平成22年3月12日,外交史料館において開催した講演会の記録。本講演では「蒋介石と日本」の枠にとどまらず,20世紀における中国政治の構造的連続性の中で,蒋介石の政治指導をどのように位置づけるのかという問題意識を軸として,多様な角度から蒋介石という人物についての考察を行っている。
平成22年3月5日,外交史料館で行なわれた研究会の記録。ベトナム戦争をめぐる日本外交の展開を通して,パックス・アメリカーナの変容に直面した日本の東南アジア外交の性格について,日本のベトナム和平工作やインドシナ戦後復興構想,アジア地域主義的枠組みをめぐる動きと,それに対するアメリカや東南アジア諸国の反応に焦点を当てながら考察を行った。
平成22年12月10日,外交史料館で行なわれた座談会の記録。「公文書管理法」や「外交記録公開に関する規則」の成立,デジタルアーカイブの促進など,国内外の外交文書公開施設(「外交アーカイブ」)をめぐる新たな動向を踏まえて,「外交アーカイブ」に求められている機能や役割,とりわけ日本の「外交アーカイブ」である外交史料館に今後期待される役割等についての検討を行った。
昭和14年8月21日,独ソ不可侵条約締結決定の報を受けた日本政府は衝撃と当惑に包まれ,そのあおりをうけて平沼騏一郎内閣は総辞職した。本稿は,この独ソ協定が日本にとって本当に予想を超えた出来事であったのか,協定成立の兆候をとらえた情報はなかったのかなどといった独ソ提携の可能性の予測をめぐる問題について,いくつかの関連史料から検討を行った。
本稿は,昭和38年7月にケネディ政権が提起したドル防衛政策,とりわけ「利子平衡税」をめぐる日米交渉を検証し,当該期における日米関係を国際金融という側面から明らかにすることを目的としたものである。米国政府はドル防衛の観点から,米国からのドル流出規制策として「利子平衡税」を創設したが,それは米国からの長期資本導入により経済成長を実現しようとする日本政府の経済政策と背馳するものであった。この問題を解消するため,日米間ではハイレベルの交渉が行われ,最終的には,日本を国際金融システムの一員に加えるとの立場から米国が日本への特別措置を講じることとなり,交渉は妥結した。
1930年代,日中関係が激化する中で日本に向けられた国際的な圧力は,日本の対中政策決定に大きな影響を及ぼしたと考えられるが,フランスの対日対応はその中でやや特異かつ異例な性質を伴っていた。本稿では,そうした問題意識を踏まえ,フランス外務省政務通商局長のレジェーに対する日本政府の叙勲に関して,特に上奏案をめぐる問題点を解説したものである。
昭和16年春の松岡訪欧の際に行われた松岡外相とヒトラー総統及びリッベントロップ外相との会談についてはこれまでドイツ側作成の会談記録によってその内容が知られていたが,外交史料館が所蔵する日本側会談記録の存在を紹介し,その意義について考察したもの。
皇紀2600年奉祝行事として計画された昭和15年の「日本万国博覧会」計画については,「国際博覧会に関する条約」(昭和3年調印)の適用問題によって開催が危ぶまれた事実が知られているが,その問題を回避すべく行なわれた外交交渉に言及されることは少ない。本稿では,条約問題の回避に向けたパリでの博覧会国際事務局と在仏日本大使館との交渉に関する外務省記録を,同計画と同時期に予定された米国の万博への参加問題などにも触れつつ紹介する。
平成22年7月から10月まで開催された特別展示についての解説記事。同年は,アジアで最初の開催となった「日本万国博覧会」(大阪万博)から40年にあたった。これにちなみ,本特別展示では,幕末から大阪万博開催に至る100年あまりの日本と万博との関係を外交史料館所蔵史料で振り返るという趣旨のもと,幕末のパリ万博関係史料や,大阪万博の要人記念アルバムなどが展示された。
平成3年度に「外交史料館所蔵史料保存管理検討委員会」が行った戦前期外務省記録の劣化調査をもとに,平成21年度に追跡調査を行った。この調査は,経年による史料の劣化進行度を確認し,今後の補修・保存業務に役立てることを目的としたもので,本稿では調査結果について報告している。
平成22年1月に刊行された特集「太平洋戦争」(太平洋戦争開戦から降伏調印までの外務省記録を特集形式により編纂し,3冊に分けて刊行したもの)の概要を紹介。
平成21年4月より22年12月までの外交史料館における主なニュース。(1)外交記録公開,(2)所蔵記録のマイクロフィルム・デジタル化の実施,(3)展示,(4)「須磨弥吉郎関係文書」の公開。