ベラルーシ共和国
ベラルーシ共和国(Republic of Belarus)
基礎データ


一般事情
1 面積
20万7,600平方キロメートル(我が国の約半分)
2 人口
約926万人(2022年1月)(2022年:ベラルーシ共和国国家統計委員会)
3 首都
ミンスク
4 民族
ベラルーシ人(84.9%)、ロシア人(7.5%)、ポーランド人(3.1%)、ウクライナ人(1.7%)
5 言語
公用語はベラルーシ語、ロシア語
6 宗教
ロシア正教(84%)、カトリック(7%)、その他(3%)、無宗教(6%)
7 略史
年月 | 略史 |
---|---|
9-10世紀 | ポロツク公国 |
10-12世紀 | キーウ・ルーシ時代 |
13-14世紀 | リトアニア大公国の構成地域となる。 |
1569年 | ポーランドとリトアニア大公国の連合国家成立 |
1772-1795年 | 3度にわたるポーランド分割により、現在ベラルーシのほぼ全域、白ロシア東部が、ロシア領となる。 |
1914年8月 | 第1次世界大戦勃発。現在のベラルーシ西部がドイツの占領下に置かれる。 |
1918年3月 | ドイツの占領下で、ベラルーシ人民共和国が成立。ドイツ軍撤退に伴い、当地の実権がボリシェヴィキに移行。 |
1919年1月 | 白ロシア・ソヴィエト社会主義共和国の成立。 |
1921年3月 | ポーランド・ソヴィエト戦争の結果成立したリガ条約により、白ロシアの東半分がソ連領、西半分がポーランド領となる。 |
1922年12月 | ソ連邦の結成に参加。 |
1939年9月 | 第二次世界大戦勃発。ソ連軍がポーランドに侵攻し、独ソ不可侵条約の秘密議定書に基づき、ポーランド西半分を白ロシアに編入。 |
1986年4月 | 隣国ウクライナでのチョルノービリ原発事故により多大な被害。 |
1991年9月 | 「白ロシア・ソヴィエト社会主義共和国」より「ベラルーシ共和国」へ国名変更。 |
1991年12月 | ロシア、ウクライナとともに独立国家共同体創設協定を締結。 |
1994年3月 | ベラルーシ共和国憲法制定 |
1994年 | 第1回大統領選挙。アレクサンドル・ルカシェンコが当選。 |
1996年11月 | 憲法改正の国民投票(大統領権限の大幅強化) |
1999年12月 | ベラルーシ・ロシア連合国家創設条約 |
2001年 | ルカシェンコ大統領二選 |
2004年10月 | 憲法改正の国民投票(大統領の三選禁止規定削除) |
2006年 | ルカシェンコ大統領三選 |
2010年 | ルカシェンコ大統領四選 |
2015年 | ルカシェンコ大統領五選 |
2020年8月 | 大統領選挙が実施され、中央選挙委員会はルカシェンコ現職大統領が約80%を得票した選挙結果を発表したが、選挙に不正があったとして、大規模な抗議活動がベラルーシ各地で発生。 |
2022年2月 | 憲法改正の国民投票(ベラルーシを非核化地帯及び中立なものとする目標に関する規定の修正、大統領の任期制限の復活等) |
政治体制・内政
1 政体
共和制
2 元首
アレクサンドル・ルカシェンコ大統領
3 議会
- 二院制
-
- 上院:
- 共和国院(定数64名、各州及びミンスク市議会代表、大統領指名議員、任期4年)
- 下院:
- 代表者院(定数110名、任期4年)
4 政府
- (1)首相
- ロマン・ゴロフチェンコ
- (2)外相
- ヴラジーミル・マケイ
5 内政
ルカシェンコ大統領が1994年の初当選以降、2015年の大統領選挙まで5期連続で当選。
2020年8月に実施された大統領選挙の前に、有力候補者3名が違法行為や手続の瑕疵(かし)を理由として選挙に立候補できない状況となった。選挙後、当局は、ルカシェンコ現職大統領が約80%を得票した一方、有力対立候補として注目されていたチハノフスカヤ氏の得票率は約10%との選挙結果を発表した。これに対し、選挙に不正があったとして、大規模な抗議活動がベラルーシ各地で発生し、治安部隊と衝突したが、当局による厳しい取締りにより徐々に下火となった。しかし、独立系メディアやNGOに対する大規模な捜索や関係者の拘束が行われるなど、人権状況の悪化が継続した。
ベラルーシは、1986年4月のチョルノービリ原発事故による最大の被害国とされ、2020年1月現在も国土の12%強が汚染されており、国民の約10%が汚染地域に居住している。1991年の独立から2020年までに、事故被害克服のために同国は総額231億ドルを支出。
外交・国防
1 外交
民族的な近さもあり伝統的な親ロシア国。1999年12月にベラルーシ・ロシア連合国家創設条約が署名され政治・経済・軍事の統合や社会生活における両国民の平等の実現等を目指したが、2005年以降統合プロセスは実質的に停止している。2021年11月、ロシアとの経済分野における統合深化を目指す28の分野別連合プログラムを含む文書が署名された。一方で、2015年1月には、対外統一市場の形成、域内の人・モノ・サービスの自由を発展させる狙いでユーラシア経済同盟が発足。現在加盟国は、ベラルーシ、ロシア、カザフスタン、アルメニア及びキルギスの5か国。
2020年の大統領選挙後、欧米諸国の多くは大統領選挙結果やルカシェンコ大統領の正統性を否定すると同時に、当局による暴力を批判し、米国、カナダ、EU、英国などは渡航制限及び資産凍結などの対ベラルーシ制裁を導入した。日本は、外務報道官談話を発出し、ベラルーシ当局に対して、市民の恣意的な拘束や力による弾圧を直ちに停止し、法の支配と民主主義の原則を遵守して国民対話に取り組み、事態に真摯に向き合うよう、強く求めた。
2021年5月、ベラルーシ上空を飛行していた民間航空機がミンスク空港に強制着陸させられ、搭乗していた独立系ジャーナリストらが拘束された。欧米諸国は本件を強く非難し、さらにベラルーシ航空機の自国への乗入れや上空通過を認めないなどの措置を取り、日本も航空分野における措置を取った。
同年夏頃以降、ベラルーシから隣接するポーランド、リトアニア及びラトビアへの越境者の数が例年と比べて急増し、特に11月以降、シェンゲン域内への越境を試みる者がベラルーシとポーランドの国境地帯に集結した。ポーランド側は当該地域の検問を閉鎖した上で軍を動員して警戒にあたるなど情勢が緊迫化した。これを受け、日本はG7各国と共に、ベラルーシ政権による通常ではない移住の企てを非難するG7外相声明を発出した。また日本は、国際移住機関(IOM) を通じた人道・医療支援実施のための緊急無償資金協力として50万米ドルを拠出した。
2022年になると、ウクライナ国境周辺地域においてロシア軍の増強などによりますます緊張が高まる中で、ベラルーシは、2月10日、ロシアとの合同軍事演習を開始し、同月24日に開始されたロシアによるウクライナ侵略では、自国領域の使用を通じてロシアを支えており、日本として、同国を強く非難した。今回の侵略に対するベラルーシの明白な関与に鑑み、3月以降、日本は、ルカシェンコ大統領を始めとする個人、団体への制裁措置や輸出管理措置などのベラルーシに対する制裁を導入した。
2 軍事力(2021年:Military Balance 2021)
地上軍と空軍・防空軍、特殊作戦軍等で構成。兵員45,350人、準軍事組織11万人(国境警備隊、警察、国内軍)。
経済
1 主要産業(産業別構造比)(2021年:ベラルーシ共和国国家統計委員会)
工業(27.1%)、商業(8.7%)、情報通信業(7.4%)、農林・水産業(6.8%)、建設業(5.1%)
2 国内総生産(GDP)(2021年:IMF)
682億ドル
3 一人当たりGDP(2021年:IMF)
7,300ドル
4 経済成長率(2021年:IMF)
2.3%
5 物価上昇率(2021年:IMF)
9.5%
6 失業率(2021年:IMF)
3.9%
7 総貿易額(2021年:ベラルーシ共和国国家統計委員会)
- (1)輸出 399億ドル
- (2)輸入 418億ドル
8 主要貿易相手国・地域(2021年:ベラルーシ共和国国家統計委員会)
- (1)輸出 ロシア(41%)、EU(24%)、ウクライナ(14%)、カザフスタン(2%)、中国(2%)
- (2)輸入 ロシア(57%)、EU(16%)、中国(10%)、ウクライナ(4%)、トルコ(2%)
9 通貨
ベラルーシ・ルーブル(BYN)
10 為替レート(2021年7月7日現在)
1ベラルーシ・ルーブル≒50円
11 経済概況
大型の国営企業が温存された旧ソ連的な管理経済体制を維持。旧ソ連時代の技術で比較的競争力のある工業製品(家電製品、トラクター、大型自動車、タイヤ等)の生産及び石油精製品・カリウム肥料の輸出で経済成長を維持してきたほか、近年はIT産業も発展している。一方、2008年には、経済危機によりIMF等に支援を要請。世界的に原油価格が下落したことにより、輸出市場の大半を占めるロシア経済が落ち込み、ベラルーシ経済にとって大きな打撃となった。最近では、2016年3月、ロシア主導のユーラシア安定化発展基金が、ベラルーシに対し3年間で20億ドルの融資を決定。なお、2016年7月には1/10000のデノミを実施した。
経済協力
我が国の援助実績(2017年3月末までの累積)
- (1)技術協力(研究員受入,専門家派遣,留学生受入) 281万ドル
- (2)非核化支援 638万ドル
- (3)草の根・人間の安全保障無償資金協力 366万ドル
二国間関係
1 政治関係
- (1)国家承認日
- 1991年12月28日
- (2)外交関係開設日
- 1992年1月26日
- (3)我が国大使館開館
- 1993年1月(在日ベラルーシ大使館は1995年7月に開館)
2 経済関係
(1)我が国の対ベラルーシ貿易(2021年:財務省貿易統計)
- (ア)輸出 26.3億円
- (イ)輸入 22.1億円
(2)主要品目(2021年:財務省貿易統計)
- (ア)輸出 機械類、石油製品、ゴム製品、
- (イ)輸入 カリ肥料、ミルク及びクリーム、繊維製品、科学光学機器
3 文化関係
両国大使館の広報・文化活動を通じた文化交流が行われている。ミンスク市と仙台市は姉妹都市関係。東日本大震災及び福島原発事故以降、仙台や福島の子どもたちのベラルーシ訪問など,チョルノービリ関連での民間交流が活発化。
4 在留邦人数(2021年10月時点:外務省海外在留邦人数調査統計)
79名
5 在日ベラルーシ人数(2021年6月:法務省統計)
360名
6 要人往来
年月 | 要人名 |
---|---|
2002年8月 | 松浪外務大臣政務官 |
2009年10月 | 大野衆議院議員(日ベラルーシ友好議連会長) |
2015年5月 | 城内実外務副大臣 |
2016年4月 | 山田美樹外務大臣政務官 |
2016年7月 | 若松謙維復興副大臣 |
2016年7月 | 衆議院友好促進議員団(佐田玄一郎日ベラルーシ友好議連会長) |
2018年8月 | 衆議院消費者問題特別委員会(櫻田義孝委員長) |
2018年8月 | 渡辺博道日ベラルーシ友好議員連盟会長 |
2019年6月 | 薗浦健太郎内閣総理大臣補佐官 |
2019年6月 | 渡辺博道復興大臣(日ベラルーシ友好議員連盟会長) |
年月 | 要人名 |
---|---|
1992年 | クズネツォフ最高会議第一副議長 |
1998年2月 | ルカシェンコ大統領(非公式:長野五輪) |
1999年6月 | ミャスニコヴィチ大統領府長官 |
2001年4月 | アヴラセヴィチ上院副議長他議員団 |
2003年10月 | ツェプカロ大統領補佐官 |
2012年12月 | ヴァシチェンコ非常事態相 |
2018年5月 | マラシコ保健相 |
2019年12月 | ヴァシチェンコ非常事態相 |
7 二国間条約・取極
- (1)1996年10月
- 日ソ間で結んだ条約の承継を確認。
- (2)2012年12月
- 「原子力発電所における事故へのその後の対応を推進するための協力に関する日本国政府とベラルーシ共和国政府との間の協定」を締結。2013年7月にミンスク、2015年3月に東京、同年11月にミンスクで、これまで計3回日・ベラルーシ原発事故後協力合同委員会を開催。