展示史料 3
展示史料 6
1888年に日本とメキシコとの間に結ばれた日墨修好通商条約(相互の通商航海の自由・安全を保障し、治外法権を認めない平等条約。常設展示にレプリカを出陳中)を契機として、日本と中米諸国との間にも通商条約を締結しようとする機運が高まった。
1892年に在米ニカラグア公使より通商条約締結の申し入れが行われたことを最初として、1890年代以降、グアテマラ、エルサルバドル、パナマとの条約締結交渉が進められた。こうした通商条約締結交渉を促した背景には、日本側にニカラグアないしパナマ運河落成後の欧米諸国との貿易拡大への期待が高かったことや、自国の産業(グアテマラのコーヒー栽培やパナマ運河開鑿工事など)に従事する日本人労働者を招き入れたいとする中米諸国側の思惑があった。しかし、ニカラグアとの交渉のように、条約草案を作成してそれに閣議での裁可を得るなど条約締結直前まで至ったものもあったが、中米諸国の政治的混乱や日本人労働者の受け入れ条件などをめぐって交渉は難航し、結局、調印に至ったのは1930年の「日本・パナマ間友好通商航海条約」(展示史料6)のみであった。