東ティモール民主共和国

平成27年2月19日

1.概要

  • 国名:東ティモール民主共和国
    The Democratic Republic of Timor-Leste
  • 独立日:2002年5月20日(インドネシアからの独立回復。ポルトガルからの独立宣言日は1975年11月28日。)
  • 人口:約117.8万人(2013年,出典:世界銀行)
  • 面積:約1万4,900平方キロ(首都4県(東京,千葉,埼玉,神奈川の合計面積)とほぼ同じ大きさ)
  • 宗教:キリスト教99.1%(大半がカトリック),イスラム教0.79%
  • 言語:国語はテトゥン語及びポルトガル語。実用語にインドネシア語及び英語。その他多数の部族語が使用されている。
  • 産業:農業(コーヒー,米等),石油・天然ガス
  • 一人当たりGDP:1,371米ドル(2013年,出典:世界銀行)

2.独立までの経緯

  • (1)16世紀以降,東ティモールはポルトガル領(当時のインドネシアはオランダ領)であったが,1974年にポルトガルが主権を放棄した後,1976年にインドネシアが東ティモールに武力侵攻した。占領後もフレテリン(東ティモール独立革命戦線)等による独立運動は継続された。
  • (2)1999年8月,ハビビ政権下で,インドネシア政府による拡大自治案の受入れか独立かを問う直接投票が実施され,約8割が分離・独立を選択。その直後から投票結果に不満を持つ勢力による破壊活動が激化し,治安は極度に悪化した。9月,国連安保理決議により,豪州を中心とする多国籍軍が展開し,治安は急速に回復した。
  • (3)1999年10月に設立された国連東ティモール暫定行政機構(UNTAET)の下,独立に向けた国づくりが進められ,2001年8月の憲法制定議会選挙をはじめ,2002年3月の憲法制定,同年4月の大統領選挙など順調に推移した。2002年5月に国連より統治権限が移譲され,東ティモールは独立した。なお,UNTAETに引き続いて同国の国づくりを支援するために,国連東ティモール支援団(UNMISET)が独立と共に設立された。

3.政治

  • (1)1999年及び2006年の騒乱時に破壊されたインフラ等広範な復興開発,治安維持,雇用対策,行政・司法制度の構築,自立的な国家運営に必要な人材育成等が課題となっている。2012年末の国連東ティモール統合ミッション(UNMIT)の撤退により,現在は東ティモール政府自身で治安の維持にあたる。近年は治安も安定しており,東ティモール政府は紛争後の復興段階を脱して本格的な経済社会開発を指向している。
  • (2)統治機構
    大統領
     国家元首。大統領(任期5年)は直接投票で選ばれる。大統領としての権限は,国家と独立の象徴にして軍最高司令官。大統領の実権は軍事(宣戦布告・非常事態宣言の発出等)及び外交の一部(安全保障に関するもの)に限られる。2002年4月14日に行われた大統領選により,シャナナ・グスマン氏が当選,同年5月20日に初代大統領に就任。2007年4月の大統領選挙及び5月の同選挙決選投票の結果,5月20日,ラモス=ホルタ前首相が第2代大統領に就任。2012年3月の大統領選挙及び4月の同選挙決選投票の結果,5月20日,タウル・マタン・ルアク前国軍司令官が第3代大統領に就任。
    首相
     首相は,国会における過半数を占める政党又は連立政党により指名され,大統領が国会に代表議員を持つ各政党と協議し,任命する。政治の実権は,国会で選出される首相に委ねられている。2007年6月30日の国民議会選挙の結果を受け,8月8日,シャナナ・グスマン前大統領が首相に就任。 グスマン首相の辞意表明を受け,2015年2月16日,ルイ・マリア・デ・アラウジョ新首相が就任。グスマン前首相は,指導大臣兼計画・戦略投資大臣として内閣に残留。
    国民議会
     独立前の憲法制定議会より移行されたもの。一院制(任期5年)で議席数は65。2012年7月7日に国民議会選挙が実施され,第一党となったCNRTはPD及びフレンティ・ムダンサと連立を組むことを発表。

    <参考:議会の構成>

    政党名 議席数
    与党(40) ティモール再建国民評議会(CNRT) 30
    民主党(PD) 8
    フレンティ・ムダンサ 2
    野党(25) 東ティモール独立革命戦線(フレテリン) 25
    65

4.経済

  • (1)2001年には,政府支出拡大,ディリを中心とした高いサービス需要及び農業の復興が見られ,経済成長率は18.9%。しかし,2002年中盤以降,一時期の在留外国人の急増に伴う一種のバブル景気の終焉により,実質経済成長率は減少。さらに,騒擾事件を受け2006年にマイナスに落ち込んだが,2007年に急回復。以降資源収入の支えによって着実な経済成長を見せているが,GDPに占める資源収入の割合が2012年時点で77%であり,資源収入の増大は主に資源価格の高騰に起因するところが大きい。従って,資源収入以外の国内歳入を増やしていくことが急務である。
  • (2)農業が主要な産業(多くは零細農業。コメ,メイズ(とうもろこし),イモ類,ココナッツ等を栽培)。輸出用作物として特にコーヒーの栽培に力を注いでいる。ティモール・ギャップ(豪州との海側に所在)の石油・天然ガスの開発が貴重な国家財源として進められている。

5.外交

 東ティモールは,外交基本方針としては,憲法第8条第3項にて,ポルトガル語を公用語とする諸国との特別な友好関係を維持すると規定しており,2002年7月,ポルトガル語諸国共同体(CPLP)に加盟した。また,憲法第8条4項にて,近隣諸国及び地域との特別な友好協力関係を維持すると規定しており,ASEAN加盟を目標としている。2005年7月にはASEAN地域フォーラム(ARF)に加盟。2007年1月,東南アジア友好協力条約(TAC)に署名。2011年3月,ASEAN加盟を正式に申請。

6.日・東ティモール関係

(1)外交関係の樹立

 独立日の2002年5月20日,日本は東ティモールを承認し,外交関係を樹立。また,同日,首都ディリに大使館(在インドネシア大使館の兼館)を開設した。2004年1月,在東ティモール大使館は実館となった。

 2012年に周年事業「日本・東ティモール外交関係樹立10周年記念平和年(友情と平和の年)」を実施。

(2)日本の支援

 日本は,1999年以来東ティモールの自立に向けた国づくりへの努力に対して積極的に支援を行ってきている。1999年12月,第1回東ティモール支援国会合(東京開催)において表明したとおり,日本は3年間で1億3千万ドルの支援(復興開発支援1億ドル,人道支援3千万ドル)を実施した。また,2002年5月,第6回支援国会合(ディリ)において,3年間で約6千万ドルを上限とする支援を表明し,2005年3月までに実施した。2006年春の騒乱時には,国連緊急アピールに対し500万ドルの支援を実施。2007年2月,大統領選挙及び国民議会選挙実施を支援するため,国連開発計画(UNDP)を通じ,約72万ドルの緊急無償資金協力を実施。2012年3月,同国初となる約53億円の円借款により,ディリ・バウカウ間を結ぶ国道一号線整備計画の実施を決定。その他にも,無償資金協力や技術資金協力を通じた支援を実施してきている。2012年4月には,経済活動活性化のための基盤づくり,農業・農村開発,政府・公共セクターの能力向上を重点3分野とする,対東ティモール国別援助方針を策定した。2013年度までの円借款(E/Nベース)・無償資金協力(E/Nベース)・技術協力(JICA経費実績ベース)の累計額は約365億円。

(3)「平和の定着」への貢献(自衛隊・文民警察派遣)(2002年以降)

 日本は,2002年3月から,国連の要請を受け,国連東ティモール暫定行政機構(UNTAET)及び国連東ティモール支援団(UNMISET)に対し自衛隊施設部隊等総計約2300名を派遣し,道路・橋梁の維持補修等の後方支援業務や各種民生支援業務を行った(2004年6月をもって終了)。

 また,国連東ティモール統合ミッション(UNMIT)に対し,2007年1月から2008年2月まで文民警察要員延べ4名(2007年1月~2008年2月),軍事連絡要員として自衛官延べ8名(2010年9月~2012年9月)を派遣した。

 2012年から2014年にかけて,毎年計3回に亘り,陸上自衛隊が東ティモール国軍に対して,能力構築支援の一環として,自動車整備士養成教育を実施した。

(4)選挙監視団の派遣(2002年以降)

 2007年4月の大統領選挙,5月の同選挙決選投票,6月の国民議会選挙及び2012年3月の大統領選挙,4月の同選挙決選投票,7月の国民議会選挙に選挙監視団を派遣した。

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