平成19年11月29日インタビュー
記事作成 松田恵里 (学生)
「ブラジル」と聞いて、いったい何を思い浮かべるでしょうか?やはり、サンバ、サッカー、アマゾンなどが、初めに浮かぶでしょう。最近では、サトウキビなどのバイオエタノールの生産や、在日ブラジル人の存在などが社会の注視事項なのかもしれません。私自身は2006年の1年間ブラジルで生活し、その広大な国土や豊かな天然資源に驚くと同時に情感豊かな国民に魅せられ、21世紀の世界を牽引する国はブラジル以外にないと確信しました。
ただ残念なことに、ブラジルをはじめとする南米に対する日本の外交姿勢は地理的関係や歴史的経緯もあり、アジア・欧米諸国のそれと比較して、私たち国民にはよく理解されていないのが実情だと思います。だからこそ、日本の対ブラジル政策や日伯関係の目標、将来へ向かって取り組まなければならない事柄を、2008年に迫った日伯交流年を踏まえ中南米局・南米カリブ課、課長補佐の木村元氏に伺いたいと思います。
松田:2008年は、日本人のブラジル移住100周年にあたります。この間に、ブラジルと日本は関係を築いてきましたが、この日伯関係が持っている特徴はどのようなものでしょうか?
木村:日伯関係には、3つの大きな柱があると思います。
まず1つめは、移住者による人的なつながりです。日本には現在31万人のブラジルの方がいますが、これは日本における国籍別外国人登録者数としては第3位です。一方、ブラジルにいる日系人の数は140万人で、海外最大の日系社会となっています。1908年に初めて日本人を乗せた笠戸丸がブラジルに渡ってから100年経ちましたが、以降これだけ多くの人的移動があったのです。このような関係のある国は、日本にとってブラジルしかありません。
次に、2つ目ですが、日本とブラジルが、それぞれの地域のリーダーだということです。日本が経済や政治面でもアジアのリーダーシップを取れる国であることは確かであり、ブラジルもまた、南米におけるリーダーです。ブラジルの経済は現ルーラ大統領のもと年率約平均3.35%の成長率を維持し、GDPも世界で10位となっています。そして、この抜きんでた経済力を背景にして、国際社会での発言力を増しており、南米諸国を牽引する存在となってきています。このように、各々がアジアのリーダー、南米のリーダーであることが、二国間関係のみならず、国際社会に与える影響は大きいと考えています。
最後は、ブラジルが世界的活動(global issue)に強い関心を抱くようになってきたことです。例えば、気候変動などの環境問題、国連改革、軍縮・核不拡散、WTOに対する取り組みなどです。これらは、日本も重要な政策として位置づけているので、これからは両国がますます関係を強化できる場が増えてくでしょう。特に、国連・安保理改革では、2004年から、ブラジルと日本はドイツやインドとともに、G4として国連安保理常任理事国入りを目指して協力しています。現在は小康状態となってはいますが、これからの動向が注目されています。
松田:まず、日伯関係の柱の一つとして、移住者による人的つながりをあげられていましたが、これが、日伯外交に与えるメリットとは、具体的にどのようなものでしょか?
木村:ひとつめは、「日本のプラス・イメージ」を作るのに役立つということです。ブラジルで日本人は、「japonês garantido」といわれていますが、これは、「信用できる日本人」という意味で、しばしば日本人を表わす言葉として使われています。こうした印象が生まれたのは、移住者としてブラジルに渡った日系の方々のおかげです。移住後すぐはコーヒーなどのブラジル農業に重要な役割を果たし、現在でも子孫である2世、3世は、その勤勉さと教育程度の高さから、比較的社会的地位が高い医者、弁護士、教員、芸術・文化等の職業についている方が多いといわれます。私が現地に駐在しているときも、ブラジル人は日本に対し、大変よい印象を持っている人がほとんどでしたから、仕事が大変やりやすく、多くの人に助けられたのを覚えています。
次に、多くの日系人がいるということは、それだけ日本に関心がある大きな集団の存在を意味します。彼らは日本とブラジルの架け橋となってくれます。
そして最後に、在日ブラジル人の労働力が今や、日本の経済には欠かすことのできないという事実です。特に群馬県の大泉町や、岐阜県の美濃加茂市のように、人口の10%が外国人という町では、彼らがいなければ、街の産業は成り立たないでしょう。
このように、移住者によるブラジルと日本のつながりは、重要な外交の資産といえます。
松田:外交の資産といえば、日本文化もそうした役割を果たしてくれているように思います。いかがでしょうか?
木村:文化は、日本外交の重要な要素です。ブラジルには日系人の影響もあってか、親日家が大変多いのも特徴です。私がブラジルに勤務していたときも、さまざまなイベントを行ったのですが、琴や尺八のコンサートなどは、ほとんど満員になるほどの人気でした。また、カトリック大学での日本語弁論大会では、参加者45人のうち、日系人は日本人とのハーフの1人だけであとはごくフツーのブラジル人でした。これは、日本文化は日系人の間だけでなく、ブラジル人の間にも広く伝わっていることを意味すると考えています。その他にも和食やアニメといったものを含め、文化資産は日本の外交にとって、とても大きな力になります。
これからの日伯関係では、このような人的つながりや文化といったようなソフト・パワーによる外交が重要であるように思います。
松田:日伯関係では、今教えていただいたようにソフト・パワーによる外交が重要な位置を占めることが分かりました。しかし、それとともに、やはり経済も日伯関係では重要な事項になると思います。ブラジルと日本の経済的関係について教えてください。
木村:ブラジルとの経済関係が活発になったのは、最近になってからと思う人もいるかもしれませんが、実は、1960年代から1970年代にかけて、日本では「ブラジル投資ブーム」が起こりました。多くの企業がブラジルに進出しようとしました。その数は300社以上あったそうです。例えば、最近新日鉄の子会社になったウジミナス製鉄所は、はじめは八幡製鉄所(現新日鉄)を中心とした日本企業とブラジルの合弁会社としてスタートしました。また、カラジャス鉱山に対しても、日本は技術協力と資金援助を行っています。そして、ブラジルの内陸に位置するセラードと呼ばれる地域はかつて、酸性のため植物がほとんど育たない土地でしたが、日本の技術支援で農業ができるまでに改善し、今では、ブラジルの穀倉地帯と呼ばれるほどになっています。
このように、70年代までは鉄鋼生産やセラード開発計画などの資源・食糧分野での大規模なナショナル・プロジェクトを通じて、日伯間の経済パートナーシップは堅固なものとなっていました。しかし、80年代にはじまるブラジルのハイパー・インフレ、90年代の日本のバブル崩壊などにより、貿易や投資はともに減少し、日伯関係は弱くなってしまいました。これは、今から思うと、当時の日伯関係が企業間だけに依存した経済的関係であったからであろうと思います。換言すれば、経済面にだけ依存した、希薄な関係であったのでしょう。
ただ、2000年代に入り、ブラジルと日本の関係は新たな局面に入りつつあると思います。ブラジルはもともと、鉱山資源をはじめとする豊富な資源を有し、かつ広大な国土を持っています。また近年では、自動車・航空機・バイオ技術・コンピューターソフトなどの工業やハイテク産業での成長が著しく、政治的にも安定してきており、日本と再び良いパートナーシップを築いていくにふさわしい国であるといえます。
松田:日本は、中南米の中では、メキシコ、チリとすでにEPA(経済連携協定)を結んでいますが、ブラジルとEPA、またはFTA(自由貿易協定)を締結する取り組みは進んでいますか?
木村:ブラジルはアルゼンチンやウルグアイ・パラグアイといった南米諸国とメルコスールという関税同盟に加盟しているので、日本がFTAやEPAを締結するのであれば、メルコスールと協定を結ばなくてはなりません。しかし、正直に言って、まだブラジルと日本の双方とも、FTAやEPAに対する関心は低いですね。FTA、EPA締結によって、貿易額が断然違ってくるのは明らかですから、締結するに越したことはありませんが、問題は農業でしょう。ブラジルの輸出の40%は農業関連ですから、農業関連輸出の大きな伸びが期待できない国とFTAを結ぶインセンティブはありません。日本側としては、まず近隣のアジア諸国を最優先したいと思っています。しかし、ブラジル担当としての個人としては対チリとのEPA が大きな効果をあげ、対ブラジル貿易額を超えていること、EUの対ブラジル投資の増加等も考えると、できるだけ早くFTAができれば良いと思います。
松田:先ほどの日伯関係の3本柱の話に戻りますが、ブラジルが南米のリーダーとなり、また、世界的活動に関心を持つようになってきたとのことですが、このようにブラジルの存在が国際社会で大きくなってきたのはなぜでしょうか?
木村:まずひとつには、世界そのものがグローバル化してきたことがあげられるでしょう。以前のブラジルは、どちらかといえば、世界の表舞台からは隠れているような存在でした。しかし、グローバル化の潮流のなかでは否応無しに世界の主要案件に関わらざるを得なくなったといえます。
次に、先ほども言いましたように、ブラジルが経済面で確実に力をつけてきていることがあげられるでしょう。それにともなって、南米諸国間だけでなく国連において、また世界的にも力をつけつつあるのです。
そして最後に、この積極外交そのものがブラジルの国策なのだということです。現職のルーラ大統領は、第一の公約として、「貧困対策」を据えています。この目標のために、積極外交を進めていこうというのです。どういうことかというと、もともとルーラ大統領は、労働組合の長から政治家になり、弱者が団結して、強者に対抗していこうとする政治姿勢の持ち主です。この姿勢は外交でも発揮され、ブラジルは、途上国の代表となって彼らを団結させ、先進国に対抗し、自分たちに有利なシステムを作り上げようとします。そのシステムによって、国内からだけではなく、国外から利益を生み出し、貧困をなくしていこうとしているのです。
このように、ブラジルは積極外交を自国にとって重要な国策と位置づけるようになったということができます。
松田:これからもブラジルの積極姿勢は変わらないのでしょうか?
木村:そうですね。ブラジルの積極姿勢、ひいては世界的重要性はこのまま変わらないと思います。米国との関係でも、本年3月の首脳相互訪問に見られるように関係強化が進んでいます。これは、ひとつにはブラジルの国際的な地位の上昇の結果であり、米国はブラジルに南米における政治的・経済的スタビライザーになることを期待しています。
松田:対ブラジル外交において、外務省としてはどのようなことを行っているのですか?
私たち国民からすると、外務省の仕事というのは、少し漠然としすぎていて、分かりにくいのですが…
木村:一口に対ブラジル外交といっても多岐にわたるので一概には言えませんが、大体の件に関しては外務省が関わっているといっていいと思います。
例えば、最近注目を集めている在日ブラジル人関係の仕事があります。但し、これは案件が多岐にわたっており、在日ブラジル人の社会保障関係では厚生労働省が、国外犯処罰では法務省と警察庁が、そして在日ブラジル人の子弟の教育では文部科学省が関係するように、政府内でも関係省庁は様々です。外務省はこれら関係省庁の意見を調整し、一本化してブラジル政府と交渉しています。
その他には、例えば、私たち南米カリブ課のブラジル班は日伯交流年実行委員会の事務局となっていることもあり、私は、2008年の日伯交流年の準備が最近の主な仕事となっています。本当に忙しく、毎日終電で帰っています。
松田:あと1カ月で日伯交流年ということで、やはりお忙しいのですね。2008年の交流年を通して、どのようなメリットがうまれるのでしょうか?
木村:私たちは、日本とブラジルの関係がさらに良くなっていくことを望んでいます。先にも述べたように、これからの日伯関係は、経済はもちろんのこと、文化や人的交流といったソフト・パワーでの結びつきを強めていかなくてはなりません。2008年の交流年には、すでに企業や自治体など180団体が参加しており、各々が、経済、社会、文化、芸術、学術、観光、スポーツなど幅広い分野での交流を行う予定です。これらを通して、長続きのする二国間関係の緊密化を達成できればと思います。
松田:では、最後に、木村さんにとっての「ブラジル」とは何か、教えてください。
木村:ブラジルは、私にとってのもう一つの母国のようなものだと思います。ブラジルに行くときは、いつも「出かける」のではなく、「帰る」のだと思ってしまいます。ブラジルはほんとうにsimpático(感じのよい、心地よい)な国で、向こうにいるときはいろいろな人に助けてもらいました。ですから、2008年の日伯交流年を通して、より多くの皆さんにブラジルという国を知っていただきたいと考えています。
松田:本日はどうもありがとうございました。
木村さんに「私の母国です」とまで言わしめたブラジル。私もそうでしたが、訪れた人を魅了してやまない国です。残念ながら、まだ対アジア外交に比べその重要性は認識されていませんが、その潜在的可能性は測り知れません。2008年の日伯交流年では、両国が日伯関係を意識し、しかし、両国が経済面だけでなく、政治や文化面でもさらに良いパートナーシップを築いていける試金石になることが期待されます。