(独立10周年記念式典特派大使)
1985年 中曽根康弘 総理大臣、安倍晋太郎 外務大臣
1987年 倉成正 外務大臣
2001年 小島敏男 外務大臣政務官、森喜朗 元総理大臣
2002年 植竹繁雄 外務副大臣
2003年9月 秋篠宮同妃両殿下
2006年8月 小池百合子 環境大臣
2008年8月 参議院ODA調査団(団長:溝手顕正 参議院議員)
2010年5月 西村智奈美 外務大臣政務官
2012年8月 中野譲 外務大臣政務官
2013年9月 石原伸晃 環境大臣
2015年12月 濵地雄一 外務大臣政務官(日・フィジー貿易投資セミナー)
2017年1月 中曽根弘文 参議院議員(アジア太平洋議員フォーラム(APPF))
2017年5月 二階俊博 自由民主党幹事長
2018年1月 堀井巌 外務大臣政務官
2018年5月 堀井巌 外務大臣政務官
2018年7月 高橋克 法国土交通大臣政務官
2018年8月 堀井巌 外務大臣政務官
2019年5月 麻生太郎 副総理兼財務大臣
2019年6月 薗浦健太郎 内閣総理大臣補佐官
2019年8月 河野太郎 外務大臣
2019年8月 鈴木憲和 外務大臣政務官
2019年12月 中山展宏 外務大臣政務官
2020年1月 山本朋広 防衛副大臣
2020年2月 中山展宏 外務大臣政務官
2022年5月 林芳正 外務大臣
2023年4月 武井俊輔 外務副大臣
2024年2月 上川陽子 外務大臣(太平洋・島サミット第5回中間閣僚会合)
2024年4月 高村正大 外務大臣政務官(総理特使)
(2)来(1980年以降)
年月 要人名
1980年 マラ首相(公式実務賓客)
1982年 ギオニンバラビ外務・観光相(外務省賓客)
1985年 マラ首相(科学万博賓客)
1986年 シキバウ外相(外務省賓客)
1988年 マラ首相
1988年 カミカミザ蔵相(高級実務者招聘)
1989年 ブニンボンボ貿易・商業相
1989年 ピカリング観光・航空・エネルギー相
1989年 ガニラウ大統領夫妻(大喪の礼)
1990年 マラ首相、ピカリング観光・航空・エネルギー相
1990年 ボキニ森林相(花博賓客)
1990年 ガニラウ大統領(即位の礼)
1991年 ゴネレヴ第二次産業・協同組合相(高級実務者招聘)
1992年 マニュエリ蔵相
1993年 ベシクラ副首相兼フィジー系人問題・地域開発相
1994年 ナゾラ国家計画・地域開発・他民族問題担当相、タイ保健・福祉相、ディムリ情報・放送・通信相、マニュエリ自治・移民・青少年・雇用・スポーツ相、パウエル観光・民間航空相ブニンボンボ大蔵・経済開発相
1994年 ランブカ首相夫妻(公式実務訪問賓客)
1994年 ボキニ農業・林業・漁業相、ア・コイ商業・産業・貿易・公営企画相
1995年 カウキモーゼ住宅・都市開発・環境相(高級実務者招聘)
1995年 ボレ外務・観光・民間航空相(非公式)
1996年 ボレ外務・観光・民間航空相(世界銀行観光会議)
1997年 ランブカ首相、ボレ国家計画相(第1回太平洋・島サミット)
2000年 チョードリー首相(第2回太平洋・島サミット)
2001年 マラ前大統領(大阪シンポジウム)
2001年 バイニマラマ軍司令官(環太平洋ラグビー選手権大会)
2001年6月 タボラ外務・砂糖相
2002年4月 ガラセ首相、ヤンバキ観光・文化・遺産・民間航空相
2002年10月 ガラセ首相(PIF議長)(外務省賓客)
2003年3月 ドラウニンダロ公共事業エネルギー相(第3回世界水フォーラム)
2003年5月 ガラセ首相(第3回太平洋・島サミット)
2003年12月 ジンク労働・労使関係・生産性相
2004年2月 タボラ外務・貿易相(英連邦貿易担当相ミッション)
2004年6月 バイニマラマ軍司令官
2004年9月 ナイラティカウ国会議長
2005年6月 ジンク労働・労使関係・生産性相
2005年6月 ナイヴァル保健相
2005年6月 ガラセ首相(万国博覧会賓客)
2005年6月 チョードリ労働党党首
2006年5月 タボラ外相(第4回太平洋・島サミット)
2006年10月 ベティロボニ観光相
2007年12月 チョードリ財務相(第1回アジア・太平洋水サミット(於:大分))
2010年10月 クンブアンボラ外務・国際協力・民間航空相(太平洋・島サミット中間閣僚会合)
2011年6月 ナイラティカウ大統領
2013年10月 クンブアンボラ外務・国際協力相(太平洋・島サミット第2回中間閣僚会合)
2015年3月 クンブアンボラ外相(第3回国連防災世界会議)
2015年5月 バイニマラマ首相(第7回太平洋・島サミット)
2015年9月 ルベニ議会議長(閣僚級招へい)
2015年10月 ウサマテ保健相(技術協力「生活習慣病対策プロジェクト」に関する会合)
2016年1月 セルイラトゥ農業・村落離島開発・国家災害管理相
2017年1月 ウサマテ雇用・生産性・産業関係相(太平洋島サミット第3回中間閣僚会合)
2017年3月 セルイラトゥ農業・村落離島開発・国家災害管理相
2017年5月 サイェド=カイユム司法長官兼経済・公営企業・公務員・通信相
2017年8月 ルベニ議会議長
2018年2月 コヤ産業・貿易・観光・土地・鉱物資源相
2018年5月 バイニマラマ首相(第8回太平洋・島サミット)
2019年9月 バイニマラマ首相(ラグビーW杯観戦)
2019年9月 セルイラトゥ防衛・国家安全保障・外相(ラグビーW杯観戦)
2019年10月 ワンガイナンベテ保健相
2019年10月 コンロテ大統領(即位の礼)
2023年3月 ディトカ村落離島開発・災害管理大臣(アジア防災会議)
2024年3月 プラサド副首相兼財務、戦略策定、国家開発・統計大臣(ライシナ東京)
2024年3月 ティコンドゥアンドゥア内務、移民大臣(第2回日・太平洋島嶼国防衛大臣会合(JPIDD)出席)
2024年7月 ランブカ首相(第10回太平洋・島サミット)

6 二国間条約・取極

  • 1962年 英国との租税(所得)条約
  • 1980年 航空協定
  • 1982年 青年海外協力隊派遣取極

7 外交使節

(1)フィジー駐箚日本国大使
道井 緑一郎 特命全権大使
(2)本邦駐箚フィジー大使
フィリモネ・ワガバザ 特命全権大使
(3)在江別名誉領事
清水 誓幸 名誉総領事
(4)在秋田名誉領事
三浦 廣巳 名誉総領事
(5)在大阪名誉領事
岡田 誉伯 名誉総領事
(6)在大分名誉領事
安部 省祐 名誉総領事
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