大洋州

最終回 北野貴裕×ソロモン諸島​

平成30年5月16日

 今週5月18日~19日にかけて,福島県いわき市において「第8回太平洋・島サミット(PALM8)」が開催され,太平洋島嶼国・地域の首脳が訪日します。
 PALM8開催に合わせ,太平洋の国々や開催地である福島県とご縁のある著名人の方々にインタビューを行い,島での思い出や日本と島嶼国の絆について語っていただきました(全6回連載)。聞き手と記事作成は,隔月刊誌『外交』編集部です。
 いよいよPALM8開催が迫ってきました!最終回となる今回は,ソロモン諸島やパプアニューギニア,サモア,トンガなど太平洋島嶼国,さらにアジア・中東・アフリカなどでも事業を展開する北野建設の代表取締役社長,北野貴裕さんにお話を伺いました。

【最終回インタビュー】

北野貴裕×ソロモン諸島 日本らしい国際協力とは

(写真1)きたの たかひろ 北野建設代表取締役社長

きたの たかひろ 北野建設代表取締役社長
 1963年生まれ。祖父,父が創業した北野建設株式会社に入社。副社長などを経て2007年より現職。在京ソロモン諸島名誉領事,太平洋協会会長,全日本スキー連盟会長も務める。同社は,国内はもとより,ソロモン諸島やパプアニューギニア,サモア,トンガなど太平洋島嶼国,さらにアジア・中東・アフリカなどでも積極的に事業を展開している。

漁業基地を起点にした町づくりに取り組む

北野建設といえば,平昌オリンピックでの渡部暁斗選手の活躍が記憶に新しいですね。

北野 当社は長野県で創業した建設会社ですので,ウィンタースポーツへの支援には力を入れています。皆様のご支援のおかげで,ノルディック複合個人で銀メダルを獲得できました。

そのイメージが強いだけに,太平洋のソロモン諸島と関係が深いとは,意外な感じがします。

北野 当社の創業者である父・北野次登は学徒出陣で戦争に行き,海軍の特攻隊員として北方の守備隊で終戦を迎えましたが,南方で同期の友人がたくさん命を落としています。戦友へ思いもあったのでしょう。戦後における東南アジアへの賠償・技術協力に積極的に取り組んで,インドネシアなどの事業に参加しました。いまの政府開発援助(ODA)の原型のようなものですね。それが,弊社とアジア・大洋州の国々とのつながりの始まりです。

ソロモン諸島では,さまざまな事業を展開されています。

北野 私どもが初めてソロモンで事業を行ったのは,1980年初頭でした。ソロモン政府からの委託によるギゾ島での水産センター建設や,日本のODAによる水産業振興で,ニュージョージア島のノロに大洋漁業(現マルハニチロ)が漁業基地「ソロモンタイヨー」をつくることになり,これらを当社が請け負ったのがきっかけです。
 一口に漁業基地といっても,港湾や道路といったインフラから,冷凍倉庫や缶詰などをつくる加工工場,さらに人々が駐在できる宿舎に至るまで,その中身は多岐にわたります。一つの町を創りだすようなプロジェクトです。初めてソロモンに行かれる方は,飛行機の窓から見下ろして,「こんなところに立派な町がある!」と驚かれるのではないでしょうか。

組織運営のマインドを育てる

(写真2)ソロモン諸島での叙勲式典(本人提供) ソロモン諸島での叙勲式典(本人提供)

その後,首都ホニアラでも事業を展開されます。

北野 病院や国会議事堂,国際空港の建設といった大きなプロジェクトを手掛け,ホテル事業へも参入しました。漁業基地建設を進めるなかで現地の皆さんが我々を信頼してくださったのだと思います。

ホニアラは第二次大戦の激戦地,ガダルカナル島にあります。厳しい反応はなかったですか。

北野 戦地にはなりましたが,戦闘に巻き込まれた人はほとんどいないこともあって,日本に対しても米国に対しても,感情的なしこりのようなものはほとんどないと思います。むしろ親日的な国ではないでしょうか。

北野建設とソロモンと良好な関係はいまも続いています。

北野 そうなったのは,ホテルの影響が大きいですね。経営不振に陥っていた国営ホテルを引き継ぎ,1989年に「ソロモン キタノ メンダナ ホテル」を開業しました。ホテル経営は地域に根を張って進める事業です。地元に信用されないと,地域の交流の場として利用してもらえません。他方で,観光や周辺の島嶼国政府からの訪問など,外部のお客さまもたくさん迎えています。当時はほかに大型ホテルがなく,その意味でソロモンの「顔」にもなるわけですから,腰を据えて取り組んできました。開業からだいぶ年月が経過してきましたので,今後も追加の投資を考えているところです。

ホテル経営は現地の雇用創出にも役立ちますね。

北野 そうですね。ただ,マネージャークラスになると,やはり数が限られます。ソロモン諸島が抱える課題の一つは教育,なかでも高等教育です。総督をはじめ国会議員や官僚,地域の有力者の多くは海外,特にかつて英国領だったので,英国で高等教育を学んだ方が多いのですが,一般の国民にはそのような機会がありません。そのギャップをどう埋めるかは,今後のソロモン諸島の発展にとって鍵になると思います。ただ,ソロモンにはソロモンのライフスタイルがあるのも事実で,それを急激に変えるのも,また難しいところではありますが……。

どのようなライフスタイルですか。

北野 ソロモンでは総人口の八割くらいは村落に居住し,自給自足に近い生活をしています。だから統計上は最貧国になるのかもしれませんが,貨幣経済に染まっていないだけで,生きていくことには困りません。ある意味では「豊かな」国なのです。だから欲もあまりなくて,「ビールを買うから,少しお金が欲しいな」というくらい。ただ,その水準を超えようとすると,高等教育を受ける機会,そのための収入を得る手段は,かなり限られるという悩みがあります。

主要産業は何ですか。

北野 コプラや木材などの農業,それに漁業が主たるところです。時々ビジネスができる人がいると思うと,かつてソロモンタイヨーで働いていたという人が少なくないですね。

ビジネスのマインドも育てていたのですね。

北野 国際協力でもビジネスでも,日本はシステムや人材を育て,現地に残そうとします。これはよい意味で「日本らしさ」ですね。ソロモンには日本以外の援助も入っていますが,多くの場合,現地の人をただの労働力にとどめてしまい,マネジメントの部分は外国人が独占してしまいがちです。日本の場合は,組織全体をどう動かすか,そこでの自分の役割は何かを意識させるので,自然とマネジメントの感覚が生まれるのでしょう。大洋漁業さんが残されたものは,大きいと思います。

日本では在留ソロモン人の親代わりも

北野さんは,ソロモン諸島の名誉領事も務めています。

北野 日本におけるソロモン諸島の窓口として,在留ソロモン人と連絡を取り合ったり,両国の架け橋として友好親善を深める活動を行っています。日本に在留しているソロモン人は,50人くらいですかね。全国に散らばっていますので,年に1回,独立記念日にはみんなで集まります。時には親代わりになるなど,常日頃からのつながりが,いざというときには役に立つものです。続けないと,信頼関係は生まれません。

みなさん,どのような目的でいらっしゃるのですか。

北野 勉強に来ている人がほとんどです。その後,そのまま日本企業で働く人もいます。

友好親善という点では,いかがですか。

北野 さまざまな機会を通じて,ソロモンのよさをお伝えできればと思います。昨年,観光省と提携してソロモン観光局日本事務所を立ち上げました。これまで,戦争の慰霊や遺骨収集で訪問された方々がたくさんいらっしゃいます。そのような歴史を大切にしつつ,若い方にも観光に訪れていただきたいですね。

人口増加の問題を共に議論したい

北野さんは,太平洋・島サミットに向けた有識者会合のメンバーも務められています。何を期待されますか。

北野 日本の国際協力は,現地に根差し,インフラや技術移転に加えて,システムや人材の育成を大切にしてきた点に特長があります。それは各国からも高く評価されているし,今後もそうあってほしいと思います。
 他方で,この地域でも中国の影響力が高まっており,そのなかには,目先の水産資源や鉱物資源を狙った強引な「協力」もないではありません。短期的には中国の手法に魅力を感じてしまう国もあるでしょう。しかし,あとで振り返って「日本のやり方がよかった」では遅い場合もあります。その意味では,日本ももう一歩踏み込んで,アドバイザー役の人物を各国政府の要所要所に派遣し,常日頃からのコミュニケーション,意識の共有に取り組むべきではないでしょうか。しかもできるだけ長期にわたって行うことが大事です。

継続的なコミットメントが重要なのですね。

北野 現地のことを理解し,信頼関係を醸成するには,相応の時間が必要です。ソロモンは2000年前後に,治安が乱れた時期がありました。いろいろな場所が焼き討ちされたのですが,キタノ メンダナ ホテルはそのような被害は一切ありませんでした。私たちの事業が地域に役立っていることを理解してもらったのだと感じましたが,これも常日頃からの信頼関係の賜物なのです。
 そのうえで,シニアを含めて日本には役に立つ人材が豊富です。ソロモンには公営の水道局や港湾局がありますが,トップはわざわざ英国から高い給料を払って呼んでいます。しかしこの分野は日本にも実績がありますし,もし日本人がトップに立てば,現地に残せるものはより大きいのではないかな,と考えることもしばしばあります。

中長期的な視点からは,いかがでしょうか。

北野 現在は表面化していませんが,島嶼国が共通に抱える重要課題の一つは人口増です。もともとの人口が多いわけではないので,実数としてはそれほどでなくても,影響は出やすいのです。将来的には格差や貧困の拡大が懸念されています。
 しかし,増えた人口を吸収するような産業をつくることは容易ではありません。実数としては少ないので,国内の消費に大きな期待はできません。農産品は輸出するのに時間がかかり,またそれを行うロジスティックスも確立されていません。観光はこの地域の強みの一つですが,多額の先行投資が必要になります。

この問題に,日本はどのようなサポートができるのでしょうか。

北野 ここで重要になるのは,国際的な労働者の移動という発想でしょう。日本を含め多くの先進国では労働力が不足しているのですから,このようなマッチングがあってよいと思います。それをどのような仕組みで行うのか,島嶼国と共に考えたいテーマです。

日本も問われる課題です。

北野 日本にとっても切実な問題なのですから,島嶼国との関係だけでなく,自分自身の問題として考えるべきでしょう。われわれ建設業では,毎年10万近く労働者が減っていきます。それはたいへんな数字です。
 ただ,単なる数合わせではいけません。受け入れるのであれば,きちんとした待遇であることが重要です。国境を越えた労働者が,搾取されたり,不当な扱いを受けることがしばしばニュースになりますが,そのようなことはあってはならないし,日本はそのような国ではないはずです。厳しいことを申し上げれば,実態と乖離している部分もある外国人技能実習制度などの見直しも,必要ではないかと思います。問題意識を共有しつつ,どのように良い制度をつくっていくか,議論を始める時期ではないでしょうか。


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