中華人民共和国

平成30年10月25日

 李克強(り・こくきょう)国務院総理、
 李小林(り・しょうりん)中国人民対外友好協会会長、
 御列席の皆様、

 日中平和友好条約の締結40周年という記念すべき年を、中国の皆様と共に、心からお祝いしたいと思います。

 今からちょうど40年前、中国の国家指導者として戦後初めて日本を訪問された鄧小平(とう・しょうへい)副総理と、福田赳夫総理との間で、日中平和友好条約が締結されました。私の父,安倍晋太郎も,当時,官房長官として,この条約の交渉を支えました。

 この条約には、日中関係の礎となる、重要な原則が定められています。
「恒久的な平和友好関係を発展させる」
「すべての紛争を平和的手段により解決する」
「覇権を求めない」。
 以来、これらの諸原則は、日中関係を導く羅針盤となってきました。
 私は、李総理と共に手を携え、この大きな羅針盤を頼りに、日中友好の船をできるだけ遠くへ進めていきたいと思います。

 本日、私は、李総理のご招待により、日本の総理として7年ぶりとなる中国への公式訪問を開始します。

 今回の訪問が、40年前の条約に込められた先人達の日中両国の平和と友好への誓いに改めて思いを致し、今後の新たな日中関係を切り開く契機となることを期待しています。

 本日は、日中双方から、条約の締結に携われた当時の関係者、そしてその後の日中関係の発展に様々な立場から御尽力された数多くの方々にお越しいただいています。

 この機会に、皆様の多大な御功績に対し、改めて深い敬意を表します。

 40年前、批准書の交換を終えた鄧小平副総理は、日本で新幹線に試乗し、当時最先端のカラーテレビ工場、製鉄所、自動車工場を視察されました。
 新幹線の中で感想を聞かれた鄧小平副総理は、「これこそ我々が求めている速さだ」「今回の訪日で近代化とは何かがわかった」と述べられました。

 そして中国に帰国されてからわずか2ヶ月後、かの有名な中国共産党 第11期 三中全会が開かれます。「改革開放」の始まりです。

 つい先ほど、私は李総理とともに、この40年の日中両国の歩みを回顧する写真をみました。

 日中友好病院や宝山製鉄所の第一高炉など、日中協力の下で中国の近代化を支える重要な施設が次々と建設されていく様子がうかがえました。

 鄧小平氏の唱えた「改革開放」の下で、世界を驚かす大きな発展を遂げた中国。写真から、その熱気を感じることができました。

 この過程で、日本はODAや民間の投資を通じ、中国と共に歩み続けてきました。このことを嬉しく思います。

 今や、中国は、世界第2位の経済大国へと発展し、日本の対中ODAは、その歴史的使命を終えました。

 今日、日本と中国は、アジアのみならず世界全体の経済発展に欠くことのできない役割を果たしています。

 世界がかつてないほど繋がり合い、一国だけで解決のできない問題が増える中、日中両国が世界の平和と繁栄のために共に貢献する、そうした時代が来ていると思います。

 明日の李克強総理、そして習近平(しゅう・きんぺい)国家主席との会談では、こうした新たな時代にふさわしい、新たな次元の日中協力のあり方について、大所高所から胸襟を開いて議論したいと思います。

 この40年間の日中関係を支えてきたもの、そして、これからの日中関係を支えていくものは、国民同士の絆です。

 嬉しいことに、今年の国慶節に、中国人の方々が最も訪れたい場所として選んだのは日本でした。最新の世論調査では、日本に良い印象を持つ中国人の方々の割合が大幅にアップしています。

 相互理解を増進する上で何より重要なのは、直接足を運び、自らの目で、ありのままの姿を見ることではないでしょうか。

 両国の未来を担うのは青少年です。私は青少年の交流を力強く後押ししていきます。青少年交流に長年尽力されてきた李克強総理からも、新たな交流の枠組み作りに賛同いただいています。

 私自身も明日、李総理の母校である北京大学を訪れ、学生の皆さんから質問を受けることを予定しているわけであります。わくわくしながらどきどきしているところであります。

 今、両国が進む航路の先には、協力の大海原が大きく広がっています。今回の訪中を通じ、皆さん、力を合わせて、日中友好の船を前へ前へと進めていこうではありませんか。

 最後に、改めて日中平和友好条約締結40周年をお祝いし、日中の友好協力の益々の発展、御列席の皆様の御健勝・御多幸を心より祈念し、私のお祝いの挨拶といたします。

 ありがとうございました。

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