前原外交を語る

日中関係:尖閣諸島は日本固有の領土

大臣の参議院における答弁
(平成22年9月28日(火曜日):参議院外交防衛委員会)

【大臣】(山本香苗議員の質問に答えて)尖閣諸島は,1885年以降,政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行い,単にこれが無人島であるのみならず,清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重に確認の上,1895年1月14日に現地に標杭,くいですね,標くいを建設する旨の閣議決定を行って正式に我が国の領土に編入をいたしました。このように,我が国は,国際法上,先占と呼ばれる行為に,先に占領するの先占と呼ばれる行為によりまして尖閣諸島の領有権を取得をいたしました。
 同諸島は,以来,歴史的に一貫して我が国の領土たる南西諸島の一部を構成しておりまして,1895年5月発効の下関条約第二条に基づき我が国が清国から割譲を受けた台湾及び澎湖諸島には含まれておりません。また,サンフランシスコ平和条約においても,尖閣諸島は,同条約第二条に基づき我が国が放棄した領土,つまりは,第二条というのはこれは台湾と澎湖列島でありますけれども,このうちには含まれておらず,同条約第三条に基づき南西諸島の一部としてアメリカ合衆国の施政下に置かれて,1971年の沖縄返還協定,琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定によりまして我が国に施政権が返還された地域に含まれております。
 このように,尖閣諸島が我が国固有の領土であることは歴史的にも国際法上も疑いのないところでありまして,現に我が国はこれを有効に支配をしております。したがって,尖閣諸島をめぐり解決すべき領有権の問題はそもそも存在していないと考えております。我が国の領土たる尖閣諸島の領有権について中国政府が独自の主張を開始したのは1970年代以降であり,それ以前にはそのような主張は全く行われていませんでした。サンフランシスコ平和条約第三条に基づき米国の施政権下に置かれた地域に同諸島が含まれている事実に対しても,何ら異議を唱えておりません。
 また,1953年の人民日報の記事,これはどういう記事かと申しますと,1953年1月8日の人民日報記事,琉球諸島における人々の米国占領反対の闘いという記事でありますが,琉球諸島は我が国の台湾東北部及び日本の九州南西部の間の海上に散在しており,尖閣諸島,先島諸島,大東諸島,沖縄諸島,大島諸島,トカラ諸島,大隈諸島の七組の島嶼から成ると。こういうことで,人民日報も要はこの1953年時点では,沖縄の琉球諸島の一部を構成している7つの組の島嶼の1つだということを言っているわけですね。そして,1960年発行の中国世界地図集では,尖閣諸島が沖縄に属することも認めております。

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