大洋州
第8回太平洋・島サミット(PALM8)連載インタビュー企画 「島から島へ 紡ぐメッセージ」
第1回 おのののか×フィジー共和国
5月18日~19日にかけて,福島県いわき市において「第8回太平洋・島サミット(PALM8)」が開催され,太平洋島嶼国・地域の首脳が訪日します。
PALM8開催に合わせ,太平洋の国々や開催地である福島県とご縁のある著名人の方々にインタビューを行い,島での思い出や日本と島嶼国の絆について語っていただきました(6回連載の予定)。聞き手と記事作成は,隔月刊誌『外交』編集部です。
第1回の今回は,「東京ドームのビール売り子No.1」として有名で,タレント・女優として活躍されているおのののかさんに,フィジーでの留学経験を中心にお話を伺いました。
【第1回インタビュー】
おのののか×フィジー共和国 高校3年の冬,私の人生を変えた2か月。

おのののか タレント
東京都生まれ。高校卒業後に芸能界入り。芸能活動のかたわらでアルバイトしていた東京ドームのビールの売り子で1日400杯を売り上げ,メディアで話題になりブレイク。現在もテレビ,グラビア,イベントなどで活躍中。フィジーとの出会いは高校卒業直前の語学留学で,西部のナンディに2か月間滞在した。
通学路のポスターでみた青い海
おのさんがフィジーを初めて訪れたのは高校時代ですね。
おの 高校の卒業式直前に2か月間,ナンディという町に語学留学しました。高校3年までの10年間,ひたすらバスケットボールの部活中心だったので,なんとなくですが,それとは違う世界にも出会ってみたい,海外で英語を勉強してみたい,という気持ちがあったのだと思います。
なぜフィジーを選んだかと言うと……。高校への通学路に,青い海の写真に「格安フィジー留学」と銘打ったポスターがあって,その刷り込みが大きいですね(笑)。高3も1月後半には授業がなくなりますし,私は大学に進学するつもりはなかったので,これはいい機会だと思い,両親に相談しました。そうしたら,あっけないくらいあっさりと了解が取れて,じゃあ行こう,となりました。
あまり不安はありませんでしたか。
おの そうですね。留学先は日本人学校で,校舎内は英語オンリーですが,学んでいるのは日本人同士という安心感がありました。
もうひとつ,ナンディは人口4万人くらいの町で,緑豊かなのどかな土地柄もあるのか,住民がみんなフレンドリーで,空港でも,街を歩いていても,「ブラ!」(フィジー語で「こんにちは」)と声をかけてくれます。滞在中は二つの家庭でホームステイしましたが,どちらもとても親切にしていただき,おかげで,学校の外でもフィジーでの生活にすっとなじめたような気がします。
ちなみに,首都のスバはナンディから車で3時間くらい。たまに出かけていって,ショッピングモールや映画館のある「都会」の生活を満喫しました。
フィジー系とインド系が共存する社会

ホームステイで現地の暮らしを体験されて,いかがでしたか。
おの 本当に貴重な経験でした。フィジーは歴史的にインドからの移民が多く,私が滞在したナンディでは,フィジー系とインド系の人口が半々くらい,という印象でした。ホームステイ先もフィジー系,インド系と,1か月ずつ違う家庭にお世話になり,フィジーの文化や社会を知るという意味でも,貴重な経験でした。
生活習慣は,当たり前ですが日本とは大きく違います。前半はフィジー系の家庭にお世話になりましたが,これがすごい大家族。しょっちゅう「知らない人」が居間に出入りしていて,わいわい賑やかでした(笑)。ひょっとしたら親戚の人たちも一緒に住んでいたのかもしれません。一人ひとり教えてもらったのですが,とても覚えきれなくて……。戸にカギはかけず,大人も子どもも出入り自由。庶民的で明るいうちでしたね。
食事はタロイモが主食です。それに付け合わせ(?)で焼きそばをよく作ってもらいました。炭水化物過多ですね(笑)。大家族ですので,台所にタロイモと焼きそばがドーンと置いてあって,各自が食べたいだけ取って食べる,という感じでした。
インド系のおうちはいかがですか。
おの フィジー系のおうちのような大家族ではありませんでしたが,こちらもとても親切にしていただきました。大きく違うのは食事ですね。朝昼晩,ひたすらカレー。さすがに飽きると思いますよね。ところがそんなことは全然なくて,毎日喜んでいただきました。具材はかぼちゃ,豆,肉など種類も豊富ですし,スパイスも変わるので,本当においしかった!食事ひとつとっても,異文化が共存しているのがよくわかりました。
フィジーの水もおいしかったです。「フィジー・ウォーター」として世界的に販売されていますよね。水道水も飲めますし,ペットボトルも安くて衛生的でした。このあたりも水好きの私には,ありがたかったです。
フィジーでは自然も満喫されたのではないでしょうか。
おの もちろん,その素晴らしさにたくさん触れることができました。ただ,私がフィジーで自然の生命力を最初に感じたのは,虫です!とにかく虫がたくさん。しかも大きい。室内の壁にアリの行列があるなんで日常茶飯事。おかげで虫に慣れたというか,嫌いじゃなくなりました。これも成長ですね(笑)。
もちろん美しい景色も多く,大いに癒されました。印象に残っているのは,クラスの仲間たちと週末に出かけた離島での風景です。フィジーは300以上の島からなる国ですが,ナンディから船で出かけたマナ島とバウンティ島は,特に忘れることができません。透明度が高い美しい海は,やはり本島で見られるものとは違って格別ですし,夜になって砂浜から見上げれば,満点の星空に流れ星が幾筋も尾を引いている。聞こえるのは波音だけ。いまでも鮮明に思い出します。
未知へのチャレンジを楽しんだ自分に驚き

フィジーでの2カ月を経験され,何か変わりましたか。
おの 一つは,英語を集中して学ぶ機会を得て,それなりに読んだり話すことができるようになったのは,自信になりました。現在はなかなか使う機会がありませんが,自分の知らなかった世界にアクセスできるのは,楽しいですね。
もうひとつ留学してよかったなと感じるのは,「まずやってみよう」という行動力がついたことですね。そのきっかけは,先ほどお話しましたが,週末になるとクラスの仲間たちといろいろなところに出かけたことです。仲間といっても私が一番若く,ほかには大学生や仕事を辞めて来た20歳代後半の人たちが多かったですね。おかげで私は「妹分」として優しくしてもらいました。離島に泊りがけで出かけたときは,自分たちで英語で交渉して交通手段や宿泊先を確保する。しかも高校生のお小遣いでいくので,できるだけ安く。バウンティ島へは,本当に小さいモーターボートで,がくんがくん揺れながら渡りました。行った先で出会えた自然の美しさや友だちとの会話も端々まで,かけがえのない思い出になっています。小さな想定外はあったにせよ,やってみると意外と何とかなるものです。自分はこんなこともできるんだという自信になりました。
それまでは違ったのですか。
おの 高校時代まで,どちらかというと人見知りでしたね。毎日部活中心の生活で,同じメンバーと顔を合わせる日々だったので,それでもなんとかなっていたわけですが,一人でお店を予約するのも嫌なくらいでした。でも,フィジーでは一人でトライしないと,物事が先に進まないし,せっかくの海外生活を楽しめない。だから度胸がつきました。「行けばなんとかなる」「やってみたらなんとかなった」というのは,わたしにとって新鮮で貴重な体験でした。
それにフィジーの人たちが明るくて,困ったときもそうでないときもよく話しかけてくれて,本当にうれしかった。おかげで社交的になりました。帰国後,東京ドームでのビールの売り子を楽しんでできたのも,芸能の仕事にチャレンジできるのも,その時の経験が後押ししてくれているような気がします。
その後,フィジーにお出かけになりましたか。
おの 嬉しいことに,2014年に撮影で思い出のマナ島を再訪できました。仕事ではありましたが,美しい自然もそのままで,「初心」を思い出しました。もう一つお仕事の関連で,今年7月から成田・ナンディの直行便が復活します。私もその記者発表イベントに参加させていただきました。2009年以来の復活だそうで,そういえば私のときは,韓国の仁川経由だったなあ,と思い出しました。直行便が運航されることで,日本の皆さんがフィジーの魅力にもっともっと触れられる機会が増えることを願っています。