日本では9年間,ホテルやレストラン,結婚式場と大小さまざまな職場で料理人を務めてきました。そして,2008年4月,国際交流サービス協会を通じて,在ボストン日本国総領事館の辻優総領事(現駐クロアチア大使)とお会いし,ボストン総領事公邸の厨房やそれに携るすべての業務をまかせて頂く事となり,現在までボストン公邸料理人として,3人の総領事と仕事をさせていただきました。
日本では洋食のシェフとして従事してきたため,ボストンに着いてから和食の勉強を少しずつしてきました。そして,それまで自分の作った食事と,お客様の反応,地元ボストンの和食料理店や人気レストランのメニュー,日本より取り寄せた和食の本,総領事や夫人等からアイデアを取り入れることで少しずつ引き出しを増やし,一皿,一皿必ず「和」を表す味・食材・それ以外に感じさせるテイストを取り入れて表現してきました。
私にとって,勤務中の一番の苦労であり楽しみであるのが仕入れに行くことです。日本では電話ひとつで注文,配達までしてもらえるのが当たり前でしたが,いろいろと情報を集めて,自分の足を使い,目で見て,手に取って触り,メニュー作りの想像を膨らませて仕入れが出来ました。この経験はとっても貴重な事だと感じています。
仕入れの中でも,強く印象に残っているのが二つあります。一つは,「松茸!」。引原総領事夫人を通じて,長くボストンに住まれている日本人の方に案内をして頂き,日本でも最高の食材とされている「松茸」に出会うことが出来ました。人生で初めての松茸狩りは2時間ほど散策すると両手の紙袋が一杯になるほどで,初めて見つけた時の感動は一生涯忘れることが出来ず,今も考えているだけでドキドキしてきます。勿論,香り,歯ごたえ,食べた時のみずみずしさ,味と,どれを取っても日本の松茸に負けない品質でした。
もう一つはボストン近海の海の幸。地元のお寿司屋さんに色々と案内して頂き,ロブスター,ハマグリ,オイスター,そしてマグロ等。両手で持っていても大変な13ポンドもある大きなロブスターを調理した時の事も決して忘れられない思い出です。
このように自分で仕入れから調理まで行った料理を各分野で著名な方達に沢山食べて頂きました。その中でも聖路加病院で100歳を超えられた今でも現役の医師をされている,日野原重明先生には3度,自分の作った食事を食べて頂きました。ボストン-日本の長旅に加え滞在中の過密なスケジュールをこなされる中で,日野原先生は毎会食後に必ず自分の手をやさしく握ってくれて「ありがとう。ご馳走様」とやさしくお声を掛けてくれました。「公邸料理人」というこの仕事に就いて,大きく以前と変わった事があります。それは,それまで直接伝わって来なかった,お客様の反応です。以前では感じ取れなかったお客様の気持ちが,回を重ねるたびに敏感に伝わってくるのです。この事がモチベーションの維持,向上に繋がり,「会食の流れ全体」をより大きな視野で見ることを心掛けることが出来るようになりました。
こうして考えてみると自分がボストンで仕事もプライベートも充実を感じられたのは,側で支えてくれた総領事や夫人,少しずつ出来た友人がいたからです。この4年と3カ月は生涯忘れることのない思い出になっています。