外務本省

外交関係樹立以前の関係を示す国書・親書など

7.ホセ・マドリッツ大統領(ニカラグア)より明治天皇宛親書(1909年12月27日)

8.マニュエル・ボニラ大統領(ホンジュラス)より明治天皇宛親書(1912年2月6日)

9.エラディオ・ヴィクトリア大統領(ドミニカ共和国)より明治天皇宛親書(1912年2月28日)

10.ジュリオ・アコスタ大統領(コスタリカ)より大正天皇宛電報(1923年9月10日)(西文・和訳文)およびその返信(同年9月11日)

11.屋須弘平の旅券発給記録(1875年1月31日)

12.屋須弘平肖像写真(12.13.の写真は岩手県藤沢町文化交流センター所蔵)

13.写真「十字架の丘から見たボルカン・デ・アグア山とアンティグアの町」

(写真)展示史料 13
展示史料 13

1935年に正式な外交関係が樹立される以前から、日本と中米諸国との間には様々な交流が行われていた。中米諸国からは、大統領が交代するたびに、その旨を伝える親書が届けられており(展示史料7-9)、また、関東大震災(1923年)の際には、コスタリカ(展示史料10)や、パナマ、ニカラグアから御見舞いの電報が寄せられている。

他方、中米諸国との間には人的交流も行われていた。その代表的な人物が屋須弘平(やす・こうへい)である。1844年現在の岩手県に生まれた屋須は、金星の太陽面通過を観測するために日本を訪れたメキシコの天文観測隊の通訳を務めたのち、同隊と共にメキシコへ渡航(1875年)。その後、1878年にグアテマラに渡り、グアテマラ市で「フォトグラファ・ハポネッサ」という写真館を開いた。1889年に一時帰国した後、1890年に再びグアテマラ市で写真館を設立。1895年にはアンティグア市へ移転して写真館を経営し、1917年同地で死去するまで、風景や宗教儀式などに関する数多くの写真を残した(展示史料13)。また、1905年に来日したグアテマラ人のエンリケ・ゴメス・カリージョは、"El Japon: herico y galante"(『誇り高く優雅な国、日本』)を著し、中米のみならず世界に広く日本文化を紹介した。

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