
「がんばれ日本! 世界は日本と共にある」(世界各地でのエピソード集)
中東(中東その2)
アフガニスタン
- UN-HABITAT事務所に対して,お見舞いと弔意表明を日本側に伝えて欲しいとのアフガン国民からの要望が後を絶ちません。
- 3月12日,ハミディ・カンダハール市長が,被災者に対し義援金を寄付すると表明。24日,同市長が日本大使館を訪問し,義援金を寄付すると改めて表明。
- 3月14日,バーミヤンの若者達を中心に,震災支援の集会が開かれました。同集会で,1.日本のおける惨事について悲しみを共有する,2.これまでアフガン再建に尽力してきた日本政府及び国民に対し今回の惨事に関する支援の用意を表明する,3.アフガン政府に対し,政府の能力に応じた支援実施するよう要請する,との3つの決議が採択されました。
- 3月15日,カブール,ナウアンディーシュ・カブール市長が,市内各所に震災被災者を支援するための募金箱を設置。20日,カブール市長が日本大使館を訪問し,義援金の寄付を表明。
- 3月16日,ゴール県チャグチャラン市で,震災被災者へのお見舞いと弔意を目的とした巨大な日の丸が掲揚されました。
- 震災に関しお見舞いと弔意を表明する集会が,ヘラート,カンダハール,ダイクンディで実施されました。
アラブ首長国連邦
- イッティハード小学校生徒が,日本を励ます内容の写真と文章をまとめたアルバムを作成し,日本大使館館に届けました。
- 幼稚園Play Houseの2歳から4歳の園児及び教員が,日本に連帯・激励する内容の壁飾りをつくって日本大使館に提供。大使館館内の記帳場所に展示。
- ドバイ在住の現地児童が,両親と日本総領事館を訪れ,義援金を持参するとともに,被災した子供達に向けた想いを描いた絵を寄贈しました。
- 3月15日~20日,アブダビ国立展示場で開催されたアブダビ国際ブックフェアの日本ブースに,多くの来訪者が訪問し,日本関係者に弔意と連帯の意志を伝えました。
- 3月21日,ドバイのウェリントン・インターナショナルスクールが,学校行事として,チャリティ・イベント「Red & White Day」を開催。日本人学校の保護者・生徒も協力し,参加者に折り鶴(千羽鶴)の折り方を教え,また義援金を募り,その後,同学校の校庭にて人文字で日本の国旗を作りました(約2,000人参加)。
- 3月31日~4月1日,ドバイのシャルジャ・アメリカン大学のイベント「Global Day」の日本ブースに,義援金箱が設置されました。また,日本・UAE協同によるマンガ単行本「ゴールドリング」(10年度シェイク・ザーイド初代大統領記念文学賞受賞作品)原作者のカイス・セドキ氏(アラブ首長国連邦人)より同単行本50冊が寄贈され,その売り上げが義援金となる予定。
- 4月2日,Dubai International Peace Music Festival(ドバイ国際平和音楽祭)にて,当初,中日で休みとなっていた2日に,日本のための慈善コンサート「HELP JAPAN」をウェリントン・インターナショナルスクールで開催。
- 国立の高等技術大学,ザーイド大学,UAE大学等の親日家学生クラブのメンバーが,各キャンパスで,在留邦人有志らと協力し,自発的に食品販売などの募金事業を企画・実施し,日本大使館館宛に収益を寄付。高等技術大学のある学生は,「Gambatte Japan」と題した応援ポスターを作成し,日本大使館に寄贈し,大使館内の記帳場所に展示。
イラク
- 4月23日,バグダッド市内芸術学院で,カリーム・ワスフィセンターと日本のNGOが共催で,犠牲者の追悼,被災者への激励・連帯を表明するコンサートを実施(約300人参加)。カリーム・ワスフィセンターの少年オーケストラ及び民族楽団が演奏(「上を向いて歩こう」も演奏)。
イラン
- 震災直後はイランの年末・年始であり,大半の期間政府機関も休日であったにもかかわらず,多くのイラン国民が日本大使館を訪問し,弔問記帳。
- 3月16日,イラン・日本友好協会が,地震の追悼及び可能な支援の検討を目的とした緊急会合を開催。参加者から,被災者及び日本人に対する温かな励ましの言葉と支援の申し出がされました。出席者からは「自分ができる支援は,裁縫と料理ぐらいである。しかし,日本に対して深い思い入れがあるので,裁縫の技術を活かし子どもの洋服を縫い,お菓子等を作って日本へ送るなど,できる限りの援助を行いたい。」,「1992年に発生したイラン南東部(バム)大地震の際,日本は血液を空輸しイランに対し援助を行ってくれた。今回の地震で被災した方々に対し,過去の日本による援助の御礼として,献血を行い被災した人々へ届けたい。」,「孤児が多数発生する事が予想されるので,孤児支援のための基金を設立しイラン・日友好協会会員で募金し,特定の孤児のスポンサーとなり送金を続けたい。」等の発言がありました。
- 3月21日,イラン赤新月社が,イラン製缶詰5万個の宮城県への提供を決定(25日に被災地に到着)。被災地に赴いた関係者は「2003年にイラン南東部で発生したバム地震の際の日本の支援に対し,少しでもお返しが出来たと思う。」と述べました。
- 3月30日,イランプロサッカーリーグ協会,スポーツ誌が,アーザーディ・スタジアムで行われたエステグラールとペルセポリスとの試合で,追悼セレモニーを実施。ピッチ内に哀悼の意を示す立て看板3種類が掲げられ,「被災した日本の方々へ深い哀悼の意を示します」との会場アナウンスや場選手がセンターサークル上で一つの輪を作った他,黙祷等が行われました。
- 4月2日~4日,イランの障碍者へ車いす等を支援しているNGO「イランの障碍者を支援するミントの会」所属の日本在住のイラン人約10名が,岩手県釜石市でイラン料理の炊き出しを実施(計2,200食提供)。被災者から「今までイラン料理は食べたことがなかったけれども,温かくて美味しい」と感謝されました。
- 4月15日,テヘランの自宅で,東北在住経験のあるイラン人女性が,チャリティ・イベントを開催(300人以上参加)。イランの伝統楽器の演奏等が行われました。
- 4月20日,岩手県山田町で,大使夫人や女性外交官を中心とする在京イラン大使館員17名がイラン料理(チキンと野菜のトマト煮込み・ナン)の炊き出しを実施(約500食)。
- 4月20日,アーメリ・テヘラン大学副学長兼世界研究学部長が,弔問のため日本大使館を訪問し,テヘラン大学長及びテヘラン大学世界研究部及び日本研究学科の関係者による日本への支援のメッセージの寄せ書きを日本大使に手渡しました。
- 5月4日,テヘラン大学世界研究部日本研究科が,句会「希望」を開催。ペルシャ語で俳句を作るイラン人約20名が,日本の復興への希望を込めた俳句を発表しました。
- 5月10日,イマーム・アリー美術館が,被災者のために,約30ヵ国の芸術家が制作したポスター100点の展示会を開催し,また同作品を掲載したアルバムを発行。
- 5月15日,ボジュヌルディー・イスラム大百科事典センター長や故井筒俊彦教授と知己であったイスラム哲学者モハッゲグ教授を始め,イランの人文科学分野の著名な学者約40名による日本への支援のメッセージの寄書きが日本大使に手渡されました。
- 5月19日,イラン在住日本女性の会(サフラン会),化学兵器被害者を支援する会,ペイダリー市民センターが,日本料理とイラン料理,イランの伝統手工芸品等のチャリティ・バザーを開催。
- 5月20日,イランの文部科学省帰国留学生同窓会が,音楽コンサート(テヘラン大学外国語学部日本語学科の学生有志による歌唱,日本人ピアノ,フルート奏者による日本の曲の演奏,イラン人及び日本人音楽家によるイラン伝統楽器の演奏),イラン人芸術家の作品展,イラン人の子供が被災地の子供のために描いた絵画の作品展からなるチャリティ・イベントを開催。
- 5月24日,駐日イラン大使のイニシアティブで,チャリティ・バザーが開催されました。
- 5月26日,在京イラン大使館臨時代理大使を団長とする在日イラン人等が,福島県郡山市の避難所で,約700食のイラン料理の炊き出し支援を行いました。
- 9月7日,駐日イラン大使が岩手県山田町を訪問し,被災者約300人へ食事の支援を行い,イラン国内の人々が被災地の復興を願って詠んだ詩集「HAIKU集 希望」を贈呈しました。また,大使夫人が被災地復興への祈りを込めて描いた絵画を,山田町へ贈呈しました。
オマーン
- オマーン国内から,様々な共感と励ましの声が日本大使館に寄せられています。
- 市民グループやホテル従業員,韓国人コミュニティ等から,弔意のメッセージと義援金が日本大使館に寄せられました。
- 3月19日,オマーン日本友好協会会長が日本大使との共同記者会見を行い,国民に義援金の提供を呼びかけました。
- 3月19日,スルタン・スクール生徒が,日本の復興を願って千羽鶴を折り,全校集会に招かれた日本大使に手渡されました。同校の廊下に飾られた低学年の生徒が描いた鶴の絵には犠牲者や被災者の方々に対する生徒達の哀悼の言葉が記されていました。
- 3月23日,長年病床にあった王族が亡くなり,その弔問に訪れた日本大使夫人に,同王族夫人は「お気持ちは有難うございます。でも,私はむしろ日本の皆様に心からお悔やみ申し上げたいと思います。そして,被災者の皆さんの立派な秩序ある行動と連帯感は,日本国民が誇りに思うべきです。」と述べました。
- 3月23日,ユナイテッド・プライベート・インターナショナル・スクールが日本大使を同校に招き,傘下の地方校を含む5校から集められた義援金を渡しました。その際,8年生のユーセフ君とアマルさんがそれぞれ自分で作った詩「Yes we Care」と「Disaster」を朗読しました。
- 3月23日及び24日,アメリカン・ブリティッシュ・アカデミー校が,のり巻きセットを販売し,募金活動。3月30日,同校で,千羽鶴の展示や折り紙アートのチャリティ・セールが実施されました。
- 3月29日,オアシス幼稚園及びアブアドナン保育園で,保護者が折り紙アート,クッキー,古本や古着などのチャリティ・セールを行いました。
- 4月4日以降数日間,電話会社オマーンテルが,同社携帯電話の加入者8.5万人に対しメールで義援金口座の案内を送付し,募金を呼びかけました。
- 4月6日,ブリティッシュ・スクールで,同校生徒,保護者が折り紙アートを販売する募金活動を行いました。
- 4月12日,ロイヤル・フライト・スクールの生徒が,イベントで募った他,教師や家族の協力した義援金と千羽鶴を日本大使館に託しました。
- 4月13日,アメリカン・インターナショナル・スクール・オブ・マスカットで,低学年を中心とする生徒が,教員らと共に日本を励ます会を開催。折鶴で日本やオマーンの国旗を作る等で日本国民への連帯と友情を示しました。
- 4月18日,市内ホテルで,オマーン・日本友好協会の後援で,チャリティ音楽イベントが開催されました。ロイヤル・シンフォニー・オーケストラ等の多くの音楽家が演奏を披露した他,オークションやバザーが行われました。
- 4月24日,マスカット市内のクルム自然公園で,オマーン・スポーツ省がオマーン世界青年の船同窓会やスポーツ団体と共同で,チャリティ・ウォーキング「Oman Youth Solidarity Walk with Japan Tsunami Victims」を開催(スポーツ省次官,外務省次官(元駐日大使)他の多くのオマーン人が揃いのTシャツを着て参加)。スポーツ団体によるバザーも行われました。
- 5月1日,英国系婦人を中心に社会活動を行う当地NPOウーマンズ・ギルド・イン・オマーンが日本大使公邸を訪問し,同メンバーによる義援金を手渡しました。
- 5月2日,現地ガス会社2社の社長及び幹部が日本大使館を訪問し,義援金を渡しました。
- 5月11日,Petroleum Development Omanスクールが日本大使を招待し,生徒代表が義援金を手渡しました。この義援金は,同校PTAが開催したベイクセールの売り上げに学校側の寄付金をあわせたもの。
- 5月18日,オマーン在住のイタリア人が日本大使館を訪問し,ラオスで行われた日本支援のチャリティ行事で購入したTシャツを寄贈。このTシャツには,表に日本語で,裏にラオス語で激励の言葉が記されています。
- 5月25日,オマーン在住の外国人によるバンド123Orionのメンバーが日本大使館を訪問し,チャリティ・コンサートの収益を寄付。メンバーの一人が東京に住んでいたので,5月に日本支援のためのコンサートを開催しました。
- 5月24日,オートバイ愛好団体Oman Riders Club会員が日本大使館を訪問し,支援の言葉が書かれた盾,団体の名誉会員証,帽子,ポロシャツを渡しました。会員25名は,気温40度を超える中,日本への連帯を示す揃いのTシャツと帽子を着用し,大使館までツーリングを行いました。
- 大手リゾートホテルで,スタッフが「Wish for Japan」と書かれた白いリストバンドを着用。このバンドの売り上げの一部は救援物資購入に充てられます。
カタール
- 多くのカタール人,カタール在住外国人から日本大使館や赤十字社に義援金が寄せられています。
- 私立校The Learning Center Schoolが,震災後に募金箱を設置し,寄付。募金箱には現金と共に,日本の被災者のために力になりたいと願う子供達からの励ましのメッセージが多数入れられていました。4月7日,同校校長と児童代表が,生徒らが作成した被災者応援バナーを日本大使館に手渡しました。
- Doha English Speaking Schoolが,他のインターナショナル・スクールにも呼び掛け,子供用日曜生活物資や文房具入りのバックパックを集め,米軍により米本国経由で被災地に送付する活動を開始。
- 3月12日,送金会社UAE-QATAR EXCHANGE社が,被災者への義援金の送付に際し手数料を無料に。
- 3月12日~17日,カタール電話会社(Qtel)が,日本への電話料金を割引。
- 3月24日と27日,カタール大学日本クラブのメンバーがチャリティ・ベイクセールを実施。同時に,米軍を通じ被災地に送付される子供用文房具入りのバックパックの受付も実施。
- 3月25日,インド人コミュニティー(ケララ社会文化連盟)が,インド文化センターで募金活動を実施。
- 3月26日~27日,ドーハ市内のホテルで,UNICEF事務所がチャリティランチ・ディナーを企画。
- 3月26日,「日本との団結」をテーマとしたアルジャジーラ・チルドレン・チャンネルの番組に日本大使が出演し,13~15歳のカタール及びアラブ人の子供達が,日本の子供達への応援のメッセージを込めて描いた絵を,日本の子供達に送ってほしいと渡しました。
- 3月30日,ドーハにて,カタールフィルハーモニックオーケストラ有志が,在留邦人女性有志の企画したチャリティ・イベントで演奏を実施。
- 3月31日,ドーハ・アメリカンスクールの学生・教員らが,日本とNZの被災者との団結を示すためのイベント「コンパッション・ウォーク」を開催。
- 4月1日,当地NGO,ROTA(Reach Out To Asia)参加の青年団体LARVAが,犠牲者追悼イベントを実施。また,ROTAが追悼のためのキャンドル流しを実施。
- 4月4日,ドーハ市内ホテルが,被災者支援のためのチャリティ・ウォーキングを実施。
- アル・サッド・スポーツクラブとカタール・サッカー協会が,4月5日に開催されるアル・サッド・チームとサウジのアル・ナスル・チームの試合の収益を寄付することを決定。
- 4月6日,カタール・イースターン・ランゲッジ・センター(今年から日本語講座開始)生徒が,義援金を日本大使館に託しました。
- 4月7日,私立校Doha English Speaking Schoolの校長と児童代表が,日本大使館を訪れ,生徒らが作成した被災者への応援バナーを渡しました。
- 4月11日,自動車販売代理店の代表が日本大使館を訪問し,義援金を託しました。
- 4月14日,ジョージタウン大学ドーハ校が,ドーハ市内ホテルで被災者への支援をテーマとした会議を開催。募金活動も行われた他,Dr. Mohammed Al Maadheed国際赤十字・赤新月社連盟副会長が,弔意を示すスピーチを行いました。
- 4月20日,Gulf English Schoolの関係者が日本大使館を訪問し,生徒らが集めた義援金を渡しました。
- 4月27日,ドーハ市内のKorean Taekondo Centerの代表夫妻が日本大使館を訪問し,関係者で集めた寄付金を渡しました。
クウェート
- English Primary Schoolと,Om Atiya Al Ansariya School for Girls両校の生徒が,被災者に宛てた署名入りボードや,日本の児童に宛てた手紙ボックスを日本大使館に送りました。
- 3月17日,国営テレビ子供番組の出演者及び同番組プロデューサーが,千羽鶴を日本大使館に届けました。出演者代表(小学生)は,「クウェートが苦難の際(注:湾岸戦争),日本はクウェートを助けてくれた,今クウェート人の子供たちは被災地の子供たちに常にエールを送っている」と話しました。
- 3月21日,International Women Group代表が日本大使館を訪れ,地震・津波の犠牲者に対する弔意を表すると共に,保育園園児が被災者のために作成した人形を贈りました。同団体は,4月にチャリティ・イベントを企画。
- 3月24日,クウェート人元日本留学生が,帰国留学生懇談会で,今回の犠牲者に対し黙祷を捧げると共に,被災者に向けたメッセージや想いを託した寄せ書きを作成。
- 3月26日,Kuwait Women Cultural & Social Societyが,チャリティ・イベント「Pray for Japan」を開催。同団体代表はスピーチの中で,「日本はイラク侵攻の際,クウェート解放のために最も貢献してくれた国の一つであり,我々はその恩を忘れてはならない,本イベントを通じて被災者の方々に,我々の連帯の心を伝えたい」と述べました。
- 3月27日,Kuwait English Schoolが,チャリティ・コンサート「Japan, We are with you」を企画。
サウジアラビア
- 3月23日,ジッダ・ノウレッジ・インターナショナル・スクール(保育園,小学校)の生徒21名が日本総領事館を訪れ,被災者励ましのメッセージの寄せ書きや挿し絵等を集めたアルバム2冊を届けました。被災者がこの惨禍を乗り越えて早期に立ち直ることを祈っている等のメッセージが記載してあります。
- 4月4日,駐日サウジアラビア大使館が,日本支援のためにウェブサイトを立ち上げました。また,同大使館文化担当のエッサム・ブハリ博士は「仙台市在住のサウジ人留学生達が,避難中の人々が住めるように自分達のアパートの鍵を市役所係員に手渡した。また,彼らは,救援活動に参加する意欲と用意を表明した。」と述べました。
- 6月,サウジアラビア政府から提供されたLPガスを原資とするサウジアラビア災害支援基金が,仮設住宅のLPガス料金の補助事業を開始しました。