堀義貴公使
1935年2月、広田弘毅(ひろた・こうき)外務大臣は、当時すでにメキシコに駐在していた堀義貴(ほり・よしあつ)公使を、エルサルバドル、グアテマラ、ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカの5ヶ国へ兼任公使として着任させることを岡田啓介(おかだ・けいすけ)内閣総理大臣に請議し、承認を得た。
この時の理由として強調されたのは、中米地域における商権の擁護および拡張であったが、一方、この時期、通商以外の面でも、日本と中米諸国との間に親善関係が見られるようになっていた。
すでに日本に総領事を派遣していたエルサルバドルは、1933年に移民法を改正して日本人に対する入国禁止を是正し、翌34年には他国に先駆けて「満州国」を承認するなど日本寄りの政策を採っていた。ニカラグアは、1934年秋に東京で開催された万国赤十字会議にエスピノザ副大統領を派遣し、総領事を駐派するなど日本との関係が深まっていた。また、エルサルバドルおよびコスタリカとは当時通商条約の締結交渉が進行中であった。
堀公使は1935年6月から8月にかけてこれら諸国の大統領を訪問して信任状を捧呈し、各国大統領からは答翰の親書が送られた(展示史料18-21)。こうして日本と中米5ヶ国との間に正式な外交関係が樹立された。