特別展示「日中戦争と日本外交」
広田外相は事変の収拾に向けて,昭和12年11月上旬,ドイツに和平の斡旋を要請しました。これを受けてドイツのトラウトマン駐華大使が中国側の意向を打診しましたが,中国政府は日本の和平提案を拒絶しました。その後,戦局が日本に有利に展開すると,12月はじめ,トラウトマン大使は中国に再度和平を勧告し,その結果,中国側は11月に拒絶した講和条件を基礎として交渉に応じる意向を示しました。これに対し日本は12月22日,賠償要求などを加えた新条件を,ドイツを通じて中国側へ提示しました。
昭和13年1月14日,ドイツを通じて中国政府の回答が日本へもたらされましたが,それは講和条件の詳細な内容を照会したものでした。日本はこの回答を遷延策に過ぎず,誠意が認められないとして交渉打ち切りを決定しました。そして1月16日,「爾後国民政府ヲ対手トセズ」との政府声明を発表しました。
昭和12年10月6日,国際連盟総会は,日本の軍事行動が「中国に関する九国条約」(中国の領土保全や門戸開放などを確認した条約,1922年2月6日調印)に違反すると断定し,同条約の関係国が紛争の平和的解決をめざして国際会議を開催すべきとの決議を採択しました。これによりベルギーのブリュッセルで九国条約関係国会議が開催されることになり,日本にも招請状が届きました。これに対し日本政府は,連盟決議に拘束される諸国と協議しても公正な結果は期待できないとして,10月27日,参加招請を拒絶しました。
外務省はこれに先立つ10月21日,日本を被告の地位に置くような干渉・調停は排斥するが,軍事行動の目的がほぼ達成された時期には,第三国の公正な和平斡旋を受理する方針を決定し,翌22日には陸海軍両省との間で三省決定としました。広田外相は外務省決定に「日本ガ九国会議参加拒絶ノ際英米独伊等ニ此意向ヲ内示スルコト可然(しかるべし)」との意見を書き込みましたが,その横には「此点陸海軍不賛成」と書かれており,第三国へ和平斡旋を性急に要請することには,軍部に反対があったことがうかがわれます。
参謀本部は,12月22日に提示した講和条件では和平達成は厳しいと判断し,御前会議(天皇が臨席して重要国策を決める会議)を開催して,ややもすれば侵略的に傾くおそれのある国内の趨勢を予防し,日中国交再建の根本方針を確立するよう求めました。この結果,昭和13年1月11日に御前会議が開かれ(日露戦争以来,久しぶりに開催),「支那事変処理根本方針」が決定されました。
同方針では,中国の現中央政府(国民政府)が誠意をもって講和を求めれば,提案中の講和条件に準拠して交渉を行い,国民政府が講和条件を実行することが確認されれば,日本は講和条件中の保障条項(華北や華中への非武装地帯設定など)を解消し,同時に治外法権や租界の撤廃を検討して,中国の復興・発展に協力する旨を定めました。ただしその一方で,国民政府が講和に応じない場合は,以後は同政府を相手とする事変解決に期待せず,新中央政権の成立を助長し,新政権との国交調整を進める旨も決定しました。この決定は電報(合第98号)によって関係公館に伝えられました。
日本の講和条件に対する中国政府の回答は,1月14日,ドイツを通じて日本へ伝えられましたが,それは講和条件の詳細な内容を照会したものでした。広田外相は「この回答は遷延策と見るほかなく,誠意が認められない」との印象をディルクセン大使に語りました。その後開かれた大本営政府連絡会議では,和平交渉を継続すべきかどうかについて議論が重ねられました。交渉継続の意見もありましたが,結局,日本は打ち切りを決定しました。そして1月16日,広田外相よりディルクセン大使に和平交渉の打ち切りを通告するとともに,「爾後国民政府ヲ対手トセズ」との政府声明を発表しました。
石射猪太郎
昭和13年1月16日の「国民政府ヲ対手トセズ」声明によって,事変終結は国民政府が壊滅されるか,新中央政権の下に国民政府が収容されることが前提となりましたが,国民政府は首都南京が陥落した後も,漢口に退いて徹底抗戦の構えを堅持しており,事態は長期化の様相を示しました。石射猪太郎(いしい・いたろう)東亜局長は,日本軍が近く漢口を攻略したとしても,国民政府は奥地に遁走して抗戦を継続すると思われるので,時局収拾のためには,国民政府を相手とした和平交渉を行うよりほかに手はなく,勇気をもって政策の大転回を図るべきであると,宇垣一成(うがき・かずしげ)外相に献策しました。宇垣外相も自分の所見に概ね合致することを認め,同外相の指示の下,香港で中村豊一(なかむら・とよいち)総領事が国民政府側と和平交渉を行いました。しかしこの交渉は,講和条件の一つである蒋介石の下野をめぐって行き詰まり,10月下旬の広東・漢口陥落という軍事情勢もあいまって,和平の機運は遠のくに至りました。
こうした状況のもと,日本政府は11月3日,事変究極の目的は東亜新秩序の建設にあり,国民政府が従来の政策を転換して新秩序建設に参加するならばこれを拒否しない旨を表明しました(「東亜新秩序声明」)。